「グッ……ゥ……」
ごぼり、と血の泡を吐き、プラチャオが片膝を地に突く。その目には動揺が走るが、それと同時に戦闘態勢に入りつつもあった。
「ま、待て雅维! 俺達は味方だ!」
『薬』を取り出しながらも、第四班の班員は奇襲を仕掛けてきた少女、雅维が勘違いしていると考え、誤解を解こうと試みる。しかしそれを使用する事は構わず、胸に刺し傷が形成され、どさりと倒れる。
一方の第四班奇襲部隊残存組は、まだ十分に状況を把握できていない。プラチャオが通信して何やら表情が曇ったと思いきや、いきなりその首が裂け大量出血。最初は班の情報を流そうとしたプラチャオの事がやはり許せず仲間割れが生じたのかと思ったが、その後の第四班班員達の姿を見るに、そうではないのだ、という事くらいは伝わっているのが、それだけ。
ただ、それだけと言えど、敵襲だ、という事がわかっていれば。
「総員、変態!」
取るべき方策は、はっきりと決まっている。
指揮官代理の健吾が声を張り上げ、全員が一斉に『薬』を取り出した。
「死角をできる限り潰すんだ! どこからでも……くっ!?」
「なるほど、貴方が隊長さんなんですね……」
指示を出す健吾。その耳に入ってきたのは、わずかではあるが何かが空を切って自分へ向けて振るわれた音。
首を横薙ぎにする軌道である、という事だけは何とかわかったため、姿勢を低くして回避を試みる。
頭上を何かが通過した感覚と共に、何者かの囁くような声が聞こえた。周囲にいる仲間達の誰のものでもない、と即座に判断した健吾は目の前を変態によって形成された大顎で薙ぎ払うが、何かに接触した感触は無し。
「気をつけてください……相手の能力は『カイゾクスズキ』……気配を消す生物です」
プラチャオの言葉で初めて、健吾達は敵の詳細とその能力を知る事となった。
恐らく、裏第四班の班員が、プラチャオが先ほど話した隠密任務の担当が裏切ったのだ。
しかし、気配を消す。それに対し、健吾は正確ではないな、と感じる。
あれは気配を消す、などという言葉で済むような生易しいものではない。
最初にプラチャオが奇襲された時、自分達は通信を行うプラチャオに注目していた。
だと言うのに、誰一人としてプラチャオが攻撃を受けた事、襲撃者の存在に気付く事ができなかった。
自分が相手の攻撃を回避した直後に小さな声が聞こえた、という事は相手はあの時至近距離にいた。つまり、敵は遠距離からではなくプラチャオに接近して変態後に生成される生物の何かか刃物を使って首を切りつけたという事。
完全に、皆の視界から敵の存在そのものが抜け落ちている。原理こそわからないが、高い欺瞞能力だ。
「雅维! 何故なのですか!」
首を押さえ流れ続ける血を止めようとしながらも、プラチャオは虚空に向けて訴えかける。
「ごめんなさい……わたし、本当は四班の皆さんとは違うんです……」
帰ってきたのは、弱弱しげな声。その内容は要領を得ないものであったが、何となくの意味は通じる。
寝返ったわけではない。最初から、別の何かの意思で動いていたのだと。
「……君は誰の命令で動いているのですか」
「プラチャオ君にも言えません……ごめんなさい」
これは時間稼ぎだ。そして、それにわざわざ乗る程度に相手には余裕、もしくは任務を遂行する事に躊躇いがある。
「本当に、僕たちを殺そうというのですか?」
「……はい。それが、あのお方のご意思ならば」
問答の間だけは、いつ襲い来るかわからない急所への一撃の心配をしなくて済む。
声の聞こえる方向こそはっきりしているものの、詳しい場所までは不明瞭だ。
だが、至近距離ではない、それだけでも安心できる要素ではある。
「そうですか……鈴!」
「おうよ!」
突然声を張り上げたプラチャオ。勢いで、首の傷口から血がどくりと溢れる。声に動揺したのか、もう既に二人殺したにも関わらずその出血に動揺したのか、空間が揺らいだ、そのような感覚をその場にいる皆は感じ取った。
プラチャオがその身で隠すようにしていた背後、そこには、変態を終えた鈴。先のテラフォーマーとの戦闘によって酷く折られた腕は変態しただけでは十分に回復せず、翼はまだ痛ましい姿を晒している。
だが、その鈴の一言で、空気が代わる。
「ごめん言い忘れてた、皆耳塞ぎな」
おい待て急すぎんだろふざけんな、という第四班班員と、いきなりなんだという反応の第四班襲撃組。
しかし、そうは言うものの耳を塞ぐ暇など与えず、鈴は口を開け。
