深緑の火星の物語   作:子無しししゃも

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第120話、通しでバトルとなります。
本当はもっと細かくなる予定だったのですが戦闘だけでさすがに長すぎるか……とちょっと端折りました


第120話 暴走(前編)

 想像を、遥かに上回っていた。

 

「バケモンがよ」

 

 レナートの表情は、戦意の笑みを保ちながらも引きつっていた。

 ここ数分の内に行われた数度の衝突は、ラシェルをいきなり仕留めるために仕掛けたわけではない。

 エリシアに代わって参戦した彼とリックが敵の戦力を直接把握するという目的で、無理に攻めず牽制を主として立ち回っていた。

 

「とても良い笑顔ですね、皆さん」

 

 そんな前提があったとはいえ、ただの一撃すら届かない。

 

 ヨハンの毒針を巧みに躱し、恭華の鎌を押し返し、レナートの拳を受け流し、友軍の危機に間髪入れず放たれるリックの支援射撃の悉くが見切られ、捌かれる。

 

 これが、聖躯。エミールが呟いていた敵の切り札たる、修道服の怪物。

 

「大いなる神への道を選別する試練。そのように、楽しく嬉しい心持ちで臨んでいただけて私はとても幸福です」

 

 鎌を擦り合わせ、ラシェルが微笑む。

 そしてゆるやかに、足を前に出す。

 

 ゆるゆるとした戦闘中とは思えない動作だったが、彼女と相対する3人は直感で察知した。

 

『歩行』ではない。

 相手のそれは、再び戦闘行動に移行するための『踏み込み』だ。

 

 ──ブン、と空気が鳴いた。

 

 床を蹴る軽い音。ラシェルの姿がぶれて消える。

 3人が次に認識できた時には、両者の距離は互いの手が届く範囲にまで縮んでいた。

 

(速……いや巧い……!)

 

 瞬間移動したとしか思えない異質な動き。

 ヨハンとレナートは、それぞれの戦闘経験からその正体を看破していた。

 

 実験素材として幾度も捕獲したテラフォーマーのように、ただ移動速度が飛びぬけているわけではない。

 視線誘導や意識の隙を突いた、特殊な歩法だ。

 

 ラシェルの右鎌が踏み込んだ勢いのまま大きく開かれ、戦士たちは一瞬の判断を強いられる。

 

 何が来る。

 カマキリの鎌としての本来の用途である“捕獲”か。

 広範囲に致命の一撃を振るう“斬撃”か。

 それとも今まで見せていない──

 

「……突きだッ!」

「っ!」

 

 レナートが警告を叫んだ先は、ふたりのような実戦経験に欠け唯一反応が遅れてしまった恭華だった。

 意図を理解した彼女が目を見開いたのと、ラシェルの鎌が倍以上に伸びたと錯覚したのは同時だった。

 

 恭華にできたのは、首を捻るのがやっと。

 だがその一瞬の対処が、彼女の命を繋ぎ止める。

 

 弾丸でも通り過ぎたのかと錯覚する、目で追うことすら難しい一閃。

 チッ、という擦過音と同時、彼女の頬がざっくり裂け血が吹き出す。

 

 鎌の先端による刺突。刃による薙ぎ払いとは違い加害範囲こそ一点に絞られるが、即座に繰り出せるため“対応速度に劣る敵を仕留める”という用途には最適な攻撃手段。

 

「はは、痛っ……」

 

 己を掠めていった死そのものを視認し、思わず笑ってしまう恭華。

 こうして痛みを感じられている事自体が、彼女にとっては奇跡のようなものだ。

 

 だが、3人はただやられるだけでは終わらない。

 ラシェルが不意に頭を上げ、ガラスの天蓋へと目を向ける。

 視線の先にあったのは、透明な壁越しに自身を狙う銃身だった。

 

 

「前、ホンモノかフェイクかよくわからん動画を見てなァ」

 

 咄嗟に身をかわそうとするラシェル。

 だが彼女が動いた先には、既に甲皮に包まれた拳と毒針が待ち受けている。

 

「んなワケあるかって内容だったが、今ちょっとだけ信じる気になったぜ」

 

 強大な捕食者が最も隙を晒すのは、如何なるタイミングか?

