第1話
翌日、僕と神様は朝からギルドの本部である、白い柱で作られた荘厳な
ここで僕は冒険者登録を、神様は【ファミリア】結成に関する諸々の手続きを、これからしなければならない。
この迷宮都市オラリオにおいて、ギルドの存在はなくてはならないものだ。ここで手続きを怠れば、僕たち【ファミリア】はギルドに活動を認可されていない派閥となり、出来ることが大幅に制限されてしまう。
逆にギルドに届出をすれば、オラリオにおける一定の地位と権利が約束され、加えて様々な支援を受けることが出来る。もちろん、定期的に監査が入ったり、ギルドから依頼が入ればそちらを優先したりする必要があるものの、全うな【ファミリア】であれば、得られる恩恵の方が遥かに大きいのは間違いない。
そんな訳で、僕たち【ヘスティア・ファミリア】も新興派閥として、ギルドに登録をしに来たのである。
「ふぅ……。こんなものかな」
空欄を埋め、職員に提出した僕は机に肩肘をつき、このギルドに行き来する冒険者たちを、ぼんやりと眺める。
相変わらずギルドの本部は、いつもたくさんの人がいる。ただ、やはりまだ午前中だからか、ダンジョンから帰ってきた人たちが『魔石』の換金に押し寄せる夕方に比べれば、まだ控えめであるように思えた。
そんな感想を抱く僕のもとに、奥の方から一人の女性がやって来る。
「お待たせしました。ベル・クラネルさん、ですね?」
その聞き覚えのある優しい声に、胸の内から温かい気持ちが込み上げてくる。けれど努めて平静を装い、僕は声の方へと顔を上げた。
ギルドの制服を着こなした、ハーフエルフの女性。眼鏡をかけ、綺麗な
そして、僕にとって大切な女性の一人でもある。
「はじめまして。今日からあなたのアドバイザーとなりました、エイナ・チュールといいます。よろしくね」
「ベル・クラネルです。よろしくお願いします」
──エイナさんとは、また前みたいな関係を築けたらいいな。
心の中でそうこぼしつつ、椅子から立ち上がって頭を下げた。
「うん。それじゃあ今日から冒険者になったクラネルさんには、今から冒険者としての心得や、ダンジョンついての知識を身につけてもらうため、講習を受けてもらいます。これを受けてもらわないとダンジョン攻略は認められない決まりだし、知っていて損することはないから、しっかり聞いていてね? 時間の方は大丈夫かな?」
「問題ありません。あ、よかったらベルって呼んでくれませんか?」
「ふふっ、じゃあベル君って呼ばせてもらうね? 私のこともエイナでいいよ」
「はい! エイナさん!」
親しみやすい素敵な笑顔を浮かべるエイナさんに、つられて僕も笑う。
初心者向けの講習など、僕にとっては今更なことばかりなのかもしれないが、それでもエイナさんと一緒にいられるのであれば、退屈に感じることはないだろう。
数時間に及ぶ講習後、エイナさんと別れた僕は神様と合流した。
どうやら神様も神様で僕と同じように、【ファミリア】をまとめる主神としての在り方を叩き込まれたらしく、随分と疲れているようだった。心なしか、二つに結んだ黒髪もしゅんとなっているように見える。
「うー……やっと終わったよ……。何時間も椅子に座らされて、延々と話を聞かされ続けるなんて……退屈で死んじゃうかと思った」
「お疲れ様です、神様。とりあえず、お昼ご飯を食べに行きませんか? 結構いい時間ですし」
「そうだね、そうしよう……」
そう言って深々とため息をついた神様に、僕は曖昧に微笑することしか出来なかった。
「そういえばベル君、朝と格好が変わっているみたいだけど、もしかしてそれが冒険者の装備なのかい?」
「はい。ギルドが販売してる駆け出し冒険者用の装備一式です。早くダンジョンに行きたくて、思わずもらってすぐに着替えちゃいました」
金属製の胸当てを叩き、軽く胸を張る。すると神様から「なかなか似合ってるぜ」と褒め言葉を頂いた。
ちなみにこれら装備一式にかかった費用は、合計で八六〇〇ヴァリス。当然手持ちの分では足りないので、購入に借金をすることとなったのは秘密だ。
