HDDの肥やしとなっていたので、他の作品と同じく蔵出し。
今は昔、この国には侍と呼ばれる男達がいた。
腰に大小二本の刀を帯び、己の信念を懸けて日々を生き抜いた者。
そんな彼らを人は侍と呼んだ。
その最たる活躍が音に聞こえたのは、戦国の世から江戸太平にかけてである。
江戸末期、侍にとって大事件が起こった。江戸幕府第十五代征夷大将軍徳川慶喜が、統治権返上を明治天皇に上奏したのだ。世に言う大政奉還である。
大政奉還を以って、江戸の世は終焉を迎える。それと同時に、士農工商という身分制度もなくなり、侍の存在意義も消失してしまう。
──さらに時は過ぎ、年号は新たに明治へと変わった。さらにさらに大正、昭和ときて────現在は平成。侍が大手を振って歩いた時代は終わりを告げ、その存在や生き様すらも遠い過去の出来事となった時代。
そう、この物語は平成の世に生きる一人の侍の物語……なのかもしれない。
◇
飛天御剣流という流派がある。
戦国の頃より続く、一振りで数人を斬るという神速と謳われた幻の剣術の流派である。剣「道」ではなく剣「術」であり、人格形成までを旨とした前者と違って、対する後者は完全なる殺人術。特に飛天御剣流の使い手の力量は凄まじく、陸の黒船とまで例えられるほど。
曰く、戦の時に飛天御剣流の剣士が味方した陣営には確実に勝利が訪れる。つまり飛天御剣流の使い手は一個人でありながら、それほどまでに強大な戦力を有したと言われていた。
だが、そんな超絶的な力を誇った剣士が役に立った時代も、せいぜいが江戸末期──いわゆる幕末──まで。
明治が過ぎ、大正が過ぎ、昭和が過ぎ、平成となった今の世では──。
「申し訳ない、大家どの。家賃はあと一週間……いや、三日。三日で! どうか三日だけ待ってはいただけないでござろうか……!」
「そうは言ってもねぇ、緋村さん。あんた前もあと三日で払うって言ったじゃないか」
「いやいや、心外な。今度こそは本当でござる。今度こそは絶対に払うので、ここはどうかご慈悲を……」
「あんた毎回そう言って、もう二ヶ月も家賃が溜まってるんだよ。こっちだってボランティアで部屋貸してるんじゃないんだからね。もう何度目だいこのやり取りは」
「もちろん承知でござる。だが、次こそは本当に払うので、重ねてお願い致す!」
「本当かねぇ……」
うらぶれた安アパートの一室の前で、緋村と呼ばれた青年風の男が中年の女性と問答していた。
察するに、この女性が大家であろう。
腰に手を当て、呆れたように青年を見つめている大家。それとは対照的に、ひたすら低姿勢にへこへこと頭を下げている青年。力関係は明らかであった。
「どうか、どうか大家どの! ここは拙者を助けると思って!」
頭の上で両手を合わせて、切羽詰まった声で必死に大家に懇願する青年。情けないこと、この上ない姿である。
そんな彼の姿を見た大家は、諦めたように首を振ると、大きな溜め息を一つ吐いた。
「……分かったよ。あと三日だけだからね」
「おお! かたじけないでござる! 感謝いたす、大家どの!」
「ああ、もう! いいから頭を上げなよ、情けないね! あんたも、毎日ごろごろしてないでいい加減働きな!」
「いやぁ……」
「いやぁじゃないよ、まったく。働かないから金がないんだろうに。……とにかく、三日後には耳を揃えて溜まった家賃を払ってもらうからね!」
それだけ言い残すと、大家は肩を怒らせながら去っていった。ペタペタというサンダルの足音廊下に響き、やがて音は小さくなってゆく。青年は大家の後ろ姿が視界から消えるまで見送ると、ぽつりと呟いた。
「働きたくないでござる。絶対に働きたくないでござる……」
