その人たちが現れた瞬間、店内に漂っていた空気が一変した。
黄昏を思わせる朱い髪をした女神を先頭とした、数十人にも及ぶ冒険者の一団。彼、彼女らの放つ圧倒的な存在感に、僕を含めてこの場に居合わせた誰もが目を奪われた。
【ロキ・ファミリア】。
迷宮都市オラリオの誇る二大派閥、その一つである。
「おい、あれってもしかして……」
「【ロキ・ファミリア】だ……すげぇ……」
「第一級冒険者が揃い踏みかよ……」
「いい眺めだなぁ。へへっ、上玉揃いだぜ……」
「馬鹿、殺されるぞ……!」
ひそひそと他の冒険者たちが声を潜める中、主神であるロキ様と団長であるフィン・ディムナさんを筆頭とした眷族の人たちは、特に気にした様子もなく悠然と進んでいく。日頃から注目されているだけあり、この程度の視線や囁きなど慣れているのだろう。
そんな集団の中には、昨日僕が出会ったアイズさんとベートさんの姿もあった。
──雑魚じゃあ、アイズ・ヴァレンシュタインには釣り合わねえ。
「っ……」
かつて突きつけられた残酷な一言が脳裏を過り、無意識のうちに身を縮めてしまう。言われたのはもうずっと前のことだというのに、今でも当時の光景は鮮明に思い出せるあたり、どれだけ強烈な出来事だったのかということが窺えるというものだ。
ただ冷静になって考えると、あれもまた現在の僕を形作るきっかけの一つだったのかもしれない。
ダンジョンと英雄、そして運命の出会いに憧れ、故郷を飛び出した僕は、あのとき無情な現実に酷く打ちのめされた。自分という存在が如何に甘ったれていたのか、嫌というほどに思い知らされたのである。
惰弱、貧弱、虚弱、軟弱、怯弱、小弱、暗弱、柔弱、劣弱、脆弱。
悔しくて悔しくて堪らなかった。
情けなさに涙が止まらなかった。
弱い自分が許せなかった。
強くなりたいと、心の底から初めて願った。
苦い思い出であることには違いない。しかし、ベル・クラネルには確かに必要なことだった。
あの日、あの瞬間、僕の進むべき道が決まったのだから。
「【ロキ・ファミリア】……。大派閥の片割れがなんでこんなところに……?」
「【ロキ・ファミリア】の皆さんはうちのお得意様なんです。なんでも、主神のロキ様がこのお店のことをいたく気に入られて……時々、ああしてここで宴会を開かれるんですよ」
ヴェルフの口からこぼれた疑問に答えたのは、僕たちのテーブルに料理と飲み物を運んできたシルさんだった。
この『豊饒の女主人』に勤めるウエイトレスの人は、見目麗しい美人ばかりだ。そしてロキ様は、無類の美男美女好きな神様でもある。そんなロキ様がこの店を気に入ったということは、もちろん料理やお酒の美味しさもあるだろうが、恐らくはそういうことなのだろう。
「……あの、やっぱりベルさんも【ロキ・ファミリア】さんが気になるんですか? さっきからずっとあちらを見られてますけど」
「へ? あ、あぁ……そう、ですね。このオラリオを代表する探索系【ファミリア】で、たくさんの冒険者がいますから……その、僕もあんな風になりたいなって……」
記憶の海に沈んでいた意識が、シルさんの声で浮上する。ロキ様の音頭で宴会が始まり、わいわいと盛り上がり出した【ロキ・ファミリア】の様子に、僕はすっと目を細めた。
僕にとって一番の冒険者は言うまでもなくアイズさんだが、【ロキ・ファミリア】の人たちもまた、尊敬の対象であることに変わりはない。冒険者としての強さはもちろん、レベルでは測れない技術や在り方など、見習うべきところがいくつもあるのだ。
「ベルさんならきっとなれますよ。【ロキ・ファミリア】の皆さんにも負けない、すごい冒険者さんに」
「ふふっ、ありがとうございます」
「あっ、その笑い方、信じてませんね? 私の勘って結構当たるんですよ?」
頬を膨らませ、「怒ってます」とばかりに唇を尖らせるシルさん。
するとそこに近付いてくる一つの影があった。
「シル、お話の途中で申し訳ありませんが、ミア母さんが呼んでいますよ」
「はーい。それじゃあベルさん、私はこれで失礼しますね」
ぺこりと頭を下げ、早足で去っていくシルさんを、軽く手を振って見送る。それから僕は彼女を呼びに現れた、薄緑色の髪のエルフの女性に視線を移した。
「こんばんは、リューさん。お邪魔してます」
「はい。いらっしゃいませ、クラネルさん」
澄まし顔を僅かに軟化させ、小さく一礼をするこの人は、リュー・リオンさん。
【疾風】の二つ名を持つ凄腕の冒険者であり、
リューさんと共に乗り越えた死線は数知れず、また窮地を救われた回数も数えきれない。偉大な先達として僕を導いてくれた恩人である。
「今日もダンジョンに挑まれたのですか?」
「はい。ヴェルフ──そこの彼と二人で6階層まで」
「パーティを組まれたのですね。それはいいことです。クラネルさんはいつも一人だと、シルも心配していましたから」
そこでリューさんはヴェルフに向き直り、真剣な面持ちを作った。
「酒場の一店員が差し出がましいようですが、どうかクラネルさんをお願いします。彼を喪うようなことがあればシルが……私の大切な人が悲しむ」
「お、おう。もちろんだ。ベルは俺にとっても大事な相棒だからな。無茶しないよう、ちゃんと見張っておいてやるよ」
「えぇ。それなら安心です」
リューさんが答えた直後、近くのテーブルからウエイトレスを呼ぶ声が上がった。
「すみません、どうやらいかなくてはいけないようです」
「あぁ、はい。少しの間でしたけど、リューさんに会えてよかったです」
「……やはり貴方は不思議な人だ。こんな無愛想なエルフに、会えてよかっただなんて」
そんな疑問を残し、リューさんはそそくさと僕たちのもとを後にしていった。
今のリューさんの態度や反応に、寂しさを覚えないと言えば嘘になる。とはいえ、今の僕と彼女とは客とウエイトレスの関係でしかない。いつの日か、心を開いてくれるときが来ればいいのだが、今はまだ仕方がないと割り切るしかないだろう。
「……ベルって案外、女から好かれる
「んぐっ!? ゴホッ! ゴホッ……!」
何気ないヴェルフのその一言に、水を飲んでいた僕は盛大に噎せ返る。
──え、何!? どうしたの急に?
