深緑の火星の物語   作:子無しししゃも

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119話です。
バトル&過去回想でございます


第119話 聖なる怪物

『……お嬢。提案がある』

 

 通信機越しに聞こえてくるレナートの声には、隠しきれていない緊張が混ざっていた。

 それを受けたエリシアの返答は、「はい」の一言のみ。

 続きを促すと同時に、彼女は考える。

 

(……今のままじゃ、うまくいって半壊状態での勝利。最悪、全滅すらあり得ます)

 

 恐らく自分とレナートの現状認識は、似たようなものだ。

 先の攻防において、彼我の戦力差は見えてきた。

 敵がまだ余力を残していると思わしき状態で、拮抗。

 それはつまり、お互いに全力でやり合えばこちらが不利に陥る可能性が高いということ。

 

 そして今、敵はその全力の一端と言える人為変態を行った。

 

『このままじゃ、危ない。だから……』

「それは……」

 

 エリシアと同じ現状認識を端的に語った後でレナートが提案したのは、確かに状況を打開できるかもしれない一手だった。

 だがそれは、失敗すればこの作戦全体に影響を与えかねない危険な賭けともいえるものだ。

 

 しかし、それでもエリシアは決断を下さねばならなかった。

 その明確な根拠が、目の前で繰り広げられている。

 

 

 エリシアの視線の先。

 猛虫同士の格闘において再び先手を取ったのは、ヨハンだった。

 悠然とエリシアに向けて歩み寄ろうとするラシェルの背後へと回り込み、その首元を一突きにせんとする。

 

「あら危ない」

 

 だがラシェルが頭を下げ、毒針による刺突は頭部を逸れ彼女の首へ。

 頭部。首。狙い通りといかずとも、どちらも人間の命脈を断つ急所には変わりない。

 

「ッ……」

 

 だがヨハンの表情に喜色はなく、代わりに焦燥があった。

 直後手に伝わってきたのは、針の軌道が逸れる感触。

 それは、彼が何故柔らかいはずの首でなく頭部を狙ったのかという理由そのものだった。

 

 ラシェルの首は、無防備だったわけではない。

 そこには、肩周りの高さから伸び急所を守る、ヒョウタンのようなくびれた形状の盾が構成されていた。

 

 

 ──ダブルシールドマンティス

 学名『Pnigomantis medioconstricta』

 インドネシア東部、小スンダ諸島を構成する一島であるフローレス島の固有種。

 

 サイズこそ大型種のそれに匹敵するものの、彼らの大まかな生態は他のカマキリと比べて大きく変わるようなものではない。

 だが、他種と区別される明確な特徴が存在する。

 

 二つ盾(ダブルシールド)。彼女の手術ベースがその通称を付けられた理由が、これである。

“攻撃力は高いが防御力が低い”というカマキリのパブリックイメージに反する、上半身を守る丸みを帯びた外骨格。

 そして、他種よりも格段に分厚い鎌に、堅固な外皮。

 それらとカマキリの中でも有数の獰猛性を以て、彼らは自然界においてネズミすら捕えて喰らうという。

 

「えいっ」

 

 突き刺さって止まるではなく、思わぬ形で腕を振り抜いてしまった事により生じた隙を見逃してくれるほど、ラシェルは甘くない。

 鎌を切断のため振るうには近すぎる距離だったのは幸いだ。

 だが代わりに、彼女は気の抜けた声と共にその膂力を以て肘を振り落とした。

 

「がっ!?」

 

 ゴギ、という鈍い音と共に、腕があらぬ方向にへし曲がる。

 腕一本。その負傷を代償に、ヨハンは後方へと飛び退いた。

 

「ふふ、どちらに行かれるのですか?」

 

 はず、だった。

 ヨハンの視界には、慈愛の微笑が大写しになっている。

 退避の判断を、退路を、先読みされ踏み込まれた。

 一瞬にして追随してきたラシェルの動きを察知した時には遅く、己では迎撃も回避も不可能な位置関係。

 

