「あなた方に、信ずる神はありますか?」
口から伸びた肉の触手──口吻、と呼ばれる器官を蠢かせながら、ジュリオは己の前後に在る敵対者に問うた。
「それも、心からの祈りを捧げ全てを投げ出すことを歓びとできるだけの」
そしてじわじわと塞がっていく、首の傷。
死から遠ざかってなお、彼の表情から陶酔は消えない。
「
その独演を遮ったのは、岩のような外殻を纏った腕だった。
人為変態を終えたダニエルは、言葉を発することなく真正面の敵めがけて突貫する。
(僕が、揺らいでしまった)
彼の内心を埋めていたのは、責任感と後悔。
ダニエルの視界には、ジュリオだけではなくその背後で地に膝を付く雅维の姿がある。
今何よりも知りたかった情報をちらつかされて、判断が鈍ってしまった。
敵の言葉を聞くような状況ではなかったのに、徹する事ができなかった。
そのせいで、共に戦う仲間の命を危険に晒してしまった。
「……かつて我が君は語りました。どれだけ見目を整え上辺を繕おうが、我々のあり様なぞ獣とさして変わらない。強き少数が弱き多数を喰らう、それこそが摂理であると」
悔悟の表情と共に行われる攻勢を、ジュリオは悠々と捌いていく。
頭を叩き割らんと振るわれた横殴りを、ひょいと顔を下げて回避。
腹目掛けて繰り出された拳打を、ステッキでいなして軌道を逸らす。
牽制であることがわかりきっている軽い一発を、身体に形成された貝殻で受け止める。
時折背後を振り向き、雅维がまだ立ち直れていないことを確認し、さらには長々と語る余裕すらあった。
「弱肉強食、食物連鎖。信ずる神の唱えた絶対の法則に従って、あなた方を平らげるといたしましょう」
たとえ、どれだけ必死であろうとも切実であろうとも、ダニエルの振るう拳は有効打に至らない。
己こそが捕食者、強者であるという傲慢な宣言は、無慈悲にも現状を言い表していた。
「っ……!」
鞭のような口吻が、ダニエルの柔い部分を狙って伸びる。
ジュリオのベースたるアンボイナガイ最大の武器、猛毒の矢尻。
かつてアネックス計画の搭乗員にも施された手術ベースであるこの生物は、貝類としての貝殻の鎧、軟体動物としての再生能力に加えて飛び道具までもを併せ持つ。
毒性はインドコブラの三十倍を超えるとも言われる強烈な麻痺毒は、僅か一発受けただけでも戦闘に支障をきたすだろう。
冷や汗を拭う間もなく、ダニエルは執拗に襲い来るそれを避け続ける。
幸いにも、彼の手術ベースは“オオシャコガイ”。
アンボイナガイ同様に貝類であり、さらに言えばその厚い貝殻の強度は敵を遥か上回る。
そのおかげで、しなり軌道を変え幾度も迫る口吻と毒針を回避だけでなく受け止めることでも対処できていた。
「結構。だが、どこまで保ちますかな?」
それでも、一度守勢に回ってしまえばダニエルに反撃の機会は訪れない。
そもそもの地力が、違うのだ。
片や、犯罪組織の戦国時代で長年を生き抜いてきた歴戦の老人。
片や、ランキング上位の戦闘員と言えど一般市民の出。
乗り越えた修羅場の数が違う。相手の隙を突く手管の腕前が違う。積み上げてきた屍の数が違う。
その優位劣位は、そう容易く覆るものではない。
「っ、やぁぁっ!」
たとえそれが、2対1という数的不利の状況であってもだ。
苦し気な息遣いと共に背後から繰り出されたナイフを、ジュリオはひらりと躱して見せる。
ダニエルが、対処の限界を迎えふらついた瞬間のことだった。
「今は仕掛けるタイミングではございませんでしたな、雅维お嬢様。特性による隠密も、十分に成せていない。お仲間の危機に、気が急きましたかな?」
幸いにも、ジュリオがそちらの対処を優先したことでダニエルにはほんの少しの余裕が与えられた。
元々そのための援護だったのだろう。
雅维の顔には、苦しげな中にも微かな安堵が浮かんでいる。
「これがもし姉君であれば……私を仕留められる隙が訪れるまで、冷静に状況を見定めていたでしょうな」
「っ……!」
その表情は、直後のジュリオの言葉で強張った。
即座に飛びのくという判断に、微かな迷いによる遅延が生じてしまう。
「完全に注ぐ以前に逃れられたからか、訓練の成果か……まだ意識を保てているようですが。二度目は耐えられますかな?」
そして作り出した隙を突くように、口吻がにゅるりと伸びる。
その身に宿した生物の特性を体現するかのような手管で、ジュリオは一人目を仕留めようとし。
「お、ふっ……?」
