深緑の火星の物語   作:子無しししゃも

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第115話、回想&戦闘シーンです。


第115話 管制室強襲戦(中編)

──親の七光り。

 

──コネ入隊、お飾り監督官、坊ちゃん将校。

 

 彼を評する噂の殆どは、嘲笑で占められていた。

 デザ共和国南西部カパルダ監獄、軍属監督官エミール・ゲネラロフ。

 

 齢にして僅か十二歳の少年が捕虜と戦争犯罪者を収容する施設の長に就く珍人事は、国と人の思惑が交差した末の結果である。

 

 カフカス山脈から中央ロシア高地に跨る臨時政府国家、デザ共和国。

 エミールが生を受けたのは、隣国との紛争が続く北の大地だった。

 

 戦局は悪化の一歩を辿っており、百年以上続いた戦いはもうすぐ敗北という形で終結する。

 政府は少しでもその未来を遅らせるべく、愛国心を煽り若者たちを戦の道へと導こうとした。

 このような情勢で育った彼が兵士を志したのは必然だったと言えよう。

 

 最初のきっかけは、父が主催するパーティでとある軍人と出会ったことだった。

 数多くの絶望的な戦局を切り抜け勝利をもたらしてきた傑物に、幼いエミールは目を輝かせて尋ねた。

 

“あなたは、どうしてそんなに強いのですか?”。

 子供らしい曖昧な質問に、社交辞令の挨拶回りに辟易していた様子の彼は笑って答えた。

 

──いくつか、大事なものを持ってるからだろうな。

 

──たとえ予想外の事態で事前の計画がうまく行かずとも、その場で最適な連携が取れるような、苦楽を共にした戦友たち。

──士気を保ち気力を燃やし続けるための、何よりも優先すべきと定めた帰るべき場所。

──そして何より大事なのは、度数の強い酒だ。いや冗談だ、本気にするなよ?

 

“……。ボウズみたいな後輩が頑張ってくれるなら、この国の未来はきっと明るいな”

 

 何かの言葉を飲み込んだ後、激励と共に頭をぐしゃぐしゃ撫でてきた大きな掌は岩のように堅くて、でも温かかった。

 エミールは、あの人のようになりたいと強く望んだ。

 

 自分が、国と家族を守るのだ。

 悪しき侵略者どもを、この手で叩きのめしてやるのだ。

 

 末期の人員不足を『若い風を吹き込む』という名目で隠した入隊年齢の下限は、十二歳まで下がっている。

 自分が戦場に立つ日は近いのだと、戦意を燃やしながら日々を過ごしてきた。

 

「……違う」

 

 だが──立派な軍人になるというエミールの夢は望まぬ形で叶ってしまった。

“愛しい我が子を、負け戦の死地に送り出したくない”。

 それは、親として当然の愛情であり。

 

「このような官職など、望んではいなかった……!」

 

 軍のトップに近い立場だったエミールの父には、息子を安全圏での軍務に従事させてやるだけの力があった。

 

 そうして得られたのが、前線で命を張っている多くが天国だと羨む……しかしエミールにとっては地獄の日々だった。

 

 お飾りとしか見なされず、下手に任せてなにかあった時の権力者()の報復を恐れられ碌に携わらせてもらえない職務。

 望んだ前線に出ることができず、逆に親の権力を使って戦いから逃げた臆病者だと囁かれる毎日。

 さりとて立場を投げ出し戦場に赴く勇気があるかと問われても、答えは返せない。

 

 戦友などと呼べる相手はおらず、帰るべき場所というのがなんなのかもわからなくなった。

 いったい、自分はなんの為に生きているのだろう?

“生き恥”。

 そんな単語を思い浮かべながら、彼は立派な椅子を温めるだけの日々を過ごしていた。

 

「まずはほら、笑いなって! いつもそんなしかめっ面だと幸せが逃げてくぜ、監獄長殿!」

 

 ある日、仕事をサボりにきた職員に馴れ馴れしく話しかけられるまでは。

────

 

「“軍神”と謳われた人間、と聞かれてまず誰を思い浮かべる?」

 

 推測するに、互いに直接攻撃型の手術ベース。

 であれば、正道の殴り合い以外に取るべき戦術など存在しない。

 判断するや否や、レナートは床を蹴り腕の届く距離に踏み込む。

 

