「ハア……ハア……クソッ!」
火星の荒れた大地を、背にぐったりした様子の静香を背負いながら俊輝が走る。
頭の中を巡るのは、後悔と無力な自分への怒りが合わさった苦い感情。
なぜ、あそこで自分が残ると言えなかったのか。
いや、わかっている。あの場で最良の手段はあれだったのだと。
『裏マーズランキング』9位である俊輝と相当な下位である拓也。どちらを生き残らせた方がいいかと言われれば、任務を遂行するという都合上答えは言うまでもないだろう。
むしろ、仮に俊輝に薬が残っていて拓也に薬が残っていなかった、という状況であろうと、強敵が現れた場合には拓也を犠牲にした方がいいのかもしれないとさえ思える。
周囲から見れば。裏アネックス計画実働班というコマでゲームをする
拓也はここで『捨て駒』にするべきだ。どんな初心者でも、その選択をするだろう。
だがしかし。実際のコマからすれば、どうなのだろうか。
その捨て駒扱いされてランキング下位なのに強敵の前に立たされた青年は。
俊輝の、かけがえのない友人である。
コマの感情にいちいち耳を傾けて大局を見失う。それは、結局皆を不幸せな結果に導いてしまうことだろう。
しかし、当のコマは。現在の大局など何も知らないコマにとっては、それは、ただ仲間を一人失った、それだけの事なのである。
だからこそ、俊輝は走る。間に合うとは思えない。すでに手遅れかもしれない。
だけれど、自分の頼りになる仲間に、上司に、
ーーーーーー
――某年某月 U-NASA
「うぐう……馬鹿な……こんな事が……」
U-NASA職員の居住・訓練施設。ここは日本や中国、アジア班の区画である。
そんな中、食堂へと向かう廊下で、一人の男が倒れていた。
見た目からすれば成人したかしていないかという微妙なライン。そこそこ整った容姿で、体も健康そうではあるものの、今現在倒れているその姿ではそんな説明をされても信じる事はできないだろう。
何人かの職員、アネックス、裏アネックスの実働部隊と思われる人間がその場を通る が、誰もが怪訝そうな顔をしながら通り過ぎ、数人のまだ10歳にも達していないかという幼い少年少女は木の棒で男の体をつつき、うめき声以外の反応が期待できないのを知ると足早に騒がしく通り過ぎた。
「ちくしょうめ……これだから人間は……」
ぶつぶつ呟くが、その声はうつ伏せで倒れこんでいるせいで全く周囲には聞こえない。
とさっ、と軽い音を立てて、男が腰に付けていた巾着袋が床に落ち、数枚の硬貨が散らばる。
どう考えても、何かを食べるには全く足りない量の資金である。
裏アネックス計画実働部隊、中国・アジア第四班所属、のちになぜか日本班に参加する事になる男、小原川拓也。彼は、この文明社会の極みとも言える建物の中で、空腹に苦しんでいた。
「おーい、大丈夫ですかー。えっと、死んでないよな……」
遠のく意識の中、走馬灯が中学時代の恋愛編に突入しかけた時、その意識を現実に押し戻すかのように声がかけられた。ひとまず、まだ聴力は残っているみたいだな、と安心し、その声の主を見ようと体を起こし、目を開いた。
次の瞬間、頭の中に星が散った。簡単に言えば、頭と頭が正面衝突したのである。
やっぱり自分は不幸だ、と思いながら、拓也は痛む頭を押さえながら、星が消えるのを待っていた。
―――
「へー、変わった苗字だな。それに中国なのに名前日本人? あれ?」
「ああ、俺ハーフだから」
廊下を歩く二人組。どちらもアジア系の青年だ。特にこの場所においてはおかしくない姿であった。
……二人とも頭に大きなタンコブを作っている事以外は。
先ほどまで他人だった二人だが、すっかり打ち解けた様子で、仲良さげに廊下を歩いている。
拓也の空腹は、もう一人の青年、俊輝の持っていたおにぎりによって救われたものの、いまだに腹は定期的になっているという状態。
「なあ、とりあえず食堂行かないか?」
「えっ、でも俺金が……」
「いいからいいから」
なんだかんだで俊輝に連れ込まれた食堂で、俊輝はこの場の主導権は俺のものだ! と言わんばかりに勝手に二人分の注文をする。それに対して、少し溜息をつく拓也。
もちろん、払えるだけの金なんて持っていないからである。
食堂はさまざまな人々で溢れていた。
