唐突に意識が回復した。
死んだのだとしたら、またあの図書館にいるのだろうか。
いや、目を覚ましただけかもしれない。
「・・・・・・夢落ちか?」
いや、まさか。
もちろん夢ではなかった──夢だったのだとしたら、意識が回復したこの場所は、僕の部屋であるべきだった。
だけどここは僕の部屋ではない。
どころか、見たこともない場所だった。
毎朝僕を起しに来る妹達もいない。
あ。
マズい、非常にまずい。
何がマズいって、今がいつにしろあれから時間が経っていると言うことだ。
今自分が居る場所とか、状況とか放り出して、妹達──特に下の妹から逃げる方法を模索しようとして、ふと気付く。
僕も知らない場所なんだから、妹達が知っているはずもないか。
というか、何だここは・・・・・・廃墟か?
何らかの人工建築物であることくらいは分かるけれど・・・・・・。
背中に当たる感触は硬い。
確認してみれば、リノリウム。
首だけを動かして辺りを確認してみる。
黒板・・・・・・机に椅子か?
じゃあここは学校の教室か?
それじゃあここは学校ということになるのだが、何かが引っかかる。学校とはわずかに雰囲気が違う。類似の学習環境ではあるのだが。
となると・・・・・・なんだろう?
塾か。
塾の校舎なのか。
でも廃墟同然の内装から見て、営業を終え、潰れてしまった後の塾だよな?
まあ、薄暗いからそう見えるだけかもしれないけれど──薄暗い?
あれ?
何で僕は──こんな、光が全く入らないような場所にいるのに、周囲の様子が
暗いことはわかる。
でも、はっきりと見える。
不思議に思いながらも僕は身を起こす。
「・・・・・・痛っ」
その際、口の中を噛んでしまった。
ん?
あれ、僕の八重歯ってこんなに長かったっけ?
口の中に指を入れて確認しようと──右腕を動かそうとして、そのときになって、僕はようやくのこと、気付いた──投げ出されていた僕の腕を枕にして眠っていた、小さな少女の存在に。
「・・・・・・・・・・・・」
え?
小さな少女?
「・・・・・・はあああああ!?」
まさしく、小さな少女だった。
年齢にして十歳くらい?
よく似合うふわふわのドレスを着た、金髪の少女だった──肌の色は白を通り越して透き通るようだった。
すうすうと、小さな寝息を立てて──
眠っている。
よく眠っている。
据え膳かなー?
んな事言ってる場合じゃねえ!
「お、おい・・・・・・お、起きろ」
金髪少女の身体の、まあ無難そうなところを、揺さぶってみる。
「う~ん」
少女は不機嫌そうに唸った。
「あと5分…」
そんなお決まりな台詞を言う金髪少女。
「だ・・・・・・だから起きろって」
僕は構わずに、金髪少女の身体を揺さぶり続ける。
「・・・・・・あと気分」
「どれだけ寝る気だよ!」
「・・・・・・四十六億年くらい?」
「そこまで経ったらもはや生命はいない!」
起きる気配がないので、自力でできることをした方が良さそうだと思い当たる。と言っても、そもそも問題さえわからないんだけど・・・・・・。
とりあえず、左手首に巻いた腕時計を見る。
えっと。
今は──四時半か。
ワールドウォッチは午後を指しているから午後四時で間違いないだろう。
日付は二十八日の火曜日!?
えっと・・・・・・、最後に、日付を確認したのが三月二十六日の日付が変わった頃だった。
つまり──あれから二日経っているのか?
「・・・・・・ああ」
やったのだ。
運命に──僕は勝利したのだ。
本当ならここで小躍りの一つでも披露して、僕の溢れんばかりの喜びを表現しても良いのだが、そんなことをしている暇は、あいにく存在していない。
僕は、金髪少女の枕にされていた腕を、彼女を起こさないように引き抜いた。
そのまま大きな音をたてないように、この部屋の出口に向かう──鍵はかかっていない。というか、ドアそのものが機能していない。中に閉じ込めることはおろか、外からの侵入さえあっさりと許してしまうだろう。
ドアから外に出れば、すぐに階段が目についた。そこの床を見れば『2F』という表示がある。
二階?
というか、床に描くのか、こういうのって普通、壁とかに記載するものじゃあないか?