「スヴォーロフ、ジューコフ……21世紀以前の傑出したロシアの名将か? 気(ぐる)いルキメデス……英雄の時代が終わったはずのここ数百年で生まれ落ちた怪物か?」

 

 迎え撃たんとするエミールが指を折って挙げた数人は、お世辞にも学があるとは言い難いレナートでも知る名前だ。

 自国史において良い意味で名が挙がる有名人に、世界史において悪い意味で名が上がる狂人。

 しかし──。

 

「ああ、答えなぞ聞いていない。小生の祖国(デザ共和国)貴様の祖国(ロシア)、この二国で戦いに身を置く者にとっては、一択だろうからな」

 

 レナートが繰り出したのは、顔面を狙った真正面からの拳打。

 単純にして明快、レナートの『マルスゾウカブト』の特性を最大限に発揮する一撃がエミールの回避を許さず右頬を打ち据える。

 

(……浅い!)

 

 レナートの拳に命を砕いた感触は伝わってこなかった。

 カブトムシの筋力が上乗せされ放たれたそれは、常人はおろか並のMO手術被験者であっても首がへし折れ絶命に至る破壊力を持つ。

 

 それに耐えるだけの強度を持つ手術ベース。加えて、敵は直撃の瞬間微かに首を傾け衝撃を逃がしていた。

 決着には至っていない。

 戦況を把握し、レナートは反撃に備えるべく身を固める。

 

 が、衝撃は訪れない。

 エミールの腕は、打撃の類を繰り出すわけでなくレナートの襟元を掴んでいた。

 

「組技……!」

 

 その意図にレナートが気付いた瞬間、身体が傾き浮遊感が襲い来る。

 

 脚を払われた。

 状況を把握し、即座に対応策を探す。

 反撃……は、この姿勢からでは不可能。ならば、退避が上策か。

 地面に転がされる間際、レナートは受け身を取って姿勢を立て直そうとする。

 

 そして同時に、敵の手札について思考を走らせる。

 この動きはレスリングではない。ロシア軍人馴染みのコマンドサンボに似た要素こそあれど、また少し違う。

 記憶の中を探っていく内にたどり着いたのは、表裏アネックス交流会でこれと同じ武術を振るい自分や同僚たち(裏第三班)をなぎ倒す男の姿。

 

──柔道。

 

 レナートの受け身は間に合わず、右腕を抱き締めるように極められ地面へと組み倒された。

 咄嗟に振るった左腕がエミールの身体を打つが、苦し紛れの抵抗に赤茶色の甲殻はびくともしない。

 

 他の手術ベースの型式とは一線を画す強度の、堅牢な外殻。

 手甲のような形で両腕に形成された鋏と、硬質化している様子の十指。

 その正体は今改めて考えるまでもなく明らかで、同時にとある人物を想起させる生物の特徴だった。

 

──蟹。

 

“軍神”と謳われた人間、と聞かれてまず誰を思い浮かべる?

 先程エミールから投げかけられた問いへの回答が、レナートの中で再び明確な像を結ぶ。

 

「シルヴェスター・アシモフ……! あの裏切り者めが未だに英雄と語られるような現状がどれほど忌まわしいか、貴様らにはわかるまいな!」

 

 この瞬間、ふたりの脳裏には全く同じ顔が浮かんでいた。

 とめどなく沸き続ける憎しみを吐き出すかのように、エミールはその名を口にする。

 

「コイツ──」

 

 レナートにそれほどの驚きはない。

 エミールが先ほど語っていた出身が本当ならば、彼の感情は否定しきれるものではないからだ。

 デザ共和国においてはかつての英雄、現在の裏切者。

 ロシア連邦においてはかつての恐るべき強敵、現在の頼れる味方。

 

 決して、思うところがないわけではない。

 だが、レナートは微かな感慨を即座に切り捨てた。

 今考えるべきは目の前の戦いについてだ。

 

 かのアネックス計画幹部搭乗員(オフィサー)と同類のベース、同じ武術。

 そのように表現すればエミールは脅威そのものに聞こえるが、力を振るう当人の体格は遥かに見劣りしている。筋力面でも、どれだけ高く見積もろうと並ぶほどではあるまい。

 

「……そして貴様、なにか勘違いをしているのではないか?」

 

