偽から出た真   作:白雪桜

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第十七話 行き違う心

「朔良?」

「あ、白哉」

「どうした? やけに急いているように見えるが」

 

 最後の授業が終わるなり、いそいそと帰り支度を始めた朔良。普段割とゆっくりしている彼女にしては少々珍しい行動だ。

 

「今日はギンと遊ぶ約束してるの。待たせるのも悪いし」

「……ギン?」

 

 聞き慣れない名前だ。訝しんで眉を寄せると、朔良はあれ、と首を傾げる。

 

「白哉には言ってなかったっけ?」

「……知らぬ名だ」

「五番隊の三席だよ。市丸ギン」

 

 いつの間に、というのが即直な感想だった。いつの間に知り合い、いつの間に下の名で呼び捨てにするほど親しくなったのか。……自分自身のことは棚に上げて。

 白哉の沈黙の意味を悟ったらしく、彼女は笑った。

 

「ちょっと前にね、夜姉様のお使いの途中で会ったの。ギンは私のこと真子さんから聞いてたみたいでさ、すぐに私だって判ったって言ってた。そこでまあいろいろあって、友達になったんだ」

 

 いろいろって何だ、いろいろって。

 そうつっこみたいのだが言葉が出ない。理由は朔良がとても楽しそうな顔をしているから。大好物の苺大福を前にした時のような。

 要するに、楽しくて嬉しくて堪らないという笑顔を浮かべているからだ。

 

「今度遊ぼうって約束してね、今日は午後から非番らしいから……」

 

 何故そんなにも楽しそうなのか。何故そんなにも嬉しそうなのか。何故そんなにも眩しい笑顔を浮かべているのか。

 朔良の笑顔は白哉にとって太陽だ。太陽が陰るのは気に入らないが、他を照らすのも気に入らない。自分勝手な気持ちとは自覚しているのだが。

 

「白哉? 聞いてる……」

 

 訊ねられるまでもなく聞いていた。しかし彼女がその問いを全て口にする前に、ガラッと教室の扉が開いて一つの声が入り込んだ。

 

 

「朔良ちゃん、おるー?」

 

 

 ゴン、と呼ばれた名の持ち主がずっこけるようにして机に頭をぶつけた。荷物を引っ掴んだ彼女は大慌てで名を呼んだ人物に駆け寄り、一緒に教室を出るとピシャリと扉を閉めた。

 同時に聞こえてくる二人分の声。

 

『な、何で来てるのギン!? って言うか何しに来たの!?』

『何て、朔良ちゃんのお迎えや。この時間やったらもう授業も終わっとると思ったし』

『じゃなくて! 死神がいきなり学院に顔出したりしたらダメでしょ! 目立つじゃない!』

『ええやないの。大したことないやろ』

『結構大したことだけど!?』

 

 ……バタバタと遠ざかっていく。まだクラスの大半は残っていた為、一連の騒ぎは目撃されていた。当然ながらほぼ全員唖然としている。『ほぼ』というのは、自分もまたクラスの一員だからだ。

 朔良は『ギン』と呼んでいた。つまりあれが、五番隊第三席市丸ギン。彼女が、今日会う約束をしていた男。

 

「…………」

 

 黒雲のような感情が胸の中に広がっていく。幼い頃はこのもやもやとした気持ちが何なのか理解できなかったが、今ならば判る。

 判ったことからの結論。追いかけることにした。

 

 瞬歩を使用し、霊圧を隠す。彼女の霊圧探知能力は、はっきり言って白哉より高い。しっかり隠さなければ間違いなく見つかる。

 

(……居た)

 

 茶屋だった。店の前の長椅子に並んで腰かけ、何やらおしゃべりしている。店の陰に隠れて耳をそばだて、会話を拾う。……怪しい行動なのは言われなくとも承知の上だ。それ以前に気付かれるかとも思ったが、どうやら二人とも喋ることに夢中らしい。

 

「……せやったら君は、小さい頃は『まねっこ』いう仕事してたんか」

「うん。あ、私の『まねっこ』時代のこと知りたいなら海燕さんに聞いた方がいいと思うよ」

「海燕……ああ十三番隊の志波副隊長やな」

「そうそう! さんざん副隊長になるの渋っててようやく折れて就任したくせに隊長よりも隊を取り仕切ることの多い志波海燕副隊長!」

「……隊長がえげつないて言うとった意味、判ったような気がするわ……」

 

