「待ってくださいって夜一サン!」
周りを見ていないのだろうか。前をずんずん歩いていく夜一に、喜助は追いつつ慌てたように声をかける。
「ちょっと……」
「あの娘」
「は?」
「『まねっこ』と言ったな。荒削りじゃったが、瞬歩や鬼道を使うとは驚いた」
「あ……そうっスね。霊力もあるようですし、霊圧操作もできるみたいでしたね。極めつけは、最後のっスけど。あれって海燕サンの始解っスよねえ……。形だけでしたけど、あの手首の返しと構えは本物と同じです」
「霊圧の形もそうじゃが、あの独特な構えを模すとはの」
「今の仕事で割と稼げてるように見えますけど……霊術院に推薦しましょうか」
「それは許さん」
「は?」
霊力のある者は死神になれる可能性がある。死神になれば給与があり、瀞霊廷に住むこともできる。
それ故出した『死神になる道』という喜助の提案は、あっさり切り捨てられた―――かに見えた。
「それでは面白くもなんともなかろう」
「……あの、それはどういう」
「急ぐぞ喜助。あの娘はまだこの料亭内におる」
「……どうするつもりなんスか?」
「とにかく行くぞ。ついて来い」
それだけしか言わなかったが、楽しげな彼女の表情を見て、付き合いの長い喜助には何となく判ってしまった。
(これはまた……驚きっスね……)
夜一が、あの幼い少女に興味を持つとは。
「ほら、今日の分のお給金だよ」
「また頼むねえ」
「はい! 喜んで!」
「おー、居った居った」
霊圧を追って来てみれば案の定、料亭の女将と旦那から、小さな両手にはあまりある袋を渡されている彼女を見つけた。
「これは、先ほどのお客様方。何か御用事でしょうか」
「うむ、その娘に話があっての」
「私ですか?」
袋を抱えこちらに向き直り、こてん、と首を傾げる様はなんとも愛らしい。
和みつつ喜助は、夜一と幼子を見守った。
「儂の名は、四楓院夜一と申す」
「え……」
「!!」
「し、四楓院様!?」
「そのままでよい」
平伏しかけた料亭の二人に楽にしておけと一言で止める夜一だが、二人は互いに顔を見合わせ、そういう訳にも参りませんと膝を突いて床に額を擦りつける。
「四楓院……さま。五大貴族の、ご当主さま?」
喜助は少しばかり感心していた。五大貴族と言えば尸魂界のほぼ頂点に君臨する、王族に最も近しき正一位の者たち。流魂街の住民からすればまさに雲上人だ。普通は声をかけるどころか顔を拝むことさえ畏れ多い――というか、もし何か無礼な振る舞いをしてしまい勘気に触れてしまうようなことがあったら……と大抵はそんなことを考えて、女将と旦那のように委縮してしまうものなのだが。
「うん、まあそうじゃな。して、お主の名は?」
「私は、『まねっこ』です」
「……いや、儂は通り名ではなく本名を聞いておるのじゃが」
苦笑する夜一と、驚いた様子ながらも特に気を張り詰めさせるでもなく普通に話す少女。
大貴族を前にした市井の住民が見せる反応ではない。
(ああいや、考えてみれば貴族相手は慣れてるっスかねぇ)
喜助自身、少女の噂は瀞霊廷の貴族連中から拾った話だ。暇を持て余した少なくない貴族が『まねっこ』の舞台を見、それだけでなく話を交わす機会も多かっただろう。……それと多分、五大貴族の者と顔を合わせるのも、これがきっと初めてではない。
先ほど少女が演じた『捩花』を思い返しつつ、喜助は少女と夜一の会話に意識を戻した。
「本名、ですか?」
「うむ」
ほれほれ、と先を促す夜一に対し、少女は少し考えた素振りで、やがてずいと胸を張る。
「『儂の名は、四楓院夜一と申す』」
「ぷっ……」
そっくりそのままの声音と口調が飛び出て噴き出しかける喜助だが、じろりと夜一に睨まれ慌ててそっぽを向く。
「……まあ、ほれぼれするほどそっくりじゃが、物真似はまた今度にしてほしいの」
「『しかしせっかくじゃから、もう一つ二つ見たいところじゃの。追加料金は弾むぞ?』」
「そんなことは言っとらん!」
物真似少女が商魂たくましすぎる。喜助は口元を押さえぷるぷると肩を震わせた。
埒が明かないと見たのか、夜一が未だひれ伏したままの女将と旦那に矢を向ける。
「お主ら、雇い主なら名前ぐらい知っていよう? この物真似大好き娘は何と申すのじゃ」
「お、恐れながら四楓院様……」
「うむ」
「……その、存じません」
「は?」
「はい?」
呆気に取られた夜一に、喜助まで同じような反応を返してしまう。
「『まねっこ』と言えば皆に通じてしまうので、改めて名を聞く必要がなかったと申しますか……」
「ははぁ……本人の素性より、噂話の方が先行して有名になってるんっスねぇ。どうします夜一サン。この分じゃ、この子とよほど親しい人じゃなきゃ誰も知ってそうにないっスよ?」