 ならば、どうにか抜け出せそうか。

 技をかけられている自身の手足を確認しようとしたレナートの眉が、振り上げられたエミールの腕を見て小さく歪んだ。

 鋏が開閉し、関節の継ぎ目から透明な液滴が滲み出ている。

 意味ありげにしたたる何らかの液体、命がけの闘争の中示されたそれがただの水であるわけもなく。

 甲殻全体に散らばった白の斑点は、まるで何らかの危険性を示すかのような不気味な気配を醸し出していた。

 

「力押ししか能のない奴と小生が、同程度であるなどとな」

 

 

──スベスベマンジュウガニ。

『愉快な名前の生物』としてバラエティ番組などで取り上げられる機会もあるため、生物に興味は無いが名前を聞いた事はある、という人も多いだろう。

 しかし彼らは、食品の名を冠した気の抜けるネーミングに真っ向から反する性質を有していた。

 

(まさか──毒液!)

 

 レナートは即座に正答へとたどり着き、その表情を強張らせる。

 この種は美味な食材として愛される多くの蟹と異なり、食用にはなり得ない。

 その要因となるのが、身に宿す致死性の毒素だ。

 

 テトロドトキシン、あるいはサキシトキシン。

 前者に関しては、こちらもまたスベスベマンジュウガニの名と同じく記憶の片隅に残っている方もいるかもしれない。

 フグ毒として著名なこの物質を、彼らは甲殻と全身の筋肉に蓄える。そしてそれは大鋏周辺で特に高い濃度を示すという。

 とはいえ、決して挟むと同時に毒を送り込むような機構を有しているわけではない。

 

「より優れた戦術、より優れた戦略! 小生は彼奴を既に超えているのだ!」

 

 ……それが、元の生物に限った話であるならば。

 エミールの鋏を濡らす毒液に、レナートは頬をひきつらせる。

 もう麻痺が来てんじゃねえだろうな、などという冗談はとても思い浮かべられなかった。

 

 まるで断罪の刃でも気取るかのように、蟹の大鋏が喉を締め上げんと伸びてくる。

 レナートの視界には、今まさに無礼者を処断せんとするエミールの表情が映っている。

 

「では死ぬがいい、侵略者。このエミールの名を胸に刻み、悔いて果てよ!」

 

 戦場の必死さ悪辣さとは程遠い、まるで年頃の少年がちょっとした物事を達成できた時のような笑顔が。

 

────

 その日、エミールは黒檀の執務机で分厚い本を広げていた。

 内容は、軍の指揮系統について。

 本来なら、今の彼に勉強をする意味などない。

 

 回ってくる仕事など、なんの業務に繋がっているのかもよくわからない決裁書にサインをするくらいだ。

 必要とされるスキルは、自分の名前が書けることだけ。

 それだけで安全な後方の職と多額の給金が手に入る。

 権力でこのような場に置かれた人間が堕落し賄賂を始めとした汚職に染まるのは、どんな国でも排除しきれない宿痾と言える。

 

 それでも、エミールは勤勉な少年だった。

 立派な軍人になるため、彼は一日たりとも座学を欠かしたことはない。

 武器の扱いについて学び、現代戦の戦術教本を何冊も取り寄せて読み、多少は体を鍛えてもいる。

 武術のひとつでも……と考えて、憧れの人と同じものを選んだ。

 

 いつか必要になる日が来た時のためにと、努力を怠らなかった。

 それが変わらない現実からの逃避でしかないのだと、薄々気付いてはいたが。

 

「ふぃー、一息一息……んぉ?」

 

 そんな静かな座学の時間が、恐る恐る開いたドアの音と間の抜けた声に邪魔された。

 集中を乱され、エミールは苛立ちを隠し切れず頭を上げる。

 

「あ、ども。先客だ」

 

 そこには、気まずそうにエミールを見る顔があった。

 エミールより少し年上と思われる少年である。

 制服を着ているあたりここの職員ではあるのだろうが、ぼさぼさの髪からよれた制服までだらしなさに溢れている。

 

「誰だ、貴様は」

 

 警戒心と侮蔑を隠そうともせず、エミールは問う。

 少なからず、想定外だった。

 執務室には、清掃と決裁以外では誰も踏み入らない。

 エミールの背後にある権力を恐れる職員は当然近付こうとしないし、そうでない人間もわざわざお飾りに関わる必要もないと判断している。

 

