羽川に事情を説明する前に、僕はやっておかなければならないことがあった──それに、いくらなんでも夜が深すぎる。羽川には一旦家に帰ってもらう事にした。
明日の夜、全部話すことを約束させられて。
猫の手を借りたい状況でもないのに、どうして羽川は僕に力を貸したがるのだろうか。
訳が分からない。
とりあえず、例の学習塾跡へと帰った──忍野は留守だったが、二階の教室で待っていたキスショットに、僕は、とりあえず右脚を取り返すことに成功したと伝えた。
「よくやったぞ。流石儂の眷属じゃ。うむ」
なんだか嬉しそうだ。
自分の眷属が勝ったイコール自分が勝った、そんな方程式でも組まれているのだろうか。
「まあ、儂の眷属であるならば当然のことじゃがのう──しかし、モチベ維持のためにも何かした方がよいか?」
「ん? モチベ維持?」
「・・・・・・うむ。ドラマツルギーは三人の中では一番物分かりのよいやつじゃからの──別に脅すつもりはないが、残りの二人はそうもいかん」
「だろうな」
一筋縄でいかないのは百も承知だ。
「そこでうぬに軽い褒美を与えようと思う。何がよい?」
「・・・・・・・・・・・・」
「何でもするとは言っておらんからな」
ボケを潰された。
悲しい。
「・・・・・・じゃあ、頭をなでさせて」
「そんな事でよいのか。いや、儂に服従を示したいのか?」
「・・・・・・まあ、そんなところだ」
言えない。
下手なことできないってだけなんだけど。
胡座をかいた膝の上にキスショットを乗せて、よーしよしと頭をなでる。
正直、これでも精神が削られていく。
「はぁ・・・・・・、ふぅ、んっ。・・・・・・こ、こんにゃことでよいにょか?」
「まあ・・・・・・。ところで、ドラマツルギーとの戦闘で思ったんだけど、吸血鬼の間でも力の差はあるようだし、やっぱり、僕も回復の限界とかあるのか?」
「しゃ・・・・・・、さてな」
ひとつ咳払いをして、キスショットは答える。
「そればっかりは試してみんとわからん」
「試されてたまるか」
そんな感じで。
祝勝会兼反省会みたいな会話をしている内に、未明の時刻となり、如何せん眠くなってきたところに、忍野が帰ってきた。
相変らずのアロハ服である。
さすがに何着か持っているようだけれど、その柄は全部、まるで政治的な主張でもあるかのごとく、サイケデリックだった。
「・・・・・・そういや、お前のドレスって汚れてないけど、どうなってんの?」
「ん? まあ、吸血鬼にとって服は身体の一部みたいなものじゃからの」
「へぇ・・・・・・」
「ドラマツルギーも服ごと霧になっておったじゃろう?」
「じゃあ吸血鬼は常に全裸・・・・・・?」
「また阿呆な想像を・・・・・・。衣服に関しては物質創造能力に近いじゃろうな。儂も戦うときに刀を使うことがあるが、儂の場合はドラマツルギーとは違い、そのときも変身能力ではなく物質創造能力の方を使うのう」
「全裸じゃないのか・・・・・・」
エネルギー保存の法則と質量保存の法則はどこに行った。
まあいいや。
どっか行っちゃったんだろ。
この星ではそれが普通だ。
「お帰り、忍野」
「ただいま~」
と、ゆるゆる手を振る忍野は、ボストンバッグを提げていた──あのバッグの中に、キスショットの右脚が入っているのだろうか。
「如月くん、お疲れ様だったね」
「言われるほどじゃねえよ」
「
「社交辞令のことか? まあ、確かに、必要になるかもしれないけど」
忍野に言われたくない。そう思うのは、彼が風来坊でチャラいおっさんだからだろう。
そうに違いない。
「如月くんが使いこなせるかどうかはわからないけどね」
「うるせぇ」
対人が苦手なのは事実だけど。
