なに、魔剣を創る力だって!? 作:髪滅具《脱色剤》の担い手
兵藤一誠にとって、天野夕麻という少女はどういった存在なのか。
端的に言ってしまえば、生まれて初めてできた恋人である。他愛のない話をするだけで胸が高鳴り、友達に自慢して、デートの約束をして。これまで味わったことのない幸福を、彼に齎した存在だ。
容姿端麗、スタイル抜群、さらには明るく社交的な性格。客観的に見れば釣り合わないことこの上ないと理解できるからこそ、共に過ごす一瞬が、その一挙手一投足が、どうしようもなく尊いものだと思えたのだろう。
彼女の”お願い”であれば、きっとイッセーは可能な限り叶えようと尽くすだろう。
それが
「死んでくれないかな?」
その幸福を打ち砕くものでなければ。
「え、ご、ごめん、夕麻ちゃん。もう一回言ってくんない? なんか俺の耳変だわ、はは・・・」
そんな筈はない。彼女がそんなことを言うはずがない。そう信じる一方で、イッセーは自分のことも信じていた。
自分が、彼女の言葉を、その声を、聞き違えるはずはない。
『天野夕麻』は、呪詛を吐いた唇を艶やかに歪めると、蛇のように体をくねらせながらイッセーの耳元へ顔を近づけて囁いた。
「死んでくれないかな?」
「あ、え・・・?」
困惑し、二歩ほど下がったイッセーを、心底愉快そうに眺めて、『天野夕麻』はその姿を変えた。
艶やかな肢体をボンデージの衣装で最低限だけ隠し、背中からは漆黒の翼が生えている。悪魔か、堕天使か。どちらにせよ、およそ善性というモノの感じられない装いで、彼女は唇を嘲笑に裂いた。
それをイッセーはただ眺めて
「(見えた!! 一瞬だったけど、確かに見えた”生おっぱい”!! しかもこんなかわいい女の子の!!)」
そう、いつも通りに思考して。それでも生殖欲求以上に本能が叫ぶ警鐘を、全身が上げる”逃げろ”という咆哮を感じて。イッセーは思考を切り替えた。・・・それでも、青春ドラマから唐突にバトルファンタジーに切り替わってしまった現実には対応できる訳もない。
「楽しかったわ、ほんの少しの間だけど、あなたと過ごした初々しい時間は。あなたが買ってくれた”コレ”大事にするわ。だから・・・」
手首に着けたシュシュを弄んでいた『天野夕麻』は、最早一片の興味も無くしたという顔でイッセーを一瞥した。
「死んで頂戴。」
手の内で作り上げられた光槍は、投擲するまでもなくただ突き出すだけでイッセーの体を穿っただろう。
────二人のちょうど中間点を、大鎌の一撃が刈り取らなければ。
イッセーを致命の一撃から救ったのは、黄金の鎌を携えた少年だった。
彼は焦点の合わない瞳で周囲を見回すと、首を傾げた。
「なっ、人ですって!?」
夕方の公園というロケーションではあるが、そこには人除けの結界が張られている。それも『何故かそこに行く気にならなくなる』ような意識干渉型の弱い結界ではなく、空間操作型の物理的なものだ。子供が迷い込むことなどあるはずもない。『天野夕麻』は、それこそ自分のような堕天使でもない限り入っては来られないと踏んでいたし、事実、そのくらいの強度はあった。
「一体どうやって・・・まぁいいわ。お前から死になさい!!」
飛びずさって距離をとった恋人が槍を振り上げたのを、イッセーは呆然と見つめていた。状況の把握がまるで追い付いていないが故の空白が、脳を埋めている。
空いた距離は一跳びで12、3メートルといったところか。背中に生えた翼が贋作でない証左か、人外の脚力ゆえか。とにかく人間業ではないそれを一瞥もせず、少年は投擲された槍に気づくこともなくその生涯を終えようとしていた。
「(なんだこれ、一体、何が起こってるんだ!?)」
目の前で人命が奪われようとしている。その明確な光景を知覚してはいる。だがそれを理解するにも、何らかの行動を起こすにも、心構えというモノは必要だ。そしてその心構えを養うには、日本という国は平和すぎた。
光の槍が音速で飛翔し、一撃で少年の上半身を吹き飛ばす────その確信だけは、イッセーにもあったというのに。
だが。赤い槍は、空気以外の一切を貫くことなく消滅した。その先端を、鈍く光る銀色の盾に阻まれて。
「(銀の、盾? ・・・いや、あれは銀というか、温度計っぽい・・・水銀?)」