 権威を目当てにすり寄ろうとした者こそ最初は何人かいたが、私欲の為に困窮する国を顧みない輩はエミールが最も嫌う類である。

 上手く扱えば孤立せず影響力を高めることができたかもしれないが、彼はまだ十二歳だ。

 自身の愛国心に真っ向から反する不快感を受け入れられるほど大人ではなかった。

 

 結果、孤立したエミールの部屋には事務的な理由以外では誰も訪れない……はずだった。

 

「それになんだその口の利き方は。ぼ……小生の階級を理解してのものか?」

 

 苛立ち混じりに、エミールは机を指で幾度も叩く。

 自分が職員たちの間でどのような評価を受けているのかは知っている。

 そう言われるのも仕方がない、と諦めている一面もあった。

 だが面と向かって舐められるのは話が違う。

 

「え? もしかして監獄長殿!? サボり仲間とかじゃなくて!?」

「……怒りより呆れが先んじる経験は初めてだ」

 

 と思っていたら無礼の理由が想定外すぎた。

 じっとりと目を細めるエミールに、慌てて髪をぐしゃぐしゃとかき乱す少年。

 もしかして、偉い人相手に整えているつもりなのだろうか。

 

「ほとんど誰も入らない部屋だったから、サボりに使えると思ってたら……まさか新しい監獄長が来てたなんてびっくりだ! ってか、もっとそれっぽい雰囲気出してくださいよ、もう!」

 

 少なくともポーズだけは礼儀をわきまえているようだ。

 そう考えていたエミールは、まさかの追撃に頬をひきつらせた。

 無礼に無礼を重ねてくるこいつは何なのだ。

 怒鳴りつけて減給でもしてやらねば気が済まない。

 

 そう、思っていたのだが。

 

「小生は……変われないのだ」

 

 衝動的にエミールの口を衝いて出たのは、虚しさを伴った弱弱しい一言だった。

 言ってすぐに、エミール自身が驚きで目を見開いてしまう。

 自分はどうして、このような話を?

 

「どれだけ己が望んでも、周囲がそれを許さなかった」

「なんだ、そりゃぁ。ホントに何もかもができない状況なんて、ないでしょうに」

 

 初めて誰かに悩みを打ち明けた。

 

「馬鹿なことを言うな。皆は小生を恐れ蔑み、それらしい理由を付けて仕事も与えられない。下っ端の貴様にはこの“署長様”の現状は理解できぬのだろうな」

 

 切実な悩みに反論された苛立ちで、エミールはたっぷり皮肉を込めて詳らかに現状を語る。

 これで少しは黙ってくれるといい。

 偉い偉いお飾りの署長の怒りを買ったと自覚すれば、大人しくなるだろう。

 

「だからそれがダメだってんですよ。ハナから諦めてないで、ほんのちょっとした事から始めてみりゃいいんだ」

 

 そんな稚気じみた癇癪に返ってきたのは、真面目な反論だった。

 

「ちょっとずつ誰かと雑談でもしてイメージ改善とか? それとも俺とゴミ拾いでもしてポイント稼ぎます?」

「む……」

 

 言い返してやりたい。停滞する己を肯定する言い訳が、幾つも浮かんだ。

 その卑屈な口を塞ぐように、彼は間髪入れずいくつもの具体的な行動を提示してくる。

 

「そうさな……まずはほら、笑いなって! いつもそんなしかめっ面だと幸せが逃げてくぜ、監獄長殿! そういうとこから変えてきましょ!」

 

 言い返す間も与えられなかったエミールに向けられたのは、知性の欠片も感じられない間の抜けた笑顔。

 きっと今までのエミールであれば、鼻で笑って終わりにしていただろう。

 

「……くだらん事をぬかすな。休憩時間はもう終わりだろう、業務に戻れ」

 

 時計を見て少年を睨みながら、考える。

 本当に今の自分のあり様が、正しい生き様なのだろうか。

 

 ぽこりと泡のように浮かんだ考えが、否定できなかった。

 今の自分にも、どれだけ微力であっても、できることがあるのではないか?

 幼き頃の自分が見上げたあの人は、どんな逆境にあっても諦めなかったのではないか?

