「ともえ、それはなんですか?」
「んー?」
お菓子を頬張りながら、何を訪ねられたのかを思案する巴。やがて自身の手に持つ物を指定されたことに気付く。
「これはスマホって言ってね、便利な電話……いや、電話じゃ通じないのか。えーっと……調べものをしたり他の人とお喋りしたり、写真を撮ったりとかできるよ」
電話が遠くの人と会話できる物なのは一応知っている。写真も身近なものだ。
「携帯電話でしたら幻想郷にもあります。形は少し違いますが」
「え、携帯電話知ってるの」
どうやら意外に思えたようだ。そもそも河童製の無線機を今まさに持ち歩いているのだが。
「はい、河童が外の世界から流れてきた物をよく弄ってますので。写真機もありますよ」
「……幻想郷って意外とハイテクだね。……あ、そういえば無線機持ってたね」
巴の幻想郷に対する印象が少し変わった様だが、機械を弄れる種族は河童ぐらいのものだ。
「そうでもありませんよ、機械を持っているのは河童か天狗位のものですし」
「そうなんだ、もみじは確か白狼天狗なんだよね。カメラとか持ってたりするの?」
「いえ、鴉天狗の中には持つ者がいますが私を含め白狼天狗はそういったものは持ち合わせていません」
そもそも白狼天狗はあまりそういったことに関心を寄せない。上司が(主に良かった)感想を貰うため新聞を無理矢理読ませるため、記者に関わるカメラによい感情を抱いていないのかも知れない。
それと河童がしょっちゅう実験と称して爆発事件を起こすということも機械から距離を置く理由の一つだろう。
「ふーん……よし、じゃあもみじのスマホを買いにいこう!」
「え」
「理由は後、早く準備して!」
さっと立ち上がる巴、食べていたお菓子の残りを口に押し込みながらあっという間に準備を整える。その行動力は一体どこから沸いてくるというのか。
「ほーら、行くよ!」
◇
「これがすまほですか」
物を一つ買うとは思えない程の時間をかけて漸く手に入れたスマホ。
店員がなにやらよく分からないことを長々と説明していた。ぎががどうたらなんとか放題がどうとか……もちろんなにも頭に入らず全て巴に任せることになった。
「そ、もみじは身分証がないから私名義だけどね。あ、早速写真撮ってみようよ」
これをこうして……と慣れた手つきで椛のスマホを操作していく。
やがてスマホは鏡のように自分を写し始めた。
「いい? こう持ってこれを押すの」
説明を受けながら二人寄り添い、指示された場所を押すと。カシャッという音がした。
「どれどれー……うん、よく撮れてる。妖怪は写真に映らないのかと思ったけどそんなことなかったね」
どうやら無事に撮れたらしく、その写真を見せてもらうときちんと二人が写ってる。
「記念すべき一枚目の写真だね、待ち受けにでもする?」
待ち受けとは? と聞く前に説明を始める巴、どうやらスマホを起動すると今撮った写真を見えるようにするらしい。手順を教えてもらいながら操作し、待ち受けの変更をした。
「このすまほというのは扱いが難しいですね」
指を縦に横にと滑らせるこの独特な動作に苦戦する。慣れるにはしばらくかかりそうだ。
「そうだね、私も初めは大変だったよ。こうしてスラスラと出来るようになったのは割と最近。でも色々な機能があって使いこなせると便利だよ」
「精進します」
とてもこの機能全てを一年で使いこなせるとは思えないが、基本動作くらいは出来るようにしたい。
「そうそう、連絡先交換しよう。今回買ったのはそれがメインなんだから」
ちょっとかーして、と私のスマホと自身のスマホを操作する巴。
「春休み開けたらちょくちょく大学に行かないといけないから、その間にこれで連絡するの……こんな風にね」
見せられた二つの画面に疑問符を浮かべていると、巴が自分のスマホを操作し『こんにちは!』の文字を組み立て横向きの三角形を押すとそれが椛のスマホにも現れた。
「こうやって、世界中の人と会話が出来るんだよ」
なんとも信じがたいことだった。
「ともえのすまほから私のすまほに文章が……どうなっているのですか?」
