【英雄】は止まらない   作:ユータボウ

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 2章も(多分)後半戦へ。


第21話

「甘い」

 

 振り下ろされた巨大な剣を猪人(ボアズ)の武人、オッタルは軽々と受け止め、弾き返す。

 生じた凄まじい衝撃に、()()()()()()()()()()()()()()の巨体が宙を舞い、背中から地面に落下した。

 

『ヴォオオオオ!?』

「……足りんな、これでは」

 

 苦悶らしき悲鳴を上げるミノタウロスを見下ろしながら、オッタルは吐き捨てるように呟く。

 女神フレイヤの命を受けたオッタルが、この17階層でミノタウロスの『教育』を開始して、およそ一週間が経過する。群れの中から厳選され、都市最強の冒険者が直々に鍛え上げたこのミノタウロスは、通常の個体を優に上回る力と、そして知恵をつけるまでに至っていた。

 だが、これでは足りないとオッタルは頭を振る。

 思い出すのは十日ほど前に行われた怪物祭(モンスターフィリア)でのこと。シルバーバック、ソード・スタッグという格上のモンスターを立て続けに撃破した少年のことだ。

 フレイヤに見初められたかの少年に試練を与える、それがオッタルの賜った使命だ。そしてオッタルには件の少年がただのミノタウロス程度、容易く打ち倒すであろうことは目に見えていた。加えて、少年には魔導書が送られるともなれば、鍛えた個体でも怪しいと言わざるを得ない。

 それでは駄目だ。

 最初から勝ち目のある試練など、器を昇華させるに足る『冒険』にはなりはしない。

 

「……これを喰らえ」

『オォ……?』

 

 もがくミノタウロスの前に投げられたのは、大小様々な紫紺の欠片、魔石であった。

 意味が分からず戸惑うミノタウロスは魔石とオッタルに交互に目をやり──やがて魔石を喰らった。

 瞬間、変化が訪れる。

 

『ォ──オォオオオォオオオオオオ!!』

 

 突如として全身を漲る力に咆哮するミノタウロス。勢いよく立ち上がり、荒い息をこぼすその体からは、薄く煙のようなものが揺らいでいた。

 魔石を喰らったモンスターは強くなり、やがて『強化種』となる。冒険者の間では広く知られており、同時に恐れられていることでもある。『強化種』は従来の個体を遥かに凌駕する力を持ち、場合によっては上級冒険者揃いの精鋭すら返り討ちにすることもあるからだ。

 喰らった魔石が少量であったが故に『強化種』とまではならなかったものの、ミノタウロスは確かにその力を増した。その事実に、オッタルは薄く笑む。

 

「そうだ、それでいい」

 

 ──試練とは、『冒険』とは、かくあるべきだ。

 

 迷宮都市オラリオ最強の冒険者、【猛者(おうじゃ)】による『教育』が、今一度始められた。

 

 

 

     ▽△▽△

 

 

 

「ベル君、顔色が少し悪いようだけど大丈夫かい?」

「あー……少し寝不足ですけど、一応問題はないです」

「気をつけるんだよ? 無理しちゃ駄目だぜ?」

「はい。それじゃあいってきます!」

 

 朝から神様とそんなやり取りを交わし、いつものように本拠(ホーム)を出る。

 魔法の練習とアイズさんとの模擬戦で蓄積した疲労は、数時間の睡眠では抜けきってはくれなかった。今も体がどことなく怠く、頭痛も併発している。

 とはいえ、こんなことで弱音を吐いていられない。我慢出来ないほどでもないため、いつも以上に注意していけば問題はないだろう。

 

「さて、と」

 

 待ち合わせ場所である中央広場(セントラルパーク)に向かう前に、寄らなければいけないところがある。

 西のメインストリートから少し外れた路地裏、五体満足の人を模した【ファミリア】の紋章(エンブレム)が看板のように飾られたそのお店は、治療と製薬を専門とする【ミアハ・ファミリア】の本拠(ホーム)、『青の薬舗』という。

 

「おはようございまーす」

「ん、ベル。いらっしゃい……」

 