 

「次に来る時までには、何かしらを考えておいてやる」

 

 かくして。

 ずっと立ち往生していた少年は、自分の夢とは別の道だとわかっていながら恐る恐るの一歩を踏み出した。

 

 

 まずはあり余る時間を活かして、監獄の改善案を考えてみた。

 もはや我が物顔で部屋をうろつくようになった迷惑客に案を披露した結果、ブーイングの嵐だった。

 

“いや予算も人員も足りませんて! 流石にこれは無理っしょ! 現実見ろ現実! ここが戦場だったら後ろから撃たれてますぜ!”

 

 家柄のせいで遠慮のない罵倒に慣れていなかったエミールは大いに傷付いたものの、戦場だったら、というワードは彼を大いに奮起させた。

 ではまずは施設の現状を知ることから始めてみよう。

 時に監獄長の権力を活かして、時に執務室にサボりに来た彼を利用して、職員や囚人たちがなにを求めているのか聞き出してみた。

 

 自分と歳の近い職員が何人かいると聞き、紹介してもらった。

 そのように最初は近い立場から、次第に他の職員から果てには敵国の囚人まで、話す相手を増やしていった。

 少しずつゆっくりと地盤を固め、施設の運営に口出しできる体制を整えた。

 

 結局のところ、そこまでしてもエミールの土台となる評判までは変わらない。

 親のコネで分不相応のポストに収まった、前線から逃げだしてきた臆病者。

 本人にとっていくら不本意であれど、客観的に見ればその風評は事実である。 

 

“どんな我儘坊ちゃんかと思ってたけど、実際に話してみたら意外とまともかも?”

 

“理屈ばっかで実際の現場が見えてない……でも、最近はちょっと話聞こうとしてくれるよな。改善の提案、思い切って出してみるか”

 

“難しい言い回しばっかするし、時間にうるさいし、遊びにも付き合おうとしてくれないカタブツだからなぁ。だけど……真面目でちゃんと頑張ってる、いいヤツだよ”

 

 だが、いつしかそれを前提とした悪評の後に、

 

『けど』『でも』『だけど』。

 

 そう、付け加えられるようになった。

 

 

「……最近、少し雰囲気が変わりましたか?」

 

 ある日、穏やかな笑顔と共に聞かれた。

 場所は監獄の一画に設けられた、職員や素行のいい囚人のための簡易礼拝所。

 そこを定期的に訪れてくる神父に、愚痴を吐いていた時のことだ。

 

 歳の近い職員たちが馴れ馴れしく話しかけてくる。自分の分の外出許可証までついでに申請して連れ出そうとしてくる。これは上に立つ者の威厳として、組織の秩序としてよろしくないのではなかろうか。

 

 予算が毎度足りないため、増やしたい設備や制度の優先度が付けきれずに困っている。

 囚人どもの要望をどこまで聞くべきか。いくら憎むべき敵国の手先であろうとも、彼らには彼らの事情があるのだと知ってしまった。

 甘やかすつもりはないが、かといって過剰に不便をさせるのも違う気がする。

 待遇の基準をどこに設けるべきか。

 

 とりとめもない、だが延々と続くエミールの悩み事を、神父はただ柔らかく微笑んで聞いていた。

 

「そんなわけはない。小生は変わらず、小生のままだ。なにも変わらぬ」

「左様ですか。監獄長がおっしゃるなら、そうなのでしょう。ですが……」

 

 全く自覚していなかった質問に、エミールは眉をひそめた。

 忌々しかった。何よりも、他者に気付かれるほど露骨に態度に出てしまっていたのが。

 

「……最近は、溌剌としておられるように見えまして。ここに来た当初は、随分と気落ちしていたように思われましたので」

「ふん、以前よりもマシなのは事実だがな。国より与えられた職務を全うするにあたり、現状で致命的なまでの問題はない。改善も滞りなく進んでいる」

 

 本音を硬い表現で覆い隠し、エミールは席を立った。

 きっと毎日のように執務室に押しかけてくる連中に見られれば「逃げるな」と煽られてしまうだろう。

 その風景が実際にあったことのように思い浮かんでしまい、頭が痛くなる。

 

「それはそれは、よき傾向かと存じますねェ」

 