一体どんなカラクリで動いているのか。是非とも知りたいが、尋ねても詳しくは巴も知らないようだ。
「とりあえず今日は操作と機能の把握だね……っと、もうお昼か。何処かで食べてく?」
スマホの画面には『11:56』と表記されている。どうやらこれは時刻を表しているらしく今が丁度お昼らしい。
(はやくこっちの時間を覚えておかないと……)
こちらの世界はどうやら時間を厳密に扱うらしく、何刻等の大きな表現ではなく何分何秒などとても短い時間を基準に生活しているらしい。
「もみじはなにか食べたいのとかある?」
「はい、蕎麦が食べたいです」
それはそれとして、今日は蕎麦の気分だった。
◇
あれから蕎麦を食べて帰宅し、巴のサポートを受けながらスマホの操作を練習していた。
「大学というのは学問を積む所だと聞きましたが、具体的にどんなことをしているのですか?」
画面を見すぎたことで疲れた眼を解しつつ、数ある疑問の一つを投げ掛ける。
「私は哲学を専攻してるけど、歴史とか数学とかもやるよ。教材あるけど読む?」
そういうと、巴は自室から数冊の本を持ってきた。
試しに『数学』と書かれた本を手に取り、パラパラと捲ってみるとなにやらよく分からない記号とそれについての説明らしき理解不能な文字の羅列が所狭しと綴られている。
「な、なんですかこれ」
「すうがく、世界を数字で計算するためのもので…幻想郷だと算術って呼ぶのかな」
算術……数字と記号が入り乱れているこの妖精が面白半分に書いた文字のようなものが……?
「私にはまだ早いようです」
本を閉じ、そっと遠くへ置く。そしてしばらく見ることはあるまいと胸に刻んだ。
これを理解できるヒトが幻想郷にどれだけいるだろうか。
次は歴史と書かれた本を手に取る。幻想郷ができる遥か前から出来た後までの外での大きな出来事が記されているようだ。
これは是非とも調査報告に書き記しておきたい。
かなりの量があるが、能力故に速読の力もある程度身に付けている。読むだけならこの一年で十分にまとめられるだろう。
「妖怪についての記述もあるのですね」
「民俗学が中心だけどね、妖怪に関する本なら……これかな、参考書じゃないけど」
巴はまた別の本を取り出し、パラパラと中身を確認してから渡してくれた。
「これは……また分厚い本ですね」
表紙には絵巻物に描かれるような魑魅魍魎が所狭しとならんでいる。
古今東西の怪異について書かれた本のようで、中には幻想郷でも見かけない妖怪も記述されている。
「良い資料になりそうです」
「良かった、私の部屋にある本棚は好きに漁って良いからね」
「ありがとうございます」
少しずつ読んでいこう。中身を理解出来なくても、最低限学力の水準さえ解れば良い。それでも困難を極めるだろうが……それでもやるしかない。
「もみじは幻想郷で勉強する機会ってあったの? 寺子屋はあるみたいだけど、妖怪の為の学校とかあったりするの?」
「ええ、私の知る限り人里の寺子屋と、私達白狼天狗を含め山の組織が運営、利用するものがあります。この資料程ではないですが算術や語学、幻術などの妖術を教えています」
「幻術に妖術……消えたりとか変身したりとか……はっ!? さては今のもみじの姿は幻影だったり!?」
巴のテンションが明らかに可笑しくなった。
少々息が上がり、興奮の眼差しをこちらに向けている。
「落ち着いてください、今ともえに見える姿がそのままの私です。幻術は維持するのに妖力を消費するのであまり出来ません」
そもそも私は幻術があまり得意ではない。狼か、精々が天狗と縁の深い鴉に姿を変えるくらいである。
「そっか、安心したような……変身するもみじが見れなくて少し残念というか……」
「幻術は難しいですが、火を生み出すこと位なら簡単に出来ますよ。このように」
人差し指を立て、その先に握りこぶし程の火球を作る。
この程度の妖力消費なら特に問題ないだろう。
……と思っていたが、いざ作ってみると想像以上に妖力を持っていかれた。これは本格的に妖術全般を使わない方がいいかもしれない。
(もしくは補充する方法を探るか……)
「すごいすごい! ちゃんと熱気もある! カッコいいなぁ……私にも出来るかな」