「はい、バレバレだよ。そういう所がアンタは甘ちゃんなんだ」
その口を開けた動作に意味は無く不意に右を向き、鳥類の翼、その発達した筋肉で正面の何もない場所を殴り付ける。
直後、そこに居並ぶ面々は目を疑う事となった。いきなり鈴が殴り付けた視界に、突然人間が瞬間移動でもしてきたかのように映りこんだのだから。
大振りなナイフを持った、その顔にはガスマスクを装着した人間だ。
左腕を胴を守るように構え、鈴の攻撃はそれで防いだ様子。しかし。
「アタシのこれが弱点だから、単純な動きで狙いに来れば、簡単なもんだ」
「……今ですっ!」
その場を離脱しようと身を翻した瞬間、プラチャオの廻し蹴りがその顔を捉えた。正確には、その顔を覆っているガスマスクを。
『ヒクイドリ』の脚力による一撃に耐えられるわけもなく、そのガスマスクは引き剥がされ、吹き飛ばされた。
鈴の正面にはプラチャオが。背後に回っている時間は無い。ならば、攻撃が来る方向は必然的に左右のどちらか。半分運であったが、二分の一であらかじめ攻撃する方向を決めておき、ほんのかすかな気配から、それを確信に変えて殴打したのだ。運試しではあるが、結果として素早くカウンターの一撃を決める事に成功した。
「雅维……アンタ……」
「成程、だからガスマスク、か」
その素顔を見て、同じ班員であった鈴とプラチャオ達は悲痛な表情をしながらも納得し、襲撃組は驚愕に顔を歪ませる。
「ふふ……気持ち悪い、ですよね」
ぱっと映える美しさ、という訳ではない。だが、素朴に可愛らしい、といった趣の顔。
……変態前はそうであった事が伺えるその顔は、魚のものと半分以上一体化しているような状態となっていた。
「私の能力、試作の不完全なものなんですよ……だから、こうするしかないんです」
「やけに薬の携帯数が多いと思ったら……」
プラチャオの声は重い。その、他の生物と融合しているかのような顔。それは、過剰摂取をした際のそれであった。
『カイゾクスズキ』の能力は生物界でもかなり特異な存在である。化学物質による、自身の存在の欺瞞。まるで、そこに何も存在していないかのように餌となる生物を欺く、高度な擬態。
人間にそれを移植したとしても、十分に能力を使いこなせるか、と言われれば微妙な所だ。カイゾクスズキが欺く餌となる昆虫やカエルといった生物。それよりも局所的には劣るものの、その分様々な感覚器官をある程度まで発達させた人間に対して高度なステルス能力を発揮するには、元となるカイゾクスズキの能力をさらに高める必要がある。
それを可能とするのは、より高い生物との親和性が得られるαMO手術か、もしくは、過剰摂取。
雅维が持つカイゾクスズキの能力はそこまで高くなかった。それは、プラチャオ達が地球で行った戦闘訓練の一つ、『薬』が十分な量得られない状態での戦闘、という機会に彼らは知っていた。
何だか影が薄くなる、薬を控えめにした時に発現したのは、その程度の能力でしかなかった。
それ以外の戦闘でも通常量の投薬であれば、気配は消す事ができた。しかし、視界に入っていればはっきりと認識できないものの、そこに人型の何かがいる、くらいの感覚で存在がわかった。
雅维が今の戦闘のようなまるで存在しないかのような隠密能力を発揮できていたのは、ガスマスクを付けてからの事だった。
どういう原理なのか、と組手の相手をしていたプラチャオ、必死に目を凝らして何とか見つけてやる、と躍起になっていた鈴と拓也。その三人に雅维が語った理由は、「ガスマスクで印象が薄れるからその分能力が有効に働く」だった。
成程、とその時はプラチャオは思った。しかし、時間が経つにつれておかしい、と思い始めていたのだ。
そもそも、特別何かの特徴があるわけでもない一人の少女の印象というのはガスマスクという奇怪な見た目のものよりも濃いのか、と。
答えは、目の前のこれであった。過剰摂取による最大限の強化。過剰摂取を行い魚と融合しているかのようなこの顔であれば、確かにガスマスクの方が印象は薄いだろう。そして、個人的な理由としてその顔を仲間に見られたくなかった、というものもあるのかもしれない。
「おかしいですよね、こんなの……でも、しょうがないじゃないですか」
自嘲気味に雅维は笑い、プラチャオの追撃を手足を用いた体術で捌く。
その、正に死んだ魚のような、という瞳には、暗く沈んだ感情だけが映る。
敵は姿を現している。今なら、総員でかかれば抑え込める。その機会のはずなのだが。