 

 

「“スズメバチを食べるカマキリに食いつくスズメバチ”ってな」

 

 それは、獲物に喰らい付く瞬間に他ならない。

 同時に動いた人間が、ふたり。

 彼らはラシェルの退路を断つように、左右後方から突貫を仕掛けていた。

 

 

 片割れは、黒い甲皮に覆われた剛拳。

 

 ダブルシールドマンティスは頑丈な体皮を持つ昆虫であるが、それはあくまでも“カマキリの中では例外的に”という比較対象が前提だ。

 流石に甲虫に及ぶ程の強度はなく、ならば昆虫型の中でも特にパワーに優れたカブトムシの筋力で殴打を加えれば十分に通る。

 理屈に加え先ほどの出会い頭に殴りつけた肌感として、レナートはラシェルの防御力をそう分析していた。

 

 そのような手術ベースの性質からして、敵の防御態勢は重戦車が如くどっしり構える類ではない。

 常に動き回りじっくり狙いを定める隙を与えず、最低限の硬さで対処できる攻撃を弾いて反撃に転じる。

 

 やり口がわかっているなら、わざわざ付き合ってやる必要などない。

 狙うは相手の防御力を超えた、必殺。

 恭華に向けて鎌を繰り出した直後の無防備な体に、拳が突き立てられ──

 

 

「少し……手を変えましょうか?」

「──!」

 

 

 ──瞬間、ラシェルの腕が黒色に変質する。

 そして殴打を、突如として現れた壁が遮った。

 

「チッ……!」

 

 レナートの拳に伝わってきたのは、まるで金属を殴りつけたかのような痺れと痛み。

 彼は瞠目し、己の一撃を防いだそれを見て舌打ちする。

 

 細長い楕円形の、黒色の大盾だ。

 当然ながら大本はラシェルの腕であり、その正体は。

 

(畳んだ鎌を即席の盾にしやがった……!)

 

 レナートの攻勢と即座に察せた状況は、そこで終わりだ。

 敵が切ったもう一つの手札、突如としての黒色の変化については彼の理解が及ぶ範囲ではない。

 

 

「……先生と、同じものだな」

 

 その答えを導き出したのは、仕掛けたもう片割れだった。

 レナートの逆側からラシェルを狙ったのは、細剣(レイピア)のごときヨハンの毒針。

 

「“ハリガネムシ”の硬質化」

 

 ヨハンはラシェルの変化を知っていた。見覚えがあった。

 目の前でレナートの攻撃を防いだ黒色の硬質化は、彼にとって親であり師匠でもあったアナスタシアが宿していた特性のひとつに他ならない。

 

 ハリガネムシ。“カマキリのお尻を水に付けると出てくる生き物”として有名な、昆虫類の寄生虫。

 厚いクチクラの鎧に身を包んだ彼らは、通常であれば手術ベースに適さない生物だった。

 

 防御力として見るものがあるのはMO技術の研究者も認めるところである。

 だが全身を隙間なく覆う守りは、関節すら覆い被験者をまともに動けなくしてしまう。

 このように人間としての機能を阻害してしまう特性ゆえ、まともな手術ベースとしての価値はないというのが一般的な評価だ。

 

 風向きが変わったのは、αMO手術という技術が生み出された後のだった。

“特定条件に合致する生物なら、2種目として確実に組み込める”。そして、その特定条件の内ひとつは“生態的に関わりある生物”

 寄生虫であるハリガネムシは昆虫型との適合性が特に高い上、能力の練度を高めれば身体の一部だけを硬化させるという応用が可能であった。

 

 ただでさえ一撃すら届くかわからない敵の、さらに上乗せされた防御性能。

 果たして、ヨハンにとってこの知識は絶望を深めるだけだったのか?

 

「フッ……!」

 

 鋭く息を吐き、ヨハンは姿勢を低くする。

 狙うは脚、それも膝だ。

 関節。可動させねばならない都合で脆弱になる部位であり、ハリガネムシがMO手術のベースとして選ばれなかった理由でもある。

 

「うふふ、それは──」

「……無謀な賭け、とでも言うか? だろうな、関節まで瞬間的に守れる実物を見た事がある」

 

 尤も、ヨハンが知る事例はその弱点を克服している。

 攻撃を受ける瞬間のみ関節含めて硬化させるという極めて高度な制御により、毒の刺胞による飽和攻撃すら無効にできていた。

 彼の記憶からすれば、今仕掛けた一撃が失敗に終わるのは必然である。

 

「だが先生ほど熟達した手術の腕が、特性の練度が、お前たちにあるか──!」

 

 それを施したのが、MO技術の天才として十指に数えられる程の人物であったならば。

 裏返せば、彼女以外が手術したところでそこまでの力を引き出せるかは別の話だ。

 

 狂信にも近しい、恩師への信頼。

 それこそが彼に一見して無謀な行いを貫かせ、怪物の弱点へと針を突きこむ。

 

「……まだ許容範囲ですね」

 

 刺さった。だが、脚が折れるまでには至っていない。

 流れる血を見て、ラシェルは無感動に分析する。

 そうして即座に、毒が十分に注がれてしまう前に引き抜く。

 

 彼女はやろうと思えばこの攻撃を回避できていた。

 刺突という攻撃がごく小さい動きで避けられるのは、つい数秒前に恭華が実例を見せている。

 だが、硬化不可能な部位で毒を受けるとわかっていても、今そうするわけにはいかなかった理由がある。

 