「っ……ああもう、儂の負けじゃ!」
ほれ! と懐から財布袋の中身をざっくばらんに掴み取り、少女に向かって突き出す。
「追加料金じゃ! ただし物真似は見せんでいいから早いとこ名を申せ、話が進まん!」
「まいどあり~、です」
夜一から見事に追加収入をせしめた少女はほくほく顔で両手いっぱいの硬貨を受け取る。
「うわぁ、こんなにたくさん。ひのふのみのよの……」
「数えるのは後でよかろうが」
「あ、名前でしたっけ? 私は『まねっこ』です」
「じゃから、それは通り名であろう? 儂はさっきからずっと、お主の本名を聞きたいと言っておる」
「はい。だから私は、『まねっこ』です」
は? と意味が判らないという声を出す夜一。喜助も首を傾げる。
「えっと、私も名前あったんですけど、物真似ばかりやってたら『まねっこ』って呼ばれ始めて……『まねっこ』って呼ばれるの嫌いじゃないですし、別にいいかなぁ……なんて思ってたら、忘れちゃいました」
「忘れた?」
「はい」
「名前を?」
「はい。ごめんなさい。だから私のことは、『まねっこ』って呼んでください」
てへ、と少女は舌を出し、可愛らしい笑顔を見せる。
しかし、両手いっぱいの大金は少女の懐にちゃっかり消えていた。
「「「「…………」」」」
誰も何も言えない沈黙。
固まってしまった夜一の背後で、喜助は頬を掻く。
凄い子だ。なんかもう、色んな意味で。
ふと、夜一の肩がふるふると震えていることに気付いた喜助。
怒っているのか――宥めようとその肩に手を伸ばしかけた瞬間。
「――ぶわっはっはっはっ! 儂を嵌めるとはいい度胸じゃ! ほんに面白い奴よの!」
「お褒めにあずかり光栄ですー」
怒りより面白さが勝ったようだ。わしゃわしゃと小さな頭を撫であげる夜一と、何処か的外れな答えを返す少女は、傍から見て何と言えばいいのか。
くつくつと収まらない笑みを零し、夜一はしゃがみ込んで少女と目線を合わせた。
「どうじゃお主、儂と茶でも飲みながら話をせんか?」
「えーでも、今日はちょっと疲れ……」
「甘味所でどうじゃ。奢るぞ」
「行きます」
即決。藍色の瞳がきらきらしている。これはちゃっかりしていると言うより現金だ。甘味に喰いつくところを見ても、やはりまだまだ子供らしい。
夜一はひょいっと少女を肩に座らせるようにして担ぎ上げた。ではの、と女将たちに声を掛け、すたすたと出ていく。
呼び止める間も無いほどの行動の早さに、喜助は呆れ気味で後を追った。
潤林庵でも評判の甘味所に着いたところで、夜一はようやく少女を降ろした。
「さ、好きなものを頼むとよい」
「ごちそうになります」
「……遠慮ないのう」
夜一につられて喜助も苦笑する。
結局少女は、苺大福と餡蜜を頼んだ。心底美味しそうに頬張る姿は、見ているこちらまで幸せな気分にさせられる。
夜一と喜助もそれぞれみたらし団子と豆大福を注文する。運ばれてきたそれらを咀嚼していると、苺大福を腹に収めた少女が餡蜜に手を伸ばしながら口を開いた。
「で、お話っていうか、何が訊きたいんですか?」
的を射た質問に、ピタ、とこちらの動きが一瞬止まる。改めて少女を見れば、悪戯っ気を含んだ瞳とかち合った。
「何でもお答えしますよー?」
にこにこと笑顔を浮かべる少女は、やはり凄いと思う。夜一が話と言いながら訊きたいことがあるということを見抜いていたらしい。まあ、訊きたいのは喜助も同じだが。
再び感心している喜助の隣で、やれやれと息を吐いた夜一が本題に入った。
「お主、瞬歩と鬼道を誰に習った?」
「えと、習ったんじゃないんです。前に死神さんが使ってるのを
「……それだけ、っスか?」
「はい。あ、瞬歩と鬼道っていう名前は、別の死神さんから聞いたんですけど」
「……志波海燕か?」
「海燕さんを知ってるんですか?」
「あやつとは貴族繋がりでの、古い知人じゃ。将来有望でいずれ副隊長クラスにはなるじゃろうな。どうやって知り合ったのじゃ?」
「流魂街の男の人たちに絡まれてるトコ助けてもらって、それからです」
海燕らしい。流魂街の住民同士とはいえ、大人の男と幼い少女が対立していれば、間違いなく少女の方につくだろう。
しかしまだ、一番気になることを聞いていない。
「お主が今日最後に見せたのは、海燕の始解の模倣じゃな」
そう、これが二人が一番気になっていたこと。
瞬歩と鬼道はまだ判る。だが、如何にして始解を、形状のみとはいえ模すことが出来たのか。
「そうです」
「……一体、何をして模した?」
「海燕さんに始解を見せてもらったんです。いろいろ物真似披露してたら、じゃあ始解も真似てみろ! って話になって……何回か失敗しましたけど、見た目は何とかなりました」
