「ゴブリンだ!ゴブリンの群れだーー!!」
やめろ。
「GOBGOB!!」
やめてくれ。
「痛い痛い!ヤダヤダやめてえぇぇーーっ!!」
煩い。
「くるな!嫌だ死にたくなっ」
聞きたくない。
「くそっ、何だこの数はーーぐはっ!!」
やめろ。俺に
地獄のような光景だった。
愛する家族、隣人、伴侶のそのどれかを喪い、恐怖する只人達の悲鳴と、それを愉しむ薄汚い欲望を多段に含んだ小鬼の笑い声が渦巻き、平和だった村は一瞬にして崩壊する。
無警戒な夜間の警備は草むらから奇襲され殺された。寝静まった者は抵抗する間もなく始末され、悲鳴で起きた者も闇に乗じて餌食にされる。
女なら‥‥語るまでもない。
闇に潜み襲撃してきたゴブリンを前に、自衛手段を持たない彼らはただ蹂躙される。
選択から逃げ続けた彼は、ただ流されるままに狂乱に飲まれていた。
右をみても左をみても見たくないものばかり。夜目のきくゴブリンには余すところなく悲劇の全てが見えてしまう。
どうしてこうなった?
そう意味のない問いを繰り返し、ふらふらと人の村を闊歩する。
その様は幽鬼のように生気がなく、蹂躙される村人からは恐怖の眼が向けられる。それが堪らなく苦しい。頭の奥が鈍く痛む。
ゴブリンとなって初めて生きたまま人間の村に入ったが、それがこんな状況になるとは考えたくなかった。
宴に夢中な仲間も、襲われる人間にも誰にも相手にされていない。
そんな俺がなぜこの場にいるのだろうか、ふとそんな考えが浮かんできた。
そうだ。俺は
奪って犯して壊す。当然の事だ。何だ、何も難しいことではない!
ふと鼻腔をくすぐる甘い香りに気がついた。女だ!女がいる!それも複数!
疲れきった人間の心には浮上する小鬼のそれに抗う気力はもはや無い。
彼は沸き上がってくる本能に身の任せるままに彼は民家に突撃した。
匂いの元はどうやら家に立てこもっているらしく、仲間たちが怒声を上げて扉を破ろうと四苦八苦していた。
なるほど、貧弱な
「GOBGOB!!(邪魔だどけ!)」
愚鈍な連中を強引に押し退けると、
ほうら、簡単だ。やっぱり俺はコイツらより優れてるんだ。
そんな優越感と高ぶる情欲にぎらつく目が捉えたのは、姉妹だろうか、三人の少女だった。
どの娘も器量がいいし、まだ手をつけられてない獲物だ。
もはや小鬼そのものと堕ちた彼は、あれほど嫌悪していた行為を率先して行おうとした。
「ここは私が何とかするから、二人は早く逃げるのよ!」
その光景を見るまでは。
金髪
怖いのだろう、自分よりも巨大な怪物を前にして、震えながらも必死で自分より弱いものを守るその姿は、ゴブリンには決して存在しない感情で、そして彼はそれをとても尊いものに感じた。
呑まれかけた彼の脳裏に理性が戻る。
(‥‥えっ、おれ、何をしてーー)
呆然自失とはこの事か。
我に帰った彼は先程までの自分自身がとてつもなく恐ろしくなった。
しかし、立ち尽くす間も時は止まってくれない。
自分の
それでも大切な者のためか、気丈にも此方を睨み抵抗する長女だったが、別のゴブリンに引き倒された。
「お姉ちゃん!!」
妹たちの悲鳴など無視し、笑うゴブリンたちに力任せにひんむかれる長女は、それでも二人に必死に話しかける。
「私はいいから‥‥早く逃げて‥‥ッ!」
胸の底から凄まじい激情が溢れてきた。
怒りもそうだが、美しいものに泥を塗るような
自分を取り巻く全てが不愉快で不条理で不本意そのものだ。
なぜ、俺がこんなに苦しんでいるのにこの屑どもは楽しんでいる?
なぜ、この娘の献身に感じ入らないんだ!
奴等の欲望のままに突き動く姿勢は、己の感じている葛藤や苦悩とは程遠い。
身を任せれば、確かに楽だった。
しかし俺はそうできない。してはいけない。
魂に根付いた
なるほど、確かに衝動のままに解き放てばさぞ愉しいのだろう。
えもしれぬ快感なのだろう。
もし俺がそれに堕ちたら、それこそ俺という個人は転生を経ても完全に死ぬ。
ただの凡庸な
ーーそれは、絶対に嫌だ。もしかしたら、死ぬことよりも。
そうだ、思ったじゃないか。"死んでやる"って。
生きようが死のうが俺には
床にある鍬を持ち上げ、いざ女を貫かんとしていた屑の無防備な頭に突き立てる。
熟れた果実のように容易く炸裂した頭部の感触は何と心地よいことか!
