深緑の火星の物語   作:子無しししゃも

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第117話、戦闘入りのシーンでございます


第117話 伏毒の徒

「んじゃエリシアちゃん、手筈通りにね」

「……はい」

 

 普段の軽薄さを感じさせない恭華の確認に、エリシアが頷く。

 エレベーターの振動が止まり、次いで扉が開いたのはわずか十数秒後のことだった。

 

 まるで静謐な神殿を思わせる、広大でどこか無機的な印象を与える大展望台。

 それだけであれば、事前のブリーフィングで写真を共有された通りの光景である。

 

 平時と異なるものは、ふたつあった。

 

 まず三人の目を奪ったのは、部屋の中央に鎮座している柱のような形容しがたい物体である。

 まるで脈を打つように収縮し、その度に煙のようなものを周囲に吐き出しているそれは、例えるならば『カビが纏わりついたキノコの柄』だろうか?

 

 エリシアが頭を上げれば、この物体は単に床と天井を繋いでいるわけではなく、天井を突き破り施設外に伸びていることが見て取れた。

 柱の中央辺りからは機械部品のようなものが露出し、内部からは青白い光が漏れている。

 

 エンジニアでも研究者でもないエリシアたちに、一体これがなんなのか根拠を以て断じる術はない。

 だが──、

 

「胞子を高速で増殖・散布する装置か……」

「わかりやすい見た目してて助かるねぇ」

 

 今自分たちがおかれている状況と敵の目的を考えれば、眼前の物体がなんであるのかは明白だ。

 これを破壊か解体か、とにかく無力化すれば状況が好転するに違いない。

 紛れもない、今回の任務における最重要目標といえる。

 

 しかし、三人は存在を確認しただけで早々に視線を外した。

 元々、これがあるのはわかっていたのだ。

 この最上階へと昇る最中、管制室を奪還したレナートから共有された監視カメラの情報によって。

 

「『金幹篇』第二篇より」

 

 故に、より注意すべき存在がある事実をエリシアたちは既に知っていた。

 

「『……尽きぬ愛を以て試練を与え、勇気に満ちた神の可能性を彷徨える魂の内より探り当てる』」

 

 もうひとつの異物。

 それは、エリシア達と柱のちょうど中間となる位置に座していた。

 背を向け、祈るように膝を折っている修道服と思わしき服装の女性。

 厚い法典を片手で広げている彼女は、その場を動かず侵入者へと振り返ることもない。

 

「私たちの祈り、その始まりを支え成すべき聖務を定めたお方は、かつてそう説きました」

 

 そこで、背後の気配に気付いたのだろうか。

 彼女の語り口は、ただ書物を読み上げるだけのものから、まるで聞き手に語り掛けるような形へと変わる。

 

「この出会いに感謝いたします、強き皆さま。そしてひとつだけ質問を──」

 

 そして修道女が法典を閉じようとした、瞬間。

 滔々と続く彼女の声を切り裂くかのように、床を連続的に叩く足音が響いた。

 

「ありがたいお話とか、後からいくらでも聞いてあげっからさ~」

「大人しく寝ていてもらおうか──!」

 

 そのひとつは青緑の甲皮に長い毒針。

 もうひとつは、茶の甲皮に両手の鎌、両端の針。

 エリシアを背後に控えさせ、ヨハンと恭華がふたりで楕円を描くかのように左右へと別れ、修道女の背に向けて躍りかかる。

 

──頂塔制圧班。

 敵の本陣がある可能性が最も高い……すなわち、最も守りが堅いであろう場所を攻め落とすために構成されたこのグループは、必然的に元裏アネックス連合の最大戦力が投入されている。

 

 指揮官である幹部搭乗員(オフィサー)のエリシアに加え、かつて『裏切り者』の幹部であったヨハンと恭華。

 彼ら彼女らは、いずれも裏アネックスにおいて幹部搭乗員のみだったαMO手術の被験者である。

 これは単純化して考えれば、最低でもランキング一桁並の戦闘力を持つ人間が3人参加していることを意味する。

 

 それに対し、敵は、ひとり。

 さらには、背後からの攻撃という状況。

 

