すぅすぅと、規則正しい寝息が聞こえる。
ベッドで深い眠りに落ちている神様とは対照的に、ソファーで横になる僕の目はすっかり冴えてしまっていた。
その原因ははっきりしている。先程発現した新しい魔法だ。
【ケラウノス・ウェスタ】。
速攻魔法の【ファイアボルト】とは違う、僕の新しい力。一体どんなものなのか、想像を膨らませれば膨らませるほど、僕の胸は子供のように高鳴り、眠気など容易く吹き飛ばしてしまうのである。
目を瞑り、寝返りを打つ。けれどすぐに目が覚めて、また寝返る。
さっきからずっとその繰り返しだ。
結局好奇心に負け、ベッドから起き上がるまでそう時間はかからなかった。
「……ごめんなさい、神様」
聞こえていないのは承知の上で謝罪を残し、最低限の支度をしてダンジョンに向かう。誰もいないメインストリートを駆け抜け、とうとう1階層に辿り着いた。
いよいよ試せる、そう思うと早鐘を打つ心臓が余計にうるさく感じた。何度も深呼吸を繰り返し、ようやく心を落ち着けたところで、視界の端に一体のゴブリンが入ってくる。
魔法を試す相手としては格好の獲物だ。
「……よし」
魔法とは名を呼んだだけで発動するものではない。速攻魔法などを除く大半の魔法は、それぞれ定められた詠唱式を唱えることで、初めて扱うことが出来るのである。そして、その威力や効果は詠唱の長さに比例するとも言われている。
かつての魔法、【ファイアボルト】が詠唱なしであった僕にとって、詠唱のある魔法を使うのは今回が初めてとなる。そう考えるとまた興奮の熱が起こりそうになるが、あまり力んでは『
落ち着いて息を吸い、そして吐く。
顔を上げ、まっすぐ前を見据えながら、万感の想いと共に詠う。
「──【
瞬間、僕の周囲を蒼白の雷が走った。
「わっ!?」
バチィ! という派手な音を至近距離で耳にした僕は、思わずその場から飛び退いてしまう。しかし驚いたのも束の間のこと、僕の周りを不規則に点滅する雷光に、言葉もなくしてただただ魅入ってしまった。
その光はまるで精霊だ。消えたり現れたりする気まぐれな精霊が、僕を中心に踊っている。パチパチという弾けるような音は足音か何かとも思えてくる。
『ウウウゥ……!』
「はっ……そうだ」
低いゴブリンの唸り声が立ち尽くす僕を現実に引き戻す。はっとなった僕は頬を叩き、あらためて意識を前に向ける。
距離はおよそ一〇
【ケラウノス・ウェスタ】は
「アイズさんは、確か……」
まず、アイズさんは『風』を纏っていた。その全身に纏った『風』で空を飛ぶ、あるいは武器に纏わせて攻撃力を強化したり、身を守る盾や鎧としても使っていたりした。
対する僕の魔法では、恐らくアイズさんのように空を飛ぶことは出来ない。だが、それ以外の使い方なら模倣出来るかもしれない。
「纏う……纏う……」
口に出し、自分に言い聞かせながら想像を固めていくと、周囲を走るだけだった雷に変化が表れた。耳を打つ音が近くなり、髪の毛が逆立って上を向く。四肢をはじめとして、僕の全身を雷電が包み込んだ。
怖さはない。むしろこの光は温かくて、不思議と僕に安心感を与えてくれる。
次に試すのは武器だ。鞘から抜き放った《神様のナイフ》に意識を集中させると、雷が刀身を這い、蒼白の輝きを帯び始めた。
このナイフの材料は魔力伝導率の優れた『ミスリル』。
ひとまず準備は整った。後は試すのみである。
「さぁ、いくぞ」
地面を蹴る。瞬間、脚部の雷光が小さく弾け、僕の動きを一気に加速させる。一〇
斬撃を受けたゴブリンは一度大きく痙攣し、そして
『──』
断末魔すら残せぬまま、蒼い炎に魔石ごと焼き尽くされるゴブリン。
その様を見て、僕はようやくこの魔法を理解した。
【ケラウノス・ウェスタ】。
言い換えるなら、『聖火の雷霆』。
ただの雷属性の魔法ではない。この雷に打たれた相手は、立て続けに聖なる焔にも呑まれるのだ。
攻撃性に富んだ雷と炎の複合魔法、これが【ケラウノス・ウェスタ】の正体だ。
「雷と……炎?」
そのとき、ふと一つの可能性が頭を過り、辺りを見回す。
近くにモンスターはいない。ならば狙うは壁だ。
目を瞑り、左手を固く握り締める。光が収束し、バチバチと激しい音を鳴らし出す。
思い起こすは不滅の炎。色褪せない記憶と共に、その名を高らかに吼える。
「──
左手を突き出し、解放。
刹那、稲妻がジグザグに宙を駆け抜け、壁を焼き焦がした。
「……やった」
出来た。
再現出来た。
魔法スロットを使わない、一つの『技』として、かつての魔法を使うことが出来たのだ。
確かに焼き焦げた壁を見つめながら、僕は呆然と呟いた。そして、続いて込み上げてくる歓喜に拳を高く振り上げる。
「~~~っっっ!!」
声にならない絶叫を上げ、しばらくその場に立ち尽くした。
△▽△▽
魔法のあれこれを試しつつダンジョンを進んでいると、いつの間にか3階層まで来てしまっていた。我ながら調子に乗りすぎたかと反省しつつ、消費した
魔法の使用には
「……とりあえず、これからは
これはまだ確定した訳ではないが、【ケラウノス・ウェスタ】の魔力消費は非常に荒い。
