正規軍『KCCO』基地は夜にもかかわらず喧騒に満ちていた。内外で人や戦術人形たちが入れ代わり立ち代わりで動き回り、あらゆる部署と場所の最新の情報を運び込み、解析と精査に励む。
前線部隊の軍人たちが部隊編成で互いに最善の部隊を組み上げようと遠慮なく怒鳴りあいながら意見を交わし、兵員と装備を輸送機に急いで積み込む。
緊急出動を控え再編成を急ぐ騒乱のさなか、中央司令部はまるで別の世界のように静まり返っていた。
司令部の中央に位置する司令官席に座り事態の収束を図るために、出撃の準備をしていたカーター将軍は目の前のモニターを見てほぼ思考停止に陥っていた。
軍用衛星からの衛星で確認されたマンハッタンシティを崩壊に追いやっている炎の柱と大規模な連鎖爆発、その中心で空中を揺蕩う空飛ぶ赤ん坊。
「なんだ、ありゃぁ…」
オペレーターを務めている男性軍人の呟きは、この室内全員の気持ちを代弁していた。カーター自身も、これほどの化け物を見たことはほとんどなかった。
先ほどまで作戦について話し合っていた通信相手であるマリコフ博士も沈黙している、SRPAも同じ映像を見て言葉を失っているのだ。
その様相は国家重要機密に指定されていたマンハッタン封鎖事件のレポートにあった事象と重なった。
「周囲の人間を爆発させるほどのエネルギー放射…だと?マリコフ博士、これは一体なんだ!?」
≪完全体?まさか、早すぎる…≫
そんなことは分かっている、感情に任せてそう言いそうになるがカーターはそれを呑み込んで大きく息を吐いてから、常備していた冷水を一度飲み干して気を落ち着かせようとした。
もっと早くわかっていればこんなことにはならなかった、国がマンハッタン封鎖事件から始まったアメリカでのミトコンドリア関連の情報を秘匿していなければもっと有効な手立てが打てたのだ。
NMC、ネオミトコンドリアクリーチャーについてわかっていることは今の今まで僅かだった。もしそのままだったら、それこそもっと混乱していたに違いない。
三日前、カーネギーホールに新型のNMCと思しき感染者が現れてその証拠品を確保したグリフィンが正規軍の一組織であるSRPAに解析を依頼してから事態は水面下で急変した。
その証拠品は国の国家機密そのものと同一であり、それを秘密裏に処理しようとしてSRPAとKCCOはそれに感づいた。
そこから政府と国家安全保安局の保守勢力の秘匿姿勢と正規軍の情報を開示請求のぶつかり合い、マンハッタンシティの現状と捜査の進展のなさ、それを含めた不穏な空気に保守勢力が折れて首を縦に振るまでほぼ一日かかった。
政府は機密事項としていた情報を開示、NMCの隠されていた過去と旧アメリカ合衆国の暗闘の情報はKCCOとSRPA、グリフィンとハンターオフィスに知らされることになった。
それがほんの数時間前の出来事だ。KCCOでもすべての部隊に情報がいきわたっていはいない、カーター自身でさえすべてを呑み込めたわけではなかった。
軍の秘匿回線と最高機密の暗号によって扱われる国家機密は、軍内部ならば機密通信で早急に必要な部署に届けることができた。
しかしそれに対応していないグリフィン&クルーガー社やハンターオフィス、マンハッタンシティに展開している部隊にはまず届いてすらいない。
元々政府が軍にすら共有していなかった国家機密だ、徹底した漏洩対策を敷くことを要求され、通信でのやり取りは許可されず開示者も限定される手はずになっていた。
秘匿のためデータは暗号化された電子チップに封じられて物理的に輸送されることになり、外部組織であるグリフィンとハンターオフィスには物理的に輸送されることになっていたのだ。
今頃はまだSRPA基地から戻ったハンターからチップが所属基地に渡ったばかり、早くてもグリフィンの上級代行官クラスの人間が暗号化を解除している最中のはずだ。
≪おそらく、完全体発生によるエネルギーが周囲のミトコンドリアを暴走させているのでしょう。それもEveの比ではなくくらい強力なモノです≫
「燃えるのではなく爆発させるほどのエネルギー…ではまさか!?」
≪あの爆発と炎は、おそらくは…シェルターに避難していた民間人でしょう≫
なんということだ、民間人を守るために率先してシェルターに収容したのが仇になってしまったということだ。
現地のグリフィン指揮官が判断を誤ったわけではないが、結果としては最悪なことになった。
本来ならば避難所になるはずの地下深くに作られたシェルターは、今は特大の爆弾となったのだ。
「現地の正確な情報が欲しいな、グリフィンの基地につなげられるか?」
「ダメです、全域に重度の電波障害が見られます。とても強い、こんなの世界大戦でも見たことがありません」