そこに居並ぶ皆は、迂闊に動けないでいた。
プラチャオと雅维、ムエタイと中国武術のように見えるがそれとは少し違う出所不明の謎の体術。その攻防戦に手出ししてしまえば、今戦っているプラチャオのペースが崩れて不意の一撃を受けてしまいかねない、と考えたからだ。
「私が失敗作でも変なあの方は切り捨てないでくれますし! お姉ちゃんはバカですけど優しいですし! 頑張りたいんですよ! 寿命がどんどん縮んでるって知ってても……何とでも言ってください!」
「それがおかしい訳ないだろうが!」
戦いの空気で興奮しているのか、血を吐くような叫び。それをプラチャオもまた、大声で叫び返す。こちらは本当に口から首から血を流し、その苦痛に耐えながら。
「っ……何も知らない癖に……もういいです……」
怪我により弱ったプラチャオの一瞬の隙を突き、雅维は後退し再びその気配を消す。プラチャオから離れた、とまだ戦いの傷が浅いダニエルが突進を仕掛けようとしたが、すぐに雅维の存在はかき消えてしまい、位置が掴めずに失敗。
過剰摂取によって変態が進み手術ベースと近くなっているその顔、それの強い印象により、カイゾクスズキの能力の視覚への影響力は多少は下がっている。だが、満身創痍の皆からすればそれでも知覚するのは難しい状況だ。
「……」
そんな、再び振り出しに戻ってしまったか、という空気で、プラチャオのジェスチャーにより立ち上がった人間が一人。
「オイ、まさか」
それは、みんなごめんな! と良い笑顔で親指を立てる鈴であった。
「キエェーーー!」
直後周囲に響き渡る、お若いレディが出していいようなものではない、と軽く言うにはあまりに大きな、鳴き声と呼ぶのが正確な爆音。
その音量に居並ぶ皆は思わず耳を塞いでしまう。
大音量であるが、『一位』のような物理的破壊には程遠い、それそのものはタダの騒音でしかないそれは。
「いやー、夜間のこっそり輸送が多かったからこっちの能力はあんま訓練してなかったけど、訳に立つもんだな」
数メートル先の一点を軽く指差し、笑う鈴。
そこに迷わずプラチャオは突撃し、そこにいる見えない存在を捕え、地面に抑え込む。
鳥類はその多くが昼間に活動する。それは、一般的に呼ばれる鳥目、という迷信ではなく、単に夜より昼の方が見通しが効き、危機回避や獲物の発見に有利だからである。
しかし、夜に活動する鳥も確かに存在する。最も有名なのは、フクロウ。夜の闇をものともしない視力と高い聴力を持つ彼らは、夜間活動に適応しているのだ。
彼女、鈴の手術ベース『アブラヨタカ』も、フクロウと同じ夜行性の鳥である。
昼は羽を休め、夜に餌を求めて飛行する。
しかし、決定的な差異が、一つ。
それは、暗闇での探知の手段。彼らは、光の射さない洞窟の中に居を構えている。突き出た岩、同族、視覚に頼れない環境で、どのようにそれを回避するのか。それは。
『エコロケーション』。コウモリと同じく、音波の反響による探知能力。
超音波を用いるコウモリとは違い、人間の可聴域の音を用いるそれはけたたましく、隠密性に欠けるが。
猛禽類のそれとはまた違うが洞窟内の多数の障害物を難なく回避する高い運動能力と、その身とは裏腹に果実を食らう食性から、それに問題は無い。
たとえ化学物質による欺瞞を行っていても、物質的な存在として在る以上、その位置情報を把握する事はできるのである。
「……気を失ってる、か……っ……」
「ま、取りあえずは……っておいプラチャオ!?」
気絶して取り押さえられた雅维を抱き上げようとしたプラチャオ。しかし、酷い出血による目眩か、ふらりと倒れこんでしまう。
慌てて駆け寄る鈴と班員、襲撃組。
ひとまずの脅威は排除できた。しかし、基地の状態は不明なまま。
どうしたものか、と考え込む健吾。
[……ザザ……聞こえるか……]
そんな健吾の耳に入ってくるのは、突然の音。
それは、健吾の隊服のポケットに入っていた通信機であった。
第四班襲撃時には強力な通信設備を持っているであろう敵の事を考え、無線封鎖を行っていたのだ。
だが、今の脱出時にはそれも関係無い。しかし、こちらと通信できるという事は、まだ基地が生きているのか、と健吾は通信機を取り出し、耳に当てる。
「はい、こちらアネックス支援計画部隊第二班」
この無線の相手が、何者であるのかはまだわからない。だから、あまり詳しい情報を語る事は避けた方がいいだろう、と最低限の情報のみを伝える健吾。
[その声、健吾か]