巴が危ない距離まで近づいてきたので、慌てて妖力の供給を止め火球を四散させる。
「やめておいた方がいいですよ、妖術は人が使うと魂が穢れますから」
「穢れ?」
「ええ、私達妖怪は穢れそのものといえますので大丈夫ですが、人が穢れを溜めてしまえばそれだけ妖怪に近くなります。ともえは綺麗な魂なのですから、無為に穢れて欲しくありません」
そう伝えると、巴はしばし固まったあと。
「私の魂って綺麗なの?」
疑問が疑問を呼んでしまったようだ。これは私の伝え方の問題だろう。
「はい、妖怪的に凄く綺麗に見えます」
「妖怪的に……えっと、それは例えるならどんな衝動になるの?」
何処と無くぎこちない動作の巴。妖怪的に綺麗、という言葉になにか思うところでもあったのだろうか。
「そうですね……」
少し思案し、妖怪として巴に抱いた感情を思い浮かべてみる。
ただの人間としての巴……穢れていない魂に明るく活発な性格。
綺麗に整えられた身だしなみ…。
……あえて柔らかく表現するなら、それはなんともイジメたくなるご馳走である。
ふと、軽く脅かしてやろうと素直に答えてみる。
「足先からガブガブと行きたい感じですかね」
「怖!」
人間とは思えぬ速度で部屋の角まで逃げ出す巴。
その様子から結構本気で怖がっているようだ。
…捕食されるという恐怖を巴が私に抱いたからか、少しだけ妖力が回復した気がする。
「冗談ですよ……半分」
やりすぎたと思い訂正を入れておく。
訂正仕切れていない気もするが、気にしてはいけない。
「そこは全部冗談って断言してほしかったよもみじ……」
とはいいつつも元の机を挟んで正面の位置に戻ってくるので、私が本気で食べようとしている訳ではないと理解したらしい。
わかってくれたようで何よりである。
「まあでも、どうせ食べられるならもみじがいいかな」
「なにを言ってるんですか?」
どうやら巴は少し混乱しているらしい、自分から食べられたいだなんて可笑しい発想が出てくるくらいには衝撃的だったようだ。
「脅かしすぎましたね、すみません。気を付けます」
今後は少し自重しよう。
「いいのいいの、冷静になればもみじが私を食べるなら初めて会った時にそうしてる筈だもんね」
先程の恐怖が僅かに顔に残っているものの、巴は自分なりに感情の落とし所をみつけたようだ。
これ以上謝罪しても受け入れてくれないだろう。
自省の念がまだ残る私としては、なんとかお詫びになることをしたいのだが……。
考え始める私の正面で、巴が一つ深呼吸をした。
「それでは」
巴の声色が変わる。
先程の恐怖や安堵とはまた違った、落ち着いていて、なおかつ気迫の篭った声。
「お返しとして、これで手を打とうじゃないか」
何かの役者でも演じているのか。今までと違う口調で……なぜか手を開いたり閉じたりしながら。
「罪を犯したなら、償わなければならない。それはわかるねもみじくん」
毛が逆立つ。これは以前にも感じた……。
距離をとろうと立ち上がろうとして、足がすくんでいることに気が付く。
「被告、犬走椛」
一歩、机を迂回するように私に近付く巴。
大きくもない机はその一歩でも十分に距離を詰め、あともう一歩で手が届くだろう所まで来る。
「その尻尾と耳を私にモフられる刑を下す!」
巴が動く。
震える足をなんとか動かそうとするも、主の意思に反して体は後ろへと倒れ込むような体制になってしまう。
そこへ巴の飛び込みが綺麗にハマり、そのまま二人でもつれあう形になる。
「ちょっ、ともえ……まってくだ「待ちません! さっきの本気で少し怖かったんだからね!」
耳と尻尾、その両方を巴の両手が掌握する。
優しくもどこかいやらしいその手つきはなんともいえぬむず痒さを誘う。
「くすぐった……ひゃん!」
巴の食指により、恥ずかしい嬌声が口から漏れでた。
「可愛い声を出すじゃないか! ほら! これが私の妖怪退治よ!」
テンションが上がりすぎてもはや別人になってしまった巴。
私は悶えながらも、先程の出来事を私をモフる(?)ことで許してくれるという巴の優しさに、今は言えぬ感謝をした。