「雅维さん、ありがとうございます……そして、申し訳ないです」
その身を縛めるように、左右から挟み込むものがあった。
「でも……捉えたぞ!」
分厚く堅牢な殻が構成された、両腕。
その持ち主は、瞳に戦意を滾らせながらジュリオを締め上げる。
──オオシャコガイの万力。
世界最大の貝類。
そのネームバリューからは、多くの逸話が生まれ囁かれている。
中でも有名な一つが『殻に挟まれた漁師やダイバーがそのまま脱出できず溺死した』というものだろう。
しかし時代が下り研究が進むにつれて、その危険性については見直されつつあった。
殻を閉じる速度がそこまでではないため、致死的な状況に陥る可能性は低い。
危険な人喰い貝、という伝説はそのサイズから誇張された伝聞だろう。
それが、27世紀における一般的な見識である。
「なん、と……想定よりも……!」
だが、それはあくまでも“開閉の速度”に着目した点である。
二枚貝の殻を閉じる“力”が如何に強力か。
アサリやハマグリといった手のひらサイズの種類でもこじ開けるには苦心するのは、きっと一度は経験したことがある人間も多いに違いない。
ではそれが、数メートルものサイズの貝となれば如何程だろうか?
「んふっ、ぬ、あぁ、ぉご、が、おおぉぉおォ……!!」
凄まじい力がジュリオを左右から挟み込み、その身を押しつぶしていく。
悦楽の声が、次第に苦悶の呻きへと変わっていく。
縛められた腕の代わりかのように口吻が暴れ、毒針が振り回される。
だがダニエルに、離す気はなかった。
たとえ何度毒を打ち込まれたとしても、絶対に仕留める──
「……ふぅ。悪くない
「──?」
その拘束は、突如として緩んだ。
ダニエルが己の意思で解いたわけではない。今の状況においてそうする道理などない。
ならば、これは──。
「こえ……が」
「
いっそ優美ささえ感じさせる微笑みを浮かべる、ジュリオの背後。
ダニエルはそこに不気味な貝の幻覚を見た気がした。
『硬いが鈍重』という貝類のイメージに反し、アンボイナガイが猛毒の銛を巧みに扱う狩人であるという生態は昨今では様々な場で取り上げられ多くの人が知るところである。
だが彼らはいくつもの奥の手を隠し持つ暗殺者が如く、さらなる手札を有していた。
毒を塗り込んだ暗器、などという際立った殺傷能力の品ではない。
目立つ武器を見せつけて衆目を集める裏で、彼らは水中にまた別の毒を流し込んでいたのだ。
インスリンに近い成分を主体とする混合毒、コナントキンと呼ばれるそれは急速な低血糖ショックによる昏睡を引き起こし、魚類の動きを鈍らせる。
そうして意識を失った獲物は、苦痛を感じないままに死を迎えることとなる。
「
「う、く……」
必死に身体を動かそうとするが、叶わない。
発声すら、ままならなくなっているようだった。
「……さて。消耗した戦闘員と非戦闘員が、何名かうろついているのでしたな。余計な情報を持ち帰らせる必要もなし。順に狩っていくとしましょうか」
このまま意識を失えば、待っているのは確実な死。
さらには自分が死ぬだけでは済まない。作戦の進行と皆の進退に、大きな影響を与えてしまう。
ここまでの血路を切り開いてくれた皆の努力が、無駄になってしまう。
足掻け。そう、己に言い聞かせる。
ダニエルにはわかっていた。
今の己に、もはや目の前の敵を打ち倒すだけの力は残っていない。
この状況で少しでも状況を好転させる一手はあるか。
どれだけ僅かなものであっても、考えろ。
「ゆうじん、が……いって、いました。エレオノーラ氏の……ことを」
「む?」
抗えぬ眠気のような麻痺の中、ダニエルはどうにか唇を動かす。
敵は老獪で熟達した戦士である。未熟な自分のように、たかだかこの程度で踊らされるような輩ではない。
そう理解した上で、彼は相手が最も興味を引かれるだろう言葉を口にした。
「“思ったより、大した事なかったな”と」
とびっきりの、悪意を込めて。
「……」
無論、虚偽だ。途中までは真実であれど、最後は真逆だった。
舜輝と静香と地球に帰った後で話す機会があった際、ふたりは「なんで勝てたのか今思うとよくわからない」「あのお婆ちゃん本当に人間?」と口を揃えていた。
相手が言葉で人を転がす手練れであろうことを思えば、容易に見破られてもおかしくはないだろう。
ダニエルがそう自覚する程度には、期待できないような偽証である。
「その言葉、高く付きますぞ」