雷と炎という二つの属性を持ち、幅広い場面に対応する汎用性を兼ね備えたこの魔法は、率直に言ってとても強い。ただ、強力であるということはそれだけで相応の魔力を必要とする。加えて、
「まぁ、それも仕方ないことだよね」
魔力量や魔法の威力は『魔力』のアビリティに依存する。そしてその『魔力』を伸ばすためには、とにかく魔法を使うしかない。
これまで魔法を覚えていなかった僕の『魔力』は当然最低値のIであり、成長するまで不自由は避けて通れない道だ。こればかりはどうしようもない。
なんにせよ、これで魔法の要領は掴んだし、ついでに課題も見つけられた。試行にしては十分な成果だ。
欠伸を噛み殺しながら立ち上がり、踵を返した僕だったが、後ろから感じた気配にふと足を止めた。
モンスターではない、これは人のものだ。
「……ベル?」
「ア、アイズさん?」
足を止めて間もなく角の向こう側から姿を現したのは、なんとアイズ・ヴァレンシュタインさんその人だった。
思わぬところでの出会いに、思考が白一色に塗り潰される。
「どうした、アイズ? そこに誰かいるのか?」
「うん。ベルがいるよ」
「ベル? む、君は……」
そのアイズさんに続き、固まる僕の前に現れたのは、綺麗な翡翠色の長髪と杖を携えるエルフの──正確にはハイエルフの女性であった。
【
【ロキ・ファミリア】をまとめる首脳陣の一人であり、オラリオ最強の魔法使いでもあるLv.6の冒険者だ。
「えっと、こんばんは」
「こ、こんばんは。こんな時間までダンジョンに潜ってたんですか?」
「うん。37階層まで、ちょっと」
37階層。
忘れもしない、そこはかつて、リューさんと二人で取り残されたダンジョンの深層だ。常に死と隣り合わせだった当時の恐怖は、今でも鮮明に思い出すことが出来る。あれほど過酷な冒険をした経験は、過去を振り返っても数えるほどしかない。
そんな場所まで『ちょっと』で行って帰ってこれるアイズさんは、やはり冒険者として超一流なのだとあらためて思わされる。
ただ、身につけている鎧はボロボロになっており、激しい戦闘の跡が窺える。37階層でアイズさんほどの猛者がここまで消耗する相手となると──。
「ベルはどうしてダンジョンに?」
「えっと、それは……」
思考はそこで中断される。アイズさんの当然の問いかけに、僕は言葉を濁した。
話すべきか、誤魔化すべきか。
いや、隠したところで遅かれ早かれバレるものはバレる。アイズさんとリヴェリアさんなら吹聴されることもないだろう。
「……実は魔法が使えるようになりまして、その試行というか、練習に」
「魔法が?」
返答を受け、微かに瞠目するアイズさん。心なしか、その金の瞳が輝いているように見える。
「もう魔法まで覚えたんだ。おめでとう」
「ありがとうございます」
おめでとう。
何気ない一言だが、アイズさん本人に言われたというそれだけで頬が緩む。
そのときだ、ピキリと小さく音を立て、ダンジョンがモンスターを生んだのは。
「……アイズさん、ここは任せてもらえませんか? 少し見ていてほしいんです」
「え?」
産声を上げるゴブリンとコボルトに、徒手空拳のまま近付いていく。剣の柄に手をかけたまま、怪訝そうな顔をするアイズさんを一瞥し、短く詠唱式を紡いだ。
「──
蒼雷が、瞬く。
「これは……」
「超短文の詠唱、そして
アイズさんとリヴェリアさん、二人の声を背に僕は走り出した。
固く握り締めた右手を前に突き出し、その技を叫ぶ。
「ファイアボルト!」
光速で放たれた一条の雷は二体のコボルトを穿ち、一拍遅れて火だるまにする。突然炎上し始めた同胞に怯むモンスターたち、その隙に一体のゴブリン目掛けて、電撃を纏った跳び蹴りを叩き込む。
『グォオオオオ!』
『グルァア!』
着地した位置は集団の真ん中。自ら飛び込んできた僕に対し、複数のコボルトとゴブリンが嬉々として爪を振り上げ、襲いかかってくる。
そして今、最後の一体が射程へと踏み込んだ。
「──迸れ、【
収束、からの拡散。
全身の魔力を膨らませ、無差別に放電、半径数
数秒前まで怪物だった灰が宙を舞う静寂の中、魔法を解除して息をついた。それと同時に、僕の視界に逆立っていた前髪がはらりと下りてくる。
「……
「そう、ですね。言われてみれば確かにお揃いです」
「……」
「……」
「……」
「……あの、アイズさん」
「いいよ」
僕が言い終わる前に、アイズさんは手をかけていた細剣をゆっくりと抜き放った。鋭い銀の切っ先が、僕の方へと向けられる。
「私も、君とは一度やってみたかったから」
その眼差しは、どこまでもまっすぐだった。
「ありがとうございます、アイズさん」
「ん。リヴェリア、立ち会ってもらっていい?」
「……いいだろう。ただし加減は忘れるな。やりすぎるようであれば即座に止めるぞ」
「うん。ありがとう」
やれやれとばかりに肩をすくめながら、リヴェリアさんは双眸を細めて僕たちを見据えた。
「では──始めっ!」
凛とした力強い声が、立ち込める沈黙を破る。
それと同時に、僕たちは前へと大きく一歩を踏み出した。