「……頼みます!」

「あいよー!」

 

 ならばヨハンにできることは、友軍に任せることのみだ。

 言い終わるまでもなく、今にも振るわれんとしていたラシェルの両腕に同類の武器──また別の鎌が、勝負を挑むように組み付く。

 

「悪いけどさー、それ()、アンタだけの専売特許じゃないっつーの!」

 

 得意げに口角を上げ、恭華は鎌と化した腕に力を込める。

 彼女の手術ベースである“タガメ”もまた、鎌状の前脚を用いて獲物を捕らえる昆虫である。

 

「……あら」

 

 力任せに振りほどこうとしたラシェルは、予想以上の抵抗に微かな驚きをこぼす。

 そう、捕獲なのだ。

 MO手術による特性の強化により斬撃に用いられる『鎌』という部位は、本来であれば獲物を掴み逃れられないようにするための捕獲器である。

 そして、イモリやヘビといった脊椎動物すら捕食するタガメの持つ鎌は、カマキリのように鋸歯こそ持たないが純然たるパワーによる拘束となれば決して引けを取らない。

 それこそ、純粋に手術ベースを比較すれば拮抗する程度には。

 

「こんの、バカ力、めぇ……!」

 

 とはいえ、そこに素体のスペックを加味すれば話はまた変わってくる。

 一瞬で薙ぎ払われる事こそなかったが、恭華の身体はラシェルの動きに引きずられつつあった。

 

 お互いに両腕が塞がった、崩れつつある拮抗状態。

 

「……なぁんて、それだけじゃないんだなこれが!」

 

 だがこの戦いは、MO手術被験者による交戦だ。

 己の肉体一つという本来なら平等の条件であっても、持てる武器は互いに変わってくる。

 

「あら……」

 

 ラシェルを襲ったのは、下方からの蹴撃だった。

 これがただの蹴りであれば、そのまま身体で受け止める選択をしただろう。

 しかしその先端には、鋭利な針が形成されていた。

 

 タガメの口針。

 獲物の外皮を用意に貫くそれは、最強の水生昆虫とも呼ばれる彼らの鎌に並ぶ強力な武器だ。

 ヨハンの刺突よりも勢いが乗っており、さらには背中側の盾では受け止められない状況をまずいと判断したのか、ラシェルは大きく重心を落として攻撃から逃れる。

 

 鎌に加えられる力が緩んだ、一瞬の隙。

 押し込むか退くかを即座に判断し、恭華は大きくのけぞって鎌の拘束を解き、後方へと跳ねる。

 

「……兵器、ですか」

 

 己が介在する余地なく行われた高速の近接戦闘を見て、エリシアは呟く。

“兵器”。

 それは、この場においてラシェルにのみ適用される呼称ではない。

 他ならぬエリシアもまた、裏アネックスの幹部搭乗員(オフィサー)としてそう呼ばれていた事がある。

 

 このある種の蔑称ともとれる形容について、彼女はある程度納得し受け入れていた。

 人間扱いされていないどうこうの話ではなく、それは一片の事実だと考えていたからだ。

 猛毒の触手を広域に展開し中遠距離から多数を殺傷できる自分の特性は、単一の戦闘員という域を超えたスペックである。

 より上位だったヨーゼフとダリウスも同じく、戦域を一瞬にして制圧できるそれを戦力評価として人間ひとり分として扱うには、少々無理があるのだとわかっている。

 

(でも……あの人は、違う)

 

 だが、とエリシアは現在自分たちが相対している相手に目を向ける。

 

 特徴から予想すると、手術ベースは恐らくカマキリ。そしてあの硬さを見るに、同族の中でもいっそう高いスペックを有する種なのだろう。

 それでも、直接攻撃型の域を出ないシンプルな代物だ。

 

 だというのに、αMO手術の被験者ふたりがかりでもなお崩せぬ守り。

 自分が正面から相対していたとすれば何度殺されているか数えられたものではない、精緻かつ迅速な動作。

 自身の手術ベースを知り尽くしているが故であろう、それを無駄なく十全に使いこなした立ち回り。

 

 エリシアの同僚(オフィサー)の中にも、直接攻撃型の手術ベースを有する人間はいた。

 たとえばそれは、日本班の班長である剛大や(実際には違ったが)中国班の実質的な指揮官だった欣。

 彼らもまた紛れもない強者であり、実力は疑いようもない。

 しかしエリシアは、彼らを自分たちと同じように“兵器”であると思ったことは無かった。

 

 広範囲に及ぶ特性を持っていないからか? 