「通信は無理か…映像を基地に向けろ、まだ基地は生きているか?」
モニターの一部が切り替わり、U01基地を上空から見下ろした状態に切り替わる。改めて詳細に映し出されたグリフィンの基地の惨状は、カーターの想像をはるかに超えていた。
「なんてこった、壊滅してるじゃないか」
要員が漏らした独り言の言う通り、基地は壊滅状態だった。基地内部は激しい戦闘の跡が随所に残り、すでに人の気配を感じさせないほどに完全に荒れ果てていた。
居住区らしい区画からは黙々と黒煙が上がり、本部棟と思しき一番背の高いビルは今も炎を随所から吹き上げて燃えている。
そこかしこに人形の残骸や人間の死体が転がり、その周りに散らばる空薬莢が炎に照らされてきらきらとデコレーションしていた。
「待て、駐車場をズームしろ」
煙っている駐車場の脇に車列が見えた。ヘッドライトを付けたハンヴィーが3台、今まさに撤収しようとしているらしいグリフィンの部隊だった。
ハンヴィーにはすでに数人乗り込んでいるらしく、燃え盛る本部棟の方から走ってくる隊員に向けて手で急げとせかしている。
軽機関銃を背中に背負う金髪の人形、緑にコートを着た銀髪の人形、金髪の小柄な人形を先頭に5人ほどの人形が後を追っていた。
ハンヴィーの周囲にはアサルトライフルを構えた部隊が守りを固めており、ロシア軍の旧式装備じみた格好の人物が人形たちを迎えて車に乗るよう指示しているようだった。
周囲には見慣れないピンク色の化け物の姿もあり、それからハンヴィーを守っていたようだ。
その車列を追うと進行方向にもう一つの車列が見える、トラック5台とハンヴィー2台で構成されたグリフィンの車列だ。
周囲には市民の姿が見える、あと数人ほどで全員収容するのは時間の問題だろう。合流した車列は市民たちを守るように止まり、車窓から銃口を突き出して寄ってくるピンク色の化け物に向かって銃撃して食い止める。
その間に市民たちを収容していたトラックのいた車列が収容と同時に出発、3両もすぐに動き出しその車列に混ざって後部と前部に分かれて合流した。
「脱出か。見事な引き際だな、まったく迷いがない」
市民たちをトラックに引っ張り上げると、車列は一つになって燃え盛る街の中心から離れていく。
先頭に立ったハンヴィーの上部ハッチからはロシア軍装備の人物が顔だけ出して、周囲を見回しながら時折フレアガンを空に撃って方角を指示しながら大振りな身振り手振りで指示を出している。
無線が通じない状況に対応してアナログな指示出しをしているのだ、車列は迷いなく街からの出口に向かっている。
周囲の市民からもそれが見えていたのか、助けを求めるような人影がいくつも見えるが車列は止まらない。止まるそぶりを見せる車もあったが、それだけだ。
戦うこともせず市民の救助も最低限という職務放棄と敵前逃亡を問われても反論できない姿だが、それを責める気はカーターにはなかった。
むしろ自分でもそう判断しただろう、あのような大爆発が起きてはまともに戦えるわけがない。
≪経験から察したのでしょうな、彼らはもう戦えない≫
理由はモニターも現れていた、グリフィンの車列がいくつか角を曲がった直後に背後の路面がガラガラと陥没し周囲の建物が傾いて一部が崩れたのだ。
まるで街が意思をもって車列を呑み込もうとしているように地面が崩落し、周囲の建物が不穏な倒壊を始めていた。
マンハッタンシティは長くはもたない、巨大な爆弾となって炸裂したシェルターの余波はネオミトコンドリア完全体とその周囲の火柱だけではない。
シェルターから噴き出した爆圧の余波は、シェルターだけでなく地下インフラや地下鉄道網にも波及して町全体にダメージを与えているのだ。
ふとU01基地のほうに目をやれば、基地の地面に大きなひび割れができており噴出した炎が基地全体を呑み込み始めていた。
その様相はマンハッタンシティ全域に広がっており、ゆっくりと街が炎の中に崩れて崩壊していく光景がそこかしこに広がっていた。
その中に一度は難を逃れた人々は放り込まれ、次々と崩落する地面や倒壊する建物、吹き上がる炎にのまれて消えていく。
「…クルーガーに連絡しろ、あとは我々が引き受ける」
≪将軍、どうなさるおつもりですか?≫
「我々の仕事をするだけだ。奴はまだ生まれたばかりだ、ならば今が好機だ。最大火力で片を付ける」
かつてのマンハッタン封鎖事件では、事件に協力した科学者の機転で完全体に打撃を与えたようだが自分たちにはその手段はとれない。
当時活躍した警官はすでにこの世になく、蓄積していたであろう知識もほとんどはアメリカで核の灰の中に埋まっているか燃え尽きただろう。