「(自動防御型魔術礼装・・・月霊髄液ですって!?)」
浮遊する水銀の大楯。それが確殺の一撃を受け止めた光景を、イッセーはひとまず安堵して。『天野夕麻』は驚愕に目を瞠った。
そして黒翼の天使が、一気に三本もの槍を作り出す。一本を手中に握り、二本を浮遊させて従えた『天野夕麻』は、その全てを一斉に撃ち出した。
音速で、今度は三倍の威力となる槍が大楯に殺到する。人間の魔術師相手なら、その魔術礼装を壊せば丸腰となり、簡単に料理できる。そう判断したのは悪くない。適格と言ってもいい。
────だが、彼女は無知であった。
水銀を自律判断型礼装とする魔術、月霊髄液は、水銀そのものに魔術的な媒体を仕込む。そのため、魔術師は自前の肉体と水銀だけを用意すればいい。
眼前で焦点の合わない目をしている少年のように、
単なる人間の魔術師。そう侮ったことは、彼女のミスだ。
一撃までならば誤射。二度目に殺意の増した攻撃をしてしまえば、それは上位者への宣戦となってしまう。圧倒的な力を持つ者の目に、留まってしまう。
「どうして、私の槍が!!」
それなりに自身のある攻撃だったのだろう。『天野夕麻』は困惑と激高がないまぜになったような顔で槍を投げ続けている。
3本、6本、9本と、銀色の盾が防いでいく。
ふと、白銀色のモノリスが発光したかと思うと、少年に向かって大量の水銀が流れ出した。
原子番号80、水銀。最大の特徴は────極めて強い毒性。単なる高校生────それも大して賢いわけでもないイッセーには『なぜ』とか『どういう症状が出るのか』といった知識はなかった。だが、漠然と「水銀中毒で死んだ人がいたような?」という記憶はあった。義務教育の勝利である。
「あb────」
危ない。と、警告を発する間もなく水銀の波に呑まれた少年は、しかし、数舜後には変わらずそこに立っていた。・・・いや、変わり果てた姿で、というべきなのだろうか。
彼は全身を水銀で覆って────いや、水銀を身に纏っていた。全身を覆いつくすそれは、ファンタジー系のゲームや漫画に触れてきたイッセーには、騎士が纏う全身鎧のように見えた。
「・・・?」
少年は首を傾げ、不思議そうに『天野夕麻』を見つめている。
自分に槍が投げられたら、どう思うだろうか。恐怖に怯え竦むか。怒りに震え拳を振るか。無様な命乞いで額を汚すか。そのどれもが、『槍は危ない』と判じたが故の行動だろう。槍が当たると死ぬ。死ぬのが怖いから竦み、死にたくないから怒り、あるいは命乞いをする。
もしも、その槍に何の脅威も感じていないのなら、少年の顔は面倒くさげに歪むのではないだろうか。目前で飛ぶ羽虫を厭うように。
だが、少年はただ疑問を呈しただけのように見えた。
どうして槍を投げているのか。そもそもお前は誰なのか。どうして、この世に存在しているのか。
音を裂いて飛翔する光の槍が何十本か水銀に絡め捕られたころ、ふと少年が叫ぶ。
「ダメ!? ・・・どうして?」
唐突に過ぎる大声。それが全身鎧を着込んだ少年というミスマッチな存在に依るものでも、イッセーが肩を震わせるのには十分だった。横目で見れば、『天野夕麻』でさえもが竦みかけている。それがとても可愛いと、イッセーは場違いにもそんな感想を抱いた。
その声を誰に向けたのかと少年を恐る恐る窺うと、彼は白銀のモノリスに向けて語り掛けたようだった。今も固定されたままの視線と、ころころと変わる感情を映す瞳。
それが、ふと恋人に向くのを見たイッセーは、自分でも分からない感情に押し流されて動いていた。
次の瞬間、モノリスから溢れ出た水銀が武器の形を取った。長剣や大剣、槍といった形状のそれらは、その鋭利な先端を『天野夕麻』に、その生命を司る心臓に、臓器に、胴体に向けた。
少年の目に宿る感情は────『無』だ。強いて一番近いものを挙げるなら、『屠殺される養豚場の豚を見る目』という奴か。哀れみや同情はなく、ただ死に逝くモノをあるがままに受け入れた、終わる命に何の感情も持っていない目。必ず訪れる、血と臓器をぶちまける凄惨な光景を、当然のものとして把握している、破綻者の目だった。
「やめろおぉぉッ!!」
イッセーは恐怖で力の入らない体を酷使し、恋人を射線上から押しのけた。