深緑の火星の物語   作:子無しししゃも

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第54話です。第一部の最終章、その内の1パートであります。


第54話 善と悪の彼岸にて

 左腕を折られた。動かそうと思えば動かせるが、それが戦闘の役に立つか、と言われれば微妙なところで、フェイントくらいにしか使えないし、恐らく相手はそのようなものに引っかかりはしないだろう。

 

 

 そう考え、俊輝は再度の攻撃を試みる。

 残った右腕を潰されてしまえば、相手への有効打は完全に無くなる。

 

「さあ、どうするのかしら」

 

 エレオノーラはその向かってくる俊輝を見て、特に構える事もしない。

 お互いの距離は、先ほどの攻防があった事もあり近い。俊輝が一歩二歩と踏み込めば両者の腕が相手の体に届く所まで近づく。

 

 触手が防衛にやってこない。敵の意図は掴めなかったが、俊輝は好機だと考え、迷いなく踏み込む。

 

 右腕を振るい、狙うはエレオノーラの心臓。傷がまだ完全には塞がっていない首は、警戒されているだろう。ならば、正々堂々と胴体を狙うのみ。

 再生能力を持つ相手と言えど、臓器を再生しようと思えば大きな負担がかかるのは必然。

 

 本当ならば狙うべきは能力制御の中枢、α(アルファ)M(モザイク)O(オーガン)。これが機能を失えば、αMO手術被術者は変態が制御できなくなり全身のベース生物の因子が暴走、仮にそうならなくても、ベース生物の因子に食われた人体部分はそのまま衰弱し、どちらにせよ死に至る。

 

 だが、エレオノーラのαMOの位置を俊輝は知らない。自分のMOの位置は訓練の際に特に守るべき重要な臓器だ、という事で教わっていたが、エレオノーラの、昆虫型とは大きく異なる軟体動物型のものが果たして同じ位置にあるのか、という事は定かではない。

 

 臓物を狙った一撃。それを敢行するならば、心臓かMOを外すわけにはいかない。さらには、できる限り浅く、かつ目標の臓器を再生できない程に破壊する必要がある。

 それは、敵の体に深く刃を食い込ませる事、それは逆に、大きな隙を晒す事を意味するからである。

 

 特に、一瞬で絶命する事が望めないタフネスを誇るエレオノーラが相手であれば、例え心臓やαMOを破壊しても刃を体から引き抜いて離脱する、それに手間取っている隙に反撃で首を刎ねられる、触手で拘束され全身の骨肉を砕かれる末路を辿る事は想像に容易い。

 

「オラァ!」

 

 荒い声と共に、俊輝はエレオノーラが迎撃に繰り出したフンボルトイカの嘴が発現している左腕を膝で蹴り上げる。

 同時に、背後から怒涛の如く襲い来る四本の触手を視界の端に映るエレオノーラの腰から伸びる触手の根本側の部分の動きから認識し、この速度なら間に合う、と俊輝はエレオノーラの左胸に向けて、その刃を繰り出し。

 

 

 ガギン、という音が響いた。

 

 

「ざぁんねん♪」

「――ッ!?」

 

 

 その刃は、エレオノーラの左胸に突き立った。道筋も完璧で、肋骨と肋骨の隙間を最小限刃が潜り抜けられる程度に肋骨の端を砕き、最低限の運動エネルギーを失っただけで、心臓にその一撃を加えた。はずだった。

 

 しかし、突如としてエレオノーラの体内に、黒い影が浮かび上がったのだ。心臓を含む、胸から腹にかけて現れた謎の影。肋骨の内部に滑りこんだ俊輝の刃は、そこで何か硬質の物体に接触し、勢いを失った。

 

 

 それと同時に、俊輝はエレオノーラの体内、右胸からその黒い影を透かすようにしてその奥から鈍い赤の光が漏れ出ているのを見た。

 

 何が起こったのかはわからない。攻撃は失敗し、背後からは触手が迫る。それが、目の前の現実だ。

 

 

「……使いたく、なかった」

 

 絶体絶命。が、俊輝は背後の触手を見る事は無く、その懐から、あるものを取り出す。

 

 そして。

 

「――あら?」

 

 エレオノーラは、硬質化していない右腕を俊輝の首に向かって伸ばしていた。

 が、今の弱っている状態のエレオノーラでも十分に間に合ったはずのその腕は、突如として動かなくなった。

 

 その腕によって、わずかであるが己の視界の一部が塞がっていた事。

 

 それが、例え彼の専用装備、カミキリの鉤爪を強化する金属の籠手を装備していたとしても、折れていて致命傷など望む事もできないであろう、という油断。

 

 俊輝の両腕の刃に微小な黄色い粉が擦りつけられていた事に気付かなかった不注意。

 