床だと人の足で擦りきれてしまうような気もするけど、そういったことを防ぐ技術の開発はすでに行われていたのだろうか?
僕は外へ出るために、一階へ降りながら携帯を確認する。
羽川のメアドと番号はあった。
財布を確認すると、金も減って、代わりにレシートも入っていた。
つまり、あの時妹達に何も言わず、挙げ句の果てに行方不明になってしまったのは事実だということだ。
確認すれば、妹達から連絡が来ている・・・・・・99+と表示されているのは気にしない。
気にしたら負けだ。
いつかは気にしないといけないのだろうから。
今は無視だ。
このときの僕は。
まだそんな──暢気なことを考えていた。
しかしそんな考えは、建物から出た瞬間、雲散霧消する。建物の外、傍若無人に生い茂る草の中へと身を出した瞬間──である。
身体が。
僕の全身が──
気づくべきだった。
もう夕方と言っていいこの時間の鳳陽が──どうしてこんなにも
だけどもう遅かった──僕の身体が、燃え上がる。
「・・・・・・・・・・・・」
うん、こんなもんか。
《警告。感覚遮断が実行されています。直ちに安全な場所へ移動し、設定を変更してください》
体内のナノマシンが騒がしい警報を鳴らす──意図的に体内のナノマシンを操り、僕の身体の感覚を機能させないようにしていた。
本来、病院等の現場で従来の麻酔に代わって使われるこの機能だが、こう言った反則的な使い方をすることもできる。
しかし、アラートが五月蝿い。
そうだな。
じゃあ、お望み通り僕の身体が上げてる悲鳴を聞いてあげよう。
「アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」
皮膚が鳳陽光を拒絶するように、受け入れられないように、その刺激に耐えきれず燃え上がる。
凄まじい速度で──燃焼する。
されど炭になることはない。
回復する。
燃えるのは止まらないけれど、死ぬこともない。
楽しい。
「たわけっ!」
楽しくて楽しくて、狂気的に高笑いをしていたら、建物の中から、そんな声が響いた。
燃えて、水分が蒸発してしまった、そんな眼球で、声のした方を見れば──そこにいたのは、先ほどまで眠っていた、金髪少女だった。
少女の姿に似合わぬ権高な目つきで、僕に対し──
「さっさとこっちに戻って来るんじゃ!」
と、怒鳴った。
お楽しみはここいらで終わりにしよう。
まるで投降するかのように両手を挙げ、降参の意を示して建物の中に戻る。
そして、日陰に入った途端に僕の身体を包んでいた炎が──魔法のように消えた。
「全く。いきなり鳳陽の下に出る馬鹿がどこにおるのじゃ──ちょっと目を離しておる隙に、勝手な真似をしおって。自殺志願者か、うぬは。 並の吸血鬼なら一瞬で蒸発しておったぞ」
「あぁ・・・。はいはい」
「日のある内は二度と外にでるでないぞ。なまじ不死力があるだけに、焼かれ、回復し、焼かれ、回復し──の永遠の繰り返しじゃ。回復力が尽きるのが先か鳳陽が沈むのが先か──いずれにせよ生き地獄を味わうことになる。最も、不死の吸血鬼を生きておるのだと定義すればの話じゃがのう──」
「つまり──お前はあの時の吸血鬼で、僕も同じように吸血鬼に──?」
「うむ」
彼女は頷いた。
思い切り高飛車な態度で、胸を張り。
「いかにも、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードじゃ──ハートアンダーブレードと呼ぶが良い。眷属を造るのは四百年振り二回目じゃったが──まあその回復力を見る限りにおいて、うまくいったようじゃな。暴走する様子もなさそうじゃ。なかなか眼を覚まさんから心配したぞ」
「け──眷属?」
「そう。ゆえに、うぬ・・・・・・む。そう言えば、まだうぬの名前を聞いておらんかったの。まあよいか。これまでの名前など、今のうぬにとっては何の意味も持たん。ともかく、従僕よ」
彼女は笑った。
凄惨に笑った。
「ようこそ、夜の世界へ」
「・・・・・・・・・・・・っ」
