仔熊のミーシャに愛をこめて   作:つきや

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スパイたちの都市伝説

 満月だ。

 ビルの屋上は、それこそ昼間のように明るい。

 時折月にかかる雲の流れの早さは風の強さを感じさせるが、下界への影響はさほどない。

 緩やかに、ビルの屋上に立つ男の銀色の髪と黒のコートの裾を揺らす。

「酒が欲しいな」

 ジンは独りごつ。しかし、残念なことに月見酒を楽しむために訪れたのではない。

 とある特殊な方法で、呼び出しを受けたのだ。

 

『 さみしがりやのトムへ

  ジェリーが探している。

  場所は××     』

 

 タイミングとして、ジェリーが誰のことなのかは想像がつく。

 だが、相手は誰がトムなのかを知らない……。

 カツッカツッカツッ

 屋上に上がる非常階段から、控え目な足音が聞こえてきた。

 潜めようとしても怯えと焦りが押さえきれていない足音。

 それと、もうひとつ。

 その後を追うハンターの音なき足音。

 追われる獲物――スコッチが重いドアを開けて屋上に現れた。佇むジンを見て、ぎょっと身を引く。

「ジ、ジン」

 青ざめた顔は絶望が色濃い。

 地獄の淵で垂らされた細い蜘蛛の糸を手繰り寄せていたはずだったのに、今まさに目の前でそれを切断された。そんな気分だろう。

 いや、しかし。まさかと思いながらスコッチは、しかしそれでも震える声で最後の希望の可能性へと手を伸ばす。

「まさか、お前がトム……?」

 がちゃりと二度目のドアの音。

 ライ。

「スコッチ」

 追い詰めた獲物を見、そして。

「……ジン。追い込み漁をした覚えはない。手柄の横取りは感心しないな」

 苦言に滲んだ、知らなければ分からない焦り。

 知っているから分かる、助けることができると過信していたスコッチを、ぎりぎりのところで助けられなかったという焦り。

 そして、もう一人。

 足音高く、最後のハンターの登場。

「ああ」

 軽く放たれる嘆きの声。

「僕の手柄になると思っていたのに、残念です」

 焦げつくような内心を押し殺しながらもバーボンは、必死で邪魔者の排除手段を考えているに違いない。

 なんていう茶番劇を観せられているのかと、呼び出されたジンとしては呆れるしかない。

「ネズミが三匹も出てくるたァ、目障りで仕方がねえな」

 ジンがせせら笑うその意味をきちんと理解して反応したのはもちろん、呼び出した側のスコッチだ。息急ききって、叫ぶ。

「仕方がないだろ。ジェリーはトムに追いかけてほしいから、わざと鼻先でウロチョロするんだ。トムだっていつも捕まえたジェリーを殺さない。そうだろう、ジン」

「まあ、いいだろう。トムがさみしがりやならジェリーはどうしようもない甘えただ」

 これが、待ち合わせの合言葉。

「ああ、よかった! 助かった! でも、ネズミが三匹ってどういうことだ?」

「どういうことか聞きたいのはこちらですよ」

 安堵にへたりこみそうになるスコッチの腕を取って、バーボンが問い質す。

「俺も、今の符号の意味を聞きたいな」

 ライも、乗った。

「あん? 公安のエースとFBIのエースのくせに、てめえら揃って『トムとジェリー』を知らないのか」

「僕とライをひとまとめにしないでください」

 バーボンとしてはFBIがどうのということよりも、ライと一緒くたにされたことのほうが気になるらしい。一呼吸もおかずに否定された。

「……バーボン」

 スコッチが呆れて見遣る。

「俺はFBIではないのでね。トムもジェリーも聞いたことがないが、つまりは裏切り者を逃がそうとしているのか?」

「俺はてめえをFBIとも公安とも言ってねえがな」

 公安外している時点で馬脚じゃねえかとライのごまかしを、ジンが鼻で笑う。

「スコッチ。説明をしてくれますよね」

「あー、うん」

 がしがしと頭の後ろをかきながら、スコッチはジンに目を向けるが、ジンはそれを無視して懐から愛用のシガレットケースを取り出していた。

 つまり話していいということなんだろうと勝手に解釈したスコッチは諦めて白状することにした。

「俺が組織に入るって決まった時、先輩が『都市伝説並の怪しい噂だが、俺らに頼れない時はここに連絡しろ』ってこっそりアドレスを渡された」

「逃がし屋の噂は、スパイたちの中では割と幅広く知られているはずなんだが」と、最初の煙をぷかりと吐きながら、ジン。「お前ら優秀かもしれねえが、その分尖り過ぎて孤立してんじゃねえのか」

 ワンマンはよくないぜと嘲るジンに、お前が言うなと思ったのは二人か三人か。

「しかしまさか……」

 ライが前に出た。

「組織の処刑人であるジンが、組織を裏切っていたとは」

「ああ? 誰が裏切るかよ。これは、ボスもラムも知っている」

 衝撃的過ぎて、「後、ウォッカも」と付け足された言葉は誰の耳にも届かない。

「え」

「まあ、罠にかかった間抜けなジェリーには毎回説明していることだ。聞け」

 元を正せば、KGBが始めたことだった。

 金で祖国を裏切るような役立たずを組織に潜入させ、わざと情報を漏らし組織に始末させる。

 それは後腐れもなく便利でいいと、当時のソ連の上層部が便乗した。

 更にはその手があったかと、他国までもが真似するようになった。

 知ってはいけないことまで知ってしまった者を、物理的に何も喋れなくするために。

「権力者は清廉潔白ではいられない。腕の立つスパイってのは、その闇を覗きこまずにはいられない。敵だけではなく、味方の抱える深淵をも」

 それはお前らのほうがよく知っているだろう?