「あ、あと、彼女、目撃者にはちゃんと説明しておいた方がいいよ──特にあの子は賢そうだったし」
「・・・・・・そのつもりだよ。突き放せなかったし、ごまかせなかった」
「何もできなかったんだね」
こいつ。
僕が避けた言葉を。
「まあ、女子が相手なんだ、どれだけ気を遣っても遣いすぎるということはないさ」
「ふーん」
「しっかりしてくれよ」
お前にだけは言われたくないぞ、風来坊。
「そろそろ本題に入らぬか」
「ん? ああ──はっはー、ハートアンダーブレード、君もなかなか元気いいなあ、何かいいことでもあったのかい? まああったんだろうね──」
忍野は笑いながら、ボストンバッグのジッパーを開けた。
そしてその中に手を突っ込んで──
そのまま、キスショットの右脚を取り出した。
「・・・・・・・・・・・・」
まるまる入っていた。
ケースに収められたり、ビニールに包まれたりすることなく、そのまんまの状態で、裸で入っていたのだった。
猟奇殺人事件の証拠品かよ・・・・・・。
成人女性の脚である。
すらりとした──いい形の脚だった。
さすがに吸血鬼の脚だからなのか、出血してもいなければ腐ってもいない──
「ちゃんと──本当に返してくれたんだな」
返さないと思っていたわけじゃあないけれど。
もしかしたらもあるかもしれない。
「その為の交渉人だよ。それくらいは信頼してくれないと困るなあ──信頼関係が一番大事なんだぜ? 信頼なくして交渉は成立しないんだから。向こうは吸血鬼退治の専門家かもしれないけれど、こっちだって一応はプロなんだ、そういうところで債務不履行は犯せないさ──はい、ハートアンダーブレード」
無造作に、キスショットに右脚を手渡す忍野。
受け取るキスショット。
すげえ画だ。
「・・・・・・で、どうするんだ? 今のお前とはサイズが違うし・・・・・・、そのままくっつける、と言うわけにはいかなさそうだけれど」
「こうするのじゃ」
そう言って。
キスショットは、自分の右脚を両手で抱えるようにして、そのまま噛み付いた。
肉も骨も、一緒に。
イメージとしては手羽先か。
サイズが大きいから骨付きもも肉か。
何にせよ、創作物の世界でくらいしか見なかった丸ごと肉を、こんな所でみるとは思わなかった。
食べ方の話だ。
キスショットの右脚は、断じて焼き肉ではない。
「む?」
キスショットが、ふとこちらを向いた。
「見ておるのではない、たわけ者ども──食事中はひとりにしろ。マナーじゃろうが」
「は、はあ──」
吸血鬼独自のマナーだろうか。
何にせよ、元人間の僕には刺激が強すぎるのは確かだ。
僕と忍野は、追い出されるまでもなく、その教室から廊下に出て、後ろ手で扉を閉めた。
何がおかしいのか、忍野はくつくつと笑っていた。
「・・・・・・ところで、忍野。キスショットが食事をしているこの間に、ちょっとお前に訊きたいことがあるんだけど」
「ん? なんだい?」
「一般論的に、吸血鬼っていうのは回復力が高いものだろ? それこそ、心臓を握りつぶされたり、首を吹き飛ばされたりしても、笑っていたり、白樺の杭を心臓に突き刺さないと死なない、とか、殺す方法が限定されるほど、不死であるはずだ──なのに、どうして、キスショットの四肢は再生しなかったんだ?」
「ハートアンダーブレードは吸血鬼としての不死力を、きみと会った時点ではもうほとんど失っていたから──だとは、思わないのかい?」
「いや、そう思ってたんだけどさ。僕の曖昧な知識じゃあ、キスショットがどんな吸血鬼に当てはまるかわからないけど、斬り飛ばされた部位や、吹き飛ばさことのれた部位なんかを残したまま回復する吸血鬼だって、創作の世界には存在する。だから、キスショットはどんな吸血鬼なのかな、っていうのを確かめようと、そういうことを聞きたいんだけど──キスショットの手足は再生はおろか消失さえしてなかったから──」
