【英雄】は止まらない   作:ユータボウ

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第20話

「まさかこれほどとはな」

 

 感嘆の念を滲ませ、ポツリと呟くリヴェリア。

 目の前で行われている目まぐるしい応酬には、第一級冒険者である彼女の目をも見張らせるものがあった。

 

「ふっ……!」

 

 オラリオ最強の女剣士、アイズの繰り出す攻撃はことごとくが鋭く、そして速い。幼少期からアイズの成長を見てきたリヴェリアには、彼女が慣れない手加減をしようとしていることが分かるのだが、それでもLv.2程度の馬力は出ているようだった。

 加えて彼女には、十年近く冒険者として積んできた経験に裏打ちされた『技』がある。【ステイタス】では表せない諸々を全て含めると、第二級冒険者に匹敵していてもおかしくない。

 ただの下級冒険者であれば、いくら手加減されているとはいえ、アイズの前に立つことは数秒も出来なかっただろう。

 だが、ベル・クラネルはその枠に収まる器ではなかった。

 

「っ、はぁっ!」

 

 響き渡る金属音、それはベルがアイズの剣を防いでいる証拠に他ならない。

 己よりも数段は速いアイズに、ベルは必死になって食らいつく。一挙一動を見逃すまいと深紅(ルベライト)の瞳を絶えず動かし、巧みな短刀捌きで迫る切っ先を逸らしている。その表情に余裕はないが、しかし容易く倒れることはないと思わせる気迫があった。

 格上との戦いに慣れているのだろうなと、ベルを見てリヴェリアは思う。

 かの【剣姫】を相手に一歩も引かない少年の姿に、彼女は十日ほど前、『豊饒の女主人』での邂逅と当時のやり取りを思い出し、人知れず納得した。確かにこの少年ならば、ミノタウロスを単独で撃破したと言われても頷けると。

 

「あ」

 

 そんなときだった、何か鈍い音と共にアイズがすっとんきょうな声を上げたのは。

 

「あの、リヴェリア……」

「はぁ……。何故そこで私を見る……」

 

 まるで悪いことをしたのが母親にバレた子供のように狼狽えるアイズに、リヴェリアは眉間を押さえて深く嘆息する。

 少し離れたところに転がるベルと、その場に立ち尽くすアイズ。何が起きたのかは火を見るより明らかだった。

 アイズがベルを吹っ飛ばしたのである。

 大方、自分の動きについてくる少年に嬉しくなり、つい加減を誤ってしまったのだろう。なんとなくやらかすような気はした、というのはリヴェリアの偽らざる気持ちであるが、まさか本当にそうなるとは呆れてものも言えない。

 とはいえ、自らの監督不十分で起きた事故であることもまた事実。目に見えて落ち込むアイズのすがるような視線を受けたリヴェリアは、ゆっくりと倒れ伏すベルに歩を進める。

 

「っ……ぐぅ……!」

「……! 大丈夫か?」

「はい、なんとか……。いてて……」

 

 痛みに呻き声を漏らしながらもベルは体を起こし、瞠目するリヴェリアに向かって笑ってみせる。が、全くの無傷ではないようで、起き上がるとすぐに回復薬(ポーション)を嚥下した。

 

「ぷはっ。ごめんなさい。いきなりのことでびっくりしちゃって」

「……いや、それよりも本当に大丈夫なのか? 望むなら回復魔法もかけてやれるが」

「いえ、もう大丈夫です。加減の苦手な人にこうして転がされるのも、前はよくあることでしたし」

 

 答えながら在りし日を思い出したのか、ベルはばつが悪そうに苦笑した。

 ちなみに、戦闘以外でのポンコツが未来においても直ることはなく、ベルを吹っ飛ばす度に「……私はいつもやりすぎてしまう」と肩を落としていたとあるエルフは、現在住み込みで働く酒場ですやすやと眠っていた。

 

「よいしょ、と。アイズさん、続きをお願いします」

「……いいの?」

「はい。次は簡単にやられたりしませんから」

 

 未だに不安そうなアイズの前に立ち、ベルは目を瞑った。

 

──覚醒し(おき)ろ、【雷霆よ(ケラウノス)

 

 紡がれる詠唱、それと同時に蒼雷が瞬いた。処女雪を思わせる白髪が逆立ち、ゆっくりと開かれた瞳がアイズをまっすぐ捉える。

 

「──いきます!」

「っ」

 