 言われてみればそうなのかもしれない。

 でも、それだけを根拠とするには例外があった。

 

“そんな暗い顔をしないで、エリシアちゃん? あなたは生き残った(勝った)のよ。この連中とか、他の二万人の子たちとは違ってね”

 

「あまり見つめられると、照れてしまいますね」

 

 鎌で頬を掻くラシェルと、記憶の中のひとりが重なる。

 時はアネックス計画実施前、ローマ連邦で行われた合同作戦。

 見上げる程に長身の老婆は、己が作り出した血の海の中心で微笑んでいた。

 殺さざるを得ないような状況だった。和解の道は残されていない、こちらか敵か、どちらかが死ぬまで終わらないような任務だった。

 でも──これが剛大や欣なら、あの状況で同じ表情をしただろうか。

 

 ああ、そうだ。似ているのだ。あの時エリシアは、彼女は怖気が走るほどに“兵器”なのだと感じた。

 そして今、同じような感情に駆られている。

 

「……あなたは、どうしてそんなに強いのですか?」

 

 気付けば、エリシアは独りでにラシェルに問いかけていた。

 ヨハンと恭華が息を整える時間稼ぎ、という理由もある。

 

 そんなエリシアに向けて、ラシェルはにっこりと笑みを強め。

 

「鍛えておりますので。具体的には、3歳から6歳になるまで……戦場で20年くらいと、それから2年」

 

 あっさりとした調子で口にしたのは、傍から聞けば理解の及ばない言葉だった。

 

―――――――――

 

 銃弾で頭と心臓を穿たれ、彼女は死んだ。

 

──そして彼女が目を覚ますと、そこは戦場だった。

 

 真白な実験室でもない、学習のために連れていかれる豪華な聖堂でもない、汚く騒がしい真逆の場所。

 砲火が絶えず飛び交い、爆発音が響いている。

 最も対処に迫られた事態と言えば……。

 

 特には、ない。

 自分の体を触ってみれば、傷はどこにもなかった。心臓は平時と同じように脈打ち、脳もこうして現状について思考できている通り正常に動作している。

 もしや、自分は白昼夢でも見ていたのだろうか?

 

 思案する彼女の脳裏にふと、言葉が響いた。

 ──可能な限り多くを殺し、長く生き残れ。そうすれば、ここから出られるだろう。

 

 そうして再び、以前の記憶と同じ彼女の■■は始まった。

 とはいえ、今回(・・)の彼女について、あまり語れる物語はない。

 アポリエールの教義でいうところの試練と救済を成し、21日目で当時の彼女の処理能力を超える集団と交戦する羽目になり全身を蜂の巣にされた。

 

 

 彼女は死んだ。

──そして彼女が目を覚ますと、そこは戦場だった。

 

 彼女は死んだ。

──そして彼女が目を覚ますと、そこは戦場だった。

 

 彼女は死んだ。

──そして彼女が目を覚ますと、そこは戦場だった。

 

 

 

「おはようございます、シスター・ラシェル」

 

 彼女が戦場以外の場所で目覚めたのは、体感時間において半年ほどが経過し、十四回目の死を迎えた後のことだった。

 自分が生まれて以来暮らしていた、アポリエール家の大聖堂。頭に被せられていた奇妙な形状のヘルメットを外して傍らを見れば、そこには彼女が尊敬する人が立っていた。

 

「たまには現実の体を動かさないと、鈍ってしまいますからね。今日はお散歩でもしましょうか」

 

