その日、デミウルゴスは喉の奥に重い何かがあるかのような感覚を覚えいてた。
(そんなこと、ありはしないのに。)
目の前に広がるのは、王国の城下町だった。それに特別な感慨は覚えない。けれど、事態が起るまで時間があるためにデミウルゴスはそれを見つめるしかなかった。
そんな感覚を覚えるのは、少し前に彼の主から来た〈伝言〉のせいだろう。
『デミウルゴス。』
その声は、けして声高なものではなかった。けれど、その声に潜む、たぎるような怒りはデミウルゴスはすぐに理解できた。
「・・・・アインズ様。」
『俺はいったはずだぞ。リスという女に、傷一つ付けるなと・・・・・・!!』
細い、鋭い何かで心臓を刺されたかのような気分になった。デミウルゴスはその場に跪いた。
「申し訳ございません!」
『ああ!俺でさえ!俺でさえも、また触れていなかったのに!俺だけの物なのに!俺だけが触れて良い物だというのに!』
怒気を孕んだアインズのそれに、デミウルゴスはひたすら謝罪を繰り返すことしかできなかった。
ああ、どうしよう。
まるで子どものようにデミウルゴスはその場に蹲って泣き出したいような気分になった。
今までアインズがあんなにも怒り狂ったことがあっただろうか?
リスというそれとモモンが接近できるように手はずをしたはずだった。そうして、拘束をしたとしても傷を付けることはなかったはずだ。
けれど、デミウルゴスは後悔する。
至高の御方の所有物に許可も得ずに触れた自分が悪いのだ。
デミウルゴスはまるで嵐のように荒ぶる心を必死に押さえる。これから行うことに少しでも影響を与え、そうしてこれ以上アインズに失望を与えることが恐ろしくて仕方が無い。
(・・・・ウルベルト様からの命も、遂行できていないというのに。)
本来ならば、ウルベルト・アレイン・オードルというプレイヤーはユグドラシルに最後までログインすることはなかった。
けれど、そこでイレギュラーなことが起こった。なんだかんだで仲良くし、そうして諸事情で恩義がある存在だった藤堂百合、ゲーム上では名前をもじってリリーと名乗っていた女の死だった。
個人的な世話、といっても仕事の紹介という大恩と、そうしてモモンガの事もあり、彼は少しの間ゲームを再開していたのだ。
そうして、ゲームが終わる少し前、モモンガに気を遣いログインする直前に彼は自分が丹精込めて作ったデミウルゴスに会いに来ていた。
『・・・男前だな、お前。』
ウルベルトからすれば、彼の理想を詰め込んだNPCだ。愛着がないわけではない。
そのためにまじまじとデミウルゴスの顔を見つめた。
ユグドラシルのサービス終了が知らされてある程度時間が経った。未だにやっているのなんて、それこそ変わり者だとか、遅めに始めた新参だとか、そんなものだろう。
ウルベルト自身も、ゲームでやりたいこともやり尽くし、そうしてリアルの仕事でトラブルがありログインもできなくなっていた。
(・・・リリーさんには世話になったな。)
残業薄給上等な仕事であるが、そんなものはよくあるものだ。そんな中、突然モモンガ経由で送られてきたメールがきっかけだった。
それはとある資格が必要な業種の紹介だった。どうも、以前の雑談で仕事の話をしたときにその資格をウルベルトが持っていたのを覚えていたらしいリリーからのものだった。
『ああ、お久しぶりです。すみません。いえ、けっこう珍しい資格なんで持ってるの思い出して思わず送ってしまって。』
『いえ、それはいいんですが。でも、結構条件いいのにいいんですか?』
『いえ、今の仕事、給料は低いんですが休みに融通効くんで。さ、弟のことで休むことがあるんでこのままでいたいんです。信頼できるとこなんで話だけでも聞いても良いかと。』
そこで転職した先は辛いのは辛いが、以前よりもずっとましな環境ではあった。
こうやってゲームをやる余裕ができたのは、偏にその仕事環境もあってのことだ。
そんな人が死んだらしい。
別段、誰かが死ぬことは珍しくはない。元より平均寿命なんて言葉も失笑が浮んでくるようなものだ。だからこそ、誰かが亡くなること自体はそこまで悲壮感はなかったのかも知れない。
けれど、強盗に押し入れられて、殺されたという内容はあまりにもショッキングであった。
ある意味で皆が皆、生きるのに精一杯な中、わざわざ他者を殺してまで何かをするというエネルギーがいることをするものはあまりいない。
ウルベルトがいくらギルドメンバーの身内であれど、数度だけ遊んだだけの女のためにゲームにログインしたのは偏に、恩義と、そうしてそのショッキングさを和らげたかったというのもある。
ちらりと、ウルベルトはデミウルゴスを見た。
このゲームは終わる。
目の前の、己の最高にかっこいい悪魔も又終わるのだ。
彼のデータはある程度保存はしてはいるが、それはそれとしてやはり名残惜しい。
(ある意味で、こいつは死ぬのか。)
そんなことをぼんやりと考えた。
センチメンタルで、少しだけ物悲しくて、そうして中二病な彼はそれに気分が色々と乗ってしまった。
「・・・デミウルゴス。この身にはなすべき事ができた!故に、お前とは別れになる。だが、お前に一つ、頼みがある。」
少しだけ、少しだけの、感傷だ。
あの、弟を思い、自分を気にかけていたらしい女が、悪魔の行くべき所にいるとは思えなかったけれど。