黙々と食べる大柄な男、それに親しげに絡む俗に言うチャラ男風の青年。
どう見てもあなたアジア人ちゃいますよね? という大食い選手権にでも参加しているのかと思うほどに皿を高く積み上げている雪のように白い肌を持った銀髪の小柄な少女と、その横で顔を手で覆っている白衣の男性。
さまざまな人々の喜怒哀楽に満ちたこの場所に、俊輝は故郷を、拓也は中国の商店街を思い浮かべていた。
そもそもなぜ金を持っていないのか。それは、簡単に言ってしまえば、カードを落としてしまったからだ。
再発行しようにも相当な時間がかかるし、拓也はあまり現金を持ち歩かないタイプだった。
そして、理由は色々とあるが頼れる友人もいない。
そんなこんなで、拓也は食事をとる事ができないでいたのだ。
やってきた食事は、二人分のラーメンライス。
中国暮らしの長かった拓也は、ラーメンの隣にご飯が据えられているという光景に首をかしげていた。
「あ、これな、こうやって食べるんだよ!」
言うや否や、いきなりラーメンの中にご飯をぶち込む俊輝。
その光景に、間抜けた顔で口を開ける事しかできない拓也。
だがしかし、この料理はこの食べ方が正しいのだ、と無理やり自分を納得させ、俊輝に倣ってご飯をラーメンに投入し、一口、二口と食べる。
「美味いなこれは……でもアジアの公序良俗的にどうなんだ……」
ぽつんと呟かれた拓也のセリフに、俊輝が噴き出す。
鼻にご飯粒が入ったようで、とてつもなく気持ちが悪そうだ。
「あの……ふがっ、あのな、拓也……」
鼻の奥に物が触れる痛みに涙目になりながらの反論である。
「ご飯ってのは日本の主食なわけよ。で、ラーメンってのは中国料理だろう? つまり二つ合わさったこれ、日中友好ってやつだ!」
俊輝のトンデモ論理にたまらず噴き出す拓也。だが、その顔には笑みが浮かんでいた。
やはり鼻にご飯粒が入った様子で苦しんでいたが。
「ハハッ、いつつっ……なんだそれ……なんか面白いじゃねえか!」
二人して大声で笑い、他の客ににらまれる。だが、それすらも気にならないほどに、なぜだかとても楽しい気分だった。
「はい、ラーメンライス二つで……になります」
そして、運命のお会計。自分は金を持っていない事をいつカミングアウトしようかと迷っていた拓也だったが、それはあっさりと二人分の代金を出した俊輝によってあっさりと解決されてしまった。
「悪い! 今度金入ったら返すから!」
それぞれの自室への帰り道、拓也は俊輝に手を合わせていた。
だが、俊輝はそれが何だ、とばかりに取り合わない。
「あー、気にすんなよー」
「いや、でも……」
それでも迷う拓也。だが。
「拓也、素直に奢らせてくれよ? 友達だろ、俺たち」
俊輝の一言で、拓也は自分の中の暗い部分が少しだけ晴れた、そんな気がした。
そうか、これが友達ってやつか、とおぼろげながらに感じ、だが、その直後に頭を過るものがあり。
「……ああ」
拓也は、ぼんやりとした返事を返した。
――――――
「よく帰ってきたな、俊輝、静香。報告を聞かせてくれ」
ようやく帰還した日本の宇宙艦。そこで二人を待っていたのは、無数のテラフォーマーの残骸を背景に佇む日本班班長、剛大だった。
当然、班長である剛大は班員の編成を知っている。もちろん、拓也が帰ってきていない事もわかっているだろう。だが、そこになんら動揺している様子は無い。
犠牲者が出る任務だと割り切っているのだろうか。それとも、班長も班員を捨て駒程度の存在だと考えているのだろうか。だが、今そんな事はどうでもよかった。
静香を優しく地面に降ろし、俊輝は剛大の目の前まで歩みを進めていき、そして、跪いた。
もちろん、これが私情であることはわかっている。だが。
「頼みます、班長。俺の友達を、あなたの部下を助ける為に、力を貸してください」
諦める事なんて、俊輝にはできなかった。
※どうでもいいおまけ 裏アネックス計画幹部腕相撲大会結果
①欣(中国の人)
②エレオノーラ
③剛大
④ダリウス
⑤ヨーゼフ
⑥エリシア
ボツになった番外編で書いていた原作のおまけ漫画、オフィサー腕相撲裏アネックス版です。
何故かここで明かされる中国のおっさんの名前……
また掘り出す時があったらこの話も番外編として再び作ってみようかと思います。
観覧ありがとうございましたー。