四方世界の一角では、平穏な日常の傍らで当たり前のように
その中でも最もありふれて凡庸なのが
駆け出しの女宝石商人にとって、その商談は一世一代の大仕事だった。
庶民にも手の届く
取引先が見本の運搬に向かない、やや遠い辺境だったことが唯一の欠点だったが、家業で名を残したいと野心に燃えていた彼女は二つ返事で了承した。
勿論、安価に設定しているといっても宝石類や元手の材料は相応のものを使っている。
もしもの場合に備え、それなりの金貨を積んで有力な冒険者を雇い、不安要素は出来る限り排除した筈だった。
何も心配はない、最初はそう思っていた。
まさか只人の領域に近い場所で、しかも真っ昼間に
「はぁ、はぁ、何だよコイツら!全然怯まねぇぞッ!!」
飛びかかる小鬼を切り殺した男剣士が吐き捨てるように叫ぶ。
護衛を請け負ったのは中堅と呼ばれる紅玉の一党だった。無論、ゴブリンの相手をすることはこれが初めてではない。駆け出しの頃に受けた手痛い洗礼により小鬼の驚異も手口もある程度は知っていた。
しかし、この群れは何かがおかしい。冒険者としての感が強く警報をならしている。
「GOBGOB!!」
「GOBGOB」
「GORBB!!」
ゴブリン達は仲間が殺されようと一切気にせず、鬼気迫る様子で次から次に襲いかかってくる。
その人ならざる黄色い眼光にはある種の使命感すら感じられた。
「援護します!時間を稼いでください!」
一党の
「GORBB!!」
しかし、先に敵前から到来した
己の手柄を誇示するかのように、独特な
「馬鹿な、
通常、群れの長になる事の多い呪術師が自ら略奪に赴く事態は相当に珍しい。相応の獲物とお楽しみが期待できる村を襲うのなら兎も角、馬車の襲撃となると稀だろう。
しかも、奴等は夜行性だ。まだ日は高い。なぜ昼に人の領域に現れた!?
さらに信じがたいことに、杖をもった個体はその場に複数存在していた。
「畜生、おい大丈夫かっ」
多勢に無勢な状況で、しかし情に厚い男戦士が背後から漂う肉の焦げた匂いと断末魔に一瞬だけ硬直した。男剣士が怒声を上げて引き留めるが、その隙を見逃すゴブリンではない。
別のシャーマンが唱え終えた呪文を馬車一体に向けて解き放った。
薄い霧状に広がった魔法は、不運な只人たちに強制的な眠気をもたらす。
「
シャーマンが使う呪文は
倒れる男剣士が最後に見た光景は、此方を愉快そうに見下ろす小鬼たちの姿だった。
「ひっ、ひいっ!?」
やがて馬車から引きずり下ろされたのは、唯一泥酔から逃れた女宝石商だった。
この場において彼女のみ、肌身離さず身に付けていた家宝の
しかし護衛も死に絶えた中では、女一人ではあまりに無力だった。
自分は殺されるのか。いや、ゴブリンが捕虜にした女性に何をするのかは分かりきっている。都から遠い街に住む彼女には不運にもそれを理解していた。
「‥‥‥‥?」
しかし、待てども事は起こらない。逃避のために閉じていた眼を恐る恐る開くと、ゴブリンたちは彼女を見張りつつも荷漁りに集中しているようだった。
見れば呪文使いですら、普通のゴブリンに混ざって作業を手伝っている。勤勉という言葉とは最も無縁な存在である小鬼がだ。
ゴブリンは我慢を知らない。目の前にいたぶれる女や堪能できる備蓄があれば、上位種族に従っている群れでもないかぎり後先考えずに貪り尽くす。
だと言うのに、その小鬼たちは襲撃した商隊の唯一の女には目もくれず、凡そ必要のないであろう趣向品を片っ端からかき集めていた。それも食料は兎に角、金貨や指輪、アクセサリーなどの光り物を集中して探しているようだ。
まさか小鬼に装飾品を身に付けるような美的感覚もあるまいに、食べられもしない代物をせっせと集める様は奇特である。
辺境の小鬼殺しならば違和感を覚えただろうが、冒険者ではない彼女には分からない。ただ、理由こそ知らぬが自分が二の次にされている事だけは理解できた。
「GORBB!!GOBGOB!!」
その隙に逃げ出そうにも、小鬼が監視するなか動くわけにもいかず、困惑するままに女商人はその光景を見守るしかない。
目の前で商売道具が漁られる姿を見続けることは根っからの商売人である彼女には苦痛であったが、それこそ死ねば無価値。
生きていてこそ次があるのだから、じっと耐えて逃げ道を探す。しかし、そんな上手い手が容易く見つかる訳がなく、ゴブリンの収穫の方が終わってしまった。
持参した粗方袋に粗方の戦利品を集め終わり、手の空いたゴブリンたちの数多の眼が彼女に集中する。
「ひっ!?‥‥いや、来ないで!!」
凄まじい嫌悪と恐怖から体の震えが止まらない。誰か、助けて!そんな思いに答えてくれるほどこの世界は優しくないし、もしそうならこんなことにはなっていない。
