「換金が終了致しました。こちら、一九二〇〇ヴァリスになります」
「ありがとうございます」
ヴァリス硬貨の入った袋を受け取り、辺りをキョロキョロと見回す。すると、少し離れたところにあるテーブルに座っていたヴェルフが、こちらに向かって大きく手を振ってきた。
「おーい、こっちだこっち」
「お待たせ。換金してきたよ」
「おう、ありがとな。まぁ座れよ」
そう言って椅子を引いたヴェルフに従い、彼の隣の席に腰を下ろす。
「換金、いくらになった? あれだけウォーシャドウやらゴブリンやらを倒したんだ、結構高かったんじゃないのか?」
「一九二〇〇ヴァリスだって。大金だよ、ヴェルフ!」
「おおっ、すげぇな! 俺が
確かな重さの袋を持ち上げ、子供のようにはしゃぐヴェルフ。その気持ちには、僕も大いに共感することが出来た。
目的である『ウォーシャドウの指刃』も必要数集まり、副次的とはいえ、こうしてお金も手に入り、何より怪我をすることなく帰還出来たのだから、今回の探索は大成功と言えるだろう。
「なぁベル、素材集めのついでとはいえ、これだけ稼いだんだ。今晩は一緒に飯でも食いに行かないか?」
「いいね、それ。あ、でもそうなると神様が
流石に神様を
「そうなのか? なら、お前のとこの主神様も連れて来いよ。俺は全然構わないぞ?」
「本当? ありがとうヴェルフ!」
「おう。やっぱり飯を食うなら賑やかな方が美味いからな。だが──」
笑顔だったヴェルフはそこで悩ましげに首をかしげた。
「そうなるとどこに行くかだよな。誘っておいて悪いんだが、ベルはどこかいいところを知らないか?」
「ん~……そうだね、僕の知ってるところでよければ。値段は少し高いけど、すごく美味しい料理の出てくるんだ。多分、ヴェルフも気に入ると思う」
「おぉ、いいじゃねぇか! なぁ、なんて店なんだ?」
上機嫌で尋ねてくるヴェルフに、僕は少しだけ得意げに答えた。
「『豊饒の女主人』、だよ」
▽△▽△
それから僕は一旦ヴェルフと別れ、
しかし、
「──そんな訳で、僕が帰ったときには神様はもういなかったんだ」
「そうか。まぁ、先約があるならしょうがないな」
夜の帳が下り始め、通りにも魔石灯が点り出した頃、待ち合わせ場所である
そんな彼を連れて、僕は目的地へと移動を始める。
「着いたよ。ここが『豊饒の女主人』だよ」
「ほぉ、酒場って割には結構立派なところなんだな。テラスのある酒場なんてなかなか見ないぞ」
西側のメインストリート沿いに建てられた、周りのお店と比べても一際大きな石造りの酒場。
ここが『豊饒の女主人』だ。
入口からそっと店内を窺ってみると、そこは多くの人たちで賑わっていた。笑顔で料理を堪能し、酒を飲んでいる彼、彼女らの楽しげな雰囲気が、見ているこちらにもよく伝わってくる。
そのときだ、近くを通りかかったキャットピープルのウエイトレスが、店内を覗く僕を見て「ニャ?」と声を上げた。
「ん~……ニャニャ! 白髪頭ニャ! 一体何しに来たのニャ?」
「こんばんは、アーニャさん。ていうか何しに来たって……ただご飯を食べに来ただけですよ。二人なんですけど、大丈夫ですか?」
「ちょっと待つニャ。えっと……おっ、あそこのテーブルがちょうど空いてるみたいニャ。ミャーが案内してやるニャ」
「二名様、ご来店ニャー!」と、店内に声を響かせるアーニャさんの後ろについていく。そうして案内されたのは、ちょうど二人用の小テーブルだ。向かい合いように置かれた椅子に、僕たちは腰を下ろす。
「いい雰囲気だな。こういう賑やかなのは嫌いじゃないぜ」
「そう言ってくれると嬉しいな。はい、メニュー」
「助かる。……ははっ、なるほどな。こりゃ確かにいい値段だ。
軽く笑いながらヴェルフが指差したのは、他の店でも出されているようなパスタ。しかしその値段は三〇〇ヴァリスと、相場を考慮すればかなり高くなっている。他の料理も同様である。
もちろんその分、味は文句なしだ。女将であるミアさんの料理はどれも絶品なのだけれど、やはり一見さんからすれば驚くのも無理はないのかもしれない。僕も初めてシルさんに連れてこられたときは、その価格の高さに目を疑ったものだ。