 用意できる限りの質を揃え、数で勝り、戦術的な優位まで重ねた。

 無論、状況に驕ってもいない。最悪の場合世界規模の危機に発展しかねない状況で油断などできようはずもない。

 

 だが──

 それで容易に勝利を収められる駒しか持たないような相手だったなら、今世界は危機に陥ってなどいない。

 

「──あなたたちは、笑顔ですか?」

 

 背を向けたままであるはずの修道女と、視線が交差した。

 

「なッ……!」

 

 回避される可能性も、そこから反撃に転じられるパターンも織り込み済みだった。

 だが敵は動かず、回避に移ろうともしてない。

 ただ、目が合った。完全に背後を取ったはずの位置関係で。

 予想外の対応に、ヨハンと恭華は表情を強張らせる。

 

 首だけを真後ろへと回し、修道女が自分たちを観察している。

 穏やかな、いっそ慈愛を感じさせる表情であった。

 

 彼女はそのまま両腕を伸ばし、左右から襲い来た刃を、毒針を、素手で同時に掴み取る。

 タイミングを細かにずらし対処を困難にしたはずの連撃を、いとも容易く。

 

「そんな怖い顔をしないで、笑いませんか? 笑うと幸せな気分になります。自分も周りも」

 

 ミシリ、と握られた得物が軋む鈍い音。

 このままではまずい。

 即断したヨハンと恭華は、力任せに武器を引き抜きバックステップを切った。

 

 それに対し、修道女は自身を害そうとした下手人たちの顔を順に見回し。

 

「そうなってくれると、私は嬉しいです」

 

 場違いなほどに、にこやかに微笑んだ。

 

──

「……あの女が、テメェが匂わせてたヤツかよ」

 

 管制室の大モニターに映された頂塔での開戦に、レナートは驚愕を押し殺しながら呟いた。

 敵は、まず間違いなくMO手術の被験者だ。

 だが外見には変化が見られないことから、紅式手術やαMO手術といった施術によって未変態のままごく一部の身体特性が発現しているだけと思われる。

 その状態で、変態済み……それもαMO手術を施されたふたりを同時に捌いてみせた。

 

「なんの話だ」

 

 話しかけられ、ロープで拘束され床に転がされているエミールは鼻を鳴らす。

──敵はまだ、脅威となる戦力を控えさせている。

 レナートがその存在を事前に察知し、頂塔に控えている女がそれであろうと当たりを付けられたのは、エミールと交戦していた最中に彼が漏らした一言からだ。

 

“貴様の戦友とやらが鏖殺される様を、心ゆくまで眺めさせてやる……!”

 

 激情に駆られた敵の言とはいえ、なんの根拠もない強がりなどという希望的観測には縋るまい。

 状況からしても、本丸に配置されている戦力が生半可なものである可能性は薄い。

 敵の言葉と、自分たちを取り巻く戦況。

 そのふたつを併せて察知したのが、今モニターに映っている修道女の存在であった。

 

「たしかに相当やるようだが、随分な自信じゃねえか? コッチにゃランキング3位に、腕利きがふたりいるんだぜ」

 

 レナートの挑発的な問いかけは情報を引き出すためだったが、同時にいくらかの本音も含まれている。

 たしかに、敵は強い。ヨハンと恭華が同時に仕掛けてきたならば、仮に自分なら無傷では済むまい。

 だが同時に、今の攻防はまだ軽い小競り合い程度だ。それだけで結論を出すにはまだ早い。

 ここからエリシアも加わった三対一の状態をどうにかできるような存在が、果たしているものだろうか?

 そのような疑念を抱く程度には、レナートは幼い班長と彼女が拾ってきた裏切者たちの力を信頼している。

 

「逆に問おう。幹部搭乗員に、多少できるαMO手術の被験者がふたり。その程度(・・・・)の戦力で、アレを仕留められるとでも?」

 

 対するエミールの声には、複数の感情が入り混じった重苦しさがあった。

 憎しみ、嘲弄、恐怖……そして何より、確信。

 受け言葉に買い言葉、などではない。

 何らかの根拠を持って、彼は断言しているようだった。

 

「……“聖躯(ホスチア)”」

 

 エミールは忌々しげに表情を歪め、ひとつの単語をぽつりとつぶやく。

 

「いや、忘れろ。貴様は、奴がいくつくらいに見える?」

 

