これまで『ホーム』というルビを『本拠地』という単語に当てていましたが、原作を読み直したところ、正しくは『本拠』であることに今更ながら気付きましたので、訂正させていただきます。
ギルド本部の一角にある円形の机を囲むように座ったところで、エイナさんが「さて……」という前置きと共に眼鏡を軽く持ち上げた。
「色々聞きたいことはあるけど、まずは一体何があったのか、最初から教えてもらっていい?」
「はい。僕たち三人がパーティを組んでダンジョンに挑んでいるのは、エイナさんもご存知だと思います。それで今日もいつも通り、朝から待ち合わせをしてダンジョンに向かうつもりでした」
「うん、それはよく覚えてるよ。パーティが三人になりましたって、すごく嬉しそうに報告しに来てくれたもんね」
エイナさんの微笑ましさに満ちた視線に気恥ずかしさが込み上げる。右にいるヴェルフも、何故かにやにやと意地悪そうに笑っている。
なんとも微妙な空気を戻すため、一度大きく咳払いをした。
「と、とにかく、僕らは三人でダンジョンに行く予定だったんです。けど、待ち合わせの時間になってもリリが来ませんでした。リリはパーティを組むようになってから遅れたことなんてなかったので、ヴェルフとどうしたのかなって話していたら……」
「知らない冒険者に声をかけられたんだ。それも、俺たちが揉めてた連中とは別の奴にな」
「……つまり、ベル君とクロッゾ氏は私が見たあの場面より前にも、別の冒険者に絡まれていたってこと?」
確認するようなエイナさんの言葉に、僕とヴェルフは肯定の意を示す。
エイナさんはそれを受けて少し悩んだような素振りを見せると、手元の羊皮紙にさらさらと何かを書き込んだ。
「それで、その人はなんて言って二人に絡んできたの?」
「それは……」
言いよどんだ僕は左側の席に座る、先程から下を向いたままのリリを一瞥する。
果たして本当のことを言っていいものかと躊躇いが生まれるも、ここにきて今更嘘をつくことは出来ない。
腹を決めたところで顔を上げ、エイナさんの
「リリを、罠に嵌めないかと言ってきました」
ビクッと、リリの小さな肩が目に見えて跳ねた。
エイナさんは不快感に眉をひそめつつも、据わった目で続きを促してくる。
「僕たちはすぐに断ってその場から離れました。そうしたら、三人の冒険者にリリが囲まれているところを見つけて……聞こえてきた会話の内容に我慢出来なくて、割って入っていって……」
「そこに私が来た、と……。うん、ありがとう。おおよそのことは把握出来たよ」
羊皮紙への書き込みを終えて微笑するエイナさんは、そのままリリへ視線を移した。
「リリルカ・アーデ氏でよろしいですね? ギルド職員を務めるエイナ・チュールです。早速ですが、あなたに言い寄ってきた三人の冒険者に心当たりはありますか?」
「……あの人たちは、【ソーマ・ファミリア】の冒険者です。昔から何かと理由をつけて脅してきたり、リリからお金を取っていくんです。リリは【ファミリア】の中でも弱いサポーターですから、今まで何度もやられてきました」
「……神ソーマは、何も言われないのですか?」
「言いませんよ。ソーマ様は、お酒を造ることしか頭にない方ですから」
半ば吐き捨てるように告げたリリは、それから【ソーマ・ファミリア】の現状と、そこにおける自らの立ち位置について、おもむろに語り始めた。
曰く、【ソーマ・ファミリア】の団員は、主神のソーマ様が造る『
曰く、『
曰く、彼らは金のためなら手段を選ばず、リリのような一人では戦えないサポーターをいいように使い、そして搾取している。
最初こそ『
「【ファミリア】を抜けるには多額の脱退金が必要です。けれどリリの手元に入ってくるお金なんて微々たるもので……必要額には、とても届きそうにありません」
「……ひでぇ話だな」
沈んだ空気の中、この場にいる僕たちの気持ちを、ヴェルフの一言が代弁していた。
「……申し訳ありません。リリのつまらない私情に付き合わせてしまって。どうか弱小サポーターの笑い話として、聞き流してください」
そう言ってリリは笑った。
僕にはそんな彼女が、酷く泣きそうな顔をしているように見えた。
あまりの痛ましさに、胸の奥が苦しくなる。
「そんなこと、言わないでよ」
喉から出た声は、沈黙で満たされていたこの場に驚くほどよく通った。
リリが、ヴェルフが、エイナさんが、一斉に僕の方へと顔を向ける。
「さっきのリリは、すごく辛そうな顔をしてた。話すのも苦しそうだった。それなのに、つまらない私情だとか、笑い話だとか、自分を蔑ろにするような言葉なんて、言ってほしくないよ」
込み上げる思いは気を緩めれば際限なく溢れてしまいそうで、それらを一旦留め、整理し、ゆっくりと語りかける。
「リリが僕たちのことをどう思ってるかは分からない。けど、少なくとも僕たちは、リリのことを大切な仲間だと思ってる。仲間が困っているなら、力になりたいんだ」
「……どうしてですか? リリは、ただのサポーターです。このオラリオにはリリの代わりなんて、それこそ掃いて捨てるほどいるんですよ? こんな傍迷惑な事情を抱えたサポーターに、どうしてそこまでしようとするんですか?」
「はははっ、なんだリリスケ。そんなことも分からないのか?」