如月奏音の、十七年と少しの短かった新しい人生は、あっけなく、前触れもなく終わりを迎えた──はずだった。
しかし、違っていた。
もしかしたら、の万一の可能性にかけて、命を投げ捨てたものの。
僕は、吸血鬼に、化物に成り果てたのだ。
成って、果てるのだ。
ならばせめて、目の前の少女のように、傲慢に傲慢に不遜に笑おうではないか。
化物らしく。
泣き言一つ言わずに、笑って死のうではないか。
「そこは・・・・・・どんなところなんだ」
「む」
金髪を翻しながら吸血鬼は言う。
「一言では言い表せんわ。しいて言えば、化物達の住む世界じゃ」
「モーリス・センダックかよ」
「それは怪獣達のいるところじゃ」
「ああ。そうだっけ」
よく知ってるな。
確か、僕の前世の絵本だったような気がするけど。
「じゃあ、キスショット。次の質問だけど──」
「待てい」
キスショットは僕を制した。
江戸っ子みたいに。
「儂のことはハートアンダーブレードと呼べと言ったじゃろう」
「長ったらしい。ハートアンダーブレード? 言ってる間に二回は噛んじまうよ。人の名前を噛んだら駄目だろ? なら、キスショットの方が呼びやすくて良い。・・・・・・それとも、そう呼んじゃいけないのか?」
「・・・・・・いや」
キスショットは、何かを言いかけてから、しかし、首を振った。
心なしか耳が赤いような気がする。
透き通るような肌のせいか、キスショットの表情の変化はすぐに見て取れる。
「それで、次の質問とは何じゃ?」
「えっと・・・・・・僕は、吸血鬼に・・・・・・なったんだよな?」
「当たり前じゃ。今更説明するまでもあるまい──うぬは儂の眷属となり、従僕となったのじゃ。光栄に思え」
「従僕って・・・・・・」
召使の男って意味だっけ。
不思議と嫌な感じがしないな。
「じゃあ──どうしてお前、そんな、子供みたいな体つきになってんだ? 昨夜・・・・・・じゃねえや、
「うぬはこういう吸血鬼が好みなんじゃろ?」
「いや、そうだけど、そうじゃなくて」
っていうか、あれ?
僕、キスショットにエヴァンジェリンがどんな吸血鬼か教えたっけ?
「知っておる。冗談じゃ。うぬの血を絞り尽くしたは良いが、それでは全く足りなんだ──じゃからそれ相応の姿になっておる。うぬの好きそうな体格じゃ」
「いや、だから、その言い方は誤解を招くって」
あくまで僕は見た目と中身が伴っていないキャラクターが好きなのであって、それが現実にも当てはまるかと言えば・・・・・・ちっくしょう。こいつ無駄に綺麗で、しかも可愛いんだよなぁ。
「しかしな、そうは言っても上下関係はきっちりしておくぞ、従僕。こんなナリになっておっても、儂は五百年前から生きておる吸血鬼じゃ。主人従僕の関係を差し引いたところで、吸血鬼としては生まれたてのうぬが、本来ならば対等に口を利ける相手ではないのじゃぞ」
「は、はあ」
「なんじゃ、曖昧な返事じゃのう──本当に分かっておるのか?」
「ま、まあ──わかるけど」
「ならば服従の証として儂の頭を撫でてみよ!」
「え゙」
頭を撫でる行為には、ちょっとしたトラウマがあるんだけど、妹のせいで。
・・・・・・・・・・・・。
撫でた。
うわ、髪の毛柔らけえ。
量があるのに、指が滑るようだ。
「ふっ・・・くっ・・・うん・・・」
「・・・・・・えっと、これが服従の証なのか?」
「んっ・・・。そ、そんにゃことも知りゃぬのか」
あれ、あれあれ。
キスショットが妹達みたいになってる。
やっぱり僕の撫で方何かマズいのかなぁ。
しかし、その態度を取り繕うように大きく咳払いをすると、キスショットは偉そうに言った。
「無知じゃのう。しかし無知であれなんであれ、うぬが物分かりの良い従僕で良かったぞ──まあよきあるじにはよき従僕がつくものじゃがな。しかしじゃ、従僕」
キスショットは冷たい目つきで僕を睨みつけて、言った。
「うぬには命を助けられた。無様を晒す儂を、うぬは救ってくれた。じゃから儂は、特別にうぬの無礼な口の利き方も許すし、キスショット呼ばわりも許すつもりじゃ」
「よ、よばわりって──」