政府の開示した情報はあくまでNMCとネオミトコンドリアの出自が解明されただけで、それ以外はあまり役に立たないのだ。
それならば当時の火力をはるかに超える大火力で、回復力と進化速度を上回る攻撃で殺すのだ。幸いなことにKCCOにはそれができる兵器が山ほどある。
グリフィンが行ったように相手の回復能力をそぎ落とした上での全力攻撃こそが、今の自分たちの取れる最良の手段だとカーターは考えていた。
≪こちらも防疫処理の準備を進めています、政府がいらんことを考える前にことを済ますべきでしょうな≫
軍属の言葉ではないな、まったくもって同意だが。最近の政府の動きは気に食わないのはカーターも同じで、マリコフ博士の言葉には苦笑いだけを返した。
「しかしなぜだ?予測ではEveが完全体を生むのを目論んでいたとしても、まだ時間がかかったはずだ」
≪…我々の予想より前から用意周到に計画していたのでしょう≫
「それは可能なのかね?マンハッタン封鎖事件のレポートではEveには時間がない、そんなもの立てている暇もなかろう」
≪確かに、今まで出てきたEveはみな体に不安を持っていました。ネオミトコンドリアが宿主を掌握しているとはいえ元は人間であり、どこまで行っても『支配』しているに過ぎません。
ミトコンドリアはネオミトコンドリアとなっても単体では長くは生きられない、人間がミトコンドリアなしで生きられないように宿主となる存在が必要不可欠なのです。
その関係を無理矢理支配し、従わせているわけですからいつ拒絶反応が起きるかわかりません≫
「時限爆弾付きの体で長く潜伏することは不可能、ゆえに次のステージを必ず望む、そう結論したのではないかね?」
≪自らが純粋なミトコンドリア生命体とは程遠いからこそ、かつてのEveは完全なミトコンドリア生命体を生み出すために行動を起こした。
いわば生命としての本能、種の保存を最優先にして動いていたわけですな。今回もそれに似たケースである、私も最初はそう思っていました。ですが…解釈を間違えたのかもしれません≫
「どういうことだね?」
こちらをご覧ください、マリコフ博士が画面に表示したのは4枚の処方箋のデータだ。名義は『メリッサ・ピアス』となっており、処方されているのは免疫抑制剤だ。
メリッサ・ピアスは過去にコーラップスに感染し、回復したものの腎臓に大きな後遺症を残してしまったためにその移植手術を受けていた。
そのため彼女は腎臓の拒絶反応を抑えるために、常日頃から免疫抑制剤を服用して生活していたのだ。
この処方箋は事件直近から一か月前までの物、およそ3週間前から拒絶反応が悪化していて処方薬が増やされている。
≪我々はこれをEveがピアスさんを支配しようとし始めた時期だと考えました、マンハッタン封鎖事件の主犯となったEveも同じようにしていましたからね。
今回も同じケースだと考えましたが、まったく同じではなかった。それに気づくべきだった、いや、気付いていたのに無視してしまった≫
「…彼女の様子か」
≪はい、カーネギーホールでの発端までピアスさんは薬を増やした以外で体調不良などは訴えていませんでした≫
でもマンハッタン封鎖事件の時は予兆があった、マリコフが続けて表示したのは1997年、マンハッタン封鎖事件で押収されたメリッサ・ピアスの日記とアリバイ記録だった。
≪マンハッタン封鎖事件のピアスさんは、Eveの支配が強まるにしたがって体調を崩していました。それこそ、仕事に支障をきたしてしまうほどです。
ある時は稽古場で練習中に倒れ、役から降ろされてしまうまでになっていた。その結果、さらなる薬の服用でEveの支配をより受けてしまったわけですね。
もし今回も同じなら、このピアスさんも同じようになるはずなのですよ。しかしホール関係者や交友のあった方々の証言にはそういったことがほとんど見当たらない。
薬の量が増えたことで愚痴ってはいた、そのくらいだったとのことです≫
「隠していたのでは?前のピアスはそうだった」
≪いいえ、それは違います。証拠は薬の使用量と処方回数、3週間前に処方量を増やしていますがその後は増やしていません。用法容量を守って、きっちりと服用している。
もし今回のケースも同じなら、彼女は体調の悪化に悩まされて医者に相談していてもおかしくないのです。でも、医者に相談したのは3週間前のみ、以後は回復傾向にあったとすらあります≫
「…まさか、Eveは3週間前にはすでにピアスを支配していた。そして体の拒絶反応を抑えるためにピアスに成りすまして薬を服用していたかもしれない、ということか?」
≪えぇ、あり得ない話ではないでしょう≫
「クランプ博士がいたほうがマシだな」