恐らく、彼は冗談半分だったのだろう。いくら彼でも本気でそんなことが出来るなどと思っていなかったに違いない。
しかし、この少女は真似て見せたのだ。彼の解号の声も、独特な構えと手首の回転も、三叉槍の形状も。
「……そうか……」
少女の返答を聞き、夜一は目を閉じた。
「……どうじゃ、お主」
再び開いた彼女の目が嬉々としていることに、喜助は気付いた。
「儂の弟子にならんか」
その間、たっぷり二十拍ほど。
「……………………………………………………ふぇ?」
藍色の瞳はまん丸になって。
何を言われたのかすら、理解が追い付いていないようだった。
「じゃから、儂の弟子にならんかと訊いておる」
「ちょ、ちょっと夜一サンっ」
突拍子もない話に喜助は口を挟み、夜一の腕を掴んで店の隅に引っ張っていった。
「(何考えてるんスか)」
「(『まねっこ』を手元に置くことを考えておるぞ)」
「(そうじゃなくて理由を……って言うか何で弟子なんスか。引き取るなら養女とかでは?)」
「(うむ、まずは真面目な話じゃが、あやつは力の扱い方を知るべきじゃ。荒削りな今のままでは、いずれ抑えきれなくなるやもしれん。かと言って霊術院に入れるのは、あやつの人生を完全に決めてしまうことになる。今の仕事で稼ぎを得ている娘の人生をな。更に言えば儂が面白くない。院に入れては、あやつの物真似を見る機会が減ってしまうからの)」
「(……どっちかって言うとそっちが本音でしょうに……)」
呆れて溜息も出ない。かなり気に入っているようには見えたが、これほどとは。
「(養女と言ったがの、そんなことをすれば屋敷の者に何を言われるか判ったものではない。いや判るがの、面倒になること必須じゃ。弟子ならば傍に置いても不自然ではないし、手ほどきもしてやれる。死神になるかどうか、逃げ道も作ってやれる)」
「(どうしてそこまで……)」
「(この儂を嵌めたのじゃぞ? あのような幼い娘が全く悪びれず。面白いと思わぬか。あの磨けば光る石がどういった生き方をするのか、非常に興味がある。それにじゃ)」
まだあるのかと思えば、金色の瞳がきらりと光った。
「(儂を嵌めたあやつを、白哉坊に会わせたらどうなると思う?)」
「(…………)」
それが一番の楽しみでしょう、とは言えなかった。あの少女にはなかなか茶目っ気がある。何が起こるかはさっぱりだが、『まねっこ』と同じか少し年上くらいのあの少年にとっていいことではあるまい。日頃から夜一に散々おもちゃにされている彼に、ただただ同情した。
「さて、もういいじゃろ……っておい! お主何勝手に追加注文しとるんじゃ!」
席に戻ってみれば餡蜜は綺麗になくなり、代わりに食べ終わっていたはずの苺大福が、何故か五個ほど皿に乗っていた。
「追加しちゃだめっておっしゃいましたっけ?」
「……喜助、お主が払え」
「ええ!? なんでボク!?」
「お主が席を立つからじゃ!」
「いえいえいえ、このくらい夜一サンにとっては大した額じゃないでしょ! 一席官のボクとは比べ物にならないくらいのお金持ってるんスから!」
「それはそうじゃが釈然とせん!」
「……あの、周りから注目されてますけど」
「元はと言えばお主がややこしいことをするからじゃぞ!」
「夜一サン、相手子供っスよ!?」
あーだこーだ言い合って、結局夜一が払うことになり、喜助は安堵の溜息を吐く。正直な所、給料は個人的な実験や研究に大半を注ぎ込んでいるため、あまり使いたくないのだ。
「それで、なんで私にそんなお話を?」
「……即座に本題に戻るか」
「図太いというか、天然というか……」
「まあよい。お主、才があることに気付いとらんのか? 鍛えれば間違いなく凄腕の死神になれるぞ」
「でも、まだお仕事残ってます……」
「『まねっこ』の仕事か? 別にするなとは言っておらん。すぐに霊術院に入れるつもりなどないし、当分は儂が直々に教えてやる。回数は減るじゃろうが、仕事も引き受ければよい」
「『まねっこ』サン、ご家族は?」
ふるふると首を横に振った少女。一人暮らしかと思うと、猶のこと放ってはおけない。
「儂の元へ来い、『まねっこ』。強い力を持つ者は、それを扱う術を知らねばいずれ身を滅ぼしかねん。何より、その才を腐らせるのは勿体ない」
「…………」
「……というのは建前でな、実際はお主が何処まで模倣を可能にできるか、見てみたいからなんじゃ」
「…………」
「……まあ、今すぐ答えを出せというのも難しいかもしれんな。今日一日ゆっくり考えるがよい。家は何処じゃ? 送っていこう」
「…………いえ」
少女の口から出たのは否定を含む言葉。どういう意味か、何を指して言ったのか、続きを待つ。
「考える時間は、いらないです」
無垢な、けれど真摯な双眸が、こちらに向けられた。