 本来ならばそれらの脅威を察知できるはずの、極まった危機予測能力が度重なる戦いによる傷と疲弊によって上手く働いていなかった事。

 

 その傷を無視して無理矢理戦闘を継続するための技能、脳内麻薬の人為的な分泌による痛覚麻痺によって、その痛みがエレオノーラの脳に認識されなかった事。

 

 

 いくつもの偶然と必然が重なったこの状況で。

 

 

 エレオノーラの腹と下腹部の間、黒の影が体内を覆っていない区画に、一本の楔が突き刺さっていた。

 

 

「持って帰りたかったんだけど……な」

 

 

 それは、俊輝が拓也との戦闘で拾った、余りだった。

 

 そして、俊輝が唯一持つ、彼の形見でもあった。

 

 

 何かが腹に刺さった。痛みを感じずとも、それに続く異物感によって何かをされた事に気付いたエレオノーラは、右腕を無理やりに動かしてそれを排除しようとする。

 

 

「おお……おおぉ……!」

 

 俊輝はその楔の後端、エレオノーラの体内に突き立ったそれのわずかに露出している部分を、専用装備によって加えられる力で握りつぶした。

 

 本来ならば電気信管で作用するそれが無理やり作動し、エレオノーラの体内で爆裂する。

 それは軽いものであったが、内臓の一部が損傷し、衝撃でエレオノーラは後退する。

 

 その隙を逃さず、俊輝は追撃……ではなく、制御を一瞬失った触手を振り払い、その射程から離脱する。

 しかしそこまで動いて限界が来たのか、地に片膝を突く。

 

 

「ああ……ア゛ア゛……随分と……やってくれるのねぇ……」

 

 

 俊輝が離脱した瞬間、その触手の全てが俊輝が一瞬前に存在していた地点に殺到する。

 逃した、という事を理解し再び触手が本体へと引きもどされ、触手によって俊輝からは姿が見えづらくなっていたエレオノーラの姿がはっきりと浮かび上がる。

 

 

 その腹は無残にも爆発によって裂け、焼け焦げた腸がその一部を晒している。

 心臓やαMOといった器官は体内の黒い影に守られているのか損傷した様子は無いが、それでも重傷といえる状態。再生こそ始まっているが、あまり速くはない。

 

 

「ふふふ……ほほほほほ!」

 

 だが、その目に宿る闘争心と狂気は消えず。むしろさらに昂った様子でエレオノーラはその触手と両腕、その全てを俊輝へと向けて駆ける。

 

 

「悪い……静香」

 

 目の前に迫る触手と魔物。精根尽き果てた、という俊輝が口にしたのは、謝罪だった。

 

 

「ううん……一緒に帰ろう、って言ったから」

 

 エレオノーラの触手と両腕が標的を捕え、その力を遺憾なく発揮する。

 計六本の触手と触腕は巻き付き、その両腕は怪力によって容赦無く標的を砕く。

 

 

 しかし、それが振るわれたのは、俊輝ではなく。

 突然彼の前に飛び出してその盾となった、静香の翼だった。

 

 

――――――

「なあ俊輝、例えばの話だ」

 

 俺が外で黄昏ていると、拓也が声をかけてきた。

 出発を目前に控えた日の夜事だっただろうか。

 

 正直、旅立つのが怖かった。

 覚悟は決めたはずだ。金を稼いで、己の夢、こんな粗暴な人間には似合わないかもしれないけど、物理学者を目指して大学に入る。それも、例の連中が追ってこられないであろう、海外に渡って。

 その為に、成功確率36%の手術を潜り抜けた。苛酷な戦闘訓練を繰り広げてきた。

 

 でも、今更になって恐怖を覚えるようになってしまった。

 火星で命を落とす、故郷どころか同じ星ですらない場所で生を終える、それがたまらなく恐ろしく思えてきた。

 

「俺と静香、お前が死にそうになった時、誰を優先する」

 

 何て質問をしやがるんだコイツは。と思ったが、よくよく考えてみれば。

 自分と友達と、えーっと……えーっと……うん、もしそうなったら優先順位をどうするか、か。

 

 確かに、実際にそうなる事もあるかもな、と取りあえず適当に返事をしてみた。

 

「まず俺かな! 次に静香! そして拓也は放置だ!」

「泣きたい」

 

 なんだかショックを受けている様子の拓也に、俺は笑いかけ、冗談だよ、と笑ったんだ。

 ……それから、真面目に考えて、答えたんだったっけ。

 

「そうだな、俺は死にたくない死にたくない、って最後まで泣き喚いて、でも結局お前と静香逃がして死ぬと思う……たぶん、味方を蹴落としても、だ」

「……そっか、わかった」

 