「あの子は貴重種なんだよ、如月くん」
忍野は、さしてもったいぶらずに、言った。
もう少し尺が欲しい。
「連中は、あの子の五体を無事に──奪い、我が物としたいのさ」
「・・・・・・・・・・・・」
「五体をバラして五体を無事に、ね。つまり、連中が奪ったのは手足と言うより、吸血鬼としての存在力というわけさ。だから切られた四肢は再生しないし、消滅しない。全くもってまどろっこしい真似をしているわけだ。消滅を禁ずることにより再生を禁ず──考えてみれば、
何をだろうか。
「ドラマツルギーはむしろきみを仲間にしたかったみたいだけれど、如月くんはそのキスショットの眷属なんだ。きみも五体を奪われ、標本にされないとも限らない」
「うへぇ・・・・・・」
「はっはー。本気にした? まあ、特殊な技法だからね、そうそう多用はできない。安心しなよ、そんな手はまず使ってこない──それに、たぶん三人じゃなきゃできないよ。残りは二人なんだから、そのリスクは既にないさ」
「・・・・・・次の相手はどっちなんだ?」
個人的には、扱いやすいほうがいいんだけど。
「エピソードなのかギロチンカッターなのか」
「順番を決めるのは向こうだから、まだ断定はできないけれど、多分エピソードになると思うよ。できるだけ早くセッティングしよう。君が一日でも早く人間に戻れるようにね」
「忍野」
疑っているわけじゃあないが、確証がほしい。バランサーを豪語するこいつなら、中立の立場からはっきりとしたことを言ってくれると信じて僕は訊くことにする。
「僕は──本当に人間に戻れるのか?」
「そりゃ、ハートアンダーブレードの手足を全部取り返せば戻れるだろうさ。あの子はそう言っていたんだろう?」
「そうだけど、中立の立場であるお前の意見がほしい。専門家なら、可不可くらいわかるだろう?」
「ぬるい友情・無駄な努力・むなしい勝利のことかい? それなら僕も知ってるよ」
「誰が
「分かってるって。ハートアンダーブレードのことを信じないのかい?」
「・・・・・・もちろん、信じていないわけじゃあないんだけど」
「命の恩人なのに、そんなことを言うだなんて、君はとんだ恩知らずだね」
忍野は。
そんなことを言った。
命の恩人?
僕がいつ、キスショットに命を救われたのだろうか。気づかないうちに、僕は助けられていたのだろうか。なんか逆に、助けたような気しかしないんだけど。
「うんうん。確かに、きみはキスショットの前に自分の首を差し出した。こりゃ、立派なことだと思うさ──美しい行為だと思うさ。しかしね、如月くん。本来ならば──きみはそこで、死んでいたはずなんだよ」
血を絞りつくされて。
体液を一滴残さず吸い尽くされて。
そこで死んでいるはずだった。
そんなこと、覚悟の上だったんだ。キスショットはある意味で余計なお世話をしたともいえる。
まあ、死ぬ気はなかったんだけど。
矛盾だなぁ。
「でも、生き返った。吸血鬼として──だけれど、自我を維持し続けることを、今を持って許されている」
「だから、なんだっていうんだよ。吸血鬼に血を吸われれば吸血鬼になるっていうのは、至極当然のルールじゃないのかよ」
「至極当然? 創作の知識だけで話すのはよくないよ如月くん」
「でも、キスショットが例外なくと、そういっていた」
「本人が言っていただけだろう? それこそが嘘だっていう可能性は考えないのかい?」
「嘘」
言われてみれば疑惑がいくつも浮かんでくる。
だけど──そんな嘘をつく必要が、どこにあるというんだ?