 こくんと頷き、彼女は立ち上がる。

 話したいことは、たくさんあった。

 

「そうですね、まずどこから話しましょう」

 

 今まで自分がいたあの場所はなんだったのか。

 彼女が抱いている疑問については言わずとも承知していたのだろう。

 尊敬する人は、彼女から尋ねるまでもなく説明を始めた。

 

「シスター・ラシェルは、もっと時間が長くあったらいいのに……と思ったことはありますか?」

「いいえ、ぜんぜん」

「困りましたね……話が続きません。ちょっとしょんぼりですね」

 

 無表情で首を横に振る彼女に、尊敬する人はしゅんと身を縮こまらせる。

 ただでさえ小柄な体が、肉体年齢は10歳程度の自分と同じくらいに小さく見えて彼女は少しだけ慌ててしまう。

 

「あっ、でも……今日のお散歩は、長くしたいかもしれません」

「嬉しいことを言ってくれますね。そうですね、今のあなたがそうであるように、他人よりたくさんの時間が欲しい人はたくさんいるんです」

 

 気遣ったわけではなく、それは彼女の本心だった。

 彼女には多くの感情が欠けているが、それでも人間の好悪はある。

 “尊敬する人”とラベリングしている目の前の人間には、特に悲しんでほしくはなかった。多くの時間をいっしょに過ごしたかった。

 そんな子どもらしい情緒を見せた彼女の頭を撫で、尊敬する人はそのまま話を続ける。

 

「いっぱい勉強したい。長く遊びたい、休みたい。……短い時間で、たくさんの経験を積ませたい」

 

 1日を100日に感じることができれば、ライバルたちを一気に突き放すだけの学習や鍛錬ができる。

 短い休暇しか与えられなかったとしても、存分に休むことができる。

 それは、人間の多くが望む夢だと言っても過言ではない。

 

 けれど、と彼女が尊敬する人は付け加える。

 どれだけそうしたくとも、1秒は1秒で、1日は1日だ。

 それはこの世界に生きている以上、逆らうことなどできない法則である。

 

「そこで賢い人たちは考えました。この世界では無理でも、別の世界ならできるんじゃないか……体は無理でも、心だけなら叶うのではないか……と」

 

 そう、“この世界に生きている”という前提条件があるならば。

 

「栗粥が煮える間に見る夢で、一生を送ることができるように。一瞬の危機に、人生の全てが脳裏を駆け巡るように。時に人間の精神は、時間の枷から解き放たれることがあります」

 

 この現象を、意図的に起こすことができたとしたら?

 

「つまり……私が過ごしていたのは、シミュレーションの中だったのですか?」

「ふふっ、察しが早くて素敵です。神の卵を試練で選び抜くように、神の器にはそれに相応しい中身を。あなたはまだ幼く、未熟です。だからこそ……審問の徒として、相応しき力を得る必要があるのです」

 

 結論は、あっさりと告げられた。

 ──経過時間を操作した仮想現実における、戦闘訓練。

 

 それが、彼女が突然放り込まれた世界とその在り方の正体だった。

 

「設定されている時間経過の差は、現実(こちら)の約7倍。これは、特別に調整されたあなたの脳に負荷が及ばない限界でもあります」

 

 卵を選別する時間など、コストと時間がかかるだけだ

 ならば、最初から窮極のものとして造った器を完成に導く。

 

 人間を過酷な世界に放り込む事による、選別と昇華。

 アポリエール家がかつて繰り返し、一度教団が壊滅する原因となった儀式は、より効率的かつ教義を失った形で今こうして行われていた。

 

「あなたに祝福があらんことを、シスター・ラシェル。次に会う時には、ワタシにたくさん思い出を聞かせてくださいね」

「はい」

 

 真実を知った彼女は、ただ頷いた。

 嫌ではない。苦しくも悲しくも、虚しくもない。

 そんな感情は、彼女の内には存在していなかった。

 その精神の空白こそが他者とは違う時の流れを耐えられる要因なのだと、尊敬する人は語った。

 