その物言いにリリがヴェルフを睨むが、当人は全く堪えた様子がない。ただいつものように、にっと白い歯を見せるだけだ。
「さっきベルも言ってたろ、仲間だからだ。簡単なことじゃねぇか」
「……それだけ、ですか?」
「なんだ、納得いかなかったか? 理由としては十分だと思うんだがなぁ」
ちらと僕の方を一瞥したヴェルフに、頷きを一つ返す。
仲間だから。
小難しい理屈なんて必要ない。どんな含むところがあったとしても、リリは僕たちを支えてくれた大事な仲間で、そんな彼女が困っているなら力になりたい、助けてあげたい。
一日でも一秒でも早く、心から笑えるようになってほしい。
ただ、それだけなのだ。
「……信じられません。そんなの、絶対嘘に決まってます」
しかし、そんな想いは届かない。
「リリは、冒険者が大嫌いですっ。自分より弱いリリに酷いことばかりして、何もかもを奪っていって……! 今までリリを見捨ててきた冒険者を、今更信じられる訳がないじゃないですかっ!」
「っ、リリ!」
椅子を蹴飛ばし、涙を流しながら走り去っていくリリの背中を、僅かに遅れて追いかける。後ろからヴェルフとエイナさんが何か言っているが、耳を傾けている余裕はない。
幸いにもリリは大きなバックパックを持つ
だが──。
「おい、危ねぇだろ!」
「す、すみません!」
メインストリートを行き交う人は今日も多い。いくらリリの後ろ姿が分かりやすいとはいえ、気を抜けばすぐ見失ってしまいそうだ。加えて、道行く人々にぶつからないようにしながら追いかけるとなると、思っていた以上に気を遣う必要が出てくる。
しかし弱音を吐いている余裕はない。
ここでリリを見失えば、きっともう二度と会えなくなる。
確信に近い予感が、僕の足を動かし続けた。
▽△▽△
リリの追跡は困難を極めた。
かさばるバックパックを背負っているとは思えないほど軽やかな足取りで人を避け、入り組んだ路地ばかりを選んで逃げ回る彼女を追いかけるのは、決して簡単なことではなかった。途中、何度か撒かれそうになりながらも見失わずに済んだのは、幸運の味方に依るところが大きい。
とにもかくにも、時間の経過も忘れて走り回った結果、どうにかリリの手を掴むことが出来た。その頃にはお互いに息が完全に上がっており、僕たちはしばし無言で息を整えることとなった。
「ふぅ……ふぅ……! やっと、追いついたよ……!」
「はぁ……はぁ……。ベル様、しつこすぎます……。どうして……リリに構うんですか……!」
「どうしてって……やっぱり、放っておけないからだよ」
人気のない路地裏、そこで二人並び、壁に背中を預けて座り込む。
逃げることは諦めたのか、手を離してもリリが逃げる気配はない。
「この際だからはっきり言わせていただきます。ベル様のお気持ちは、迷惑です」
「……」
「力になりたいだとか、仲間だからだとか、そんなこと言われても信用出来る訳がないありません。安い同情と正義感でものを言うのは、やめておいた方が身のためですよ」
「ははっ、手厳しいなぁ」
苦笑に喉を鳴らすと、リリは「……ふざけてるんですか?」と眉をひそめた。
強く拒絶すれば大人しく引き下がると思っていたのかもしれない。だが、このくらいの拒絶で断念するほど、僕の決心は鈍いものではない。
「迷惑でもやめるつもりはないよ。リリの事情を知った以上は、見て見ぬ振りなんて出来ない。僕もヴェルフも、リリの力になりたいんだ」
「……それは、リリが仲間だから、ですか?」
「うん。少なくとも、僕たちはそう思ってるよ」
「……リリは、ベル様たちを仲間だなんて思っていません」
そう言って俯いたリリの表情は、ここからは伺えない。
それからしばらく、僕は四角く区切られた空を見上げていた。
雲行きはよくない。
「──お前なんかと出会わなければよかった」
「え……?」
「昔、リリが言われた言葉です。大好きだった花屋のお爺さんとお婆さんに」
路地裏に立ち込める静寂に、リリの言葉が響く。
僕は何も言わず、黙ってその声に耳を傾けた。
「どれだけ優しくしてくれた人でも、最後にはリリを見限りました。非難と嫌悪に満ちた視線で、リリのことを拒絶するんです。ベル様たちがそうはならないなんて保証が……一体どこにあるというんですか?」
「……」
「もう、嫌なんです。たくさんなんです。誰かを信じて、期待して、最後に裏切られるのは」
ポツリと、降り始めた雨粒が石畳を濡らした。
勢いは決して強くない、けれど冷たい雨は確かに僕たちの身を打ち、熱を奪っていく。
「……もう、行きますね」
膝を抱えていたリリがすっくと立ち上がり、僕の方を見ずに告げる。小さな背中をこちらに向けた彼女は、やがておもむろに一歩を踏み出し──。
「僕は、待ってるからね」
その一言に、動きを止めた。
「明日も、明後日も、その次の日も、いつも集まったあの場所で待ってるから」
だから、
だから、
「さよならは言わないよ」
「……」
返事はない。僕の言葉を最後まで聞き終えたリリは、そのまま脱兎のごとく走り去っていってしまった。
もう足音も聞こえない。耳を打つのは、静かな雨の音だけだ。
「……少し、寒いかな」
こぼれた呟きは、誰の耳に入ることもなかった。