 自分は善人か、と言われたら、基本的にはそうだろう、と答える。でも、大切な人を守る為に罪の無い人を殺せるか? と聞かれたら、俺はきっと躊躇い無く首を縦に振るだろう。嫌だ嫌だ言いながら、結局自分含めた全てを切り捨ててでも大切な人を優先するだろう。死の間際に後悔するかもしれないけど。……善人じゃねえなこれ。

 

 俺の答えを聞いて、寂しげな表情をして、拓也はそのままどこかに行ってしまった。

 俺が、あそこで、別の答えを言っていたら、別の未来があったのだろうか。

 答えは、考えても出てこなかった。

――――――

 

「しまっ……」

 

 そこで初めて、エレオノーラの顔に動揺の表情が浮かぶ。触手の動きを止め、手を引き戻そうとするが、時既に遅し。

 その触手は捉えた静香の左の翼を握り潰し、両腕による一撃もまた同じく、静香の左翼を骨ごと砕き折る。

 

 

 

 『ズグロモリモズ』は攻撃的に毒を用いる生物ではない。そのため、MO手術のベース生物として戦闘で有効活用するには専用装備による補助が必要となる。

 

 

 その毒が含まれるのは、羽毛と筋肉。捕食者に襲われて初めて発揮されるその毒、『ホモバトラコトキシン』は。

 

 毒矢の材料として使用される程の強烈な痺れを症状として持っている。

 

 

「……! ……!」

 

 左の翼、即ち変態前の左腕にあたる部位を原型を留めないまでに折り曲げられた激痛。それに苦痛の涙を流しながらも、静香はエレオノーラを睨む。

 

 

 一方の捕食者は。その触手は麻痺によって小刻みに痙攣するだけでその動きを止め、両腕も同じ状態となっている。

 触手には先ほど俊輝が付けた切り傷が。そこから毒が浸透し、体にまで達すれば。

 

 

「……私達の、勝ちです」

 

「何と……何という……」

 

 ボトボト、という音と共に、エレオノーラの触手と触腕が根本から切り離され、地面に落ちる。

 自切。本来ならばイカはその能力を持たないが、MO能力でタコとイカのハイブリッドであるエレオノーラならば、それも可能。

 

 体への毒の周りは、これで遅らせられる。エレオノーラは、伏せる静香に向かって、その左脚を振り上げ。

 

 

「……させねぇよ」

 

 だが、その脚はエレオノーラの意思ではなく、重力によって地面に落ちる事となった。エレオノーラの体から切り離されるという形で。

 

 血を吐きながら、俊輝が起き上がる。

 

 

 ぎちぎちぎち。歯ぎしりなのか、また別の音なのか。あらゆる感情がない交ぜになった笑みを浮かべ、エレオノーラは口を開き、それを閉じる。

 

 歯に仕込んだ、体内の『薬』を使用する機械を起動するためのスイッチ。

 再び触手を生成し、それで仕留める。今の体であれば一本二本が限界かもしれないが、死にぞこない二人を殺すのであれば、それだけで十分だ。

 

 ……触手は、生成されなかった。それどころか、他の変態箇所さえも発現せず、切断された右脚の再生すら始まらない。

 

「……コンピューターお婆ちゃん、ってかっこいいけどよ」

 

 まさか。エレオノーラは、再生が終わらず、爆発によって無残に抉られた己の腹を見た。

 その傷の、一部。破れた、腸。

 

「ハイテクに頼りすぎるのもアレだよな」

 

 そこには、損傷してもはや機能を果たさない、薬を体内に散布する装置の残骸。

 軟体動物型の薬。それは、腸内吸収。基本的に未来型の座薬によってなされるそれである事を、俊輝は知識として知っていた。

 エレオノーラは、戦闘前に変態する際に座薬など使っている様子は無かった。αMO手術による薬未使用時の変態を用いれば触手は生成できるが、薬使用時とくらべ大幅に劣るその変態で、しかも傷だらけの状態で立派な長さの触手と触腕が本来の数形成されるのは、不自然だ。

 ならば考えられるのは、腸内に仕込んだ何かによる直接摂取。

 それさえ、破壊できれば。

 

 

 

「ふふ……してやられた、という訳ね」

 

 毒により触手を全て破棄する事を強制させられ。腹に大きな傷を受け、変態を封じられ。

 

 

「聞かせて、くれないかしら。貴方、そうまでして死にたくないの? 大切な彼女さんを盾にしてまで?」

 

 

 最後に聞いておきたい、とエレオノーラは口に溜まった血を地面に吐き、俊輝に問いかける。

 

 