 気圧された。

 僅かでも確かに。

 微かに息を呑んだアイズだが、愛剣《デスペレート》を構え、即座に迎撃の姿勢に移行する。

 突き出された短刀、それを軽やかにいなしたアイズは、右腕から迸る雷にすぐさま後退した。

 不意を狙った魔法による第二の刃から、恐るべき反射速度で逃れたアイズに、ベルはぐっと左手を伸ばし、吼える。

 

「ファイアボルト!」

 

 牙を剥くは蒼白の電撃。光速で宙を走る一撃を、アイズは《デスペレート》の一振りで打ち払った。そして、そのまま攻勢に転じる。

 第二級冒険者にも匹敵する速度で細剣が唸る。が、それは当たらずに紙一重で空を切った。続く二撃目、三撃目も僅かに届かず、ベルを捉えるには至らない。

 それまでほとんどを弾くか流すことしか出来なかったベルが、回避という選択を可能にしているのである。

 

「いいよ、ベル」

 

 同じ付与魔法(エンチャント)の使い手故か、綻んだ口から素直な称賛の言葉をこぼれる。

 

「もっと、もっと君を見せて」

 

 返事はない。その代わりに見せたのは──不敵な笑み。

 

「おぉおおお!!」

 

 ベルの四肢を包む輝きが一層強くなり、ここにきて更なる加速を生む。勢いのままに大きく足を踏み出し、一気にアイズへと肉薄した。

 鳴り響く剣戟の音は、数秒の間に十を優に上回る。

 短刀の持ち味である取り回しのよさを、己の技量と高まった身体能力とで最大限に発揮したベルは、目にも留まらぬ猛攻でアイズを防戦一方に追いやっていく。弱点である一撃一撃の軽さも、今は付与魔法(エンチャント)によって補われており、ぶつかり合う度に腕を伝う確かな重みに、アイズは内心で舌を巻いた。

 

 ──私も、応えなきゃ。

 

 レベルの差など関係ない、どこまでもまっすぐ、ひたむきに、全身全霊でもって立ち向かってくるベルに、アイズは己の闘志に今一度火がついたことを感じ取った。

 彼の前に立つ先達として、ここで退く訳にはいかない、と──。

 

──【目覚めよ(テンペスト)】!

 

 瞬間、大気が唸りを上げて逆巻き、ベルの小柄な体躯を木っ端のように吹き飛ばす。拡散した風はアイズのもとに集い、先の勢いが嘘のようにその体を優しく包み込んだ。

 付与魔法(エンチャント)【エアリエル】。

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインの誇る、風属性の魔法。威力、汎用性、持続力など、あらゆる要素が高い水準でまとまった万能魔法である。

 

「ゲホッ、アイズさん、それは……」

「ベルは魔法の使い方が上手。でも、まだまだ荒削り」

 

 だから、と。

 アイズの纏う風が金の長髪を揺らし、そして《デスペレート》と重なった。

 放たれる尋常でない威圧感に、ベルの頬を冷や汗が伝う。

 

「私が少し、見せてあげる」

 

 短く告げ、アイズはとんと地を蹴った。たったそれだけで、彼女はベルの視界から影も形もなく消え失せる。

 風を操っての爆発的な加速、言ってしまえばそれだけだ。

 問題はあまりにも速すぎること。予測して身構えていたベルですら、反応がまるで追いつかないほどに。

 

「ッ──!!」

 

 警鐘を打ち鳴らす本能のままに、ベルは左手足の雷電を起爆、強引に生み出した推力で身を捩る。その一瞬後、寸前まで立っていた地点を、《デスペレート》の切っ先が通過した。

 躱せた、と安堵したのもつかの間、吹きすさぶ風に煽られ、勢いよく地面を転がった。

 

「がっ……!」

 

 全身の節々に響く衝撃に顔を歪めながら、それでも素早く体勢を立て直すベル。

 だが、それすらも遅い。

 彼が顔を上げたときには既に、アイズは得物を構えていた。

 

「──」 

 

 間に合わない。

 肌を刺す濃厚な死の気配に、ベルは避けようのない無慈悲な現実を理解した。

 回避──不可。

 防御──不可。

 魔法で迎撃──不可。

 加速した思考が無数の選択肢を提示するものの、それらのことごとくが却下されていく。

 死神の大鎌が、ゆっくりと振り下ろされる。

 

「やりすぎだ、馬鹿者」

 

 振りかぶられた細剣は、しかしベルに届くことはなかった。

 彼の視界いっぱいに、翡翠色の髪が舞う。

 リヴェリア・リヨス・アールヴ、立会人を務めていた彼女が、ここでついに動いたのである。

 