「……そういえば、他に参加してる人はプログラムか何かなのでしょうか。私以外は耐えられないのですよね?」

 

 憧れの人と手を繋いで大聖堂に帰り、ベッドに横たわる。

 まやかしの世界に戻る間際、彼女は尋ねてみた。

 その質問に別段の意味があったわけではない。……はずだ。

 ではどうして無意味な質問をしたのか、という理由は彼女自身わからなかったが。

 

「ええ、そうですよ」

 

 

 

「あなた以外は耐えられないので、ダメになり次第入れ替えています」

 

 やるべき事を、やるべきように。

 彼女の内面は、回答を聞いても何も変わらなかった。

 

 

 そして再び、彼女は数多の時間を戦場で積み重ねていった。

 

“よし、かかった! って、こんな小さい子が!? なんてこった……”

 

 ある時は、トラップを踏んでしまって身体が吹き飛んだ。

 素人からプロによるものまで幾度となく罠を相手にして、その傾向と回避方法について知識を積み上げた。

 

 

“ま、学習途上にしちゃ上出来なんじゃねえの。んじゃ後はお楽しみの時間……ンだよ、コイツが死んだ時点でリセット? そりゃ残念、先に教えてくれよ”

 

 ある時は、暇つぶしで参加を申請した“教団の上”からの客人だという男に殺された。

 交戦したのは一度きりだったが、『個人の武力において格上の敵との交戦』という初めての経験は、多くの学びをもたらしてくれた。

 

 

“……僕たちは真実にたどり着いてしまった。この世界は、君を完成させるためにあるんだろう。だったら……その目的が果たせなくなるよう、君をただ仕留め続ける。そうすれば、この悲惨な状況を作り出した黒幕も諦めてくれるはずだ”

 

 ある時は、繰り返しの中で自分を受け入れ寝食を共にしたこともある集団から、執拗に命を狙われた。

 争いを止めてこの異常な世界を抜け出そう、と一致団結した人々の集まりだった。

 

 彼らのやり方は、明らかに間違っている。それが彼女の認識だ。

 倫理に(もと)る、などという話ではない。

 理屈だけ聞けば成り立っているように思えるが、参加者の初期配置はランダムに変わる上やろうと思えば人為的な介入もできる以上、自分を学習の暇もなく即死させ続けることは不可能だ。

 それに、そんな内部事情を知らずとも、目的を邪魔して報復されないわけがない事くらいすぐにわかるだろうに。

 

 だが彼女はわざわざ説明せず、ただリーダーの青年の顔を見た。

 かつて彼女に平凡な一市民だと語っていた、善良で皆を信じていた彼は、泣きながら笑って銃を突き付けてきた。

 

 以降、彼女は数回の繰り返しに渡って組織的な攻撃を受けた。

『年端もいかない少女をひたすら殺し続ける』などという結論を、善良な集団が正気で受け入れられるはずもなく。

 殺し殺されを繰り返すたびに、彼らの人数は減っていき、最後には誰もいなくなった。

 断続的な襲撃という実戦経験に都合のいいシチュエーションは、ただ彼女の完成度を高めるだけの結果に終わった。

 

 

「本当は、もっと時間をかけ万全を期すべきだったのですが……困ったことに、迅速に次の“赤色”を戴けと聖下が仰せでしてねェ」

 

 他者の死のみならず自身の死すらも積み上げて最強の一を作り出すための、蟲毒の壺。

 その儀式は、現実時間で3年、彼女の体感時間において20年で『先代の戦死、それによる過激派の暴走及び敵対勢力の増長の抑制』という実に内部政治的な理由によって完遂されず終わりを迎えることとなった。

 

 ラシェル・カルテジア・アポリエールという兵器は、こうして不完全なまま完成した。

 

――――――――

「20年……?」

 

 最も奇妙な部分を繰り返したエリシアに、即座の返事はない。

 まるでそれだけで説明は済んだと言わんばかりに、ラシェルは自身についてこれ以上何も語らなかった。

 

