短いです。
(・・・・小さくなったなあ。)
目の前にあるのは、自分を引き取った養い親たちであったものだ。
肉はなくなり、骨だけになれば、人とは何とも小さいものだ。
資源というものがほとほとなくなった今時では、遺体を火葬するということも無い。というよりも、火葬するための温度に達するためのリソースもないのだ。
それ故に、遺体は薬品などでドロドロに溶かして処分する。富裕層は違うのかもしれないが、貧困層の遺体の処分はほとんどそれだ。
骨の入っているらしい、シンプルな容器を撫でた。
(・・・・溶かされるのは、痛かっただろうか。)
死人に痛いもくそも無いだろうが、そんなことを思った。それと同時に、どうしようかとも思った。
(恩を返さなくちゃいけない人たちが、死んでしまった。)
死んだ生みの親の二人のことは、そこそこ忘れてしまっている。死んでしまってもう結構な時間が経っているのだから当たり前だが。
それでも、忘れていないことが幾つかあった。
死んだ両親は、この腐りはてた世界の中ではまともな部類であったらしく、まあ真面であったからこそ早死にしたのかもしれないが。彼らは、よく言っていた。
こんな世界じゃ、一に二が帰って来ることは滅多にない。マイナスになって返って来ることだってある。だから、お前は、一にせめて一を返せる人間でありなさい。
それに、子どもは幼心に、頷いた。大好きな両親がそう言うのだ。だから、それはきっと真実なのだろうと。
彼女は素直にうなずいた。だから、彼女は真面目に勉強して、努力を続けていた。その言葉が正しいのなら、自分が何よりも先に恩を返すべきなのは、両親であるはずだ。
だから、いつか、早く恩を返したいと願っていた。
けれど、そんな両親は死んでしまった。
まだ、働くには達していない彼女は適当な所にいくはずだった。
けれど、彼女を、拾ってくれる人がいた。
両親の知り合いであったという二人は、彼女を育ててくれた。両親が残した遺産に手を出すことも無く、ただ、慈しんでくれた。
それは、きっと、何をしてでも返さなくてはいけない恩だった。
けれど、二人も、まともな部類だったから、さっさと逝ってしまった。
(・・・・ああ、何も、残ってなんて。)
手に、何か、熱いとも言える温度が纏わりついた。それに、ようやく、他のことに意識が向いた。少しだけ下がった視界、そこには、鼻水と涙で顔をぐちゃぐちゃにした少年が一人。
「・・・・百合。」
か細い声が、名を呼んだ。
まるで、自分に縋りつく様に高い温度が自分に纏わりついた。
「どうしよう、父さんも、母さんも・・・・・」
小さく、弱い、それはきっと一人では生きてはいけない。
(・・・・ちがう。)
顔に、安堵するような笑みが広がった。
何も、なくなったわけじゃない。全て、消えてしまったわけじゃない。
まだ、残っていたものがあった。
百合は、己よりも少しだけ低い背のそれを抱きしめた。
それだけが、残ったのだ。それだけが、唯一、自分の元にあるものだった。
(・・・・・ああ、この子に、返していこう。)
己が、今まで、貰った多くのものを。
一欠けらでもいいから、返していこう。
「・・・・さま!」
(・・・あ?)
抱きしめた体温が、ふっとなくなったような、最初からなくなったかのように消え失せた。そうして、自分がどこかに横たわっていることが分かった。
(・・・ああ、夢。)
「リリー様!!」
高い、少女の怒鳴り声に、リリーはようやく目を開けた。視界いっぱいに愛らしい少女の顔が広がっていた。
「・・・・・アルシェ。」
「お目覚めですが、大師匠。」
「・・・・その、大師匠ってやめないか?」
リリーはそう言って起き上がった。窓の外を見ると、まだ昼にはなっていないようだった。
起き上がれば、寝る前まで読んでいた本が腹の上からずり落ち、ばさりと床に放られた。リリーは、ぐっと伸びをした。
それに、金髪の少女、アルシェが呆れたようにため息を吐く。
彼女の大師匠という呼び名は、彼女の師匠に当たるフールーダの師匠だからという理由で呼ばれている。
「よく眠られてましたけど、そんなにいい夢だったんですか?」
「うーん?なんか言ってたかい?」
「いえ、幸せそうだったので。」
リリーが今いるのは、彼女の特に奥まった私室だ。魔法の研究の関係で機密的なことの多い部屋は人の立ち入りを制限している。
アルシェは、あまり見た目に頓着のないリリーの世話係を兼任しており、入ることを赦されていた。
アルシェはそれに、慣れた調子でその髪を整え始めた。
リリーはそれを気にした風も無く、今日は何かあったろうかと考える。
「あー、そう言えば、兄上から呼び出し喰らってたっけ。起こしに来てくれたのか?」
「はい。メイドたちが起きてこられないと嘆いていましたよ。」
「ああ、そうか。」
ぼんやりとした意識の中で、それに頷きながらふと気づいたかのように口を開いた。