救いの手が差し伸べられることはなく、ついでにゴブリンの手も延びなかった。
「‥‥GOB」
「GOBGOB?」
「GORBGOBO!」
耳障りな鳴き声で相談し会うゴブリンたち。奇妙なことに、彼らの間には若干の諦めと残念そうな感情が漂っていた。
例えるなら、提示された代物に満足しなかった顧客のそれだ。この場合の代物は女宝石商であり、彼女は何故か気に入られなかったらしい。
ふと一匹の小鬼が彼女の指輪に目敏く気づき、それが珍しいマジックアイテムだと看破したリーダー格の呪文使いが手を伸ばす。ふいに触れられた彼女は堪らず悲鳴をあげる。
「や、止めて! 返しぎゃ!?」
ゴブリンは抵抗する彼女を煩わしそうに殴り飛ばし、嗚咽する姿を嘲笑う。強奪した指輪を弄くり回した呪文使いが、ふと号令をあげた。只人には煩わしい金切り声にしか聞こえないそれは、撤退を意味していた。
信じがたいことに、彼らはそのまま立ち去っていった。
ぞろぞろと引き上げる小鬼たちを呆気にとられた顔で見送る女宝石商は、暫し時が経ってから呆然と呟いた。
「た‥‥助かった?」
そんな彼女に一切の興味を向けず、興奮したゴブリンたちは和気藹々としていた。背負った荷物も重いだろうに、
ぎゃあぎゃあごぶごぶ!と愉快げに行進し、眠気も何のその、死んだ
彼らの言葉を要約するとこうだ。
ああ、やっと
ゴブリンたちは凡そ小鬼らしくない結束で結ばれていた。
只人の領域から外れた森の奥の更に深遠。木々の生い茂るなかにひとつの洞窟がある。自然の奇跡で構築された広大な空間には、夥しい数のゴブリンたちがたむろしていた。
ただの小鬼は数えきれず、中には
その全てが息を潜めてじっと待機していた。まるで、親の期待に輝かせる子供のような無垢な有り様で。
遠征から帰還した面々を迎え、彼らは自らの象徴を待ちわびる。
やがて、鍾乳洞の奥から異質な人影が姿を表した。
すらりとした体型に、女性らしい強調された体の凹凸。しかし贅肉の類はなく、引き締まったスタイルのゴブリンだった。
そう、ゴブリン。
緑の肌や尖った耳を除けば只人やあるいは森人の女性にしか見えないその個体は、世にも珍しい雌の小鬼だった。
強奪されたであろう只人の
彼女は魅いるゴブリンたちを高台から見渡すと、ふと柔らかそうな唇が言葉を紡ぐ。
『 G O B R 』
小鬼らしくない、女性的で透き通るような声で語られた収穫の労いと感謝を告げる小鬼語に、全てのゴブリンが忽ち骨抜きにされ、惚けた顔で感動していた。
そこに小鬼らしい性欲はなく、信仰に近い熱烈な愛情と熱気のみがあった。
『ああ、何と美しい
そんな心の声が聴こえてくるようだった。略奪組が女宝石商に手を出さなかったのは、この小鬼の存在で彼らの心が塗り潰されていたからだ。
そんな
ーー
(‥‥いやいやどうしてこうなった)
どいつもこいつも気色悪い顔で惚けるゴブリンに囲まれた状況に、微笑みの下で必死に内心の緊張と恐怖を押し隠し、平静を装う彼女は小鬼転生者であった。
小鬼に転生し続けること早三桁を越え、今回は何の
今更ながら異世界転生とかそもそもあり得ない。そして自分がゴブリンとかもっとあり得ない!
そして何で俺が雌なんだよお前ら雄しか居ないんじゃないのかよ、何て久方ぶりの大混乱に陥るも、産まれたばかりで何故か周囲の親や兄弟に女神のごとく崇められ、やれ
黙っていても食料や寝床を献上され、寒さに震えることも無理して狩りをする必要もない、今までの
種族単位の強姦魔の群れにひとりだけ女性が居るなんて、植えた狼の群れに羊を放り込むような状況と何も変わらない。
幸いにも連中は互いに牽制しあっているのか直接的に手を出されたことはなく、まだ清い身ではあるが、それがずっと続くなんて保証はないのだ。
頼んでもいないのに
あまり人を殺さないように言い含めてはいるが、聞いているのかいないのか‥‥。
どう考えても高価な代物を強奪したら冒険者に目をつけられる事になるし、前例のないこの状況はどうすればいいのか皆目分からない。
「GORB!!GOBO!!」
褒美をねだってきた
後で袋叩きにされるだろうに、考えなしなのは変わらないらしい。
(マジでどうしてこうなった‥‥へるぷ、みー)
答えるものなど居はしないが、そう呟かずには居られなかった。
原案では主人公は雌のゴブリンにする予定でした。没にするのも勿体無かったのでIFとしましたが、本編ルートに繋がるかもしれません(繋がるとは言ってない)
・
ゴブリンの突然変異種。通常雄しか存在しないゴブリンの
魅了されたゴブリンは
体力点が1(通常のゴブリンですら2)の小鬼幼女からスタートなため、中の人が転生者でもない限り自然発生してもまず生きられないみたいな。