それが、ただ心理戦の力量を考えただけであるならば。
ダニエルの偽証を受けたジュリオの表情は、冷たく凍り付いていた。
怒りに我を忘れている、という程の豹変ではない。
だが確かに、殺意と目線がダニエルへと注がれる。
(……かかって、くれた)
それは、仮定を重ねた末の足掻きだった。
ジュリオは一般人であるダニエルの名前を知っていた。兄の失踪、という家庭環境まで。
その事実は、個人情報から経歴まで細かな部分も握られている──つまり、裏アネックスについても知られている可能性が高いことを意味している。
エレオノーラが誰と戦い、どのような経緯で死亡したかも知っているだろう。
各班の若い搭乗員の間で、ある程度の交友があったことまで知っているかもしれない。
そこに何らかの虚偽を織り交ぜようとも、一瞬で嘘と断じられ意に介さないに違いない。
しかし、エレオノーラと戦った舜輝の具体的な感想、心情までは知りようがない。
そして、彼は狡猾であれど、同時に全てを捧げる程に奉じている神がいると語った。
ならば『その神を蔑まれた』と嘘と断じられない情報を受けて、果たして平静を保ち続けられるだろうか?
かつかつと足音を響かせ、ダニエルへと歩み寄っていくジュリオ。
──その背後を狙うように、ガスマスクが現れる。
「死が迫ろうとも屈せず、残された手札から最良の手を選び抜く……奮戦は認めますが、惜しい」
そして、振り返りもしないジュリオが伸ばした毒銛によって貫かれた。
針の損傷すら厭わない鋭い一撃が目の部分を貫通し、ガスマスクが串刺しとなる。
紛れもない、致命傷だ。
「……!」
想定外の状況に、目を見開いたのは──ジュリオだった。
「惜しいのは……あなた、です……!」
「な、な……馬鹿な……!?」
認識していた背丈よりも低い位置から聞こえてきた、弱弱しくも毅然とした声。
そして胸から生えた刃に視線を落とし、ジュリオは声を震わせる。
貫通されたガスマスクが、そのまま銛にぶら下がっている……つまり、あるべき
「……お肉に食べられる気分は、いかがですか?」
ガスマスクという印象的な道具を囮にし、特製と併せて懐に潜り込む。
ジュリオが状況を理解した時には、もはや手遅れだった。
「っ、やめろ──!」
傲慢な命乞いは当然聞き入れられることなどなく、ナイフが引き抜かれる。
露わになった傷口から、滂沱と赤色が溢れ出す。
「我が君を、エレオノーラ様を、今度こそ、私は!!」
脚をもつれさせながら、ジュリオが叫ぶ。
深い狂気を宿した瞳が焦点を失って動き回り、がちがちと何度も歯を嚙合わせる。
「私は、ここでッ! 死ぬわけにはいかぬのだ──!」
「え」
ふらつく狂人の死を見送ろうとしてた雅维が、頬をひきつらせた。
左胸を穿った刺創が、じわじわと塞がっている。
その身体を覆う貝殻の面積が、次第に増していく。
「そん、な……」
雅维はMO手術について多くを知っている。だからこそ、すぐにとある可能性に思い至った。
軟体動物型の変態薬、それは座薬である。
薬品そのままの形式では投薬がし辛いため、基本的には腸内に薬を仕込んだ専用の装置を埋め込み、外部制御によって起動することで変態を行う事が基本となっている。
「過剰変態……!」
──たとえば、歯にスイッチを仕込む形など。
「私は、今度こそ、我が君に……」
それは、粘り付くような執念だった。
今この場に立っているのは、ジュリオだけだ。
雅维は力なくその場にへたり込んでしまう。
ガスマスクを囮に使ったせいで、散布された毒を吸い込んでしまった。
致死量には及ばないと思いたかったが、最初の一刺しで受けた分の症状も出始めている。
ダニエルもまた、同じように動けない。
「見て、おられますか……エレオノーラ様……。あなた様の、仰った通りです──」
朦朧とする意識の中、戦いの決着にジュリオは恍惚と息を吐く。
最後に立っていたのは、自分だ。
弱肉強食。弱き者の肉が強者に喰らわれる。
如何なる神よりも敬い、だがその最期を共にする事が叶わなかった主君が唱えた、この世の真理。
「……。…………?」
それに待ったをかけるように、銃声が響いた。
左の視界が、暗闇に包まれた。
「お、あ?」
身体から急速に力が失われ、膝から崩れ落ちる。
何が起こったのかわからないまま、ジュリオは音の方向を振り向いた。
「ダニエルッ! 雅维さんも!」
「し、しっかりしてください! 急いで治療を……!」
誰だ。あれは、誰だ?