「隙ありぃぃ!!」

 

 若干声を震わせながらも、ラシェルを襲う三つ目の攻撃があったからだ。

 鎌を両手に、脚には口吻。

 先の復讐とでも言うように、真正面から駆け出した恭華がラシェルへと肉薄する。

 

 恭華を迎撃したのは、元々彼女を狙って突きを繰り出していた右の大鎌。

 瞬間的に引き戻された凶器は即座に狙いを改め、恭華の進路を制圧すべく横薙ぎに振るわれようとする。

 

「させねぇんだな、これがよぉ!」

 

 ──恭華を捉えていたラシェルの視線が、不意に別方向へと逸らされる。

 ラシェルの即断に水を差したのは、外から聞こえてきた大声と飛来した弾丸だった。

 このままでは頭部に突き刺さる正確な狙いに対処すべく、恭華に向けられようとしていた鎌は盾として折り畳まれ天へと掲げられる。

 

 続けざまに響く、数度の射撃音。

 元々の強度からさらに硬質化した盾は弾丸すら受け止めたが、ラシェルの表情に安堵はない。

 

「まあ」

 

 不安定な姿勢の上連続的な射撃を受けており、咄嗟に足を動かせない。

 レナートの殴打を防ぐために左の鎌を、銃撃を防ぐために右の鎌を使っている。

 それで、防御動作は終わり。終わらざるを経なかった。

 

「素敵、ですね」

 

 ラシェルは自身が追い込まれた状況に、驚嘆の声を漏らす。

 たとえ如何程の身体能力を持つ、判断能力を持つ強者がMO手術を受けていようと、それがシンプルな直接攻撃型のものであるかぎり避けられぬ宿命がある。

 手足は二本ずつしかなく、同時に複数個所には振るえないという当たり前の現実だ。

 

「“二本の矢はダメかもしれないけど三本なら通る”……だっけ?」

 

 腕が二本で脚が使えないなら、三方向同時に対処するのは難しい。

 すなわち、敵の対処能力を超えた飽和攻撃が有効となる。

 恭華の脳裏に浮かんでいたのは、まだ故郷(日本)で一般人として暮らしていたとき歴史の授業で習った気がする内容。

 何か違う気もしたが、まあいい。

 

 思考も動作も突撃の勢いを乗せ繰り出したのは、ラシェルの腹を一直線に狙った蹴り。

 

「ふふ。皆さま、とっても素敵です」

「うぇっ!?」

 

 渾身の一撃に、ラシェルが再び笑う。

 恭華へと横殴りに襲い来たのは、鈍器。

 今までレナートの拳を受け止めていた、閉じて盾として用いられていた左の大鎌だった。

 

「しまっ……」

 

 鎌を開く暇も惜しんだのだろう。おそらく、致死的とまでの殺傷能力は無い。

 だが防御のための盾をそのまま振り回すという不意打ちにレナートが押し退けられ、飽和させていた対処能力が一瞬だけ嵩増しされる。

 

「うぇ~」

 

 目の前に立ち塞がった壁に、恭華は頬を引きつらせる。

 ラシェルの守りが崩れた隙に一撃を叩きこむ。それが彼女の役割だった。

 この黒鉄でできていると錯覚するような大盾を相手に、

 

「まあやるっきゃないっしょ!」

 

 そのまま、蹴りを……人為変態によって先端に構成されたタガメの口吻を、小細工なしで叩きつける。

 硬い。足の骨が砕けるのではと不安になるほど重く、衝撃が跳ね返ってくる。

 それでも恭華は、持てる力を全てつぎ込み。

 

「つあぁぁ……っ!」

 

 口吻がバキリと音を立て、とうとう限界を迎えへし折れる。

 再度殴りかかってくるレナートを捌こうとしているのだろう、ラシェルが力任せに振るった盾に押し返され、恭華の体は勢い付いて床に叩きつけられる。

 

「とても良いものを見せていただきました。まさか、一点とはいえこれ(・・)が穿たれるとは」

 

 戦線離脱を余儀なくされた恭華を横目に、ラシェルは己の鎌を見る。

 数多の敵を屠り、“ハリガネムシ”の硬質化を重ねた状態では傷を受けた事すらなかった無双の刃。

 だが今やそこには、口吻の先端がまるで楔のように突き刺さっている。

 

 ──個々の力量に、十分な連携。素晴らしい。今まで試練と救済を施してきた中でも、これだけ抵抗されたのはいつ以来でしょう。

 ──とはいえ、ここまでのようですね。

 

 信仰に篤く笑顔を尊ぶ司教としての一面と、どこまでも感情を排し現実を分析する戦闘兵器としての一面。

 ラシェルは熱っぽい口調で神の卵候補たちを心の底から褒め称えながらも、同時に冷徹な戦況判断を行う。

 