なんにせよ、せっかく買ったのだから大切に使わせてもらおう。一〇〇〇〇ヴァリス程度の借金など、頑張れば一週間ほどで返済出来るのだから。
「……やる気があるのは結構だけど、無茶だけはやめておくれよ? まぁ、君にはボクの助言なんて不要かもしれないけど」
「そんなことありません。神様のその言葉、胸に刻みます」
ダンジョンでは何が起こるか分からない。
それは先程の講習で、エイナさんにも何度も言われたことであり、僕自身の経験からも身に染みて分かっていることだ。
僕のレベルは1。かつての経験があるとはいえ、駆け出しのルーキーであることに変わりはない。むしろ生半可に経験がある分、調子に乗りやすいともいえる。
故に、油断も無茶も厳禁だ。それだけは、しっかり肝に銘じなければならない。
「それじゃあ神様、いってきますね」
「うん! 気をつけるんだぜ、ベル君!」
「はいっ!」
昼食を済ませ、
▽△▽△
オラリオの地下迷宮、1階層。
『始まりの道』とも呼ばれる大通路に立った僕は、目の前に広がる薄青色の壁面と天井に、思わずその場に立ち尽くしていた。
──また、この場所に戻ってきた。
喜びも、
悲しみも、
苦難も、
冒険も、
そして出会いも、
その多くが、ダンジョンと共にあった。
過去の出来事が瞬間的に脳裏を過り、込み上げてくる様々な感情にしばらくの間、その場に立ち尽くした。
「──行こう」
それからどのくらいそうしていたのか。
濁流のように押し寄せてきた記憶を整理し、一度深呼吸をしてから、僕は大きく一歩を踏み出した。
ここはダンジョン。
死の危険がそこかしこに溢れる、モンスターの坩堝だ。誇張でもなんでもなく、一瞬の気の緩みが生死を分ける。
これから先は、感傷に浸っている暇などない。
『グルルルル……』
「……いる」
曲がり角付近から聞こえてきた唸り声に、腰に挿していた短刀を鞘より抜く。カチリと、自分の中で意識が切り替わるのを感じた。
目を凝らし、武器を構える僕の前に、やがてそのモンスターは姿を現した。
『コボルト』。鋭い牙や爪を武器にする、犬頭のモンスターだ。
『ウゥ……ガァアアア!』
僕を視認するや否や、コボルトは雄叫びを上げて駆け出した。ギラリとその目を光らせ、口からは涎を撒き散らして、僕のもとへと一直線に走ってくる。
振り上げられるコボルトの腕。鋭利な爪が、天井からの燐光を浴びて小さく輝く。
まともに受ければ怪我は免れないであろう一撃を、僕は半歩ほど横にずれることで躱した。
「ふっ──!」
短く息を吐き、力強く握り締めた短刀を、コボルトの胸めがけて突き出す。
肉を抉る感触と、血の臭い。それに一瞬遅れて、何かを砕いたような手応えが伝わってくる。
短刀の刺突は狙い通り、コボルトの胸にある魔石を寸分違わず捉えていた。
『ガ……ァ……』
断末魔に微かな呻き声を残し、コボルトは灰に還った。
核たる魔石を砕かれたモンスターは消滅する。それは上層のコボルトから深層の階層主まで、例外なく全てのモンスターに当てはまる弱点だ。
当然、下層のモンスターになればなるほど、魔石を狙うのも困難になっていくが、それでも砕きさえすれば、理論上どんな相手でも一撃で屠ることが出来るのである。
「……やっぱり、思ったようにはいかないか」
コボルトを倒した際の一連の動きを振り返り、僕は短刀を握る手をじっと見つめる。
自分の出せる最高の速さで、最高の一撃を急所に叩き込んだつもりだった。
だがそれは、かつて【
あの頃と今とでは何もかもがまるで違う。【ステイタス】も、装備も、身長も、全身の筋肉量も、そのしなやかさも。以前と同じ感覚で戦おうとすると、加減や間合い、立ち回り方など、そのことごとくを誤りかねない。
「まずは現状に慣れるところから、かな」
自分の力を把握し、違和感を覚えることなく戦えるようになるには、恐らく数日はかかることだろう。こればかりは一朝一夕に成せることではない。
そして必要なのは何よりも場数。つまり戦闘あるのみだ。とにかくモンスターと戦って、少しずつ調整を繰り返していくしかない。
やることは決まった。ならば早速行動に移そう。
頭の中に1階層の地図を思い浮かべた僕は、モンスターを探すべく移動を開始した。