 木製の扉を開けると小さく鈴の音が鳴り、薬棚に向いていた犬人(シアンスロープ)の女性がゆっくりと振り向いた。その目は半分ほどしか開いておらず、抑揚の少ない声の調子もあって相変わらず眠たそうな印象を受ける。

 

「ご無沙汰してます、ナァーザさん」

「久しぶりだね。十日ぶりくらい? なかなか顔を出してくれないから寂しかった……」

「すみません。でも、頻繁に怪我をしていたらこっちの身が堪りませんから」

「それもそっか。で、今日は何か入用?」

 

 ナァーザさんは微笑を浮かべ、ゆらりと肌触りのよさそうな尻尾を揺らした。

 

回復薬(ポーション)精神回復薬(マジックポーション)を二本ずつ。あと栄養剤を一ついただけますか?」

精神回復薬(マジックポーション)? 魔法でも覚えたの……?」

「えぇ。でも魔力の消費が荒いみたいで、いざってときのための備えが欲しいなぁと」

「それはいい判断。ダンジョンで精神疲弊(マインドダウン)を起こせば、ほぼ間違いなく死んでしまうから……」

 

 お得意様がいなくなるのは私も悲しい、と。

 数ある棚から五本の試験管を用意しながら、ナァーザさんはぽつりと呟いた。

 

「はい。合計一八〇〇〇ヴァリス」

「……あれ? それじゃ足りなくないですか?」

「ベルはお得意様だから特別。それに、前は悪いことをしてしまったし……」

 

 気まずそうに身動ぎしたナァーザさんは、半分ほど瞼の下りた目を伏せた。

 ナァーザさんの言う『悪いこと』とは、かつてされた回復薬(ポーション)の品質詐欺のことだ。二度目ということですぐに見破って事なきを得たため、僕自身はあまり気にしていないのだが、騙そうとしたナァーザさん本人は未だに後ろめたいところがあるらしかった。

 

「いいんですか? 割引出来る余裕なんてあまりないんじゃ……」

「うん。けどその代わり、これからもうちを利用してくれることが条件。ベルが来てくれれば、ミアハ様も喜ぶから……」

「……分かりました。約束します」

 

 受け取った回復薬(ポーション)類を懐にしまい、栄養剤をその場で飲み干す。

 倦怠感や頭痛に効果があるかは分からないが、少なくとも何もしないよりはいい筈だ。

 

「ナァーザ、少しいいか……む、おおっ、ベルか。よく来てくれたな」

「おはようございます、ミアハ様。お邪魔してます」

「うむ。いつも『青の薬舗』を贔屓にしてくれて感謝するぞ」

 

 奥の扉から顔を出したのは長身の男神、ミアハ様だ。

 僕を視界に収めるなり、ミアハ様はふっとその表情を綻ばせた。

 

「……そうだ。ミアハ様、これを」

 

 その顔を見てここですべきことを思い出した僕は、しまったばかりの財布から三〇〇〇ヴァリスほどを取り出し、ミアハ様に差し出した。

 

「ん? ベル、この金はなんだ?」

「以前ミアハ様からいただいた回復薬(ポーション)のお代です。やっぱり、無料っていうのは申し訳なくて」

「はぁ……。ミアハ様、そういうのはやめてって言ったのに……」

 

 ナァーザさんの冷ややかな視線がミアハ様の背中に刺さり、その頬を一筋の汗が伝っていく。「いや、ナァーザ、これはだな」と口を開くも、既にナァーザさんは顔を背けて聞く耳を持たない様子だ。

 

「むぅ……。ベルよ、すまなかったな。よかれと思ってしたことが、かえって迷惑をかけてしまったようだ」

「迷惑なんてそんな。僕もミアハ様の回復薬(ポーション)には危ないところを助けられましたから。だからこれは、その正当なお礼です」

 

 僕の言葉にミアハ様は考えるような素振りを見せ、やがて小さく頷いた。

 