そこで通信が安定したのか、はっきりとした声が届く。その声を聞き、健吾は。
「班長!?」
何だ何だ、という周りの目もある中で、思わず大声をあげてしまった。
―――――――
――第二班宇宙艦
「へぇ……第四班の班長がねぇ」
足で球状の機械、脱出ポッドを弄びながら、エレオノーラは俊輝と静香の話を楽し気に聞いていた。
何を考えているのかわからない、と俊輝はエレオノーラに対し油断する事なく、言葉と情報を選んで会話を進めていた。
裏第四班と交戦し、班長の正体がこちら側の隊員であった事。戦闘中にテラフォーマーの襲撃に遭い、一時的に手を組む形で皆はその場を離れたが、自分達は色々とあってはぐれた、という事。
それらを聞き、エレオノーラは表情を変える事はなかった。
「……何かが気になるのかしら?」
わざとらしくエレオノーラは二人に問う。
「その脱出ポッドは……」
「ああ、この宇宙艦の備品よ。これ一つだけ、何とか無事だったみたいね」
各国の宇宙艦には、それぞれ脱出ポッドが3つ備え付けられている。重量の問題があるため、小型のものが。
これがあれば、この火星から脱出する事が可能だ。しかし。
「制限重量135㎏、だそうよ? しょっぱい数字ですこと」
薄暗い光を瞳の奥に湛え、エレオノーラは足で脱出ポッドをつつく。
それを聞き、俊輝と静香の表情は、暗く沈む。
「ま、そういうワケだから、お二人には別の宇宙艦を探してもらおうかしら」
まるで当然であるかのように言い、ポッドの入口を開くエレオノーラ。
わかっているのだ、二人が、自身に抵抗などできようもない事を。
135㎏。何という、不幸な、悪意に満ちた神の悪戯だろうか。80㎏前後の俊輝と、50㎏無いくらいの静香。二人ならば、ちゃんと乗る事ができる。だが、エレオノーラの体重は110㎏。手足は年のせいもあり細いが、それでも各所に付いた筋肉と何よりもそのやたらと高い身長による重量。彼女より3cm身長の高いアネックス計画第四班班長、劉の体重が99㎏である事を考えると、何やら恐ろしいものがあるような気もするが、とにかく重たい。
「……っ」
エレオノーラと静香の組み合わせでも、制限重量はオーバーしてしまう。つまりそれは、俊輝にとって次善の選択さえも取る事はできない、という事。
「第六班の班長さん……頼みが、ある」
「何かしら?」
宇宙艦が破壊されている、というのが何故なのか、それは俊輝達にもわからない事であった。
第二班が他と合流するために艦を離れた時には、もちろんそんな事はしていないからだ。
したのは情報の消去のみ。この星からの脱出手段をわざわざ潰すようなマネはするはずもない。
何かの意思が、蠢いている。
だが、今はそれを考えても仕方の無い事。
ここで争う意味は、無い。
……無い、はずだった。
俊輝は一歩前に出る。静香も、それに合わせて、震えながらも。
「そこを退いてくれ……俺は、俺達は、帰らなきゃいけないんだ!」
俊輝の脳裏に浮かぶのは、笑顔で自分を送り出してくれた、友の顔。
見捨ててしまった、と考えていた。今でも、その考えは変わらない。
だが。
拓也は、生きろ、と自分と静香に言ったのだ。
それを、阻まれるならば。
たとえ、相手が同じ地球の為に戦った、計画の参加者、その頂点に立つ一人だとしても。
それが、味方の指揮官に牙を剥いた裏切り者と後ろ指を差される事になったとしても。
その全てが、無意味なものであったのだとしても。
「人間の誇り、などと偉そうな事を言うつもりも無い……悲劇の主人公ぶるつもりも無い……」
「ふ……うふふふふ……! いいわぁ……その顔……久しぶりに……燃えちゃうわねぇ!」
上品な仕草の中に、ケタケタという狂気に取りつかれたような笑い声を上げながら、エレオノーラは脱出ポッドから一歩離れる。
その腰を突き破り姿を見せるのは、四本の触手と二本の触碗。その左腕は、黒く変色していく。
それに相対するのは、腕から生えた牙と、背から生えた羽を構える一組の男女。
同族同士の食らい合い、不毛な殺し合いである事など、承知の上。
「ただの生物として、生を勝ち取ってやる……!」
それは、あまりにも普遍的で、当然の行為。
ただの、生存競争、と呼べるものであった。
観覧ありがとうございました。
あまりに主人公らしくない、そんな主人公ですが、どうか見守っていただければ、と思います。
作者に時間ができたため後2話くらいは早めに投稿ができそうです。
観覧、ありがとうございました!