 そこには同感しよう。と言うか彼女の性格、昔よりも悪くなっている気がする。保護者連中の影響かもしれない。

 耳を傾けつつ内容が雑談ばかりなので、半ばぼんやりと聞いていた。だが。

 

「……そう言えばや朔良ちゃん」

 

 次の言葉には、危うく霊圧が漏れ出そうになった。

 

 

「好きな人とか、居らんの?」

 

 

(――っ!)

 

 

「えー何だよ急に」

「だって朔良ちゃんも年頃の女の子やろ? 好きな人とか居ってもおかしゅうないなーて」

「そんな安直な……」

「あれ? ひょっとして初恋もまだなん?」

「馬鹿にしないでよ! 私だって恋の一つくらい……」

 

 息を呑んだ。

 彼女には色恋沙汰など無いものとばかり思っていた。彼女の容姿や温厚さに惹かれて集まってくる男はかなり居たが、これまで睨みをきかせて悉く排除してきたのだ。

 その彼女が、恋だと。

 

「え? 何? 恋しとるん? 誰や誰や? 早う答えてやー」

「誘導尋問か!」

「なあなあ、ひょっとして……白哉くん?」

 

 思わず叫びそうになったのを責めないでもらいたい。ギンの口から自分の名前が出てくるとは思わなかったが、恋愛ごとの会話ならばと多少の期待があったことは認めよう。彼女がどう答えるのか気になっている自分も。彼女も自分のことは嫌っていない筈だと――

 

 

「えー……何で白哉? まっさか。私が白哉となんて有り得ないでしょ」

 

 

 ――心臓が凍った気がした。

 

 

「有り得へんて……そこまで言う? 仲ええんやろ? 小さい時からの幼馴染みて聞いたで」

「また真子さんは余計なことを……。そりゃー白哉のことは好きだよ? でも友達だし幼馴染みだし同期だし好敵手だし! それ以上でも以下でもないよ」

「そんだけたくさん関係に名前付けられて、以上も以下もないやろ」

「あ、それはそうかも」

 

 友。幼馴染み。同期。好敵手。

 朔良にとって白哉は、結局『そういう』存在だったのだ。白哉とは違って。

 ならば。

 

「せやったら、誰に恋しとるん?」

 

 そう、それが気になる。彼女の想い人とは誰なのか。

 

「白哉くんやないんやったら、ボク!?」

 

 出会って間もないくせに、そんな筈がないだろうとつっこみを入れたくなった――

 

 

「……何で判ったの?」

 

 

 ――だから、朔良の言葉に耳を疑ったのだ。

 

 これ以上は聞きたくない、とも。

 

 ――我に返ると、邸の自室に帰ってきていた。無意識の内に瞬歩を連用していたらしく、息が酷く上がっている。

 襖を締め切り、部屋の中央に座り込んだ。

 

(……朔良が、市丸ギンを……好いている)

 

 一体、何を期待していたというのだろう。彼女が変わらず傍に居てくれるから、親しく接してくれるから、すっかり安心しきっていたのかもしれない。幼い頃に渡した『散らない桜』を、今でもずっと着け続けていてくれているから。

 彼女に想いを寄せる者は居ても、彼女が他の誰かに想いを寄せることはないと。彼女を狙う悪い虫を陰から駆除していれさえすれば、取られることはないと思い込んでいた。

 ……いや、それ以前に。

 

 強さを求め修業に明け暮れる雲居朔良が、恋をするなど全く思いもしなかった。

 

 傍に居て彼女を想うだけでいいと思ってきたこの数十年。少しでも行動していれば、気持ちを伝えていれば。何か変わったのだろうか。

 

(……それは、無いか)

 

 

“有り得ない”

 

 

 はっきりと、朔良はそう言った。白哉となど有り得ないと。

 そしてギンに好きかと問われて是と答えたのだ。

 

 ……いつだか誰かが言っていた。

 

『初恋は決して叶わない』

 

(……その通りだ)

 

