「ハァ!? なんだよそりゃあ!?」
それが、エピソードの反応だった。
靴を履いているせいであまり上手にできているとは言いがたいが、それでもなんとか技は発動し、十字架は飛んできた軌道のまま空中に固定されている。
「時間停止。僕が使う武道の一つだよ。こんなの、こんなもの投げるような怪力からすれば小手先だ」
速度も、力も、人間とは違いすぎるのだから。
合気道なんかが、通用するはずもない。初見では、その意味不明さから僕の武道は簡単に通用するだろうけれど、一度見られてしまえば、動体視力の良い奴なら簡単に対処されるだろう。
動体視力が良い奴って──一体どんなレベルを求めているんだろうか。もっと、自分の技に自信を持ってもいいような気がしてきた。
それに、鳳陽と違って何か越しに触れれば攻撃が通らないのも、想定外ではあったが事態を好転させる事実だった。
もし、躱そうとして少しでもかすっていたらどんなことになっていたか、恐らく鳳陽よりもマズいことになっていただろうということは、簡単に予想できた。
そんなことを気にしている内に、またもエピソードは姿を霧と変えていた──そして霧のままで移動する。
てっきり、十字架をおとりにして攻勢に出るとばかり思っていたが、しかし先の宣言通り、エピソードが僕に近付いては来なかった。
おそらくだが、 僕が十字架を止めていなければ、投擲された十字架はそのままグラウンドに突き刺さっていただろうから、 つまりはそれが目的だったんだろう。
しかし、エピソードにとって予想外だったのは、僕が投げられたものを空中で──停止させられるということそのものだろう。
あくまで人間の範疇に限るが、成績は置いといて武道の大会で優勝できるくらいの実力はあるんだ。そんな大会に出場したことはないけれど。
しかし惜しい。これが近距離戦ならば時間停止で獲物を止め、必殺の間合いで連撃を叩き込むところだったのだが──投げられたのではどうしようもない。
いや、手はあるか。
「返すぜ、十字架」
向こうにとっての武器になるのであれば、これ同様に僕の武器にもなる。
ということで、蹴り返してやった。
十字架を。
吸血鬼としての脚力で、思いっきり。
たとえ、ヴァンパイア・ハーフであるあいつに十字架そのものは効果がないとしても、この大きさとこの質量だ。普通に考えてダメージはあるだろう。
しかし、これまた予想外。
返却したはずの十字架は、エピソードに当たることなく、グラウンドに半分ほど突き刺さった。
「ああ。てめえ面倒なタイプの相手だぜ。 強いくせに慢心せず、敵を見据えて戦い方を変える。弱いなんて嘘っぱち、ブラフだったんだろ?」
バレていたようだ。
いや──たった今、バレたと言った方が正しいかもしれない。
「まあどっちにしろ、てめえが俺に勝てる可能性なんざ一パーセントもありゃしねえ。これを五分間続ければいいんだろ。超ウケる」
「勝手にウケてろ。そしてもうすぐ終わりだ」
物理が効かないのであれば、それ相応の対応があるというものだ。一つ手が封じられたからといって、何もできなくなるようではその時点で終わりだ。
策は一つではなく、手段も一つではない。
戦いにおいてそれが最も重要であり、取れる手段が一つしかないというのは愚の骨頂である。
「今度俺みたいなのと戦う時の参考にしろ。相手が手ぶらだからといって、何も持っていないんじゃあないってことを」
「ハァ? 何を言って」
「残念だ。世界事情に詳しくないのか?」
僕はそう言って、白銀の魔法陣からスイッチを取り出して、そのボタンに指をかけた。
忍野が言っていた地の利とは、こういうことだったのかもしれない。僕は勝手にそんなことを思いながら、勝利を確信した笑みを浮かべた。
が、しかし。
ここで事態は急転する。
「──如月くん!」
そんな大声が──聞こえてきた。
こんな声量の幻聴があるわけもない──声のした方向を見れば、そこにいたのは誰であろう・・・・・・というより、あれだけ話せばもうさすがに声でわかる、羽川翼だった。
彼女が、校舎の陰から──姿を現していた。
あの日と同じように、そこに潜んで──いたのか?
馬鹿な──羽川は、家に帰ったはずなのに──
「まだ諦めちゃ駄目! 相手は、霧なんだから──」
そんな僕の混乱をまるで無視して、羽川は口元で両手を拡声器の形にし、そして僕に向かって叫び続けた。
「霧なんだから──つまりは──」
「・・・・・・超ウケる」
言って。
エピソードはまるで躊躇なく、僕に対して構えていたその巨大な十字架を、
え?
あれ?