 それでも、エリシアには理解できた。

 ラシェルは嘘など言っていない。その長い実戦経験は、真であるのだと。

 

「はい。運命とは、実に奇妙なものです……貴女がこの場所を訪れてしまったように」

 

 ゆっくりと鎌を擦り合わせ、ラシェルのただエリシアひとりに視線を注ぐ。

 まるで何かを回顧しているかのような、どこか生温かいものだった。

 

「私、ですか……?」

 

 エリシアは、やはりその意図がわからずラシェルに問い返す。

 それを受けたラシェルが鎌と化した手で指し示したのは、己が守る背後だった。

 

「こちらは、SYSTEM(システム):Robigus(ロビグス)と呼ばれている装置です。なんとなくお分かりでしょうけど……とっても広いところまで、胞子を拡散するためのものです」

 

 そこにはエリシア達が最重要目標と定めたひとつ、菌糸で構成された柱がある。

 

「……さっきから話が飛び飛びで、ワケわかんないんですけど? そりゃ見たら一発でわかるっしょこんなの」

 

 文句を飛ばす恭華の言う通り、ラシェルの言は唐突だ。

 エリシアたちとしては半ば確信していた部分とはいえ、自陣営の武器に関する情報をいきなり開示している。

 

「そしてこれは、元々はアネックス計画において火星に投入するべく設計されたものでした。テラフォーマーに対して絶対的な優位を持つ、ある手術ベースの力を最大限に振るうためです。もしかしたら、エリシアさんなら名前を聞いたことがあるかもしれませんね」

 

 エリシアたちが意図を掴めないまま、次いでラシェルはとある生物の名を口にした。

 決して「ああ、あれか」などと即座に思い当たる身近なものではない。だが生物に関する知識がいくらかあれば、それが何の仲間でどのような生態を持つのか察することができる、そのような名だ。

 

 恭華はやはりラシェルの言が意味するところを読み取れず眉をひそめ、ヨハンもまた同じ。

 ふたりが疑問を抱いたのは最後の一言だった。

 何故ここで、彼女を名指しする必要があったのか。

 彼らの師であり養親であったアナスタシア(オリジナル)について触れているのか?

 それとも、寄生虫をはじめとした生物に適性を持つことを言っているのだろうか。

 だがどちらにしても、わざわざエリシア話を振る理屈が見いだせない。

 

「その、生き物は……」

 

 ふたりと裏腹に、エリシアの反応は大きかった。

 瞳が驚きに小さく見開かれ、直後困惑に揺れる。

 

 そうだ。ラシェルが語ったそれを、エリシアは聞いたことがあった。

 記憶の中に埋もれてこそいたが、問われて思い出した。

 

 ムカデミノウミウシ。■■■■■■・■■■■。そして、今耳にした■■■■■■。

 それは、自分たち(・・)を手術台という名の処刑場へ送る研究員たちが話していた、その身に埋め込まれる予定だった生物たちの名前だ。

 

 何故、ラシェルが知っている?

 想定される理由はいくつかあっただろうが、今のエリシアに思い浮かべることができたのはひとつだけだった。

 

「“彼女”とお話したことは、そこまでありませんでしたが……良い子でしたよ。もし日常でお話する機会があったなら、きっと貴女もそうなのでしょうね」

 

 それは現状の情報から考えられる中で最悪の可能性である。

 いいや、そんなはずはないと即座に否定しようとする。

 だがラシェルの次の言葉は、その最悪を裏付けるものだった。

 

「ナタリヤさん。きっと、彼女は博士と共に貴女を待っていることでしょう。ここではなく、地の底の底で」

「っ、っ……?」

 

 ナタリヤ。生きていてくれていた妹。U-NASAで偶然出会って、詳しい事情を聞く暇もなく別れてしまった。あの子は研究者らしい男の人といっしょにいた。博士。待っている? 底? この地にいる? それも、向こう側に付いて? 