「……分かった。そなたがそう言うのであれば、ありがたく受け取っておこう」

「はい。よければナァーザさんと二人で、何か美味しいものでも食べてください」

「なるほど、それはよき考えだ。ぜひそうさせてもらうとしよう」

 

 ミアハ様がすんなりとお金を受け取ってくれたことに、内心で胸を撫で下ろす。

 これでやるべきことは終わった。少し名残惜しいが、そろそろ行かなくては時間に間に合わなくなりそうだ。

 

「それじゃあ、僕はもう行きますね。お邪魔しました!」

「気をつけてね、ベル……」

「うむ。無理は禁物だぞ」

 

 二人の声を背に受け、『青の薬舗』を後にした。

 

 

 

     ▽△▽△

 

 

 

 燦々と輝く太陽の下を走り、辿り着いた中央広場(セントラルパーク)。朝から多くの冒険者たちが行き交う中において、赤髪の背中は分かりやすい目印となっていた。

 

「ヴェルフ、おはよう」

「おう。今日もよろしくな!」

 

 噴水の近くに佇んでいたヴェルフと合流し、懐中時計で時間を確認する。時針は待ち合わせ時間の数分前を指しており、どうやら遅刻という事態は回避出来たようだ。

 

「リリはまだ来てないの?」

「あぁ。いつも時間前には来てるっていうのに、珍しいこともあったもんだよな」

 

 彼女に何かあったのだろうかと、首をかしげたそのときだった。

 

「おい、そこのガキ」

 

 長剣を背負ったヒューマンの男が、僕たちの前に姿を現した。

 この声と口調、記憶が正しければ、以前摩天楼(バベル)で揉めた冒険者だ。

 

「まさかこんなとこで会うとはなぁ。忘れたとは言わせねぇぞ」

「……何か用ですか?」

「チッ、澄ました面しやがって。まぁいい。知ってるぜ? お前ら、アーデの奴と組んでるんだってな」

「それがどうかしたのかよ?」

 

 いまいち要領を得ない男の問いに、ヴェルフが眉根を寄せる。

 男は相も変わらず、ニヤニヤと不気味に笑っていた。

 

「ちょいと手を貸せ。あいつを嵌めてやるんだ」

「──ッ!」

 

 浮かんでいた予想の中でも最低の部類に入る答えを当たり前のように口にした男に、思わず拳を握り締める。

 そんな僕に気付いた様子もなく、男は話を続けた。

 

「楽な仕事さ。お前らはいつも通り、アーデとダンジョンに行けばいい。そこであいつを孤立させてさえくれりゃ、残りは俺がやって終わりだ」

「……そんな話、俺たちが頷くとでも思ってんのか?」

「うるせぇな。口答えしてんじゃねぇぞ。大人しく俺の言うことに従え。それで金が手に入るんだ、いい儲け話だろうが」

 

 内側からふつふつと怒りが込み上げる。噛み締めた奥歯が、ギリッと音を立てた。

 ここにヴェルフがいてくれてよかった。同じ思いの人が隣にいるという事実が、血の上った頭に少しの冷静さを与えてくれている。

 

「大体、代わりになるサポーターなんて他に掃いて捨てるほどいるんだ。あいつ一人消えたところでなんてことないだろ?」

「てめぇ……!?」

「ヴェルフ、もう行こう。これ以上聞かない方がいい」

 

 そうでなければ僕かヴェルフか、どちらかが必ず我慢出来なくなる。避けられる騒ぎは避けるべきだ。

 

「おい、話はまだ──」

 

 額に青筋を浮かべた男が声を荒らげ、僕の肩を掴む。

 僕は即座にその手を払い、正面から男を睨みつけた。

 

「リリは僕たちの大切な仲間だ。あなたの話には絶対に乗らない……!」

「っ……馬鹿が。あいつだって結局は俺たちと同じ穴の狢なんだ。金さえ手に入りゃ、すぐに裏切るに決まってるぜ……!」

「リリは、あなたたちとは違うっ!!」

 