 背中に投げかけられる神父の声は、露骨に笑みを堪えているようだ。

 言いたいことはあったが、恥ずべきことに悪い気はしなかったので黙っておいた。

 

 

 そうしてエミールが過ごした数年間は、苦難の連続だったが充実していた。

 

 戦争がまだ続いているにも関わらず政権が消滅してしまい、国全体が大混乱に陥るさ中をどう生き延びるかと皆で話し合った。

 余った土地で野菜を育て、地元住民と取引しつつかろうじて食料の供給体制を整え。

 

 当時の共和国全土で問題になっていた囚人の待遇悪化による暴動も、起こらなかった。

 むしろ、職員と協力して設備を整備している時まである。

 

「二度とは言わん。……お前たちには、感謝している」

 

 そうして、昔では考えられない程賑やかになった食堂でエミールは皆と席を囲んでいた。

 

「うへぇ!? 署長がんな事言うなんて、ヘンな物食った!? 熱あるんじゃない!?」

「酔ってんじゃねえだろうな~?」

 

 今日くらいは無礼講、と言ったのは大きな間違いだったらしい。

 早速己のミスを後悔しながらも、エミールは食事を突きつつ想いを馳せる

 

 思い浮かべるのは、己の生きる指標となった言葉。

 

「……このような道も、またひとつなのかもしれないな」

 

 彼らをそう呼ぶのはまだ気恥ずかしい。

 でも、自分にも戦友と呼べる人たちができた。

 

 帰るべき場所……と監獄を定めるのは少々複雑だったが、きっと外に出て何かに巻き込まれた時には、生きてこの場所に戻るのだと戦意を燃やせる自信がある。

 

「それでは。今日は収監の予定があったはずだな。大物だ、そちらでも万全に準備を進めるがいい」

 

 時計を見れば、 既に就寝時間を数分過ぎていた。

 エミールは努めて鉄面皮を保ちつつ、 鬼上司だのなんだのとやかましく騒ぐ職員たちを追い出す。

 意識しなければ、思わず表情が緩んでしまいそうだった。

 

「……期待している」

 

 自分の将来にも、行き詰っていた自分を変えてくれた部下たちにも。

 耳をそばだてなければ聞こえないような小声で、エミールは誰に向けるでもなく呟く。

 

 きっと、憧れの人の背を追うことはできないのだろう。

 自らの血肉を以て国を守る戦士になる未来は、もはや霞んでうっすらとしか見えなくなってしまった。

 

 だが、それでもいいと考えられる己がいた。

 このまま小さな監獄の管理者として、戦いとは別の道で国に貢献する人生も悪くないのではないか。

 己の道はここにあったのだと、今なら受け入れられる気がした。

 

 

“本日も気を抜かず……ん、朝刊はどうした? 届いていないのか?”

“いや、ここにあるんだけど……その、署長……”

 

『~裏切りの英雄~軍神シルヴェスターは何故ロシアの犬に成り下がったのか?』

 

 そのはずだったのに。

────

 

(頑丈な上に毒……ああ、確かに強いだろうよ)

 

 このままでは数秒後に訪れるだろう死を前に、レナートは彼我の差について思案する。

 

 前提として、相性の面でまず不利だろう事実は認めねばなるまい。

 直接的な攻撃手段しか持たないこちらに対して、敵の宿した特性(手術ベース)は、堅牢な防御力と搦手を併せ持った代物である。

 

 硬い殻と部分的な再生能力で攻撃を耐え、抵抗ままならぬ無力化の手段を以て勝負を決する。

 かの“タスマニアンキングクラブ”と比べれば純粋なパワーや甲殻の強度でこそ劣るだろうが、致死性の毒という要素はその穴を埋めて余りある。

 

 冷静かつ的確な判断の元でこの特性を運用すれば、MO手術被験者戦においてかの軍神アシモフに比肩する戦果を挙げることすら可能かもしれない。

 

 仮に彼が本来の手術ベースの代わりにこちらを有して今立ち塞がっていたのなら、既に自分は死んでいるだろう。

 かつての模擬戦であっさりと死亡判定を出されてしまったのと同じように。

 

 では何故、自分の命は未だ繋がっている? 今この瞬間、まだ死んでいない? 今相対している敵(エミール)軍神(アシモフ)を分ける差はなんだ?