「すみません! 注文を!」
「はーい、お待たせしました! あっ、ベルさん! こんばんは」
「こんばんは。お邪魔してます、シルさん」
周りの談笑にかき消されないよう大きな声で呼ぶと、やってきた鈍色の髪をしたヒューマンの女の子が、僕の顔を見てぱっと表情を綻ばせた。
彼女の名前はシル・フローヴァさん。ここ『豊饒の女主人』に勤める店員の一人だ。
「お邪魔なんてそんな。わざわざ来てくださってありがとうございます。あ、ご注文を承りますね?」
「僕は鶏の香草焼きと果実酒、あとはこのピザを一枚、お願いします。ヴェルフはどうする?」
「俺はステーキと
「ふふっ、分かりました。少し待っててくださいね」
にこりと可愛らしい笑顔を残し、シルさんは厨房の方へと姿を消していった。
それから約十分後、ヴェルフと一緒に他愛のない話をしていると、できたての料理が僕たちの前に並べられた。鼻腔を擽るいい匂いが食欲をそそり、腹の虫が鳴く。
「よし、それじゃあ乾杯しようぜ!」
「うん。それじゃあ……今日は一日、お疲れ様でした! 乾杯っ!」
「乾杯っ!」
果実酒のグラスと
いっぱいに入った鮮やかな色合いの液体を一口呷ると、柑橘類特有の爽やかな味わいが広がった。酒にあまり強くない僕でも、この酒は飲みやすい。
続いて料理。香草の添えられた大きな鶏肉を、ナイフで切って口に運ぶ。咀嚼する度に肉の旨味が口の中を満たし、溢れ出す肉汁と油にはしつこさがない。その食べやすさに、どんどん食事の手が進んでいく。
──うん、やっぱり美味しい。
合間に果実酒を挟みつつ、ほっと息をついたところで、ふと前に座るヴェルフに目をやると、彼は厚切りのステーキを夢中になって頬張っていた。
「んぐ……んぐ……ぷはっ! 美味いっ! 料理も酒も、本当に美味いな! これだけ人が集まる訳だぜ」
店内をぐるりと見回したヴェルフは、こくこくと納得したように何度も頷いた。
「にしても、こうして誰かと飯を食うのも久しぶりだぜ。いつもは大抵一人か、たまに誰かと行くにしても相手は椿──
「そ、そうなんだ」
「あぁ。あいつら、揃いも揃って俺のことをのけ者にするんだ。酷い話だろ?」
苦笑するヴェルフに、僕は思いきって踏み込むことにした。
「もしかして……『クロッゾの魔剣』のことで?」
「……あぁ、その通りだ」
『クロッゾの魔剣』。
それは名前の通り、鍛冶一族である『クロッゾ』が打った魔剣のことだ。また、この世界で初めて作られた魔剣としても知られている。
『精霊』の血を引くとされる『クロッゾ』の作る魔剣は、他の
しかし、『クロッゾの魔剣』を手にしたラキアは暴れすぎた。森を焼き、山を抉り、何もかもをめちゃくちゃにしていく彼らの所業に、故郷を追われたエルフだけでなく、『クロッゾ』に血を与えた精霊たちもまた、怒りを露にした。
その結果、『クロッゾの魔剣』は全て破砕し、『クロッゾ』の一族は魔剣を打つ力を失った。
ただ一人、ヴェルフを除いて。
「確かに俺は『クロッゾの魔剣』を打てる。でもな、俺のところに来た客は、どいつもこいつも魔剣、魔剣としか言わなかった。汗水垂らして作り上げた作品たちには、誰一人として見向きもしないんだぜ? そりゃ、俺だって自分の腕がまだまだだってことくらい分かってるが……それでも、なぁ? 腹だって立つさ」
客は全て魔剣目当て。自分が本当に見てほしい作品は、これっぽっちも見てもらえない。
その状況が如何にヴェルフを苦しめたのか、想像するに難くない。辟易もするだろう。
「だからベル。お前が俺の作品を使ってくれて、俺の作品が欲しいと言ってくれて、認めてくれて、
「え……あ、いや、お礼を言うのは僕の方だよ! ヴェルフの作品は僕にぴったりで、すごく使いやすくて、ダンジョン探索ではいつも助けられてるから……その、ありがとう」
お互いに頭を下げ、顔を見合せ──ぷっと吹き出した。
感謝されて、感謝して。
そんなやり取りがおかしくて、僕たちはしばらくの間、肩を揺らして笑った。
「なぁ、一つ提案があるんだ」
──俺と、直接契約をしないか?
