……タイトルでオチがついてるとか言わないで(小声)
第15話
くすくすと、その女神は笑声を漏らした。
「──素晴らしいわ」
地下迷宮の真上に築かれた白亜の塔、その中の最上品質にして最上階の一室に、美の女神フレイヤはいた。
艶やかな肢体を黒のドレスに包んだ彼女はワイングラスを片手に、夜空の星々のごとくまばらな輝きを見せるオラリオの様子を一望している。
その口から出た言葉は、しかし目の前に広がる絶景に向けられたものではない。
「素晴らしい、ですか」
その問いを投げかけたのは、入口の大扉の隣に佇む
「えぇ。彼、まだ冒険者になって間もないというのに、あのモンスターたちを容易く倒してしまったの。本当に予想以上よ」
熱っぽい吐息と共にフレイヤは体を震わせた。
嬉しくて、愉しくて仕方がないとばかりに、その銀の瞳は爛々と輝いている。
フレイヤが少年を見つけたのは本当に偶然だった。
だがその姿を、魂を見た瞬間、一目で心を奪われてしまった。
純白。
綺麗で、まっすぐで、雄々しく、そして眩しい。これまで数多の
──欲しい。
久しく忘れていた喜びが全身を駆け巡る。少年のことを考えるだけで下腹部が疼いてしまう。
己の内に熾烈な炎が灯るのを、フレイヤは自覚した。
しかし、今はまだ時期尚早。冒険者となったばかりの少年がどう成長していくのか、見守ってからでも遅くはない。
そう考えていたのだが──つい、手を出してしまった。
少年の困った顔を、泣く顔を、何よりも勇姿を見たい。
そんな子供のような感情を抑えることが出来なかった。
故に、彼女は
フレイヤが見守る中、少年は襲いくるモンスターと戦った。そして最初はシルバーバックを、次はソード・スタッグを、彼は見事に撃破した。駆け出しの冒険者では到底敵わぬ相手を、その勇気と気高き精神で打ち負かしたのである。
格上の敵を前に一層輝きを増した純白の魂と、その敵へ果敢に立ち向かう小さな背中に、フレイヤは歓喜のあまり身悶えした。絶頂にも似た幸福感に包まれ、少年以外何も見えない。時間が経過してもそれは変わらず、むしろ彼女の欲望は際限なく膨れ上がっていた。
──もっと、もっと見たい。
──その魂が、輝く様を。
「ねぇオッタル」
「はっ」
「貴方にはあの子がどう見えた?」
夜景から従者へと視線を移し、尋ねる。
主の言葉に偉丈夫、オッタルはしばしの沈黙の後、こう答えた。
「……自分の目には、酷く歪に映りました」
その言葉にフレイヤは「へぇ」と呟き、口角を上げた。
「それは、どういう意味?」
「
故に、歪。
迷宮都市オラリオ最強の冒険者である【
「器が伴っていない、ね……。なら、その器というものを成長させれば、彼はもっと素晴らしくなるかしら」
「恐らくは」
「では、そのために必要なことは何?」
「器を昇華させるに足る艱難辛苦、それをなしに高みに至ることは不可能です。如何に歪であろうとあの者も冒険者ならば、必要なのは『冒険』以外にありますまい」
静かに、されど力強くオッタルは断言した。
過去に六度の『冒険』を乗り越えた、冒険者の頂点に立つ者として。
持論を。そして真理を。
「ふふふっ、そう。ならオッタル、あの子については貴方に任せるわ」
「……よろしいのですか?」
巌のような硬い表情を微かにしかめ、錆色の視線に困惑を浮かべたオッタルに対し、フレイヤは妖艶に微笑む。
「だって、貴方の方が上手くやれそうだもの。同じ冒険者だからかしら。存外にあの子のことをよく分かっているのね」
思わず嫉妬しちゃうくらいに、と。
からかうような主神の言葉を受け、オッタルは口をつぐんで黙りこくった。それに合わせ、頭部の猪耳がやや変な方向に曲がる。
その様子を見て、フレイヤは更に笑みを深めた。
「……でも、それならあの子にも何かしてあげなければ不公平ね」
おもむろに呟いた彼女は、部屋の隅に鎮座する大型の本棚へ歩み寄った。その中にある一冊に細い指を伸ばすと、ストンという音と共に手に収まる。
「うふふっ……楽しみね、ベル」
取り出した本の表紙をそっとなぞりながら、フレイヤはうっとりとした様子で少年の名をこぼした。
▽△▽△
『お勉強会』。
それは僕の担当アドバイザーであるエイナさんが定期的に開く講座のことだ。
冒険者にとって大切なのは何も腕っぷしだけではない。ダンジョン各階層の特徴や対策、出現するモンスターの種類、強さ、習性、弱点など、生き残るためにはそういった知識も身につけておく必要がある。
そのために開かれるのが、この『お勉強会』なのだ。
「エイナさん、終わりました」
「うん。じゃあ採点するね」
ギルド本部にある個室にて、今日の仕上げとして出された問題を解き終えた僕は、対面に座るエイナさんにその回答用紙を手渡した。受け取ったエイナさんは羽ペンを片手に、淀みなく羊皮紙に目を通していく。
「……」
「……」
手持ち無沙汰となった僕は机に肩肘をつき、採点作業中のエイナさんを見つめる。