 白哉の初恋は、叶わなかった。心の中に在り続けた雲居朔良(さくら)への想いは終わりを迎え、散ってしまった。

 

(……ならば)

 

 せめて、綺麗に散らせよう。中途半端に残った『桜』ほど見栄えの悪いものはない。いずれ散りゆくのならまだいいけれど、未練がましく留まるのはみっともない。

 彼女は自分を想ってはいない。しかし、友として幼馴染みとして同期として好敵手として――繋がりを大切にしてくれている。

 

 届かない想いは棄てよう。

 今在る絆を大切にしよう。

 

 そう思えば、先程まで胸中に広がっていた『嫉妬』と言う名の黒雲が消えた気がする。

 

(……そなたの言う通りだったな、朔良)

 

 出会ってまだ間もない幼い頃、彼女は言った。

 

 『桜』はいつか、必ず散る。

 

 

 

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 

 

 

「朔良ちゃん、そういう嘘はあかんで」

 

 そう返されて、朔良は少なからず動揺した。

 

「え、えと……何が?」

「気持ち隠すんはまあ構わんけど、他の人好きとか言うたらあかんよ」

 

 目を見開く。まさか、見破られるとは思わなかった。

 ギンに好きかと訊ねられ、後から冗談と言うつもりでそうだと答えた。それが答える前に叱られてしまうとは。

 

「別に、冗談だったんだけど……」

「そんならええんや。で、ボクはホントのこと聞きたいんやけどなあ」

「…………」

 

 もぐもぐと団子を頬張り、茶を啜って沈黙する。

 

「なあなあ。誰にも言わんから」

「…………」

「やっぱり、白哉くんのこと好きなんやろ?」

 

 ぴた、と一瞬動きを止める。

 決してギンの方へ視線は向けず、湯呑を持ったまま口を開く。顔が赤らんでいるだろうとは思いつつ。

 

 

「――そうだよ、悪い?」

 

 

 いつから、彼を特別に想うようになったのかは判らない。ありきたりな返答かもしれないが、いつの間にかと言うのが正直なところだ。

 

 彼の傍に居ることが心地良い。

 彼に触れられると胸が高鳴る。

 彼を想うだけで幸福を感じる。

 

 どれも、白哉のことが好きだから。恋をしているから。

 

「でも、有り得ないっていうのは本当だよ」

「何で?」

「白哉は五大貴族。私は流魂街出身。有り得ないでしょ」

 

 貴族が流魂街出身の者を迎え入れてはいけないと掟で定められていることは、長く夜一の家で世話になっているのだから朔良も知っている。恋仲になるのも褒められた行為ではない。であるなら、朔良と白哉が釣り合う筈もない。

 

 そもそも白哉が、自分のことを異性として見てくれるなどとは思えない。これから見るとも思えない。

 嫌われてはいない、寧ろ好意を持ってもらっているだろう。彼は嫌う相手と長く共に居たり、その身を案じたりはしないから。しかし恋愛感情となれば話は別だ。

 

 白打と瞬歩で打ち負かし、悪戯をしては彼を困らせ、同じ場所に立ち続けた。

 

 男勝りに戦場を駆ける女など、彼の相手に相応しくはない。

 

「白哉は、私のことそういうふうには見てないし」

「そうかなあ。話聞いただけやけど、白哉くんは朔良ちゃんのこと大事にしとると思うけどなあ」

「まあ邪険には扱われてないよ」

「いや、そういうことやなくて……」

「ところで、ギンはそういう子居ないの?」

 

 強引な話題転換だ。矛先を変えた、といった感じだが。これ以上は触れてほしくなかった。

 

(……私は、一人の異性として白哉の隣に立つことなんてできない)

 

 だから強くなろうと決めた。白哉と肩を並べる『戦士』としてならば、隣に立てる。

 想う心はそのままに。

 

 彼から貰った『散らない桜』と共に。

 

 

 

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 

 

 

 一方は想いを諦め。

 一方は想いを隠し。

 

 一方の桜は散り終え。

 一方の桜は咲き続け。

 

 

 交わらなかった心と心。

 

 誰も知らない小さなずれは、やがて大きな亀裂を生む――

 

 

 

 

 

 

 




今回、途中で視点を変えてみました。

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