「よいか? 決して、うぬの服従の証が気持ち良かったからではないのじゃ。よいな?」
「う、うん」
やっぱり僕の手って何かしらの呪いでも受けているのだろうか。
キスショットも、妹達と同じ反応だったし。
妹達の場合、マッサージしただけで腰砕けになって、色っぽい声を出して上気した顔のまま眠りについたことがある、まあ、それを教訓に、人に対してマッサージはしないように心がけているんだけど、今は全く関係のないことだったな。
「それに・・・・・・この先、うぬの力を借りねばならんこともあろうしなあ」
「は?」
「いや、じゃからといって調子に乗るなよ、従僕。当たり前のことなのじゃからな。うぬは儂が頭を撫でろと・・・い、言えば・・・、い、いつでもっ、ど、どこでも、ちゅちゅちゅ、忠実に撫でねばならんのじゃぞ!」
「お、おう」
何をそんなに慌てているのかは分からないけれど、キスショットは一旦落ち着いた方が良い。
撫でろというわりには、まるで守るかのように両手を頭にそえているし、目は泳ぎまくって、たまに顔を赤くしている。
そんなに僕の手は嫌か? 逆に何かしらの魅力があるのかもしれない。
いや・・・・・・、この場合はナデポじゃあなくてナデキュンか・・・・・・?
わからん。
「どうして──僕を吸血鬼にした?」
「む?」
「僕はお前に、血を吸い尽くされ──殺される覚悟だったんだけど」
「・・・・・・別に、したくてしたわけではない。吸血鬼に血を吸われれば、例外なく誰もが吸血鬼と化す。それだけのことじゃ」
「そう──なのか」
じゃあ、眷属は四百年ぶりと言っていたから、その間に吸血鬼にした人達はどうなっているんだ?
僕のような吸血鬼になった?
それとも、意思を持たない
「まあ、それは儂にとっては都合のよいことよ。何故じゃかわかるか?」
「えっと」
「それは、うぬには、やってもらわねばならんことがあるからじゃ」
「・・・・・・さっき言ってた、力を借りるって奴か?」
──力を借りねばならんこともあろう。
「そう。うぬの一人の血では、ここまでしか身体を回復できんかった──今の儂は、フルパワーからは程遠い。じゃから
「この先」
「然り。先の先まで読んで行動する。それがこの儂、鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードじゃからの」
「・・・・・・・・・・・・」
長い、二つ名が長いよ。
名前と会わせて何文字あるんだよ。
どの辺に熱血要素があるのか教えてほしい、基準はテニスプレイヤーで。
「僕は」
とりあえず、訊いておこうと思う。
「
「・・・・・・ふむ」
正直なところ。
人間に戻ったら戻ったで、キスショットの頼み事以上に命の保証はない世界に戻ることになりそうで、心の内を明かせば、吸血鬼の不死力はこの後、いつになるかわからないけれど、妹達と会う時に、喉から手が出そうなほど欲しくなるものの一つだ。
と、いうか、キスショットは僕の予想を悉く裏切り、納得するように、頷いてみせたのだった。
「やはり──そうじゃろうなあ」
どうやら、キスショットにとって、僕がこんな事を言い出すのは織り込み済みだったらしい。
「うぬがそういう気持ちはわかるしのう」
「わ、わかるのか?」
「わからいでか」
キスショットは、何気なく、そう言った。
「儂も神にならんかと誘われたことがあったが、そのときは断ったからのう」
「か、神って」
「昔の話じゃよ」
ともかく、と、彼女は言った。
話題を戻すと言うよりは、触れられたくない話題から逸らすようだった。
「人間に戻りたい──と言うより、
「そうか──」
と、言ったところで。
肝心の返答を聞いていないことに、僕はようやく気付いた。
「で、どうなんだよ。僕は──」
「・・・・・・戻れるよ」
キスショットは、少し声を低くして、言った。
僕を見る目は、相変らず冷たいそれである。
刺すような視線とも言えた。
「戻れる。保障するよ。儂の名にかけての」
「・・・・・・・・・・・・」
「勿論・・・・・・従僕よ。そのためには、
そしてやはり──彼女は凄惨に笑った。