「そう言えば、アルシェ。妹さんたちにあって来たんだろう。どうだった?」
リリーの言葉に、アルシェは一瞬だけ体を止めた。そうして、ゆっくりと目を細めた。振り返った先で、それをみたリリーはため息を吐きたくなった。
その、ひどく重量のある目が、心の底から苦手だった。
アルシェは、リリーに手を差し出されたときのことを、何よりも覚えている。
彼女の家は、ぎりぎりだった。いや、ぎりぎりを通り越して、すでに崩壊していた。
幼いころは尊敬していた父のことも、好きだった母のことも、どうすればいいのか分からなかった。
とうとう、アルシェが金を稼がねばならなくなっても、両親は昔の生活を忘れられなかった
いや、続けていた。
師匠であるフールーダの師事を止めねばならなくなっても変わらなかった。己の師匠に頼るという手もあったが、フールーダは貴族の世界のことにまったくといって縁はない。なによりも、あの実力主義の皇帝の望む程度の能力を、父は持っていないだろう。
どうすればいいのだろうか。
誰も助けてはくれない。誰もが、鮮血帝を恐れて、助けなどくれない。
「・・・・助けてあげようか。」
その、無感情な、ぼんやりとした声は今でもはっきりと、そのままに頭の中で再現できた。
当時、アルシェも一方的にではあるがリリーのことは知っていた。
なにせ、彼女は有名になる理由は山ほど抱えていたのだ。
そんな彼女は、そういってアルシェをじっと見ていた。
「お前には価値がある。生かして、金をかけるにはあまりにも十分な価値があると私は思う
だからこそ、助けてあげてもいい。もちろん、君の大事な妹たちも含めて後見を付けてあげてもいい。だけど。」
君の親御さんたちを貴族に戻すのはさすがに無理だ。
選べばいいと、女は薄く笑った。
それは、甘い誘惑を囁く悪魔にも、救いの手を差し伸べる天使にも見えた。
女は、幼子の幻想を、容易く打ち下した。
これからも、家族で幸福に過ごしていけるという幻想を砕き、そうして、彼女に取れる選択肢を明確に示して見せた。
それは、絶望であった。それは。狂おしいまでの苦しさだった。
けれど、それは確かに救いだった。
女は、アルシェに、彼女の家がどれだけ手遅れなのか、示して見せた。
妹と共に上がるのか、一族もろとも落ちていくか。彼女は、選べと微笑んだ。
そうして、アルシェは選んだのだ。
妹たちだけを連れて家を出ることを。
すでに父も母も死んだが、アルシェはとっくに二人に対して愛想をつかしていた。
(・・・・そうだ。わたしはおろか、あの子たちまで売ろうとした。)
未だに痛みと悲しみが絡むそれに、アルシェはそっと蓋をした。それよりもだ。
アルシェは目の前で欠伸をするリリーを見た。
(・・・・・優しい人。)
少なくとも、アルシェはそう思う。
リリーはいつだって、アルシェに逃げ道を用意してくれた。それに、どんな意図があろうとも。
リリーは、いつだって、アルシェにとっての悪役にだって、正しい人にだってなってくれた。
彼女は、アルシェにとって、感情の行き先を用意してくれた。
妹たちに、リリーの領地に住む場所を用意してくれた。
恩を、返したかった。
少なくとも、貰った分の、いく割かでいいから返したかった。
例え、リリーがどれだけそれに無関心でも。
誰にも見捨てられた先で、差し出された手の輝かしさと温かさを知っているだろうか。
それは、あまりにも、無力な少女には甘かった。
リリーは、アルシェに何かを望まない。魔法研究を手伝うように言ったとしても、給金だって支払われている。
リリーは、アルシェの恩返しに無関心だ。だからこそ、焦りは募る。憧れは増す。
星が遠ければ遠いほどに輝かしく、美しく見えるとの同じように。
「そう言えば、また貴族から手紙を貰いましたよ。」
「あー・・・・どれ?」
「中身は、告白のものから裏切りの誘いまで多岐にわたりますよ。」
「うーん。釣り針を垂らすだけでここまで引っかかるとは恐れ入った。兄上に知らせないとなあ。」
(・・・・・ああ、また皇帝のことばかり。)
リリーの世界の中心は、皇帝だ。
それは、アルシェがリリーを見つめ続けるのと同じようなものだ。
恩がある。
誰にも見捨てられて、置いて行かれた世界の中で、たった一度だけでも手を伸ばした人なんて、慕うことしか出来なくて。
(・・・・でも、それは私も一緒で。)
妙な、寂しさに襲われるのはなぜだろうか。
リリーは、幼い少女にとって神様の様で。けれど、一度だって、神様が少女に願いを言ったことはない。
リリーが、アルシェを拾って得したことは殆どない。魔法の才があるといっても、リリーの前ではそれもかすむ。
アルシェのせいで、彼女は肩身の狭い思いをしたことだってあった。
自分の無力さに、彼女は嫌になる。
(・・・・私は、師匠に、少しでも何かを返せているだろうか。)
分からない。