 

「考えるまでもねえ話だよなぁ」

「む……?」

 

 レナートの不意の呟きに、エミールは思わず疑問の声を漏らした。

 決着が迫っているというのに、敵の顔にはいっそ余裕を感じる笑みが浮かんでいる。

 

「勝ち筋に集中しすぎだ、シロウト。足元がお留守だぜ」

「ぬぅ!?」

 

 瞬間、砲弾のような衝撃がエミールの体を跳ね上げた。

 一瞬息が詰まるような苦悶に彼が視線を下ろせば、鳩尾にめり込んでいる膝が映る。

 

「ゲホッ……貴様っ、いつの間に拘束を……!」

「教えるとでも思うか?」

 

 全身を守る蟹の甲殻のおかげで、致命打と呼べるほどのダメージは入っていない。

 せき込みながら後退するエミールの眼前で、レナートは身を起こし意味ありげに嘯いた。

 

 とはいえ、隠していた何かを使ったわけでもない。

 レナートが拘束を抜け反撃できた理由……転じて、同じ格闘技を修め同じ蟹の手術ベースを宿すエミールとアシモフの差異は、至極単純な話だった。

 

──ひとつは、比較にならない程の練度の違い。

 

 ただただ、エミールの技の掛かりが甘かった。致命打とするための毒の打ち込みに集中して、下半身の縛めが緩んでしまった。

 少なくとも、レナートの技量にカブトムシの筋力を乗せれば咄嗟に縛めを解き攻勢に転じられる程度には。

 これが柔道七段の猛者であるアシモフだったならば、反撃はおろか抜け出す隙すら与えられなかったに違いない。

 

──もうひとつは、手術ベースの強みと戦技の不調和。

 

 MO手術は、ヒトという動物の身に他の生物の性質を宿す技術である。

 人獣一体。今更語るまでもないが、この施術が持つ大きな利点は『ヒトの技巧と生物の特性の合一』だ。

 過酷な自然の生存競争で研ぎ澄まされた力を以て、ヒトの特権といえる武術を強力に補助し拡大する。

 

 たとえば蟹の仲間でもトップクラスの基礎スペックを持つタスマニアンキングクラブは、至近で相手を捕え締め上げる、投げ落とすといった柔道の使い手に合致した特性といえる。

 密着するに辺り必然的に負う傷を最大限に抑えられる防御力と締め技に強く影響するパワーは、実際に火星の戦場で大きな貢献を果たしていた。

 

 比して、スベスベマンジュウガニは違う。

 傷口から流し込む毒という攻撃手段は、外傷を作るような攻撃に重きをおかない組技系の格闘技と相性が悪い。

 守勢において役立つ点は同じ蟹として変わらず、毒という強みこそあるだろう。

 しかし、純粋な硬さや力で譲る以上適解とまでは言い難い。

 

 エミール本人は「より優れている」などと先ほど語っていたが、逆だ。

 差別点を正しく生かせておらず、ヒトの技と生物の特性の相性がちぐはぐに近い状態となっている。

 それが、MO手術を用いた戦いに身を置く軍人であるレナートの下した結論であった。

 

「戦い方の真似事に、ベースの真似事……そこまでしといて本人にキレてるって、お前……」

 

“自分たちが戦っている連中は、MO技術戦の分野において先進各国すら凌駕する技術力を持つ”。

 チャーリーから共有された敵の情報には、そのような記載があった。

 そんな彼らが、世界を揺るがす一大作戦の戦力として送り込んで来た人員に生温い施術を施すだろうか?

 

「ハッ、京華がアイドルどうこうの話で愚痴ってた“厄介ファン”っつーやつか!?」

 

 ならば考えられる理由として挙げられるのは、本人の拘りだ。

 不合理を承知の上で受け入れている、あるいはそれに気付けない程の強い執着。

 

 もしそうであるならば、そこには付け入るべき大きな隙が存在しているのではないか。

 

「貴様……貴様ッ!!」

 

 顔を大きく歪ませ、エミールが怒りに吠える。

 なによりもわかりやすい回答の提示に、レナートの推測は確信へと変わった。

 

「なにをいい気になっているのか知らぬが、貴様らの不利は何も変わらぬのだぞ! おおかた小生をこの場に縛りつつ監視の目を奪い、その隙に別動隊で要衝を突こうなどという算段なのだろうが無駄だ!」

