引き続き、『【英雄】は止まらない』をよろしくお願いします。
今回は特殊タグを多用しているため、見にくいと思う方もおられるかもしれません。ご了承ください。
──やはり、効かない。
振るった短刀の感触を確かめながら、ミノタウロスの脇腹に目をやった。直撃を見舞った筈のそこには、掠った程度の傷痕しかついていない。
Lv.1の僕とLv.2のミノタウロスでは、そもそもの地力が圧倒的に違う。ただでさえ断ちにくい強靭な肉体は、レベルの差もあって堅牢な壁とも錯覚する。このままではとてもではないが倒すことは出来ないだろう。
『ブモォオオオオォオオオオオォオオオ!!』
轟く
それでも気持ちだけは負けてはいけないと、僕は精一杯の力でミノタウロスを睨みつけた。
『ウウゥ……! オォオオオオ!!』
そんな僕が気に食わないとばかりに、ミノタウロスは荒く鼻を鳴らして突進してくる。
当たれば必死。故に大きく横に跳び、確実に回避する。転がった地面から素早く体を起こし、顔を上げると、そこには既に腕を振りかぶり、攻撃体勢に入るミノタウロスがいた。
──前だっ!
そう叫ぶ直感に従い、ミノタウロスの懐へと体を潜り込ませる。刹那、拳が唸りを上げて頭上を通り過ぎていった。
猛攻は止まらない。技も駆け引きも何もない、ただ本能に身を任せた滅茶苦茶な攻撃ではあるが、その全てが容易く僕を屠るだけの威力を孕んでいる。気を抜くことは微塵たりとも許されなかった。
歯を食い縛る。
目を見開く。
全身に張り巡らされた神経という神経を研ぎ澄まし、荒れ狂う暴力の嵐を捌いていく。
そして、
焦点の合っていない視界の端に輝く金色が映ったのは、そんな最中のことだった。
十分の一秒にも満たない、ほんの一瞬の出来事。
けれど確かにその瞬間、僕たちの視線は交差していた。
「──っ!」
下から上へ振るわれた剛腕を避けつつ、その際に生じた風圧を利用して後退、距離を取る。向こうからの追撃は、ない。
僕は深く息を吐き、右手に持っていたヴェルフの短刀を今一度握り直した。
あの人が、すぐそこにいる。
あの人が、僕を見ている。
在りし日の記憶が、脳裏から甦る。
──あの……大丈夫、ですか?
虚空に向かって僕は小さく頷く。そして武器を構え、怪物と対峙する。
背中に刻まれた【ステイタス】が熱を帯び、右手に光が収束する。雪よりも細かい純白の粒子がこの場に、リン、リンと、規則正しい音色を響かせた。
半端な攻撃を何度繰り返したところで意味はない。必要なのは一撃だ。強力無比の一撃があれば、それで全て事足りる。
僕の纏った光を脅威と判断したのか、ミノタウロスは地を蹴り、憤怒に満ちた形相で疾駆を開始する。伸ばされた腕は、しかし僕を掴むことなく地面に突き刺さり、派手に土煙を巻き上げる。
『ヴォオオオオォオオオオオオ!!』
「っ、ぁあああぁあああああ!!」
先程にも増して激しくなったミノタウロスの勢いに、全身が軋み、痛みで悲鳴を上げる。直接攻撃に当たっていなくとも、そこに伴われる圧が容赦なく降りかかってくるのだ。こちらの限界も、いよいよ近い。
だが、
それでも、
「勝つのは、僕だっ!」
憧れるだけではない。示すのだ。
意地を。矜持を。
かつて、曲がりなりにも【
【
──リィン!
一際甲高い音を響かせた右手から、
だが構わない。これで十分だ。
眩い閃光に包まれた右手と短刀を一瞥し、迫る拳や蹴りを紙一重で躱していく。口の中に血の味が広がり、体が負荷を訴えようと、その痛みも力に換えて突き進む。
『ブォオオオアアァアアアアアア!!』
「ォオオオオオオ────!」
そして、吼える。
喉から最後の雄叫びを絞り出し、穢れなき閃光の刃を、『英雄の一撃』を叩きつけるように薙いだ。辺りが白一色に塗り潰され、視覚がまるで利かなくなる。
そんな中で、僕は確かに、ミノタウロスがかき消されていく様を見届けた。
──僕の、勝ちだ。
飛散していくミノタウロスだった灰に向かって、声には出さずとも宣言する。
破壊音と絶叫が絶えず反響し、あれほどうるさかった通路は、今や嘘のように静まり返っている。聞こえるのは僕の荒い呼吸だけ。壁や地面に残された凄絶な有り様さえなければ、夢か何かと錯覚していたかもしれない。
しかしこれは現実だ。現実であり、僕は勝ったのだ。
かつて逃げることしか出来なかった相手を、打ち倒したのだ。
「ハァ……ハァ……! ぐっ……!」
勝利の余韻に浸る間もなく、全身を激痛が走った。戦闘中は無視出来ていたツケが、ここにきて一気に回ってきたようだ。視界が点滅し、上下左右の感覚が狂う。体から力が抜け、立つことも儘ならない。
やがて、ぐらりと自分の体が傾くのを感じた。一度立つことを放棄した体は重力に引かれ、地面へと落ちていく。衝突に伴う痛みに備え、僕は反射的に目を閉じた。
「……?」