「コイツを死なせたくは無い……その為なら俺は別に……と思ったさ……でも、俺も死んじゃいけないんだ……」

「二人で一緒に生き残るって……そう決めたんです! そこを通してください!」

 

 俊輝と静香が同時に言い、エレオノーラはその答えに目を細める。

 

 一歩前に出るエレオノーラ。静香を守るように、俊輝はエレオノーラと相対した。

 

 

「そう……それも一つの答えなのかもね……じゃあ、死になさいな!」

「アイツに託されたんだ、俺の命もこんな所で捨てられるか!」

 

 動かないはずの左腕。既に変態が解け人間のものに戻ったそれを振りかざし、エレオノーラは一瞬で間合いを詰め、俊輝の目を突くようにそれを繰り出す。同時に俊輝も、エレオノーラに向けてその右腕を繰り出す。

 

 ずぶりという生々しい音と共に、俊輝の左目に、それは突き刺さる。エレオノーラの人外じみた腕力、それはそこで止まる事なく、頭蓋まで……

 

「……ああ……全く、気に入らないわねぇ……」

 

 達するその刹那、エレオノーラの右眼に深々と突き刺さった俊輝の刃。それを受け、エレオノーラは崩れ落ちる。

 

 

 

「行こう、静香」

「……うん」

 

 その、もはや数歩歩くのがやっとという体を引きずり、俊輝と静香は脱出ポッドへと足を踏み入れる。

 簡易なボタン操作。それさえ行うのがやっと、という体で、二人はその中に倒れこむ。

 

 ハッチが閉まり、空へと飛び立っていく脱出ポッド。

 

 

 王子様とお姫様が結ばれるハッピーエンドなどでは勿論なければ、主人公の死で終えるバッドエンドというわけでもない。

 アネックス計画の支援、つまりは『裏切り者』の足止めという任務を命懸けでこなし、最終的には己が自分と守りたいものの為に他国のリーダーを打ち倒すという、正義などというものではなく己自身が『裏切り者』の汚名を背負い、何かを得るわけでもなく何もかもがこぼれ落ち失われていく中で少しだけを掬い取り、ただ生き残れた一人の青年の、それだけの物語。

 

 

 

 その物語の第一章は、こうして幕を閉じたのだった。

―――――――

 

「全くやれやれ……最近の若い子は本当に……」

 

 この陰謀と野望渦巻く星から脱出する第一号を霞む視界で眺めながら、エレオノーラは地面に倒れこんでいた。

 片目片足を失い、臓物がはみ出るような傷を負ったまま再生はままならない状態。このまま栄養補給をしなければ、近いうちに死に至るだろう。

 

 自身を打ち破った少年。

 

 死にたくない、という、自分と同じ願いを抱えてここまで来て、自分に戦いを挑んできた。

 それが、『裏切り者』という不名誉な称号を被る事を知った上で。

 

 ならば、彼は悪人だったのか、善人であれば誇り高い死を選ぶ事が正解だったのか、そう思うと、エレオノーラは答えを返す事ができない。

 

 彼は、守りたい人がいると言っていた。その上で、自分も死にたくないのだと。

 成程、彼は大切な人のみならず他人皆を守り抜くヒーローでもなければ、己だけ生き残ればそれでいい、他者は全て踏みつぶすモノだ、という悪人でもなく。

 

 何とも中途半端ね、と血の混じった笑いを浮かべ、エレオノーラは段々と小さくなっていく脱出ポッドをもう一度見つめる。

 

 

「でも」

 

 

 ただ、共に生きたいと思う人間もこの人の為なら命を捨てられる、という人間もおらず、ただ一人で死にたくない、と戦い続け人間という生物を外れる段階まで来てしまった、それどころか自身の命でさえどうでもいい、という結論に至った自分の人生を思い返し。

 

 そして何より、自らが誇っていた戦いの技能で敗れた事を思い。

 

 

「ちょっとだけ、悔しいわねぇ……」

 

 

 間近に迫るテラフォーマーの大群、その足音を聞きながら、エレオノーラは一つ、溜息を付いた。

 

 




観覧ありがとうございました。

善人とも悪人ともはっきりしない凄く中途半端な主人公の物語は一旦ここで終わり、次回から火星の他の戦線の脱出編となってきます。

~おまけ~

ヨーゼフ「軟体動物型の薬は最初は座薬だったんだが、最終的には利便性の問題から体内内蔵の装置をスイッチで起動する形になってね、中国では既に実用化されていたようだが」

エレオノーラ「で、博士はどうして水ぶくれだらけになっているのかしら」

ヨーゼフ「エリシア君が座薬を入れるのにとても難儀している記録映像を装置制作予算獲得の説得材料としてU―NASAに提出した事を本人に伝えたらこうなった」
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