「ぐ……!」

 

 再び自分と真正面から打ち合おうとしている、カブトムシの人。

 

「……」

 

 自分の特性で守れる限界を見破った、恐らくMO手術に詳しいであろう狩り蜂の男の子。

 

「スズちゃん、指示通り!」

「ちゃん付けすんな殺すぞ!!」

 

 外で騒いでいる、狙撃手の人と彼を運んでいる鳥の人。

 

 最後のひとり、鎌に傷をつけた女の子はケガを負った。

 少しの間なら戦力と言えるまでには回復しないだろう。

 

 今の攻防で、包囲が崩れた。

 相手の戦力は、四人がかりで鎌に傷を付けられる程度。

 無論それだけでも大した成果ではあるのだけど、努力賞と最終的な勝敗・生死は別だ。

 

 三人であれば、自分を抑え込む構えはもはや取れない。

 あとはひとりずつ、笑顔になってもらうだけだ。

 

 少量ながらも流し込まれた蜂の毒で、少々動きが鈍っている。

 左鎌で受け止めた打撃と刺さった針のせいか、若干の痺れがある。

 しかしそんなマイナス要素を差し引いても、まだ十分な差が彼我にはあると分析できた。

 

「ごめんなさい、待たせてしまいましたか?」

「何がだよ」

 

 ラシェルは毒による体の違和感を確かめ補正を試みながら、今回の戦闘に対する最終的な予測を終え、レナートへと向き直る。

 

 ここまでの全ての思考は、めまぐるしく流れる戦況のさ中で完結している。

 恭華を跳ね飛ばし、再びレナートへと鎌を向けるまでの瞬き数回分にも満たない時間で。

 

 そして、執行の時が訪れ──

 

 

 

 

 ──瞬間、銃声が響いた。

 レナートが離脱する隙を作るために、撃たれたものか。

 

「天井……?」

 

 違う。

 派手な破砕音が、戦場の真上から響いてきた。

 直後降り注ぐのは、乱反射する細かな光と大本である砕け散った細やかなガラス片。

 

 リックの狙撃は、どうやら頭上の天蓋を派手に砕き割ったらしい。

 いったい何を? 戦士たちの脳裏には、当然の疑問が浮かぶ。

 

(……銃声ですか? あれ、あれ? でも……)

 

 何よりもその困惑が強かったのは、ラシェルだった。

 銃声。自分にスコープが向けられたなら真っ先に気付けるはずなのに。じゃあ自分を狙ったわけでもないのに撃った? なん──

 

「あっ」

 

 ラシェルの疑問は、直後強制的に理解させられる事になった。

 

 しまった、とでも言いたげな声が思わずこぼれる。

 彼女の顔は、ひとりでに天井へと向いていた。

 より対処の優先度が高いであろう目前の脅威ではなく、頭上。

 

「あぁ……?」

 

 真正面からかち合おうとしたレナートですら、想定外の挙動だ。

 都合のいい展開を喜ぶよりもまず困惑が先んじ、眉を寄せてしまう。

 

(やっぱりか)

 

 その挙動が想定通りであったのは、ラシェルに挑む側ではリックただひとり。

 

(思えば、反応が早すぎた)

 

 彼が最初に違和感を覚えたのは、レナートから連絡を受けこの戦いに参じた際、最初にラシェルを狙撃した時のこと。

 開戦の号砲、なんて演出役ではなく、MVPを貰う気概だった。

 完全に意識外から、必殺の一射を打ち込んだはずだ。

 だというのに、相手はまるで狙撃されるのを事前に読んでいたかのような挙動で回避した。

 

 何故だ? 単純に相手のスペックが高すぎただけか?

 もしそれが正答であるならば、リックは「勝ち目ねぇや皆退散だ退散~」と冗談めかしながらも本気で具申していただろう。

 第六感だの未来予知だののレベルに達した危機予測が可能な相手を狙撃できるような技術を彼は持っていないし、そんな相手に前線を張っている3人はさらに無謀だ。

 

 だが同時に、ここに来て退くという選択肢が無いのもまた事実。

 だからこそ彼は『ラシェルの所業は勝算があるレベルの原理によるものである』という希望的観測を前提として考察を進めた。

 

 最初からそれらしい結論にたどり着いたわけではない。だが戦闘が進む内に、情報が見えてきた。

 狙撃のため銃を向けるたび、ラシェルは迅速に反応していた。

 

 そう、銃を向けたタイミングだ。実際に射撃しようとした瞬間、射撃した瞬間、などではない。

 さらに言えば、察知できたからといってわざわざ毎回振り向く必要はあるのか。

 殺気のようなものを鋭敏に感じ取っているならば、この事実は不自然に思えた。

 