肩口の辺りで切り揃えられた明るいブラウンの髪。エルフ特有の木の葉を思わせる尖った耳と、整った顔立ち。眼鏡越しに見える
結論、やはりエイナさんは綺麗だ。
「うん、全問正解だね。おめでとう、ベル君」
「あ、ありがとうございます」
羊皮紙から顔を上げ、微笑んだエイナさん。そんな不意討ちの笑顔に、今まで見つめていたことが申し訳なくなり、僕はつい目を逸らしてしまう。
「? どうかしたの?」
「い、いえ、何も。それよりもうお昼ですね。よかったら一緒にどうですか?」
「ふふっ、ありがとう。なら、お言葉に甘えちゃおうかな」
そうと決まれば話は早い。
エイナさんがお昼休憩に入ると、僕は彼女を連れ、西のメインストリートから少し外れた路地にある、こぢんまりとした喫茶店を訪れた。
初老のエルフの男性が奥さんと二人で切り盛りするここは、静かで落ち着いた雰囲気が人気の隠れた名店であり、お昼には常連客で賑わうのが特徴だ。今日もその例に違わず、既に残る席も少なくなっていた。
「わぁ……。こんなところにこんなお店があったんだね」
「通りから外れた、少し見つけにくい場所にありますからね。僕も偶然見つけたんですけど、いいお店ですよ」
キョロキョロと店内を見回すエイナさんと言葉を交わしつつ、空いていた窓際の席に座った。ほどなくするとこのお店のご主人がやってきたので、二人分の注文を伝える。
「ベル君は午後からどうするの? ダンジョン? それともお休み?」
「ダンジョンに行こうと思ってます。今日はヴェルフが用事で来られないそうなので、一人で挑むことになりますけど」
「そうなんだ。なら、十分に気をつけてね。クロッゾ氏がいないってことは、危なくなったときに助けてくれる人がいないってことなんだから。ベル君はまだ冒険者になったばかりだし、無理して深い階層に行っちゃ駄目だよ?」
どうやらエイナさんの中の僕はまだまだ駆け出しの未熟者であり、ダンジョンで戦えているのは相方のヴェルフに依るところが大きいと思われているようだ。
それは確かに正しいし、仕方のないことなのだろう。とはいえ、実際は決してそうではない。
僕とヴェルフはお互いに背中を預け合い、助け合う相棒同士なのである。どちらかがどちらかに頼りきり、と思われているのは本意ではない。
──エイナさんには悪いけど、いつもより深く潜ってみようかな。
意地になっている自覚はある。それでも、やめるつもりはない。
今の僕が一人でどこまで戦えるのか、この機会に試してみようではないか。
「ベル君?」
「……あ、すみません。少しボーッとしてました」
「大丈夫? 疲れてるなら休んだ方がいいよ?」
「いえ、本当に大丈夫です」
内心を悟られないよう、笑って誤魔化す。良心が痛むが、ここで引き下がるのも何か違うような気がした。
我ながら子供だなぁ、なんて思いながらも会話を続けていると、微笑を浮かべたご主人が料理を運んできてくれた。本日のおすすめと銘打たれていた、色合い豊かな野菜のパスタが、僕たちの前にそっと並べられる。鼻腔をくすぐる香ばしい匂いに、自然と頬が緩んだ。
「美味しそうだね」
「ですね。戴きましょうか」
手に取ったフォークにパスタを巻きつけ、口へと運ぶ。野菜の酸味や甘味がしっかりと絡んでおり、とても美味しい。素材の味がよく活かされている、というのが僕の感想だ。
チラリと視線だけでエイナさんの方を伺うと、口元を綻ばせて調子よく食事の手を進めていた。普段はなかなかこういったエイナさんを見る機会はないため、なんとも新鮮な感じがする。
そんな様子を少し眺めていると、やがてエイナさんも僕に気付いたようで、きまりが悪そうに小さく咳払いをした。
「ベル君、女の人をあんまりじっと見るのはよくないよ?」
「ふふっ、すみません。美味しそうに食べるなぁと思って、つい」
「んっ……!? と、とにかく、そういう風に女性をジロジロ見るのはいけません。いい?」
頬を微かに赤くしながら、ずれた眼鏡を元に戻すエイナさんに、僕は苦笑と共に頷いた。
食事を終え、一息ついたところで時間を確認すると、エイナさんが「あっ……」と声を上げた。どうやらお昼休憩の終わりが近いらしい。ギルドに戻る時間を考えると、このお店でこれ以上ゆっくりしている暇はなさそうだ。
「ごめんねベル君。その、支払い、全部任せちゃって……」
「いえ、声をかけたのは僕の方からですし、気にしないでください」
支払いといっても二人分の食事で、たかだか三〇〇ヴァリス程度、冒険者としてお金を稼いでいる僕からすれば痛い出費でもない。むしろエイナさんとお昼を一緒に出来たのだと考えると、このくらい安いものである。
「それじゃあエイナさん、午後からもお仕事、頑張ってください」
「うん。今日はありがとう。ベル君も気をつけてね」
「はいっ!」
大きく手を振り、ギルド本部に戻っていくエイナさんを見送る。その背中が完全に見えなくなったところで、僕もまた踵を返した。
「──さぁ、頑張るぞ」
天高く聳える