 ジンは、三人の優秀なスパイに告げる。

「便利だから使わざるを得ない。だが、いつ自分の悪事が暴露されるかと怯えているのは疲れちまうのさ」

 金でどうにかなるならいいが優秀な奴ほど鼻っ柱(正義感)が強いものだと、ジンはそして告げた。

「つまり、お前たちは殺されるためにここに来た」

「……証拠は?」

 握り締められた拳と絞り出された声が、ただ信じたくないのだと告げている。

「俺が今まで処分したネズミが何匹いたと思っている。今も組織に潜入している奴らを合わせれば、両の手足の指で足りねえくらいだ。そんなにもスパイが入り込んでいて、未だに逮捕されない犯罪組織ってなんだ。必要悪と嘯きながら、ていのいい処分場扱いされているとかふざけるな」

 お国のためにと自己犠牲満載の正義感振りかざして実は潰すつもりのない組織に潜入しているって知った気分はどうだ。バカバカしいと思うだろう?

 ジンが吐き捨てる。

「俺たちはバカバカしかった。どうしてわざわざ敵対組織の思惑にひょいひょいと乗らなくてはいけないのか。だからとりあえず一人二人逃がして『トムとジェリー』の噂を流した」

 これが真実だとスパイに告げる。

「それでだ。スコッチ、これからどうしたいかを選べ」

 すまし顔で古巣に戻るもよし、別人になって他の国に行くもよし、組織に残るもよし、復讐するもよし、絶望したってんなら殺してやる。

「や、死ぬ気はないけど」

「当たり前です。僕がもらっていきます」

 バーボンが口を挟む。

「スコッチはライに追い詰められて自殺。僕が現場に着いてスコッチの死亡を確認した後、ジンに報告をしたということにします。ライ、いいですね」

 有無を言わせない勢いだ。

「構わないが」ライがひらりと質問の手を上げる。「スコッチの死を偽装するなら、ジンが手を下したことにしたほうが信憑性が増すんじゃないか」

「だからですよ。スコッチをいつまでも鬼籍に入れたままにはしません。僕がそんな『トムとジェリー』だ『必要悪』だなんて世迷い言をいらないようにしてみせます」

「バーボン」

 今後死人になる予定のスコッチの心に、バーボンの勇ましい宣言がクリティカルヒットしたらしい。目を潤ませている。

 しかしジンは、この茶番劇はまだ続くのかと呆れてタバコの煙を吐き出していた。

「スコッチが公安に戻る際、裏切り者は赦さない処刑人のジンが助けたと言って誰が信じるんですか。それより実はFBIだったライが助けたと言ったほうが、よっぽど納得いくはずです」

 ライも今さらFBIではないとシラをきるつもりもないようだ。バーボンの説明に、肩をすくめるだけだった。

 バーボンはジンに目を向ける。

「ジンも、いいですね?」

「こっちの手間がはぶけるんなら構わないがな。しかしバーボン、今のお前はしゃかりきになりすぎて、あっという間に海の底に沈んでそうだぞ」

「僕がそんな下手を打つわけないじゃないですか。……それに、万が一の時にはトムが助けてくれます」

「ああ? てめえ、まさか組織に残るつもりか」

 組織に正体がバレたのだから古巣に戻るのだと、てっきりジンはそう考えていた。

「ずっと組織は、俺たちの所属を知っていながら知らないふりをしていたんだ。俺たちが残ったとしても、今までと何も変わらないだろう?」

 答えたのはライだ。つまり、彼も残ると告げている。

「ジンの言うことが本当なら、FBIでも大掃除が必要だ。しかし、一昼夜で終わるような簡単な話ではないし、我々を排除しようという動きも活発になる。新しい罠に怯えるよりは、その気のない罠(組織)の中のほうが安全だ」

「罠ごと油に沈めて殺すぞネズミども」

 ライの言葉に、ジンの背中から怒気が立ちのぼった。

「いいように利用されるのが嫌でこんな茶番劇演じてんのに、それを更に利用しようってんなら覚悟しろ。第一、手品師がわざわざネタばらしした手品をもう一度やってみせるかよ。てめえらがトムを呼んだところで来ると思うな」

 でもなんだかんだいって助けてくれそうな気がするけれど、と命拾いしたばかりのスコッチは思ったが、ジンにぎろりと睨まれた。

「スコッチの死亡報告は精密なものを上げろ、バーボン。情報端末は自殺ついでに破壊したことにしろ。正体ばれたからって仕事の手を抜くな。他の連中に疑われても面倒は見ない。ライ、日本に入り込んでいるFBIのお仲間に今回の真相をバラすなよ。それからてめえら、今までと変わらないというなら今まで通りに悪事に手を染めろ。ミスをしたら切り捨てる。いいか。どっかのネズミだろうがそうじゃなかろうが、役に立たねえなら意味がない。障害にしかならないのなら容赦はしねえ排除する。肝に命じとけ」

 こうして満月は沈む。

 

 

 ちなみにこの世界に『トムとジェリー』は存在しない。

 

 

 




++あとがきというかいいわけ++

よくあるスコッチ救済について考えてみた結果です。
いやだって特にスコッチ単品で救う理由が見つからなくて、じゃあ根本的にスパイを殺さない理由について考えてみた結果というか、このシリーズでは黒の組織はKGBが作ったけどソ連が崩壊した後祖国に持て余されて、ただの犯罪組織でいる内に早く潰れろや状態なわけですよ。だったら、スパイにはどちらかというと活躍してほしいはずだし、他国に利用されるのは勘弁なはず。
ちなみに、ボスが日本人でKGBなら戦後シベリア抑留されて『異国/の/丘』の神田さんみたいに生き残るためにスパイになる道を選んだんじゃないかなと、余計な設定を考えてみたり。
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