 しかしすぐに、それを誤魔化すかのように言葉を重ねた。

 全く関係が無いように思える、質問を。

 

「あァ? いくつって……年齢のコトか?」

 

 レナートは問いを受け、その意図を聞き返す。

 言葉の意味をありのまま捉えれば、恐らくそれ以外の解釈はできないだろう。

 だが、緊迫した状況においてわざわざ聞く意図が掴めない。

 

「……」

「細かいトコまではわかんねぇが……少なくとも、20。上に見ても40はいってねぇくらいか? 若い大人の女、って範囲に見えるな」

 

 エミールからの返答は無い。ただいつもの不満げな顔でレナートを見ただけだ。

 それを「わかっているならとっとと答えろ」という肯定とみなし、彼はカメラ越しの敵を見て思ったままを語る。

 

「小生はあくまでも虜囚であり、貴様らに与したつもりなぞない。だからこれは独り言である。意図は勝手に考えろ」

 

 レナートの回答が正であったのか否であったのか、エミールは明かさない。

 代わりに彼が吐き捨てるように語ったのは、自身の立場についての表明と回りくどい前置き。

 

「四年前。小生が初めて顔を合わせた時……アレは小生の肩ほどの背丈しかない幼子だった」

 

 そして感情の籠らない声で答えたきり、エミールは黙り込む。

 何か悍ましいものから目を逸らしがっているかのように、モニターから目を背けて。

 

──

「……応答は、無しと。ふむ、どうやら指揮所は落とされてしまったようですな」

 

 地下区画に通じるエレベーターを目前にして、ダニエルは曲がり角の手前で足を止め、身を隠した。

 人影がひとつ、通路の中央に堂々と陣取っている事に気付いたからだ。

 

「そこなお方。少し(わたくし)と、お話をいたしませんか?」

 

 ステッキをついた、紳士か奇術師を思わせる風体の初老の男だった。

 敵であることが明確なその男に話しかけられ、自身の存在が露呈しているのだと突き付けられたダニエルは通路から歩み出て身を晒す。

 

「ありがとうございます。唾棄すべき犯罪集団であっても、これより刃を交えねばならぬ相手であっても、礼節を忘れない……その姿勢に、敬意を」

「は、はぁ……」

 

 一方的に話を続ける男を油断なく見据えながら、ダニエルは気の抜けた声を漏らした。

 突然こちらを褒め称えてくる相手に何を言うべきか困惑している、というのが正直な内心であった。

 相手の言う通り、自分たちは先を急いでいて、恐らく相手は退くつもりもない。

 ならばやはり、道は一つしかない。

 

「貴方が先行きを急いでいるのは、無論承知しております。ですがその上で、少しだけこの老骨の世間話にお付き合いいただきたいのです……貴方を見て、つい先日会った知己を思い出したもので」

 

 叩き潰して、進路を開く。

 臨戦態勢に移ったダニエルに冷や水を浴びせるように、男は手の平を向け静止のジェスチャーを取った。

 これがただ待ったをかけられただけならば、ダニエルは止まらなかっただろう。

 

 戦いに身を投じる立場として、甘い部分があるのは本人も自覚しているところである。

 かといって、切迫した状況で優先順位がわからないほど鈍いわけでもない。

 だから、ダニエルの足が止まったのは僅かな時間だ。

“貴方を見て、知己を思い出す”。

 人間の関心を強く引き付けるそのワードに意識を向け、ダニエルは攻撃の手を収めてしまった。

 そう、ほんの一瞬だけ。

 

「フリッツ・アードルング。その名に、覚えは?」

「っ!?」

 

 その意識の隙間に、男は情報という名の凶器を突き立てた。

 彼は多くを知っている。エインヘリャルの一員として、かつて情報を用いて人々を絡め取っていた経験者として。

 今目の前にいるのがアネックス計画の参加者である上位戦闘員であること。

 彼がまだ若く、強力なベースに適合してこそいるが戦闘員としては青い一般市民の出であること。

 名をダニエル・アードルングということ。

 

 そして──

 

「あなたは……兄さんと会ったんですか!?」

 

 彼の兄が、行方不明になっているということ。

 

「えぇ……どこからお話したものでしょうな……あれは、つい四日前のことでした」

 