ジュリオの視界の先にあったのは、ふたりの男女。
ダニエルと雅维の表情は、驚いた後でほっと和らいでいた。
だがジュリオに、あの連中が誰なのかはわからない。
知っていたが、もう忘れてしまっていた。
ランキング下位の人間など──簡単に弑する事ができる非戦闘員のエンジニアなど、いちいち覚える必要も感じていなかったから。
弱者が必死に粘り稼いだ時間の末、存在価値を見出していなかった相手に最後の致命傷を負わされる。
その意味を深く飲み下すことも、できぬまま。
狂信者の残った視界は、意識ごと水底の如き暗闇に閉ざされていった。
────
……数的優位と、それによる連携があった。
「どうか、遠慮なさらず。貴方達の全てを……人の輝きを、このラシェルに見せてくださいな」
ヨハンの刺突が、真正面から胸部を貫かんと放たれる。
応じるようにラシェルの視線が向き、受け止める為腕が動く──
「せぇいっ!」
──瞬間、その隙を縫うようにしてヨハンの影に身を潜めていた恭華が回し蹴りを放った。
「まあ」
予備動作を隠した、完全な奇襲。
……だが、届かない。
ラシェルの目は、既に恭華を正面に捉えている。
驚いたような声と裏腹に、彼女はどこまでも予定調和かの如くその脚を掴み取った。
同時、ヨハンの針が身体を大きく捩って避けられる。
「づあっ!?」
ラシェルがそのまま腕を振り上げれば、恭華の身体は軽々と宙に吊り下げられた。
そして、力に任せた振り下ろしで地面に叩きつけられ堅い床をバウンドする。
「恭華さん!」
「げほっ……死にそう、ってワケじゃないけど、めっちゃ痛い……」
エリシアの悲鳴めいた呼びかけに、恭華は受け身を取って立ち上がる。
そして、
(生身にしては痛すぎるけど、もし特性が出てるならこんなもんじゃ済まないっしょ)
考えられる二択に、どちらと考えても違和感があるのだ。
相手が自分たちも見慣れた紅式手術による被験者──つまり既にツノゼミ相当の身体性能が発現している状態であるならば、自分が受けるダメージはこの程度では済んでいないはず。
今されたように地面に叩きつけられれば、死ぬとまではいかないだろうが、すぐには喋れない程度には呼吸を乱されるはずだ。
しかし逆に、ただの未変態の人間の筋力にしては強すぎる。
見たところ、多少背が高い程度の成人女性。特別筋量が多いようにも見えない。
それが、人間ひとりを軽々と宙吊りにして叩きつけてみせた。
……特性による、優位があった。
「っ、でしたらこれでっ!」
ハンドサインを横目で確認し、ヨハンが真横へと跳ねる。
彼の退避に重ねるようにして、エリシアが放った無数の糸がラシェルを捕える網の如く襲いかかる。
光を弾き微かに輝く糸の束。そのひとつひとつが、人間ひとりを瞬く間に死に至らしめるキロネックスの触手だ。
だがラシェルは、ヨハンが動いたのとほぼ同時に彼と逆方向に駆け出している。
この時点で、敵の回避した瞬間を狙って仕掛けようとしていたヨハンの目論見は外れた。
(よし……!)
だが、表情に出さないまでもエリシアは拳を小さく握った。
逃すつもりはない。ヨハンの逆側には、少なすぎて視認できないであろう、ほんの数本の触手が伸ばしてある。
安全なルートと思わせておいての、不可避の罠。
「こっちにも、仕掛けてありますね?」
「……!?」
……だが、届かない。
口元に手を当てたラシェルの呟きに、瞠目するエリシア。
彼女が驚きの表情を見せたか見せないかという速さで、ラシェルは落ちていた金属棒を拾い、宙を薙ぐように振るう。
毒の糸が絡め取られ、その効力が失われる。
「安全な退路に、見えにくい罠。素敵ですね」
丁寧に棒を床に置き、ラシェルは微笑みを三人へと向ける。
その表情は、戦闘をはじめてから殆ど変わっていない。
「……アンタ、ほんとに人間?」
奇しくも同刻、別の人物に対して向けられていた記憶と同じ感想を恭華はこぼす。
αMO手術の被験者三人がかりによる白兵戦で、未変態の相手に傷一つ付けられていない。
敵が攻勢に出ても致命傷と呼べるまでの傷は受けていないが、逆に仕掛けても攻撃のことごとくが読まれ、いなされている。
異常なまでの反応、戦闘判断の速度。
体型からは想像もつかない重量と膂力──すなわち、高密度の筋肉。
激しい格闘戦をこなしていながらも、一切の疲労を見せていない。
自分たちが戦っているのは、一体何だ?