ひとしきり笑い終えた後、表情を真剣なものへと変え、僕の目を覗き込んできたヴェルフは、そのまま言葉を続けた。
「お前は俺にとって初めての顧客だ。俺が心血を注ぎ込んで作った作品を使ってくれる男だ。ベルのためなら、俺はきっと最高の装備を作ってやることが出来る」
「……本当に、僕でいいの?」
「お前で、じゃない。俺はお前がいいんだ。もちろん、お前がその気じゃないなら無理強いはしないが──」
「結ぶ! 結ぶよっ!」
思わず椅子から立ち上がり、勢いよく身を乗り出す。
周りの客が何事とばかりに僕に振り返るが、そんな視線も今は気にならなかった。
だってヴェルフが、あのヴェルフが、僕と直接契約を結びたいと言ってくれたのだ。
以前とは違う、まだ駆け出しの無名である、この僕と。
こんなにも、こんなにも嬉しいことはない。
「お、おい、落ち着けよ。ほら、あそこの女将がすごい形相で見てるぞ?」
「ひっ!? ご、ごめん……!」
瞬間、背中にゾクリと悪寒が走り、僕は慌てて頭を下げながら席につく。
この店ではミアさんが法、面倒事を起こしたり、他のお客に迷惑をかけるような輩は、あっという間に放り出されてしまうのだ。
座ったまま身をすくめ、じっと大人しくしていると、のしかかってきていた威圧感が徐々に引いていく。チラリと様子を窺うと、鼻を鳴らしながら厨房に戻っていくミアさんが見えた。
どうやら見逃してもらえるらしい。それが分かるや否や、無意識のうちに安堵の息がこぼれた。
「ごめんヴェルフ。その……ヴェルフにそう言ってもらえたことが、すごく嬉しかったから」
「気にすんな。それより、っていうことはだ、直接契約を結んでくれるってことでいいんだよな?」
「うん。こちらこそ、お願いします」
断る理由はない。むしろ願ったり叶ったりだ。
そのことを伝えると、ヴェルフの表情がみるみるうちに喜色に染まっていった。大きく開かれたその瞳は、まるで無邪気な少年のように輝いている。
「本当かっ!? ははっ! やったぜ! これからよろしくな、ベル! よし! そうと決まれば、今夜はどんどん食って飲むとするかぁ!」
空になったジョッキを掲げ、近くを通ったウエイトレスを呼び止めるヴェルフ。既にお酒が入っているからか、その気分はいつもより高揚しているようだ。
いや、きっとそれだけではない。
僕の思い違いでなければ、ヴェルフもまた直接契約をしたことを喜んでくれているのだ。
そのことが、堪らなく嬉しい。
食べて、飲んで、話をして、僕たちの時間は過ぎていく。
僕はすっかり忘れてしまっていた。
5階層でミノタウロスと遭遇した日の翌日、つまり今日という日にこの場所を、誰が訪れるのかを。
ヴェルフと出会い、共に冒険をした。
そのことが大きすぎて、つい失念していたのだ。
「ご予約のお客様、ご来店ニャー!」
思い出したときには、もう遅かった。