青年の名は緋村剣心。本来は一見するとまるで女のような短身痩躯で美形の優男なのだが、今の剣心にはその面影は残っていなかった。
服装は使い込まれた上下のジャージ。靴は泥のついた安物のスニーカー。随分長い間切っていないであろう、ぼさぼさの赤毛の長髪が哀愁を誘う。
よく見ると左頬に大きな十字傷があるのが分かるが、それだけがどことなく場違いな印象だ。だが、その十字傷すらうだつのあがらない風貌のせいであまり目立ってはいない。
彼こそが、かつて最強と謳われた飛天御剣流の十七代目継承者、その人であった。
だが剣心は、現在絶賛無職。世間では彼のような者のことをニートと呼ぶ。
資本主義社会の荒波の前では伝説の剣術など何の役にも立たず、ゲームや漫画などと違って、剣術の達人が刃物を振り回して生計を立てることは不可能だ。現代まで受け継がれた飛天御剣流の技を持つ剣士は、今やただの能なし無職にしか過ぎなかった。
「楽して儲かる仕事はないでござろうか」
世の中を舐めた台詞を吐きながら、剣心は自分の部屋の中へと戻った。六畳一間の小さな部屋である。掃除をした形跡のない部屋は、そこら中に物が散乱していた。中央には引きっ放しの布団があり、部屋の隅に設置されているPCは電源が付きっ放しだ。
緋村剣心とは怠け者なのか、それとも無精者なのか。あるいは、その両方なのかもしれない。
「家賃、どうしたものか……」
部屋の中を見回してみるが、金目の物はさっぱりない。無論、銀行に貯金などあろうはずもなく、八方塞だ。早々に金策をしなければならないのだが、その方法が思い浮かばない。
「これは、売るわけにはいかんでござるしなぁ」
部屋の中で洗濯物とゴミの山の中に無造作に埋もれていたある物を、剣心は取り出した。中から出てきたそれは、一振りの刀であった。慣れた手つきで鞘から刀を抜くと、刀身が蛍光灯の光に反射して鈍く輝く。
この刀には、通常と大きく違う部分があった。刃と峰の作りが逆になっているのだ。
通称、逆刃刀という。このため普通に斬っても、いわゆる「峰打ち」の状態になるため、人を殺めることがない。
剣心が飛天御剣流を継承した際に、先代の継承者でもあり師でもある比古清十郎から譲り受けた物である。どういう由来がある刀かは知らないが、師より貰った大事な一品。金に困って質に入れたと知られれば、師匠に殺されてしまうかもしれない。
「いや、しかし……。師匠だって、かわいい愛弟子が生活に苦しんでいるのなら許してくれるかも……。それに、そもそも銃刀法違反っぽいし。届け出も出してないからバレると逮捕されそうでござるし、厄介ごとが起こる前にこっそり売り払った方がいいような。師匠なら、師匠なら許してくれるはず……!」
そんな不穏なことを考えた瞬間、剣心の頭に師匠である比古清十郎の顔が浮かんだ。剣心と同じく年齢不詳気味な、長髪の男の姿である。そんな彼は何か言いたげな顔をしたかと思うと「誰が許すか、この馬鹿弟子が。死ね」と、粗大ゴミを見つめるかのような冷たい視線のまま一言吐き捨て、頭から消えていった。
「死ねはひどいでござるよ、師匠……」
刀を再び鞘に戻してゴミの山に放り投げると、剣心は布団の上に大の字になった。
「毎日寝ているだけでお金が貰える仕事があれば、拙者も楽ができるのに。ああ、世の中世知辛いでござるな」
布団の上でしばらく呆けていた剣心だったが、
「こうやって寝ていても仕方がないでござるな」
と、おもむろに立ち上がった。そのまま迷いのない足取りで向かった先は、部屋の片隅に設置されたPC。
「家賃の支払いまでまだ三日あるし、今日のところはネトゲでもするでござる。フフフ……待っているでござるよ、愛しの島風どの」
彼の名は緋村剣心。
平成の世に生きる──侍である。