しかし、衝撃と固く冷たい地面はいつまで経ってもやって来ない。代わりに僕を包んだのは温かく、柔らかな何かだった。
一体何が。恐る恐る目を開けた僕の視界に映ったのは──思わず見蕩れてしまいそうになるほどの美貌と、キラキラと輝く金の長髪であった。
「あ……」
「……大丈夫?」
小さく首をかしげ、僕に尋ねてくるアイズさん。
さながら精緻な人形のように整った顔立ちは、記憶にある面影に比べれば、やや幼さが垣間見える。大人になった彼女を知っているが故の違和である。
そして、抱き留められていると気付いたのは、それから一拍遅れてのことだった。
「え……と、す、すみません。もう大丈夫です」
そう言ってその腕から離れようとした僕だったが、どういう訳か、アイズさんの腕はピクリとも動いてくれなかった。
これには流石に困惑した。顔を上げれば、そこには相変わらず無表情のアイズさんが、じっと僕のことを見つめている。
彼女が何を考えているか、読み取ることは不可能だった。
「……」
「あの……何か……?」
「……モフモフ」
「え……? ちょっ……!?」
不意に左手が伸ばされ、頭をわしゃわしゃと撫で回された。
僕の理解が全く追いつかない一方、アイズさんは妙に満足そうだ。端から見ればさっきと違いはないように思うかもしれないが、僕には分かる。僅かに緩められた口元と細められた目が証拠だ。
「おいアイズ」
と、そのときだ。通路の向こう側から歩み寄ってくる男性に、アイズさんは「ベートさん……」とその人の名前をこぼした。
ベート・ローガさん。【ロキ・ファミリア】の第一級冒険者の一人で、【
「いつまでそんなことしてるつもりだ? 目障りったらありゃしねぇ」
「……」
乱暴な口調で告げるベートさんに、アイズさんは名残惜しそうにしながらも僕を解放した。
痛みに顔をしかめつつ地面に立った僕は、すぐに
「あの……よかったら」
「い、いえ! 結構です! もうほぼ治りましたから!」
傷を癒す僕を見てアイズさんが取り出したのは、なんと
「おいガキ」
「は、はい!」
「テメェ、最後のありゃなんだ?」
ベートさんはアイズさんに向けていた鋭い眼光を僕に移した。ミノタウロスとはまた違う迫力に表情が強張る。
「ベートさん、それは……」
「
アイズさんにそう反論しつつ、ベートさんは僕を指差した。猜疑心に満ちた目で、僕の僅かな挙動すら観察している。
あたかも、嘘や誤魔化しは通じないぞと言わんばかりに。
「黙ってないでなんとか言いやがれ。それとも図星か? テメェんところの神に泣きついて力を貰って、それで英雄気取りか?」
「……!」
ベートさんの言い分は分かる。
「おい──」
「あれは、僕のものです!」
発言に被せるように声を張り上げた僕に、ベートさんの目が軽く見開かれる。
僕はその琥珀色の瞳を、真っ正面から見つめ返した。
デタラメな力だということは、僕自身が一番理解している。
けれどこれは、紛れもない僕の力だ。
僕の中にある想いが生んだ結晶だ。
疚しいところなど一つもない。胸を張って、堂々と宣言出来る。
「詳しくは話せません。不正じゃないって証拠もありません。だけどあれは貰いものなんかじゃない、僕の力なんです。それだけは、例え誰であっても否定させません!」
「はっ、言うじゃねぇか……!」
にやりと獰猛な笑みを浮かべ、ベートさんはふっと息をついた。
「兎野郎、テメェの顔、覚えたぞ」
「兎野郎じゃありません。【ヘスティア・ファミリア】、ベル・クラネルです」
「ふん、雑魚の名前なんて一々気にしてられるか。覚えてほしけりゃ、精々強くなりやがれ」
最後に鼻を鳴らし、ベートさんは踵を返して行ってしまった。
この場に残されたのは僕と、そしてアイズさんだけだ。
「……ベル・クラネル、っていうんだね」
「へ? は、はい」
「ベル・クラネル……ベル・クラネル……うん、覚えた」
僕の名前を何度も呟き、こくこくと頷くアイズさん。
なんというか、少しだけくすぐったい。
「私は、アイズ。アイズ・ヴァレンシュタイン、です」
「あっ……ベル・クラネルです。よろしくお願いします、ヴァレンシュタインさん」
「……アイズでいい。【ファミリア】の皆は、そう呼ぶから」
「じゃあ僕のことも、ベルで構いません」
なんとも遅い自己紹介を済ませ、僕たちは小さく笑い合う。
「本当は、もう少し話が出来たらいいんだけど……私、行かないと」
名残惜しそうな素振りを見せるアイズさんが振り返った先には、もうベートさんはいなかった。
戻らなければならないのだろう。
自らの所属する、【ロキ・ファミリア】のもとへ。
「それじゃあ、
「……はい。アイズさんも、
──また、どこかで会いましょう。
短く、けれど確かに再会の約束を交わし、僕たちはそれぞれの道を歩き出した。
僕にとって始まりの一日は、こうして無事に幕を下ろした。