『お嬢、恭華にヨハン。聞こえてるか。そのまま聞いてくれ』
得体の知れない相手への疑念が晴れぬ三人の耳元に通信が入ったのは、互いに距離を取って睨み合う最中だった。
指令室を制圧したというレナートからだ。
監視カメラによってこちらの様子が見えているらしい事は、三人も知っていた。
戦闘中に通信を入れてくるとは、何かがあったのか。
『捕虜から、やり合ってるヤツの事を聞いた。気を付けてくれ。詳しいことはわかんねえから、簡単に言うが……』
レナートの声には、困惑と嫌悪感が混じっていた。
エリシアと恭華は、耳をそばだててそれを聞き逃さんとする。
未知数の敵に対する情報だ。どんな小さなものであっても欲しい。
しかし、最後の一人だけは違う反応を示した。
先ほどから、何かを考え込んでいた様子のヨハン。
不意に、顔を上げ口を開いた彼は。
『「あれは、人間じゃない可能性が高い」』
レナートと、同時に同じ内容を口にした。
「はは、ヨハン君ってばこんな時に冗談……」
「……
引きつった笑みを浮かべる恭華に、ヨハンは答えない。
代わりに彼が続けたのは、重苦しい声色での説明だった。
「M.O.H、紅式手術。いくつも考案されたMO手術を扱うための応用技術のひとつ。とある宗教団体によって開発され秘匿された、成功率の極めて低い失敗作です」
“彼らは、神を人々から選別しようとしたそうです。でも、それを続けるにはもう力も予算も尽きかけていたのだと言います”
記憶をなぞり、ヨハンは恩人であり師であった女性の言葉を掘り起こす。
思えば、彼女が噂程度とはいえそのような情報を知っていたのは、かつて槍の一族と関わりを持っていたからなのかもしれない。
“偶然から生まれる奇跡を待つだけの余裕はもうありませんでした。一族ではなく、ただの人間から選ばれし可能性を見出すという教義すら見失っていたと言います。だから──”
自分たちが人道に
信用ならない、ゴシップ誌程度の確度であることもわかっている。
だがそれでも、その話を聞いた時に怖気が走った。
──内臓配置の制御による、生後の臓器移植を前提とした空隙箇所の形成。
──神経細胞の構造と経路調整による、ネコ科動物の近似値に達する反射速度の実現。
──筋線維とミトコンドリア、身体発達に関連したゲノム編集。
「MO手術を施す前提として設計された、戦闘用途のデザイナーベビー」
“自分たちで、器を作ることにしたそうです”
「他者を理解するのは、喜びに満ちた行為です。笑っていただけますか?」
不気味な静寂の中で、ラシェルは口を開く。
その表情に変化はない。ただ無邪気で嬉しそうな、笑顔のままだ。
「きっとこれから、もっと楽しく嬉しくなります。あなたたちは、最初の関門を超えました。ただ救済を受け入れるだけの身ではないと、この私が認めましょう」
そうして彼女は、懐から注射器を取り出す。
誰の目にも明らかな、変態薬。
MO手術戦の道理として、可能であるならば真っ先に初動を潰すべきもの。
「っ……!」
だが、三人は動けない。
もし近付いたとして間に合わなければ何が待っているのか、結果は火を見るより明らかだったからだ。
「それでは──」
その三人をにこやかに眺めつつ、ラシェルの肉体が変じていく。
その両腕は太く分厚い灰色の鎌に。
首から肩にかけて形成されたのは、盾を思わせる甲皮の膨らみ。
二振りの刃を擦り合わせ、修道服を纏った司教は、生ける兵器は祈るように頭を垂れる。
「──“赤色の枢機卿”の名の元に、試練を与えましょう」
そして──心から嬉しそうに、首をごきりと傾けた。
ラシェル・カルテジア・アポリエール
国籍:フランス/フィンランド
8歳 ♀ 170cm 85kg
――――ダブルシールドマンティス――――
+
MO手術"寄生生物型"
――――ハリガネムシ――――
ご観覧ありがとうございました!