 頭の中で言葉と記憶が渦を巻き、エリシアの思考は目まぐるしく回転しながら停止する、という矛盾した様相を呈する。

 

 どうにか否定しようとするが、その根拠が見いだせない。

 何故ラシェルは妹の名前を、自分たちが受ける候補だった生物の名前などという情報を知っているのか。

 そしてその生物のために最適化された専用装備がどうして持ち込まれているのか。

 その生物をベースとしてMO手術を受けた人間がいるのだとしたら、それは誰なのか。

 

「あ、う……え……?」

 

 たとえ強者とはいえ、精神の強さが付随してくるかは別の話。

 それが幹部搭乗員(オフィサー)を任せられていたとはいえ、成人を迎えてすらいない少女だったのならなおさらだ。

 たとえ前兆があったとしても、実際に事実だと突き付けられればとても平静を保つことなどできない。

 

「はい、集中が途切れましたね」

 

 その隙を、邪教の司教は見逃さなかった。

 遠回しな言で不安を増幅させた後に事実を突き付け、精神を乱し戦意を砕き、命を刈り取る。

 悪辣な精神誘導と共に振るわれた大鎌は狙い過たずエリシアの首を狩らんと迫り──

 

「……エリシアちゃん! 行って!!」

「──え」

 

 ──それを受け止めエリシアを正気に戻したのは、意外ではない人物と彼女が発した意外な言葉だった。

 ラシェルの鎌を真正面から迎撃した恭華が、喉が裂けんばかりの勢いでエリシアに呼びかける。

 

 最大戦力であるエリシアを今この戦況で離脱させる。

 当然ながら、現実に即していない無謀な選択である。

 とある要因から全くの無根拠までとはいえないものの、この場における戦局が好転する事はない一手だ。

 

「この頼れるおねーさんと頼りないお兄さんに任せといて。あいつはあたしらで片付けとくからさ……!」

 

 力任せに振り切られそうになった恭華を援護し、毒針がラシェルを牽制する軌道で繰り出される。

 それを振るったヨハンは言葉こそ発しないが、ちらりとエリシアを振り返った。

 

 ラシェルへの戦意を漲らせながらも、同時に明確な「行け」という意思が感じ取れる、強い視線。

 

「……っ! おふたりとも、ぜったい、ごぶじで!」

 

 言葉がからまって、上手く出てこない。

 自分でも恥ずかしいほどにたどたどしい声と共に、エリシアは身を翻し駆け出す。

 

「あら……行ってしまわれるのですか?」

 

 背を向け、エレベーターへと向かうエリシア。

 だが悲しいかな、病弱な少女の走力は兵器として生み出された怪物の動きと比べればあまりにも緩慢だ。

 残酷にも、ラシェルが彼女に追いついたのはエレベーターの扉が開き始めた瞬間であった。

 

「残念です……逃げずに試練に臨んでいたなら、まだ可能性はあったのですが」

 

 ヨハンと恭華の妨害を力任せにくぐりなお止まらず、その鎌が無防備な背に向けて繰り出される。

 間際に迫る死。

 だがそれを背にしても、エリシアの表情に動揺はなかった。

 

 その理由はきっと、昔の自分と今の自分では違うものだ。

 無限にも思える一瞬で、エリシアは己自身へと思いを馳せる。

 

 昔の自分なら、そもそも攻撃を受けようとしている事にすら気付けなかっただろう。

 かつてここにいた時には、生に絶望していたから。頑張ってまで守るべきものは、みんな失ってしまったから。戦いに役立つ特訓をしようなんて思えなかったし、手伝ってくれる人もいなかった。

 

 でも、その後の自分は、今の自分は違う。

 皆のために頑張ろうと、自分なりに力を振り絞った。それに付き合って、支えてくれる人たちがいた。

 おかげで、今この瞬間に自分は攻撃されているのだと、命の瀬戸際にあるのだと気付ける。

 その上で、動揺も恐怖もしない。

 

 その、理由は。

 

「おふたりのこと、よろしくお願いします!」

「了解」

 