「リ、リヴェリア……」

「アイズ、そこになおれ」

「え……?」

「聞こえなかったか? なおれと言っているのだ」

「いや、あの……」

「アイズ」

「……はい」

 

 怒気を孕んだ母親(ママ)の眼光には、流石のアイズも従う他なかった。

 

 

 

     ▽△▽△

 

 

 

 リヴェリアによるお説教は、それからたっぷり一時間近く続いた。

 加減の失敗についてはまだいい。魔法の使用についても目を瞑ろう。だが、相手方に致命傷を負わせる一歩手前までいったことは、いくら同意のもとに行われた模擬戦とはいえ、流石に見過ごせることではなかった。

 ベルは他派閥の冒険者、付け加えるなら【ヘスティア・ファミリア】唯一の団員だ。たった一人しかいない家族を失ったヘスティアが深い悲しみに暮れること、またベルを手にかけたアイズ、及び彼女の所属する【ロキ・ファミリア】が重大な責任を問われることは想像するに難くない。更には【ロキ・ファミリア】をよく思わない者たちがこの事件を持ち上げ、都市最大の座から引きずり下ろさんとすることもあり得る。

 多少盛られた部分はあれど、おおよそこういった内容の話を滔々と説かれたアイズは、顔を真っ青にして涙目の状態となっていた。

 都市最強の女剣士にして数多の冒険者が恐れ敬う【剣姫】も、戦場以外ではまだ一六歳の少女に過ぎない。それどころか、精神面では同年代と比べて幼くすらあるのだ。リヴェリアの語る現実味を帯びた最悪の事態に、アイズはすっかり意気消沈して力なく俯いた。

 

「……あの、アイズさん。僕、全然気にしてませんから。だからその、あんまり気を病まないでください」

「でも……リヴェリアがいなかったら、私、ベルのこと……」

 

 あまりの落ち込み様に見かねたベルが声をかけるも、アイズは目を伏せて塞ぎ込んでいる。

 無論、アイズにベルを害するつもりなど毛頭なかった。彼女にあったのは、臆することなく向かってくるベルに対する敬意と喜び、そして先達として後進にいいところを見せてやろうという、年相応の可愛らしいやる気だけだ。そこへ心の中の幼い彼女(アイズ)が声高に声援(エール)を送るものだから、つい力を出しすぎてしまったのである。

 落ち込むアイズの姿にどうしたものかと思案すること数十秒、咳払いをしたベルはアイズの正面に回り込み、その金色の瞳を覗き込んだ。

 

「アイズさん、また機会があれば、こうして手合わせしてもらえませんか? もっと僕に魔法のこととか、教えてほしいんです」

「え……?」

 

 ベルの言葉にアイズの眼が見開かれた。

 下を向いていた顔が、自然と前へ上がっていく。

 

「だけど、私は、ベルを……」

「誰にだって失敗の一つくらいありますよ。確かにもう駄目かなって思いましたけど、リヴェリアさんに助けてもらって無事ですし。わざとじゃないなら、僕から言うことは何もありません」

 

 ベルはそっとアイズの手を取った。

 

「だから、アイズさんさえよければ、また僕に付き合ってもらえませんか?」

「……本当に、私でいいの?」

「はい。僕はアイズさんがいいんです」

 

 ぎゅっと、繋がった手に力が込められる。

 そこから伝わる温もりは、アイズの逡巡を容易く打ち消した。

 

「……うん。ありがとう。私でよければ、喜んで」

「はいっ。よろしくお願いします、アイズさん」

 

 沈んでいたアイズの表情がゆっくりと普段の調子に戻り、そして笑みを見せる。

 その様子を見届けたベルはほっと胸を撫で下ろし、アイズに倣って朗らかに笑った。

 

「……本当は止めるべきなのだろうな」

 

 他派閥の冒険者と個人的な関係を持つことは、【ファミリア】の活動に支障を来す他、多くの場合、何かしらの問題が起こるため控えるべきとされている。ましてやアイズは【ロキ・ファミリア】の幹部、軽率な行動は慎まなければならない立場だ。

 【ファミリア】の副団長としてリヴェリアがすべきことは、アイズを止めることである。だが、いつにもまして柔らかな雰囲気の彼女を見ると、このまま正論で否定するのも酷であるように思われた。

 故に、リヴェリアはアイズを止めようとする自らに言い聞かせる。これは罪滅ぼし、ミノタウロスの一件と今回の件、二度も命の危機に陥らせてしまったベルに対する贖罪なのだと。

 ふっと息をついたリヴェリアの口元は、微かだが確かに緩んでいた。

 


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