「別に僕はハートアンダーブレードの味方をするつもりもないから、ここでバラしちゃうけどさ──吸血鬼が人間の血を吸うとき、そこには二つのパターンがあるんだよ。一つは君も何となく予想がついているであろう栄養補給としての食事の意味合い──もう一つが今の君、自身の従僕たる眷属を造る意味合いだ」
この二つは全く別物なんだよ。
忍野は軽く微笑んで、そう言った。
「まあ、眷属造りでも栄養はある程度吸収できるんだけどさ──素直に、あくまでも食事として如月くんの血を吸っておけば、前回は無理にしても、スキルをあそこまで喪失することなかっただろうってことだ」
「なる──ほど」
そういわれてみれば、そうだ。
キスショットはあの場で、僕の血液を全て飲めば──急場は凌げる、と。
今の彼女の姿。
十歳の少女の姿。
あれは急場を凌いだと──言えるわけがない。
栄養の補給ができたと──言ったらあきれる。
まるで──欠食児童だ。
「実際、今の彼女は、回復能力くらいしか見るべきところがないね。あの身体を形成するのにスキルを使い尽くして、肝心の吸血能力さえも完全に失ってしまったようだ」
「え? そうなのか?」
「そうだよ。今の彼女は、緊急避難的なものでね──スキルのほとんどを封印する代わりに、生命力を保っているんだよ。四肢を切断された状態でできることといえば、それがやっとだったんだろうね。素直に『食事』として君の血を吸っておけば、今よりは大分マシな状況にあっただろうに」
「じゃあ、なんで僕は眷属になってるんだ?」
命を差し出した、食事を前に、そいつを助けようとしたキスショットの心情がわからない。
「ハートアンダーブレードは、君を殺すのが忍びなかったんだろうと──僕は思うよ」
「・・・・・・・・・・・・」
情、なのだろうか。
どちらにせよ、吸血鬼としてのキスショットに興味を持たれたという結果だけ見れば、まさしく賭けに勝ったとしか言えない。
本当にぎりぎりの橋を僕は渡っていたんだな。
「それは人間がペットに対して持つような愛情に近いものなのかもしれないけれどね──だけど少なくとも、ハートアンダーブレードはきみに対しては誠実だよ」
「誠実──か」
「だから、信じてあげなくちゃ可哀想だ。さっきも言ったろ? 大事なのは信頼関係なんだよ、如月くん。
「・・・・・・その後?」
人間に戻った、あと?
「自分を被害者だとか、そんな風に思うなよってことさ。被害者面は──気に入らないぜ」
「別に、お前に気に入ってもらおうと思ったことはないけれど・・・・・・その言い方だと、どうやら僕は加害者側にいるようだな」
「うんうん。その言葉、覚えておくよ。如月くん。しかし、いずれにしても君は僕の立ち位置からの視点で見たら──廿いんだよね」
「にじゅうい?」
「あ、違う、甘い」
忍野は言い直した。
いや、それは言い間違いというより、書き間違いである。
「怪異にはそれに相応しい理由がある──と言う。如月くん、君はどうして、自分が吸血鬼と遭うことになったのか、それをもっと考える必要があるだろうね」
「いや、それは・・・・・・、噂をしたからとか?」
「噂、吸血鬼の噂をかい?」
「ああ、うん・・・・・・でも、うちの高校の間で流行っているみたいだから、やっぱり違うかも」
「なるほど」
「まあ・・・・・・やれるだけやって見るよ」
たとえ相手が誰だろうと。
それこそキスショットが相手でも。
負ける気は少しもないのだ。
「さて、そろそろ食事は終わったかな?」
「ああ・・・・・・そうだな。次の相手・・・・・・エピソードのことを詳しく聞かないと」
ドアを開けて、教室の中に戻った。
果たして、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードは──十歳くらいの女の子の姿から、十二歳くらいの女の子の姿へと、変貌していた。
成長していた。
ちょっと見ない間に、大きくなっていた。