そう思うと、途方に暮れそうになる。だからこそ、アルシェはリリーの世話を続けるのだ。
いつか、拾ってよかったと言ってもらえるように。
その時、ようやく、アルシェはリリーへの距離を感じなくなるのだと、彼女は信じていた。
「ほら、大師匠。身支度を早くしてください。迎えが来ますよ。」
「迎え?あー・・・・・」
そう言うと同時に、彼女の私室の扉が開いた。
「リリー様、よろしいですか?」
「よろしいっていう前に扉を開けないでくれないか、レイナース?」
入ってきたのは、美しい女騎士だった。
金の髪をした彼女は、リリーに詰め寄ると身支度をするように促した。
彼女は、レイナース。
アルシェは詳しくは知らないが、彼女もまた、リリーに恩があるらしい。
人づての噂で聞いた話では、レイナースは呪いを受けたことで家からも縁が切られ、おまけに婚約も破棄されたらしい。それも、人前でのことで、彼女の名前は悪い方向で一気に広がったそうだ。
そうして、その直前に、リリーがレイナースを拾い上げたそうだ。
噂は多岐にわたっているため詳細はわからないが、アルシェはあまり気にしていない。
それでも、レイナースが己と同じであるのだと理解しているからだ。
拾われた同士、確かに伸ばされた手を彼女たちは覚えていた。
(・・・・・なにがどうなったら、ああなるんだろうか。)
リリーは疲れた様にため息を吐いた。気だるそうに、己の兄からの命を思い出しながら眠そうに目を細めた。
彼女が考えるのは、訳あって拾い上げた二人の少女だった。
アルシェについては、さほど意味はない。ただ、魔法詠唱者としての才を惜しいと思った事と、昔の、幼かった己と昔なじみへの憐憫だった。
レイナースとて、同じようなものだ。
異性よりも同性の方が気楽だと、女騎士を探している時に偶然、捨てられていたのを見たから拾ったまでのことだ。
あの後、ジルクニフはこってりと叱られたものの、今までの褒美の分だと押し切った。
正直、拾わなかった方がよかったと後悔したのだが。
何だかんだで、よく働いてくれている。
(でも、なんか、妙に鬼気迫って怖いんだけど。)
リリーは、二人のことを考えて重くなる視界を振り払うように頭を振った。
それよりも、今は優先しなくてはいけないことがあるのだ。
「・・・・・アインズ・ウール・ゴウン。」
それは、皇帝であるジルクニフの元に届けられた魔法詠唱者の名前であった。その存在を調べる様に命じられたのだが。
「妙に、聞き覚えがあるのは何故か。」
リリーは、心の底から不思議そうにそう言った。
それは、異国の地で、祖国の言葉を聞いた時のような寂しさと懐かしさのない交ぜになったような、そんな感覚だった。
会えるかもしれない。
それはゲームが現実になり、大急ぎで現状についてのことが決まった時のことだ。
モモンガは、自分の手をじっと見た。
この世界には、魔法がある。
あり得ないことが、起こるもの。存在しないものが、そこにあること。奇跡が叶う手段。
死んだものを、生き返らせることだって、可能だ。
会えるかもしれない。
真っ黒な髪の、切れ長の瞳の、気だるそうで、でもひどく優しく笑う、そんな女に。
置いて行った人、もう、いない人。
会えるかもしれない。
奇跡を、信じてみたかったのだ。
モモンガは、溢れ出る、歓喜とも思い出した寂しさとも、言いようのない悲しみとも言える、ぐちゃぐちゃな感情をリセットされる。
それに、舌打ちをしたい気分になりながら、いいやと首を振った。
これでいいのだ。
そうだ、感情なんて、今は封じておくべきだ。
いつか、いつか、遠い何時かでいいから、再会したときに、目一杯、喜んで、泣くのだ。その日まで、感情を溜めて、封じて置こう。
(百合。)
その単語を、モモンガは、幾度も呟く。心の中で、幾度も、何でも呟く。
それが、まるで救済に必要な呪文であるように。
その言葉が、己を救うというように。
それが、唯一のよすがであるというように。
(・・・・この世界を、知らなくてはいけない。)
己が望む魔法についてのアプローチがここにあるかもしれない。
ああ、彼女との再会のためには、いったいどれほどのものが必要になるんだろうか。
ああ、どれだけでもいい。どんなものでもいい。
何を差し出しても、何を、代価としてもいい。
(・・・・待っていろ、百合。)
生き返ったら、今度は、俺がお前にたくさんものをやるから。
食事も、服も、住まいも全部用意してやるから。
(・・・そうだ、そうしたら、ここで、ずっと、一生、永遠に暮らすんだ。)
甘い、どろりとした、甘い願望に、モモンガはゆるりと分かりにくい笑みを浮かべた。
きっと、百合だってここが気に入る。きっと、ここにいたいと思う。
(・・・・待っていてくれよ。)
再会したその時は、どうか二度と離れることのないように。
二十年ぐらい前の事ってどれぐらい覚えてられるんでしょうね。