 大声を叩きつけると男は狼狽えて一歩後ずさった。その隙にヴェルフを連れてこの場を離れる。

 確かにリリはこれまで悪事を働いてきたかもしれない。だが彼女を虐げ、搾取し、悪行に手を染めるきっかけとなったであろう連中が、彼女と同じであるものか。

 

「おいベル、あれ見ろよ」 

「……リリ」

 

 不意にヴェルフが立ち止まり、とある方向に指を指す。

 広場の中心から外れた一角、そこにある木陰にリリの姿と、彼女を囲むように立つ三人の冒険者らしき男を確認した。険しい形相で口々に言い放つ男たちと必死に首を横に振るリリの様子は、遠目から見ても到底穏やかな雰囲気とは言えない。

 

「早く出せ! もたもたするな!」

「で、ですから、リリが持ってるのは本当にこれだけなんです……」

「嘘をつくな、このクソ小人族(パルゥム)! お前が最近稼いでるのは知ってんだぞ!」

「さっさと出さねぇと、また痛い目をみることになるぜぇ?」

 

 近付くにつれて鮮明になっていく会話の内容は、あまりに酷く醜悪なものだった。怒りのあまり、全身が燃えるような熱を帯びる。

 さっと横目でヴェルフを一瞥、彼が間髪入れずに頷いたことを見てから、一気にリリと男との間に割り込んでいく。

 

「リリ!」

「リリスケ!」

「っ、ベル様、ヴェルフ様……」

「あぁ? なんだお前らは?」

 

 突然の乱入者に声を上げる男たちには目もくれず、リリの手を引いて数(メドル)ほど距離を取る。これで向こうが急に動いたとしても対応が間に合う筈だ。

 

「俺たちはそのガキと話してる最中なんだ。邪魔すんじゃねぇぞ!」

「話? 恫喝の間違いだろ? いい歳した野郎が子供に寄ってたかって、恥ずかしくないのか?」 

「なっ!? こいつ!」

 

 漂う空気はまさに一発触発、僕の手を握るリリの力が微かに強くなった。そんな彼女の手をそっと握り返しつつ、男たちから目を離さない。

 男たちは体格こそ恵まれているが、服の上からでもあまり鍛えていないことがよく分かる。間違いなくLv.1の下級冒険者、それもごろつきが『神の恩恵(ファルナ)』を得て強くなった程度のものだ。もしこのまま正面から当たるような事態になったとしても、僕とヴェルフなら負けることはまずない。

 

「そこの人たち、一体何をしているのですかっ!」

 

 と、そこまで思考を張り巡らせていたところに、聞き覚えのある女性の声が飛び込んできた。はっとなって顔を上げた視界の端に、ギルド職員の制服が映る。

 

「あ、危な──」

「おい、ギルド職員だ!」

「早く行くぞ! 捕まっちまうと面倒だ!」

「くそっ、ついてねぇ!」

「あっ、こら! 待ちなさい!」

 

 危ないから来ないでください、と。

 こちらに向かってくるその人に叫ぼうとした直後、男たちは一目散に逃げ出していった。僕たちが呆気に取られる中、その背中は人混みに紛れてすぐに見えなくなる。

 

「もう、全く……。ベル君、大丈夫? 怪我はない?」

「え? あ、はい。大丈夫です」

「そう? ならよかった」

 

 僕の返事にギルド職員、エイナさんは安心したように息をつく。が、すぐに面持ちを真剣なそれに戻した。

 

「さっきの人たち、ベル君の知り合いじゃないよね? 逃げられちゃったし、出来れば少し話を聞きたいんだけど……」

「は、はい。それはいいんですが、よかったら場所を変えたいかなって……」

 

 先の騒ぎとエイナさんの登場が合わさり、さっきから痛いほどの視線が向けられている。この状況で話をするというのは、なかなかに堪えるものがある。

 

「うん。じゃあ、悪いけど本部の方に来てもらってもいいかな?」

「分かりました。二人もそれでいい?」

「あぁ。早くダンジョンに行きたいところだが、こうなっちまったもんは仕方ないしな」

「……はい」

 

 先導するエイナさんに従い、僕たちもまたそそくさとその場を後にした。

 


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