 

 隠し事が詳らかにされているかのような空気を感じ取ったのか、エミールは話題を逸らし喚きたてる。

 

「……ほぉ」

 

 それは、子どもの癇癪だと切り捨てられない内容だった。

 レナートは内心で、エミールの評価を上方に修正する。

 士官として、己の戦況把握を衝動的に敵対者へと伝える拙さは擁護し難い。

 だが同時に、内容を聞くに無能の指揮官などではない。

 

 エミールの推測は、エリシアが立てた作戦をそのまま言い表していた。

 戦況を把握し、敵対者の行動を推測する戦術眼をこの少年は持っている。

 

「で、その通りに事が進んでるのに自信満々なのかよ?」

 

 だからこそ、不可解でもあった。

 現状、この施設を巡る攻防はレナート達裏アネックス連合の優位に傾きつつある。

 最低限の消耗で首謀者がいると思しき区画に人員を送り込み、さらには詳細な動きを把握されないよう管制室を攻撃し機能をマヒさせている。

 にも関わらず、エミールは戦局に対して焦りを一切見せていない。

 大きく感情を乱してはいるが、それはあくまでも個人の心情に触れられたから、というだけだ。

 

「貴様こそ、事が少しばかり上手く進んだだけで随分な余裕ではないか……!」

「まあ、そりゃな」

 

 こちらが把握できていない、何らかの情報が隠されている。

 察するなり、レナートは時間稼ぎと情報収集を兼ねた会話に舵を切る。

 

 管制室を巡る戦いにおいては、時間を稼いだ分だけこちらが優位となる。

 仮に撤退を強いられる、あるいは敗北を喫する結末になったとしても、それまでの間は本隊の所在が露呈せずに済むからだ。

 

「そりゃ、当然。腐れ縁の連中とうちのお嬢を信じてんのさ。俺に任された仕事がうまく行きゃ、後はどうとでもしてくれる……ってな」

 

 そして何より、信じているのだ。

 未だ不明点の存在する任務だ、心配していないと言えば嘘になる。

 軍人として、感情の熱に任せた判断が悪しきものであるとも理解している。

 

 それでも、荒れ狂っていた己を変えた上司と共に火星で戦った馬鹿野郎どもはきっとやり遂げてくれる。

 そう、愚直なまでに信じている。

 

「ああ、もしかしてお前も同じか? 残った連中を信じて任せてるってか。そういう青臭ぇのが俺より似合う年頃だもんな」

 

 馬鹿正直に残った戦力について話してくれるとまでは期待しないが、回答の是非や僅かな表情の変化からでも読み取れるものはある。

 そのような細かい技巧は本来レナートの苦手とする分野であったが、今はどれだけ僅かなものであっても本隊の助けとなる情報が欲しい。

 

「ふざけたことをぬかすなよ、愚物が」

 

 エミールの反応は、レナートの期待とは真逆であった。

 先ほどまでの怒りが嘘であるかのような、揺らぎを感じさせない冷え切った声。

 

 戦友たちの力と連携を信じ、不確実な物事の成功を託す。

 ごく当たり前のありふれた言葉で、彼の顔からは一切の感情が抜け落ちていた。

 

「信じて任せられる戦友? 他者から聞くだけでも虫唾が走るというのに……あまつさえ、小生がそのような絵空事を信じているとのたまったか?」

 

 明確な空気の変化に、レナートは己の発言が招いた結果を察し咄嗟に構えていた。

 自分は、相対する少年のなにかを意図せず踏み抜いたのだ。

 

「……よかろう。貴様は殺さずにおくとしよう」

 

 それが思考の単純化など、優位に働くか。

 はたまた、真逆に傾いてしまうか。

 答え合わせは、考えるまでもなく直後に行われることとなる。

 

「手足を捥ぎ、モニターの前に括りつけ……貴様の戦友とやらが鏖殺される様を、心ゆくまで眺めさせてやる……! そして現実を知るがいい! ヤツと同様の思想など、全て過ちであるのだとな!」

 

 零下の外気を思わせる、冷たくひりつく空気の中。

 エミールが咥えていたパイプが……甲殻型の変態薬が、音を立てて噛み潰された。




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次回、早めに更新できるかと思います(願望)
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