ただ、死んだ存在が行くところに、これがいくというのならば。
「もしも、リリーという女に会ったら、よくよく助けてやるといい。俺の恩人だ。」
静かにそう言った後、ウルベルトは肩をすくめた。
「なんて、モモンガさんは怒るか?」
少しだけ、不謹慎な気もした。
それは、もちろん、意味の無い独り言だったのだ。
少なくとも、ウルベルトがそういった、その時は。
(・・・・リリー。)
その女にデミウルゴスは覚えはない。少なくとも、領域守護者で有り、アインズ・ウール・ゴウンのメンバーの話を立ち聞きできるようなところにいなかった彼には、リリーというそれのことに覚えはない。
元々、リリーも、ギルドを訪れたのはモモンガが作ったNPCを見に行ったときにぐらいだ。
デミウルゴスが知るはずはない。
そのため、異世界に来てからも、デミウルゴスはウルベルトからの最後の命令を遂行するため、リリーという存在について考えていた。
モモンガに確認することも考えたが、最後の、モモンガが怒るかもと言うそれにひっかかり未だに聞けていないのだ。
(・・・・モモンガ様と、ウルベルト様の不和?いいや、それは。)
そこまで考えてデミウルゴスは軽く首を振った。今はそんなことをしている暇はないのだ。
やるべき事をするために背筋を正した。
(・・・・・・帰りてええええええええ!)
その日、リリーはそれこそ死んだ目で、仮面を被っているのでばれることはないが。
王宮の一室の端で、精神的に疲れ切った体を休めていた。
時間だとイビルアイを振り切り、なんとか今回の作戦の内容を聞いていたときのことだ。
「そうして、今回、冒険者でもない存在が作戦に参加しているのも知っておいて欲しい。」
そういったのは蒼の薔薇のラキュースだ。それにリリーは聞かされていたというのに憂鬱な気分で寄りかかった壁、モモンからできるだけ離れた場所、から手を振った。
「彼女は蒼の薔薇が懇意にしている情報屋だ。冒険者ではないが、蒼の薔薇が個人的に雇うということで参加している。彼女のことについては、蒼の薔薇が責任を持つ。」
ラキュースのそれにもちろん、冒険者から質問が来る。
「そこまでのことをする理由は?在籍が不明な人間を入れるのは危険では?」
「・・・・彼女は、モモン殿以外で唯一、ヤルダバオトに一撃を入れることができた存在だからだ。」
それにもちろん、冒険者たちから、そうして兵士からもざわつきが起る。
同じ階級の冒険者であれど、やはりある程度実力にばらつきが起る。
同じアダマンタイトの蒼の薔薇が圧倒された悪魔に、同じアダマンタイトのモモンが対抗できたのは納得だ。
けれど、そんな中に、冒険者でもない存在が対抗できたというのならば。
冒険者たちはじっとそれに視線を向ける。
そこまでの実力で、無所属の存在というのは、警戒対象で有り、そうして、仲間に引き入れることはできないかという絶妙なラインだ。
「対抗できたと言うことだろうか?」
「ああ、彼女は第五階位まで魔法を取得している。」
ざわつきと、そうして、物欲しそう、といえる目がリリーに向けられる。それにリリーはため息を吐きたくなる。
さすがに素直に魔法の階級をばらすことはできず、ひとまず、蒼の薔薇に頼んでそれだけは偽って貰うことにした。それが、今回ヤルダバオトの討伐に関わる条件だったのだ。
(・・・・ひとまず、タレントとか、貴重なアイテムでなんとかしてるって説明したけど。やっぱ、リスで行動するのは限界かな。性別でも偽るか?)
リスの脳内には、一つのアイテムのことを思い出す。それは、元々、キャラメイク、外見だけ限定でのやり直しができるアイテムなのだが、フレーバーテキストの影響で使いきりでなくなっていたのだ。
(まあ、身長も変わるわ、ホルモンバランス的な物がぶっ壊れるのは気分最悪だから使ってねえけど。)
そこまで考えて、リスはため息を吐きたくなった。
問題は、その後だ。
今、思い出しても憂鬱だ。
「故に、彼女の身柄は蒼の薔薇・・・・・」
「そうして、私も保証しましょう。」
(いますぐ死んでくれねえかな~。)
その声が聞こえた瞬間、それこそ殺意と共にそんなことが反射で出てくる。もちろん、口には出せないが。
ゆうゆうと歩いてくるモモンに、リリーはイビルアイの冷たい視線を感じながら現実逃避のようにそう思った。
モモンは当たり前のように、上背のあるリリーの腰を抱いて、宣言するように行った。
「彼女とは、冒険者を始めたときからの縁です。優秀且つ、その、おっほん!素敵な、これ以上無いほどの女性です!私も、彼女の身元を保証しましょう!」
それに冒険者達の視線が、一気に自分に集まった。そうして、冷たい、ナーベラルとイビルアイの視線を感じた。
それに、リリーは切実に、死んでくれねえかなとしみじみと思った。
リリーはそのことを思い出してやっぱり死にたいというか、キツいというか、どうするんだよこれとしかいえない。
ただ、幸いなのは、堂々とアダマンタイト級の冒険者が、なあうちのもんみてえなもんだからな?という釘を刺してくれたおかげで面倒なこと、勧誘が起きなかったのは幸いだろう。
そうして、それと同時に、思い出すのはモモンのことだ。
どうするんだよ、なんでわざわざ素敵ななんてつけた?