なんでそんなことするんだ、こいつ──
「ば・・・・・・ばかやろぉおおおおおおっ !」
羽川の運動神経は決して悪くないと聞く。
優等生なのだ。
体育の成績さえ、それなりにずば抜けている──けれど、そんなものは所詮人間の常識の範囲内である。
吸血鬼には勿論。
ヴァンパイア・ハーフにさえ、及ぶべくもない。
視力も瞬発力も、その十字架をかわすには及ばない──精々半歩、その場からずれるのがやっとだった。
十字架の角が──彼女の脇腹を
無論、吸血鬼にあらざる彼女は、十字架に触れたところで炎上の蒸発もしないけれど、それでもその巨大な十字架が、重厚なる銀の塊であることには違いない。
柔らかい脇腹など。
あってないようなものだ。
「・・・・・・・・・・・・っ!」
僕は──全脚力を振り絞って、羽川のところへと駆け寄った。感覚的には刹那の間だった──事実、僕は羽川が、後ろ向きに地面に倒れる前に、受け止めることができたのだ。
しかし。
それでも全然──遅過ぎた。
羽川の制服は破れ、皮膚は破れ、筋肉は破れ、肋骨は砕け、内臓は破れていた。真っ赤な血がとめどなくあふれ出て──止まらなかった。
傷口が大きすぎて止血のしようがない。
勿論──飛び散った肉片や、溢れ出る血は、蒸発なんてしない。
そのままグラウンドに染み込んでいく。
じっくりと。
赤く──赤く、沈み込んでいく。
「は・・・・・・羽川、羽川、羽川、羽川!」
「・・・・・・えっへっへ」
羽川は。
照れたように──笑った。
こんな状況で。
まるで、 内臓を見られたことを恥ずかしがるかのように。
はにかんだ。
「如月くん、うるさい」
「・・・・・・・・・っ!」
「け── 携帯」
羽川の顔色が、 どんどん悪くなっていく。
それでも彼女は、笑顔を崩さず。
笑顔を絶やさずに続ける。
「携帯電話、忘れたでしょ。届けに──来たよ」
「け──携帯なんかどうでもいいだろ!」
叫んだ。
けれど、そんなことは羽川だってわかっているはずだろう──携帯云々は、羽川にとっても口実に過ぎないのだ。
ただ、 きっと羽川は心配で。
家に帰らず──ここに来たのだ。
そして、見ていられなくて──出てきた。
それがどれだけ危険なことか、 わからないわけがないだろうに!
「何してんだよ。何しに来てんだよ。お前の助けなんか借りなくても、あと一歩で」
「そっか。じゃあ私の早とちりか」
羽川は、何かに納得したように。
地面が赤く染まるのを──全く感じさせないしっかりした口調だった。
「ごめんね、迷惑、になっちゃったね」
「いや、それよりも・・・・・・」
「如月くん」
しっかりした口調のまま──ゆっくりと、目を閉じていく。
「負けちゃだめだよ」
ずしり、と。
その言葉をきっかけにしたかのように、急激に羽川の身体が重くなった。血がこれだけ流れているのに──人間、意識を失っただけで、これだけ重くなるのか。
寝てる妹や幼馴染では感じなかった。新たな発見である。
感心している場合ではなかった。
「はっ──超ウケる。いつまで待たせる気だよ」
見れば。
エピソードは、羽川を貫いと十字架を既に拾い上げ──こちらに向けて、構えていた。
「そのままそこにいたら、その女の体はもっと傷つくことになるぜ」
「お──お前」
「言っとくが、先に約束を破ったのはてめえの方だぜ──怪異殺しの眷属よ。一対一のはずだろうが。まあ、俺も部外者に手ェ出したってことで、とんとんにしといてやるけどさ」
「羽川は──普通の人間だぞ」
数のうちには──入らないだろう。
羽川に一体、何ができるというんだ?
「普通の人間に対して、お前は──!」
人間だって──お前の敵なのか?
嫌いなだけじゃなく──敵なのか?
吸血鬼だけじゃなく、人間も──!