人らしからぬ暗い情欲に酔いしれると、先走った奴が殺されて、それでも連中は愉快そうに嗤っていた。
『馬鹿め、俺よりも先に味見しようとするからだ。いい気味だな』なんてとことん自分中心の嗜好で。
それも自分たちの番が回ってくるまでだ。
転生者が先にやるつもりだとでも思っていたのか、まだ長女を無防備に床に押さえ込んでいた奴等を同じように始末する。
フルスイングの要領で振り抜かれた鍬が深く体にめり込み、血飛沫をあげる。
「GOB!!?GOB!!!」
「GOBGOB!!!」
「GOBGOB!!?」
いきなりの凶行にわめきたてるが、その声に殺された仲間への追悼の意はない。ただ困惑とお楽しみを邪魔された怒りだけだ。
自分と違って実にゴブリンらしいその姿勢に、嫉妬と怒りが更に上昇する。
(こいつらは、美しくない)
側の奴の首を力任せに引っこ抜いた。
(こいつらは、悪い奴等だ)
間合いに入ってきた奴は踏み潰した。
(悪役なら、殺しても構わない)
短剣で飛びかかってきた奴を逆に捕まえて、盾にしてやった。
小鬼転生者は衝動のままに殺し続ける。ある意味最も小鬼らしい感情のままに、己のそうしたいという考えに任せる。
全身に力がみなぎる。ああ、したいことをするというのは何とも素晴らしい。
殺戮に興じていると、まぬけ面を晒す仲間たちも、眼前の暴力に恐怖する娘たちも全てがどうでもよくなる。
(そもそも俺は考えすぎだったんだ。人生は楽しまなきゃ)
後先なんて知ったことじゃない。
そうして屋内の仲間を殺し尽くすと、呆然とする姉妹たちへと目を向ける。
『ごめんな、怖かっただろ?』
小鬼語ではなく、久しく喋っていなかった日本語で語りかける。
鳴き声とも違う、明らかに秩序だった異国の言葉を小鬼が話す。
その異常性はゴブリンが突如仲間割れを始めたことよりも更に彼女たちを混乱させたようだ。
「来ないでッ!」
眼前の殺戮者から、長女が産まれたままの姿で身を盾にして妹たちを庇う。
己が歩み寄ると彼女たちは怯えきった様子で此方を睨んでくる。
その視線には恐怖しかない。胸に渦巻く感情に比例して冷静な頭は、それも当然だと納得していた。
薄汚い小鬼で、しかもその返り血にまみれた自分はさぞおぞましいのだろう。
目に毒だな。そんな淡白な感想から、側に落ちていた布を拾い上げて彼女たちに放り投げる。血にまみれてはいるが、裸体を晒すよりはましな筈だ。
意図が読めず、目に見えて混乱する彼女たちに構うことなく、転生者はふと下を指差した。床下になら隠れられるだけの隙間があるかもしれない。
『隠れていろ。そして、生きてくれ』
俺と違って、君たちには今しかないのだから。
宴に夢中といっても、流石に同胞の断末魔ばかりが聞こえてくれば馬鹿でも気にもなるのだろう。
何事かと騒ぎ立てる
少なくとも今この場において、彼がしたいことははっきりしていた。
『
『はぁ、はぁ、ははは、痛ッたいなぁもう!』
かつて村だった場所に、もはや息のある者はいない。ゴブリンも人間も、殆どが死に絶え躯を晒している。
村を襲撃した面々の殆どをがむしゃらに殺し尽くした彼は、当然のように瀕死だった。
死を厭わない死兵のごとき戦いを経て、まさにその命は風前の灯に近い。
とっくの昔に折れた鍬を杖として辛うじて直立を保っているが、その身体中には無数の刀傷や矢が刺さっていた。しかしその痛みが不思議と心地よい。
彼の心は小鬼に転生して初めて清々しい気持ちで満ちていた。
助けられなかった命には申し訳ないが、それでも何人かは生き延びた‥‥筈だ。多分。
間に合わなかった人には申し訳ないが、俺の命で勘弁してくれ。あ、生き返るから釣り合わないか。
今際の際にそんな間抜けな事を考えられるのも、転生様々である。
自分の意思で行動する。口にするのは簡単で、しかし実は何とも難しいものだが、その選択に満足できるとは自分はさも幸運ではないだろうか。
流れ出る血には構わない。止血なんて諦めている。
物凄く眠いし、毒が回ったのか目も霞んできた。
(俺は、人間だ。ゴブリンなんかになってやるもんか。ざまあみやがれ)
彼は打ち勝ったのだ。魅力的な本能に、小鬼としての性に。
誰に対してのものなのかも分からない、漠然とした勝利感に酔いしれるままに彼は逝った。
「‥‥何だこの状況は?」
その魂が離れる刹那、死に絶えたゴブリンの群れに困惑するとある老