そのおかげで、完全に冒険者たちからはモモンが全力で狙っている女扱いですごい勢いで距離を取られているというのに。
(・・・・・私を孤立させて、弱みにつけ込むためか?)
まあ、それも無駄だ。リリーはすでに帝国に帰ることを決めているのだ。そんなことに意味は無いのだ。
(・・・・さっき、イビルアイに絡まれてたから引き離してみたけれど。もう、二度と、関わりたくない。)
冒険者達に挨拶をしているモモンにイビルアイが一方的に話しかけているのをリリーは思わず引き離した。というのも、モモンにとっても人脈を広めるときで有り、それと同時に、彼は本性は知らないが、いいや、おそらく色々とヤバいタイプなのだが、人には人格者として売り込みたいのだろう。そんな彼の売名行為の最中を邪魔するのはと考えたのだ。
(怒りを買ってもろくな事にならなさそうだし。)
あくまでイビルアイを守るための行為であったが、そのせいでモモンガからの好感度が更に上がっているのを女は知らない。
そんな彼女は、遠巻きに見られているのを幸いにと、一旦部屋を出て廊下に出た。
トイレに行くという前提の元、本音を言えば、一人になりたかったのだ。
何か、色々と疲れ切っていた。
ひたすらに帰りたかったのだ。
(というか、そういや、あの子がそろそろ会いに来る可能性があるのか。)
脳裏には、白黒の独特な色合いの髪をした少女だ。
幼い頃に、なんで声が母親に似ていると変な理由で懐かれたそれは、自分に会いに来る時がある。
(・・・・私のお母さんになってって私にどうしろと。)
憂鬱さが濃くなって、リリーが廊下でため息を吐いたとき、後ろから誰かが近づいてきた。
「リスさん。」
その声にリリーはどばっと背中に冷や汗がわいてくるのがわかった。
「も、ももんどの?」
震える声でそう言えば、後ろにモモンが立っていた。リリーはそれに怯えるように壁に寄って、モモンを見上げた。
「ど、どうされましたか?」
「いいえ、リスさんが部屋を出て行くのが見えまして。少し、用がありまして追いかけてきたんですよ。」
やはり、その声はどこまでも穏やかだ。穏やかで、それと同時に、やはりヘルムの向こうから自分を見下ろす視線に寒気がした。
絡みつくような、獲物を見つめるときのようなそれ。
「よ、用ですか。あーそれならば、部屋に戻ってから。なにせ、また話があるやも。」
もう、二人きりだけはごめんだった。
怖すぎる、なんだよお前、私に何のようだよ!?何をそんなに追いかけるんだよ!?いくならナーベもいるし、ラキュースとかに粉をかけろよ!
考えるのなんてそれだけだった。
足を勧めようとしたリリーにモモンは静かにいった。
「・・・・約束を覚えておられますか?」
「は?やく、そくですか?」
「八本指を捕らえれば、どんなことも叶えてくださると。」
「い、いや、捕まえたとしても再度出てくるだけだ。壊滅なんて。」
それにモモンは、くすくすと、物を知らない子どもをからかう大人のように笑った。
「ご安心を。彼らは二度と、悪さをすることなんてありませんよ。」
「それは、どういう?」
「少なくとも、私が保証しましょう。ですから、リスさん。」
モモンはそれに、まるでリリーが己のものであるというように近づき、そうして、慈しむようにリリーの髪を梳り始めた。
それにぞわわわわわわと、背筋が寒くなる。
怖い、本当に怖い、てかキモい!
振りほどきたいが、振りほどいたときが怖すぎて無理だった。
「私、どうしても欲しい物があるんです。」
「ほ、欲しい物、ですか?」
「ええ。」
あなたにしか頼めないことがあるんです。
ヘルムの向こうで、悍ましい何かがうっそりと微笑んでいる気がした。
「全てが終わったら、約束、果たしてくださいね?」
まるで腐敗した果実のように甘い匂いのする声に、リリーは固く誓った。
全部終わったら速攻に逃げることを。
ペロロンチーノは一回、モモンガに姉の傍若無人あるあるみたいなのをしようとしたがまったく通じなかったことがあった。
「え、姉なのに、パしられたことも、昔のことで脅されることも、カツアゲされたことも、おやつを強奪されたこともないの?」
「え、普通の人ってそんなことしませんよね?」
モモンガのそれにペロロンチーノは泣き、そうして姉の交換を申し出て断れ、実の姉に占められ、百合に優しくされて懐いた。