 ダニエルの足は、止まっていた。

 その思考からは、一時的ではあったが“戦闘”という現在の目的が消え去ってしまっていた。

 動きを止めた彼に、男はゆっくりと歩み寄ろうとする。

 

 まるで、麻痺した獲物を喰らう狡猾な捕食者のように。

 その距離は阻むものなく縮まっていき、ついにはあと数歩というところまで近付き──

 

「……ダニエルさん、ダメです」

「お、ぐっ!?」

 

──男の首に、突如としてナイフが突き立てられた。

 

「ぬ、ふぅっ……」

 

 身を捩って抵抗しようとする男。

 だが下手人は両腕に力が籠められない真後ろに立っており、反撃はままならない。

 

「この人からは、虚言の気配しかしません。喋れば喋るだけ、絡め取られる類の人間です」

「っ……すみません、雅维さん……」

 

 無から溶け出すように戦場に現れたのは、ガスマスクで顔を隠した少女だった。

 彼女──雅维に、ダニエルは己の非を詫びる。

 

「いえ、お気持ちはわかりますから……。それに、事前の打ち合わせ通りとはいきませんでしたが、これで……」

 

 謝罪を受け、雅维は弱弱しく首を横に振る。

 防御力に長けた手術ベースを持つダニエルが敵の注意を引きつつ耐え、雅维が暗殺する。

 事前に立てていた作戦は、逆にダニエルが敵に注目してしまったせいで崩れた。

 だが結果として重要なのは、急所への一撃が通ったという事実だ。

 

「お、ふ……ふふ、んふふふふ」

 

 通った、はずだった。

 最初の違和感は、声。

 男から零れていた苦悶の呻きが、次第にその真逆──喜悦の色を帯びていく。

 

「おほぉ、おおぉっ! (わたくし)の肉を、刃が引き裂き、血が流れっ……! はぁ、はぁぁ……命が、紙一枚の差で保たれている……うっ……」

 

 息は荒く、その身体はびくんびくんと震えている。

 それはどちらも、命が潰えんとしている人間の姿と言われれば違和感などない。

 だが──ひとつだけ、違った。

 死の間際とは思えぬ嬌声めいた歓喜の喘ぎに、雅维とダニエルの表情が歪む。

 

「ふぅ……フフ……その歳にも関わらずよく鍛え上げておられる……実に感心いたしました」」

 

 それは恐怖か、不快感か?

 自分たちの感情を言語化する時間は、ふたりには与えられなかった。

 

「あ、う゛っ……!?」

 

 反撃を受けない位置取りをしていたはずの雅维が、くぐもった悲鳴を漏らし首を押さえる。

 同時に、ステッキで強かに胸を突かれ、傷を負わないまでもダニエルが突き飛ばされる。

 

「佳い。実に佳い、充実感です。なにも気付かぬまま、命を奪われる恐怖……今から何度も体験できるかと思うと、くふっ、フフ……ふぅ……名乗るのが、礼儀でございますな……」

 

 咄嗟に受け身を取って立ち上がったダニエルの目には、姿を変じていく男の姿が映っていた。

 身体の所々を覆っている、丸みを帯び光沢を放つ装甲。

 白地に茶の、迷彩模様を思わせる体色。

 加えて何よりも醜悪で目立つものが、一つ。

 

「私の名はジュリオ。偉大なりしカラマーロの女帝、エレオノーラ・スノーレソンの十腕が一本、ジュリオ・ロ・ピッコロ」

 

 恍惚に蕩けた表情のまま、男は心から誇らしげに忠誠を奉ずる主を、己の名を告げる。

 雅维を害した凶器──喉の奥から長く伸びる、毒針を先端に備えた肉の触手が如き物体を引き戻しながら。

 

「すぐには死なないでくだされ、若人がた……より長く、この至福のひと時を楽しみましょうぞ?」

 

 

 

 

 

ジュリオ・ロ・ピッコロ

 

 

 

 

 

国籍:ローマ連邦/フィンランド

 

 

 

 

 

 

64歳 ♂  179cm 61kg

 

 

 

 

 

 

MO手術"軟体動物型"

 

 

 

 

 

 

 

―――――アンボイナガイ―――――




ご観覧ありがとうございました!
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