「お、おい! 大丈夫か?」
「う、うん、平気……。平気だけど……いきなりなんでそんなことを?」
「あー……いや、なんていうか、さっきのヒューマンといい、エルフといい、随分とお前に気を許してるようだったからな。ベルも結構慣れてるように見えたし、それで、つい」
「そ、そうなんだ……」
ばつの悪そうな表情を浮かべ、目を泳がせながらヴェルフは頬を掻く。
その言葉を肯定する訳にもいかなければ、否定するにしても些か心当たりが多すぎた。神様やリリなど、周囲の女性たちから好意を向けられていたのは、紛れもない事実なのだから。
故に、曖昧に笑って誤魔化すことしか出来なかった。
「そ、それよりさ、ヴェルフは明日から鍜冶を始めるの?」
「ん、あぁ、そうだな。『ウォーシャドウの指刃』や他の素材も必要数集まったし、早速始めていこうと思ってる。ただ、今回は色々やってみたいことがあるから、完成には何日かはかかることになるだろうな」
「やってみたいこと?」
言われたことをそのまま返すと、ヴェルフは「おう」と頷いた。
「直接契約を結んだ相手に最初に送る作品だ、今までで最高の出来に仕上げたい。すぐに渡せないのは申し訳ないんだが、少し我慢してくれると助かる」
「うん、もちろん。楽しみにしてるから」
信じて、待つこと。それが今の僕に出来る、最大限の信頼の示し方だ。
話が一旦落ち着いたことで、僕たちは食事を再開した。
目の前には先程シルさんの運んできてくれた料理が、所狭しと並べられている。温かいうちに食べなければ美味しさが損なわれてしまう上、作ってくれたミアさんに失礼というものだ。
黙々と食事の手を進め、その味に舌鼓を打つ。
僕とヴェルフの間には、カチャカチャという食器の音だけが響いていた。
「ふぅ~、食った食った。やっぱり誰かと食う美味い飯は最高だな」
「うん……。流石にもう食べられないや」
大きく息を吐きながら背凭れに寄りかかったヴェルフが、しみじみといった風に呟き、膨れたお腹を叩いた。
人数にしては多めに料理を頼んだつもりなのだが、テーブルの上にある食器類には食べ残し、飲み残しの一片もなく、綺麗に片付けられている。それらをあらためて眺めてみると、我ながらよく完食したものだと感心した。
「さて……そろそろ行くか。これだけ今日は飲んで食ってしたんだ、明日から気合い入れていかねぇとな」
「そうだね。明日は僕もまたダンジョンかなぁ」
二人でぼやきつつ、支払いを済ませるために席を立つ。お酒のせいか、少しばかり頭が重いが、このくらいなら夜風に当たればすぐに治るだろう。
「……あれ?」
──そういえば、【ロキ・ファミリア】の人たちは何をしているのだろう?
足を止めて振り返り、【ロキ・ファミリア】の占める店の一角に目をやると、そこでは先程から変わらず宴会が行われていた。店内の喧騒に紛れて会話などは聞こえないが、その様子は実に楽しげかつ賑やかで、端から見ても盛り上がっているのが分かった。
少なくとも、誰かが誰かを嘲笑しているようには見えない。視線を巡らせ、僕を嗤ったベートさんの姿を探すと、彼は琥珀色の液体の入ったグラスを傾け、満足そうに息をついているところだった。
「……あれ? アイズさん?」
その際に、僕は気付いた。
【ロキ・ファミリア】の輪の中に、いるべき人がいないことに。
ロキ様。フィンさん。リヴェリアさん。ガレスさん。ティオネさん。ティオナさん。ベートさん。レフィーヤさん。ラウルさん。アナキティさん。
やはりだ。何度見てもアイズさんだけが見当たらない。
「あの……」
「うひゃあっ!?」
【ロキ・ファミリア】に意識を向けていた僕は、突然隣からかけられた声にすっとんきょうな悲鳴を上げた。思わずその場から
「えっと……こんばんは」
たった今僕の探していた、アイズ・ヴァレンシュタインその人であった。