(反射光……特定の偏光か? それに本能レベル……しかも相当な高精度で反応してやがる)

 

 導き出された正答、彼女に兵器として備え付けられた機能のひとつだった。

 リックの得物であるスナイパーライフルがそうであるように、銃のスコープや事前観測のための双眼鏡が反射する光は、狙われる側にとって脅威を事前に警告してくれる目印となる場合がある。

 

 どれだけ格闘戦が強かろうと、認識の圏外から銃で射抜かれれば人は死ぬ。

 そしてそんなもので容易く殺されるようでは、最強の生体兵器などとはとても言えない。

 

 訓練で擦り込まれ長い実戦でさらに磨かれた反射に加え、人間より遥かに広い範囲の偏光を視認できる昆虫の性質。それらを水面の反射に反応し飛び込むよう宿主を調整する生態を持つハリガネムシの特性でさらに強化する。

 

 本来であれば、この性質は一方的な監視を察知し即死に至る不意打ちを回避できる純粋な強みである。

『本能・反射レベルで行われる動作のため、それ以外の対処に迫られている状況では隙を生じる』という欠点も設計段階で考慮されていた。

 リターンを重んじてリスクを飲み込んだ、という話ですらない。

 至極単純に、その程度の隙で殺されるような存在ではないのだ。

 

 人間の反応を超える高速で振るわれる大鎌、同種間でも随一の硬さ。それらを歴戦の軍人すら軽々と凌駕するほどの戦闘経験を積んだ強靭な素体に搭載する。

 アポリエールとゲガルド、彼らが積み重ねた遺伝子操作と心、認知に対する研究の果てに生み出された聖なる躯体。

 

 事実、レナートの拳は一瞬だけ注目を逸らされた程度では届くはずもなかった。

 それだけの差が、相対している彼我には存在する。

 

 はず、だった。

 

「──」

 

 迎撃のためラシェルが反射的に繰り出そうとしたのは、レナートの右拳にいち早く対応できる左腕の鎌。

 本来であれば、攻防はこの時点で終わりだ。

 即座にレナートの腕は切り落とされ、それが地面に落ちる前に追撃で首も胴と泣き別れになる。

 

 確定した未来をなぞるように、処刑の刃が軌道を滑り、

 

「アンタさ、さっき一点っていったけど……全部だから、それ!」

「──!」

 

 その中途で、突如として崩壊する。

 関節からおびただしい量の体液を溢れさせ、大鎌がラシェルの腕から落剥し地に落ちる。

 

 勝ち誇った恭華の表情が、その仕掛人が誰であるのか雄弁に語っていた。

 ラシェルの鎌に突き立てたものは、奮戦の証だとか選ばれし者にしか抜けない勇者の剣だとか、そのような輝かしい形容が似合う代物だっただろうか?

 

“タガメの消化液”。

 彼らが持つ口吻は、ただの捕食器官ではない。獲物を啜るストローであると同時に、毒を流し込む注射針である。

 そして啜るためには、食事が液状である必要がある。

 故に彼らは、時に獲物の骨すら溶かすほど強力な消化液を発達させた。

 

 恭華がレナートを差し置いて最後にラシェルに仕掛ける役割を担ったのは、ただ咄嗟の連携に対応したからというだけではない。

 彼女が唯一、臓腑を焼き尽くす一撃必殺を狙うことができたからだ。

 

 そして敵の想像以上の対応能力で、胴体に打ち込むのは失敗した。だがそれでも次へと繋ぐため、彼女は相打ち覚悟で鎌に突き立てていた。

 

 その成果が、今。

 

「まあ……!」

 

 そこで思考が本能に追い付き、ラシェルは改めて右の鎌を振るう。

 この程度の遅延、彼女にとって何ら問題はない。

 人間大となった蟷螂の鎌が、それもαMO手術によって強化された特性の速度がどれほどのものか。

 ここでもまた、本来であれば戦いが終わるタイミングが訪れる。

 

 にもかかわらず、レナートの拳を止めるには僅かに届かない。

 その原因を打ち込んだのは、今も虎視眈々と仕掛ける隙を狙う青年だった。

 

 ──消化液で片方の鎌を潰した。

 ──本能(習性)を見破り、視線を誘導した。

 ──少量ながらも麻痺毒で動きを鈍らせた。

 

 戦士たちの仕込みひとつひとつは、ラシェルという怪物の尺度では誤差にすらならない。

 だがいくつも積み重ねれば、その合算が一瞬の隙になる。そうして生んだ一秒にも満たない時間に、一撃をねじ込む。

 作戦を練り、根性で食らいつき、死に物狂いで役目を果たす。

 それこそが、見上げるほど巨大な獣すら有史以前より打ち倒してきた、人間の集団(群れ)の強み。

 