 ただ、一言。彼女の要請に、応える者がいた。

 同時、エリシアに迫ったラシェルの顔を、漆黒の甲皮に包まれた拳打が打ち据える。

 

「──!」

 

 咄嗟に背後に跳んだのか、即座に立ち直ったラシェルはエレベーターから飛び出し自分に殴りかかった影を──見るからに裏社会の住民という風体の、ガラの悪い男を見やる。

 

「遅いっつーのオッサン」

「……これでも下準備からここまで全速力だったんだよ」

 

 あわやエリシアの首が落ちようとしていた間際のタイミングに不満を漏らす恭華の言葉。

 それを渋面で跳ねのけ、第三班の副班長はばきりと拳を鳴らす。

 

 ──追加の戦力投入。

 それは、コントロールルームから戦況を見守っていたレナートがエリシアに行った提案だった。

 作戦と呼ぶまでもない至極単純な話で、まだ戦える人員を頂塔に投入し、一気に叩くというだけである。

 だがその単純な作戦には、わかりやすい部分から遠回しなところまで様々なリスクが絡んでいる。

 

 ひとつは予備戦力の枯渇。

 この頂塔に戦力をつぎ込む以上、不測の事態が起こった際の火消しを任せる人員は消滅する。

 少なくとも首謀者と思わしきエリシアの妹とダニエルの兄が潜んでいるだろう最下層に追加の戦力を送ることはできなくなる。

 

 さらには、制圧したコントロールルームの人員が不在となる。

 レナートが離れてから代わりの人員が配属されるまで、施設の監視は不可能となってしまう。

 そしてもし敵にまだ隠れている戦力が居るなどという事態となれば、奪還されてしまう事態すらあり得るだろう。

 捕虜となったエミールまで解放されてしまえば、総戦力は一気に敵方の優位に傾きかねない。

 

 だがその全てを飲み込んだ上で、レナートはエリシアに願った。

 直後に判明した“エリシアの妹がこの地にいる”という事実を知って、この決断はさらに断固たるものとなった。

 

「お嬢……いいや、班長」

 

 彼が一度だけ振り返れば、そこには泣きそうになりながらもぐっと表情を引き締めたエリシアが立っている。

 心配だから残るでもなく、家族への想いに意識を呑まれて突っ走るでもなく、状況を判断しその上で自分たちを信じて任せてくれた。

 

 最初は新兵向けの準備運動だけで悲鳴を上げていた“お嬢さま”が随分と立派になったものだ。

 きっと、自分がくたばった時には地獄で待っているバカどもへのいい手土産になる事だろう。

 

Удачи(健闘を祈る)!」

 

 そんなしみじみとした感慨を飲み込んで、閉じていくエレベーターへと背を向けたまま短い言葉で別れを告げる。

 

「待たせたな、シスター様」

 

 状況は未だ不利。全戦力を投入する、などと言えば聞こえは良かったが、チャーリーとプラチャオ、雅维は受けた傷や毒が重く治療中。ダニエルは別方面。エリシアは今送り出した。

 ここに身を投じられる戦力など、殆どいない。

 

「ま、派手にやろうぜ」

「ええ、どうぞよろしくお願いしますね」

 

 まるで宣誓でもするかのようにレナートはラシェルへと思わせぶりに拳を突き出す。

 ラシェルの視線が彼を追ったのと、ちかり、とガラス張りの天蓋の外で何かが光ったのはその瞬間だった。

 

 同時、銃弾がラシェルの頭部めがけて飛来する。

 身を躱したラシェルが特性による反射で顔を向ければ、一面の曇り空に一点、翼を広げた女性にぶら下げられている男という異物が。

 

「お互い、笑顔で終われるようになぁ!」

 

 それが、開戦の号砲だった。

 研ぎ澄ませた鎌が、毒針が、拳骨が、銃弾が、獰猛な笑みが四つ、ラシェルを捉える。

 

 北の閉鎖都市を舞台とした奪還戦、その最重要目標の片割れを巡る戦いは、かくして幕を新たに始まったのだった。




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