そうなれば自体は最悪だ、Eveがどの段階でメリッサ・ピアスを支配していたによるが最長で3週間の準備期間があったことになる。
それだけあれは街のどこに自らが望むものがあり、どこに攻撃を仕掛ければより効果的であり、どこに仕掛けを施せばいいか考え作戦を練ることができる。
「グリフィンからのレポートにあった証拠の違和感というのはそれか」
≪彼はこの手の感染症には経験が多い、真実を知らなくても違和感を覚えて不思議はありません。それに今回、Eveには急ぐ理由があります≫
「それは?」
≪グリフィンですよ、彼女の誤算は街に対化け物用の武装をした経験のある彼女たちがいたことです。かつてのマンハッタン封鎖事件のように『未確認生物』というアドバンテージが取れませんでした。こちらをご覧ください≫
マリコフ博士は処方箋のデータを閉じて、新しいデータを画面に開く。カーネギーホールで確保され、SRPAに持ち込まれたゲル状細胞の解析結果だ。
≪これは持ち込まれた細胞の解析結果です、興味深いことに彼らが持ち込んだサンプルのネオミトコンドリアとその遺伝子はマンハッタン封鎖事件で採取されたものと70パーセント合致しました。
ネオミトコンドリアのみに絞ればほぼ一致、残りは被害者になったピアスさんの物でした。つまり、ネオミトコンドリアだけを見れば同一と見ることができる≫
「同一個体?馬鹿な、今の今まで潜伏していたとでもいうのか?」
≪もしくは、再生したというべきかもしれませんな≫
「どういうことだね?」
≪この資料が真実ならば、アメリカで見られるNMCの起源はすべてマンハッタン封鎖事件のEveが大本なのです。
NMCのミトコンドリアはすべてEveの影響を色濃く残している、それこそ遺伝子に多くの共通点と遺伝があるくらいにです。
もしかしたら、それこそデータのバックアップのようなことをしているかもしれない≫
「つまりネオミトコンドリアにはEveのバックアップが常に仕込まれていて、今そこら中にばらまかれているというわけか?」
≪えぇ、人間にもあるでしょう?大昔に混ざった先祖の特徴が世代を離れて突然現れる、隔世遺伝と呼ばれるものです。
Eve自身、かつての事件では『ミトコンドリアの開放』を声高に宣言してきたと記録されています。こんなこと、突然変異の存在にできるものではありません。
キメラウイルスのように太古から存在していたのだとしたら、その記憶を継承してきたのだとしたら…対策を練る≫
「その証拠はあるのかね?私たちは見つけられていないが?」
≪残念ながらまだです、まだ解析すら万全ではない。しかしそれを想像に過ぎないと断ずることはできないのですよ、そもそも前提が違うのかもしれないですしね。
お忘れですかな?PMCの持つ武器は今でこそ旧式、型落ちばかりですがかつては最新鋭だ。しかも当時の技術では無理だった試作品をも、今は立派な兵器として生まれ変わっている。
それを扱うのは人間ではなく戦術人形、以前戦った警察とは比べ物にならない重装備をしたPMCが本気で狩りに来るのです。
これを脅威度とみないほどEveの頭は悪くない、普段のE.L.I.Dとはまるで異なる思考力がある≫
「…だとしたら、もしかしたら」
今もどこかにEveが潜んでいるのかもしれない、それこそもしかしたら…そうカーターは考えてしまった柄にもなく大降りにかぶりを振って考えを追いやった。
追いやるしかなかった、Eveは、いやネオミトコンドリアはE.L.I.Dやほかのミュータントたちとは決定的に違うところがあるからだ。
ネオミトコンドリアを根絶することはできない、たとえEveと完全体を殺すことができたとしても、発生の要因を根絶することはできない。
ネオミトコンドリアはミトコンドリアの変異体だ、それはミトコンドリアが存在する限りどこでも発生する可能性があるということ。
結局、政府が今の今まで秘匿してきたのにも大きな理由があったからなのだ。厄介なことになった、もう若くないというのに。カーターは胸中に過る不安感に、少しの懐かしさを感じながら大きなため息をつくしかなかった。
あとがき
いきなりカーター将軍視点、この話でいったんNMCの話はたたむのでこの人に出てきてもらいました。
科学的な話もあるのでレジスタンスのマリコフ博士も交えておっさん談義、かわいこちゃん成分はないです。
完全体を仕留めるのはKCCOの物量作戦になります、戦いはやっぱり数だよ兄貴。それに軍用なら燃える部品使ってなさそうだし。
グリフィンのクルーガー社長やヘリアンさんでいいんじゃないかって?
この場合立場が中途半端だし、撤収した奏太たちと折り合いつかなくなったので無しです。