「あら……!」

 

 これは試練を与えた卵が必死に足掻いた結果である、と理解したラシェルの表情が微かに動く。

 人間の可能性。アポリエールがかつて掲げたそれを目の当たりにした彼女は如何なる情動を示したのか。

 それを思考する時間は、彼女自身を含めて誰にもない。

 

「おっ──」

 

 そう、レナートにも小洒落た勝利宣言などしている余裕はない。

 その代わりに、右腕に力を漲らせ最後まで振り切る。

 

 大きく身を捻り腕を引いて思いっきり繰り出した、工夫の欠片もない全力の構え。

 外した時点で隙を晒し、死と同義の反撃が待っていることだろう。

 きっと、失敗した時のために余力を残しておくのが賢い選択である。

 

 ──戦友が重ねた成果と天運を信じ、全てを賭けた。

 

 そんな保身なんざ、どうでもいい。

 レナートは微塵も迷わず、一撃を放つ。

 

「おおぉぉオオッッ!!」

 

 雄叫びと共に振るわれた拳が、ラシェルの頭部を捉える。

 これだけ下準備を整えられ隙を作り出されなお、彼女には首を傾け少しでも衝撃を和らげる準備があった。

 

 それでも、微かに逸れ左側頭部に命中した一撃は昆虫の外骨格も人骨でひときわ硬い頭蓋も、その(ことごと)くを粉砕する。

 

「あ、あぁ……」

 

 紛れもない、致命傷だった。

 ラシェルの体が、衝撃でよろよろと後退する。

 

「死体蹴りでも恨むなよ。死んでも死ななそうなアンタが悪い、お嬢さん」

 

 そして、追撃。

 銃弾が吸い込まれるように、その左胸を射抜いた。

 牽制も交えないただの狙撃ですら、もはや回避はままならなかった。

 

「かっ……」

 

 血反吐と共に、喉から空気が漏れる。

 滂沱と血を流す体に力は籠っておらず、重力に引かれ崩れ落ちる。

 

 頭の片側が砕け、心臓に穴を穿たれ。

 皮肉にも、それは彼女が最初に死を迎えた時と同じような結末であった。

 

 

 

 

(終わった、か……)

 

 決着に、彼女に立ち向かった誰もが安堵の息を付いていた。

 

「あとはこれをどうにかすれば、ひとまず任務の片側は達成ですか」

「早くエリシアちゃん追いかけないとね~……」

 

 一日とはとても思えない長さだった任務も、完了が見えてきた。

 あとは胞子を拡散している装置を操作するなり破壊するなりで停止させれば、頂塔方面での務めは終わりだ。

 ダニエルと彼を追ってエリシアが向かった最下層へと、増援に駆け付けることができるだろう。

 

「鈴チャンもごくろーさん。重かったでしょ」

 

 外を飛んでいるリックもまた、体から力を抜いて重力に身を任せていた。

 怒りん坊な協力者を労うべく、彼は頭を上げて鈴の顔を見る。

 

「……」

「もしもーし?」

「なんでもねぇよ話しかけんな」

 

 今度は殺すぞって言われなかったな……。

 予想外の大人しさに心配したリックの問いを、鈴はばっさり切り捨てる。

 先から黙っていたのは、考え事をしていたからだ。

 別に深刻な物事ではない。

 リックに言った通りなんでもない、ぱっと思い浮かんだだけのわざわざ話すまでもない内容だった。

 

“このかっこいいカマキリは、女の子がすごく強い虫なんですねぇ”

 

 ラシェルの姿とその暴れっぷりを見て連想したのだろうか。

 彼女の脳裏で再生されていたのは、幼少期に見ていたテレビ番組の記憶。

 デフォルメされた博士風のマスコットキャラが、毎週様々な昆虫を紹介してくれるという内容である。

 

“なんたって交尾の時、お相手に食べられちゃうことまであるんだとか。怖いですね”

 

「それならいいけどさ~。お、もう着地して構わないってよ」

 

 しかし、何か引っかかるような。自分は何かを思い出そうとしているような。

 リックの言葉は耳に入っているが、どうしてか伝えてくれた通りに戦場を離脱しようとは思わなかった。

 

“なんてことだ! 男の子ががっしりと鎌で捕まえられて、頭からかじられ……”

 

 ああそうだ、と当時の記憶が蘇り鈴は内心で頷く。

 自分は当時、このショッキングな映像のせいで番組が何回分か見られなくなってしまったのだった。

 

 虫の話とはいえ、愛し合う男女として紹介されていたにも関わらず、一方が他方に貪り喰われるという異常にしか思えなかった光景。

 見た目のグロテスクさと精神面でのショックが合わさって、当時はトラウマになったものだ。

 

 ……でも、今これが思い出されてずっと脳裏で再生されている理由はなんだ?