こうしている暇もない。タイムリミットが近づいている。タッチするだけで、僕の勝利は確定するんだから。
握りつぶすように、僕はボタンを押し込んだ。
「・・・・・・これで」
羽川の身体をそっとグラウンドに横たえて、 これ以上彼女の身体に危害が加えられないよう、全力でその場を離れた。
一度でもエピソードが十字架を投げれば、僕の──勝ちだ。
僕が脚を止めるのと、エピソードが、巨大な十字架を僕に向けて投擲するのは、全くの同時だった。
「僕の勝ちだ!」
霧と化したエピソードから目を離さず、むしろそちらの方へ飛びかかるように距離を詰める。
果たして。
エピソードは──その姿を顕現した。
本能的な──エピソードは自分の意思でもなく、ただの物理現象として。
その姿を現わした。
「な・・・・・・なっ・・・・・・!」
「勝ったって言っただろ」
エピソードが戸惑っている隙に、僕は彼の頭部に軽く触れる──それだけで、僕は脳震盪を起こさせることができる。
気絶したエピソードを見下ろして、消えることのない苛立ちをどこにぶつけようか迷っていた。
とりあえず、起動させていた機械のスイッチを切る。
ちなみに、エピソードの霧化を解いた方法は、どこの機関にも設置してある消霧機を起動させただけである。
消霧機とは、書いて字の通りではあるけれど、濃霧などの時に機関周辺の霧を消滅させる力がある。そんな物が起動した中で自ら霧になるのは、自殺行為以外の何ものでもなかった。
「・・・・・・殺してやろうか」
「駄目だよ。それ以上やったら──人間じゃなくなる」
「・・・・・・」
くるり、と振り返れば──そこにいたのは、アロハ服の男、忍野メメだった。
ドラマツルギーのときも──どこかから見ていたと言っていた。ならば、きっと今回も、そうしていたのだろう。そのことを、僕はすっかり忘れていたが──でも、それなら!
「お前なら・・・、羽川を止めることもできたんじゃないのか・・・?」
「ああ。見てたよ」
「な──何で見てるだけなんだ! どうして──止めなかったんだ!」
「料金外だよ。僕は吸血鬼退治の専門家、三名との交渉しか請け負っていない──それ以上のことは別料金だ。一般人にはかかわれない」
二百万──
対価としての料金。
バランス、だ。
「だ、だったら最初からそう言えよ! そう言ってくれれば──」
「委員長ちゃんの分の料金ってことで、もう二百万位は払えたってかい?」
「二百万? 三百万だって払ったさ!」
「そ。そりゃ豪気だねぇ」
「こんな時に冗談か? 忍野」
「冗談じゃなくて商談だよ、如月くん。そして三百万で商談成立だ」
忍野は平然としていった。
「じゃあヒントをあげよう。ちっとは頭使えよ、如月くん―――その不死身の体は何のためにあるんだ?」
「え──」
「まあきみの言う通り、吸血鬼とヴァンパイア・ハーフの争いに、ひとりの人間が関与したくらいのことで、何も殺すことはないだろうね。やり過ぎだ──だからその追加料金で、ひとつ、いいことを教えてあげるよ。きみはこんなところで呆けている場合じゃないだろう──思い出して御覧?」
「思い出すって・・・・・・」
何を?
そんな疑問を抱いてる暇さえなかった。
僕は、キスショットが前にそうしてみせたように──片手を手刀の形にして、自分のこめかみへと突っ込んだ。
脳を思い切り──弄くり回す。血液と脳症と脳髄の気持ち悪い触感を、嫌というほどに味わいながら──そして。
「・・・・・・・・・っ!」
すぐに思い出した。
五分。
五分間、脳に酸素がいかなければ脳が活動停止する──逆に言えばそれまでに間に合えば、たとえ心臓が止まっていたところで、 大丈夫なはずだ。
大丈夫。
まだ、三分も経ってない。
僕はこめかみから手刀を引き抜いて──その手に付着した血液を、えぐられた羽川の脇腹へと、その大きすぎる傷口へと、たらし込んだ。
そう、僕はキスショットから聞いていた。
勿論、吸血鬼たる僕の血は、出血する端から蒸発していくので、僕は次々に自分の体を傷つけ、血を流し続ける必要があったけれど──そうしていると。
みるみる内に──目に見えて。
羽川の傷が癒えていく。
内臓が再生され、骨が再生され、筋肉が再生され、皮膚が再生される──そして最後には、傷跡を一つ残らず──元に戻った。
再生というより──逆再生のようだった。
そっと、触れてみる。
羽川の脇腹を撫でてみる。
大丈夫そうだ。年齢から考えればやや肉付きが薄いような気がするが── しかしそれでも、確実にそこに存在していた。
「・・・・・・はあ」
思わず、息が漏れた。
それが安堵からくるものなのか、疲労からくるものなのか、僕には判断つかなかったけれど。
ともかくまた一戦。一つの勝負はここに幕を閉じた。
羽川が助かったっていう安堵もあれば、疲れたという疲労も──やっぱり存在していたのだった。
「・・・・・・如月くん」
と。
不意に、意識を取り戻したらしい羽川が言う。
いや──意識は、少し前に戻っていたようだ。
「どうして如月くんは、私のお腹に手を置いて、そんなやりきったような顔をしているの?」
「え」
「あと、制服が破けてるのも、ひょっとしたら如月くんの仕業?」
人は意識を失う直前の記憶をなくすことがあるという。
この場合の羽川も、どうやらそのケースのようだ。
制服どころか、内臓が破れてたんだけどな。
「悪い、羽川」
僕は弁明も言い訳も何もせずに、その場から動かず、羽川に言った。
疲れて何もしたくないから。
「何も言わず、このままで」