 

“でも安心!”

 

 スタジオにいる芸能人が「交尾失敗か~」と同情したような声を出す。

 バイオレンスな光景と他人事な感想に対し、マスコットキャラは元気とすら評せる声で解説を始める。

 

 何が安心なものか。

 この後の映像のせいで、自分は布団の中で震える羽目になったのだ。

 

 そう、この後は確か、食われかけているカマキリが……。

 

 

 

 

 

“カマキリは頭がなくなっても、しばらく動き続けることができるんです!”

 

 悪寒。

 

 

 

「あは」

 

 楽しそうな声が、聞こえた。

 誰も口に出して笑えるような状況ではないはずなのに。

 

「──もっと離れろお前ら!!」

 

 叫び声が響くのと、それは同時に起こった。

 

 カマキリがゴキブリと近縁であるという生物学的事実。テラフォーマーという前例。αMO手術のベース生物により高い親和性を持つ性質。素体の強靭さ。

 居並ぶ戦士たちが目にしている光景について、理由を理屈立てて説明することは可能だろう。

 だが、解説できるから何だというのか。

 

「あは、あはは! あはははは!」

 

 タガが外れたように、死体だったはずのソレがゆらりと立ち上がる。

 心から楽しそうに、ただただ笑う。

 淑やかな修道女ではなく、無邪気な子どものように。

 

「っ──」

 

 相対する誰かが息を呑んだ。

 誰かの足が止まっていた。まるで悪い夢かのような状況に、処理が追い付いていないようだった。

 

「あははは!」

 

 その沈黙を切り裂くように、ラシェルは踏み込んだ。

 

 

「あと少しだ気張れ!! 確かに心臓をぶち抜いた! 脳ミソこぼれるくらい頭が吹っ飛んでる! アイツはもうすぐ死ぬ!」

 

 ガラス越しですら聞こえる大声による、リックの叫ぶような状況報告。

 言われずとも見れば明らかなその情報を彼がわざわざ伝えたのは、一点に尽きる。

 

「わかるけどさぁ……そうは見えないっしょ……!」

 

 眼前の衝撃と未だ決着に至らないという絶望で、総崩れになりかけている士気を保つためだ。

 はっと瞳に正気を取り戻した恭華の呟きが、リックの行動理由と皆の心理を代弁していた。

 

 昆虫型の過剰変態程度では治りようがない重傷。

 もはやラシェルは“生きている”ではなく“まだ死んでいないだけ”。最後の足掻きのようなものだと考えるのが自然だろう。

 

 しかし、今までの戦局も踏まえて考えると、実際に戦闘している人間にはどう映るだろうか。

 今まで縦横無尽に暴れ回っていた怪物をとうとう仕留めた。

 ……と思っていたら、明らかに死んでいるはずの傷でまだ動く。

 もしや、不死身なのではないか。自分たちには全滅という結末しか待っていないのではないか。

 

「あはっ、ははは!」

 

 そんな荒唐無稽な予想を信じてしまうような、悪夢が如き現実の中。

 ラシェルは、再び大鎌を振りかざした。

 

 

 

 ──笑顔は、いいものだ。

 

 脳が損傷し刻一刻と欠落していく意識の中で、彼女は霞む過去の残像を見る。

 戦場で、綺麗な花や愛らしい野良猫を見つけた時。

 大しておいしくもない食料を分け合って、焚火を囲んでとりとめもない話をした時。

 永遠に繰り返される死線に精神が崩壊した時。

 

 敵であれ味方であれ、人々が浮かべている表情を観察していて、そう感じた。

 彼らを見ていると、胸の内が温かくうずいた気がした。

 空白であるはずの領域(こころ)に、感情がかちりと嵌る。

 

 喜び。

 本来あらゆる感情を排して機械のように振る舞うべく造られた彼女にとって、これはある種の不具合(エラー)であり福音でもあった。

 

 笑顔。

 肉体という表層からしか人の心を認知することができない彼女にとって、それはただ一つだけ信じられる幸福の形だった。

 

 どのような機序でその表情が出力されているかを理解できたわけではない。

 もしかしたら、小動物を愛でる時の笑顔と精神の均衡を失い戦友を射殺する時の笑顔は別物なのかもしれない。

 それでも、普通の人間にとっては地獄らしいこの戦場において、ひとときでも彼らが苦しみから解き放たれていることには間違いなかった。

 

「あははははは!!」

 

 だから、彼女は願った。この世は苦しみに満ちているからこそ、皆に笑顔(幸福)であってほしいと。

 そうして、他人を笑顔にしてあげるようにした。笑顔であるならば、きっと幸せだろうから。

 

 ああ。目の前に、まだ笑顔でない人たちがいる──。

 

「っ、うおおッ!」

 

 首の高さを横薙ぎにするように、未だ機能を保っている右の大鎌が一文字に振るわれる。

 今までのように攻撃後の回避を構えた手堅さなど一切なく、ただ力任せに振り切っているだけ。

 

 だが後先を考えていないが故に重たく、圧がある。

 レナートが咄嗟にその場に伏せることができたのは、ただの偶然だった。

 

「あははっ!」

 

 まともに受け身も取れなかったレナートだが、追撃は訪れない。

 今のラシェルに、視認範囲から消えた人間を知覚するだけの機能は残っていない。

 視界に、まだ笑顔でない人間が残っている事実こそが重要だった。

 

 では全員が身体を伏せて視界から逃れたなら、彼女は止まるだろうか。

 

 

 

 そんなわけがないと、全員が理解している。

 いなくなれば、きっと彼女は次の標的を探し始める。

 その過程で下を向くだけで、自分たちは終わりだ。

 

 それにもし逃れられたとしても、奴はあと何秒、何分、何時間動ける? 放置して、何人の仲間が屍になる?

 

「クソクソクソ! なんでこうなっても速えんだよコイツ!!」

 

 もはや牽制ではない、完全に命脈を断つ目的で放たれた弾丸。

 絶えず暴言を吐きながらも精度を維持しているはずの連射をことごとくを躱し、ラシェルは動き続ける。

 

「さっさとくたばれぇ!」

「これ以上は、やらせない……!」

 

 阿鼻叫喚の狩場に自ら立ち向かったのは、恭華とヨハンだった。

 鎌一本に対し、二本。加えて毒針。

 

 ラシェルの右鎌を両腕で抑え込んだ恭華が目くばせし、ヨハンが一撃を打ち込まんとする。

 大量の麻痺毒を流し込み、意思とは関係なく沈黙させる。

 

「あはははは!」

「うあ゛ぁっ!?」

 

 恭華の肩に、鋭い痛みが走る。

 比喩ではなく、喰らい付かれていた。

 肉食昆虫の顎は武器として腕に発現させなくとも、ただ元の用途(捕食)で使うだけで凶器となる。

 それが小型であれば甲虫すら嚙み砕く手術ベースのものとなれば、なおさらだ。

 

 不意の痛みに拘束が解けてしまう。

 代償は、もんどりうって尻もちを付いた恭華ではなく仕掛けようとしていたヨハンに降りかかった。

 

「だめ、あはは、ですよ、はは」 

 

 口に、鎌が侵入してくる。

 少し前に付き出せば喉を突き、上に振るえば頭を丸ごと切断できる、致命の位置だった。

 だがラシェルはそうしない。

 ただ頬に鎌を添え、横に引こうとする。

 殺戮が、目的ではなかった。

 

「あはっ、えがお、あは、ははは……」

 

 それが、最期だった。

 ヨハンの口へとねじこまれた鎌が、止まる。

 今まで数えきれないほどそうしてきたように、口を引き裂いて笑顔を作ろうとしていた凶器が不意に脱力する。

 

 

「はは──」

 

 力も魂も全てが掻き消える間際、ラシェルは目の前の人間たちを順に見る。

 

 誰かは、力なく笑っていた。笑っているのだからきっと嬉しいのだろう。

 誰かは、睨んでいた。こちらを睨んでいるのだから、こちらに怒っているのだろうか。

 誰かは、目を伏せていた。もしかしたら、悲しいのかもしれない。何が?

 誰かは、ほっと息を付いていた。趨勢が決まり、安堵しているのかもしれない。

 

 もちろん、それだけではないはずだ。

 人の心は複雑で、喜怒哀楽にだけ分類できるような単純なものでないことを彼女は情報として知っている。

 だからいつだって、相手が今どう思っているのかをちゃんと聞くようにしている。

 

 では彼らはどんな覚悟と矜持を持って自分に相対して、打ち勝って何を思ったのだろう。

 彼女は、自身を下してみせた勇士たちへと、想いを馳せる。 

 

 

 

 なにもわからなかった。

 わかるように、できていなかった。

 

「は……はぁ」

 

 だから、仕方ないので自分について考えてみる。

 ラシェル・カルテジア・アポリエール。アポリエール家が生み出した至上の傑作。

 喜び以外の一切を抱かず、ただ敵対者を断罪し人間に試練をもたらす一振りの刃。

 

「…………い」

 

 空っぽでいくらでも容量があるはずの内側から、言葉があふれ出る。

 自分は何を持っていて、何を持っていなかったのだろうか。

 どうして、笑顔について本当の理解をする事ができないのだろうか。

 

 心、とは何だっただろう。

 

「……かなしい」

 

 そして、誰も聞こえないくらい小さく、ぽつんとただ一言を呟き。

 彼女は、肉体と精神の活動を同時に停止した。




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