偽から出た真   作:白雪桜

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第二十八話 思いがけないきっかけ

(……危なかった)

 

 海燕はあれで結構鋭い人だ、伊達に副隊長を務めている訳ではない。書類を抱え直し彼に掴まれた腕を擦りながら、朔良は思う。

 五番隊へ書類を届けに行った帰り道。藍染やギンの様子見も兼ねての行動だったが二人は不在、しかも隊舎を出たところで五番隊隊士に捕まってしまった。

 

 他隊の隊士達に絡まれるのは今回が初めてのことではない。退院してから毎日のように誰彼から不満や怒りをぶつけられ、陰口を叩かれているのも知っている。罵倒されるだけならマシな方だ、突き飛ばされたり殴られたりもするのだから。昨日などは突き飛ばされて倒れた時に腕を踏みつけられた。その腕を掴まれてしまったのだから正直かなり痛い。海燕に非は全くないけれど。

 朔良には怒りをぶつけてくる彼等を鎮める術はない。自分が席官ということもあり、絡んでくる相手は皆同位席か上位の者ばかりだ。それも理由の一つであるし、何より朔良自身が今回の事件のことで負い目を感じている。

 海燕は無関係と言っていたし、表向きにはそうなっている。しかし実際は、全てを見て知っているのだ。例えあの事件の現場に飛び出していたとしても何も変えることはできなかっただろうし、そこに転がる犠牲者が一人増えただけに違いない。だがそれでも事実は変わらないのである。我が身かわいさに仲間を見殺しにしたという事実は。

 

 だから、別に構わないのだ。どれだけ罵声を浴びせられようとどれだけ暴力を振るわれようと、自分にはそれを止める資格はない。助けてくれた海燕には純粋に感謝しているけれど、自分一人なら抵抗する気も反論する気もなかった。

 

(まあ、顔はできるだけ殴られないようにしてるけど)

 

 顔は大事とかそういう話ではない。手足や腹部なら着物で隠せるが、首から上はそうはいかないからだ。顔に痣でもできてしまったら流石に隊長達や砕蜂にばれるだろう。そうなれば面倒だ。

 しかし、周囲はともかく自らの斬魄刀である珠水に誤魔化しはきかない。彼女は今の自分は働き過ぎだと、八つ当たりに付き合うことはないとたびたび言ってくれる。全く主思いの斬魄刀だと思う。しかしこれでは罰にもならないのだ。命惜しさに親しい者達を見捨てた罪は、どうあっても償いきれるものではない。だから彼等の部下から不満をぶつけられることくらい、何の苦でもない。

 

 

「ふあぁ……」

 

 ――夜。現状では昼夜など関係ないが、あらかたの書類を届けて隊舎への帰路につく。最近はまともに食事も睡眠もとれていないと思う。疲れが溜まるのは当然だろう。夜一が居なくなっても四楓院家から追い出されることはなかったが、一度顔を出したきりそのままだ。今は仕事をしていなければ自分を保つ自信がなかった。とはいえ、倒れてしまっては逆に迷惑がかかるのも確か。

 

(……部屋、戻って寝ようかな……)

 

 隊舎の自室ならばすぐにでも仕事に戻れる。そう判断し、足を速めた時だった。

 

「おい」

 

 後方から掛けられた声。同時に感じた複数の気配と霊圧に振り返る。

 予想通り、居たのは男が四人と女が二人の計六人の隊士だ。人数を考えると全員が自分より上の席次ということはないかもしれない。他隊同士が混ざっていることも有り得る。今回犠牲になった隊長格らの部下全員が全員、朔良に不満をぶつけている訳ではないのだから。

 そして今この場に居る者達には、数日前に絡まれた記憶があった。勿論全員ではないが。

 

「……何か御用でしょうか」

「顔を貸せ」

 

 言うなり、ざっと取り囲まれた。仮にも朔良は隠密機動だ、逃げるのは容易い。だが逃げる気は起きなかった。

 連れて行かれたのは近くの倉庫。今回の事件絡みでわざわざ呼び出されるのは初めてだった。その分危険度が増している気がするのは間違いではないだろう。

 

「さてと……用件は判ってんな?」

「ええまあ……何となくは」

 

 だというのに、朔良は酷く冷静だった。自暴自棄になっているのは判っていたが、どうでも良かった。罪悪感も相まって。

 それが相手の神経を逆撫でしたのかもしれない。男の一人が近付いてきて肩を掴まれたかと思うと、背中から思い切り地面に叩きつけられた。

 息が詰まる。

 

「……アンタに恨みはないわ」

「けど、てめえの師匠にはあんだよ」

 

 ――いつだったか。院生時代、似たような状況に陥った。あの時は確か自分は足を怪我していて、けれど相手がずっと弱かったので簡単にあしらえたものだった。それにすぐ白哉が来てくれた。今も逃げることは容易だけれど、最早そんな気力も湧かない。

 

 腕を掴まれ、無理やり起こされる。両脇から腕を抱えるように二人の男に持ち上げられて、立たされた。

 

 ……もし顔に傷ができたら、周りに何て言い訳しようか。

 

 不穏な気配の中、ぼんやりとそんなことを思った。

 

 

 ――その瞬間。

 

 

「――はい、そこまでや」

 

 

 割って入った声に、瞠目する。

 今まさに朔良を殴ろうとした男、その手首を掴んだのは――

 

 

「……ギ……ン?」

 

 

 ――狐目の少年だった。

 

 

「い……市丸三席!?」

「あかんなあ、君ら」

 

 ギンは男をパッと離したかと思うと朔良の後ろに回り込んできて、腕を捉えていた他の男二人の手首を捻り上げた。解放されたはずみで朔良はへたり込む。

 

「いだだだだ!」

「い、市丸三席!」

「女の子一人に六人がかりはないやろ? ましてやこないな所で暴力事件、結構な問題やで?」

 

 放された男たちは痛む部位を擦りながら後ずさる。後ろに立っていたギンは、今度はまるでかばうようにして朔良の前に出た。

 

「それにこの子に……朔良ちゃんに手ー出して、ただで済むと思うとるん? この子が今残っとる隊長さん達と仲ええことは、ちょっと有名な話やろ」

 

 そうだ。夜一と喜助の弟子、ということに比べるといささか霞むけれど、朔良が何人もの隊長と懇意であるという事実は多少知られてはいる。彼等も判ってはいたのだろう、指摘されると顔を青くした。……青くなった原因は言葉だけではないと、霊圧に敏感な朔良にはすぐ理解できる、

 

「そうやないとしても、暴力事件は見過ごせることやあらへん。たとえ未遂でもな。……けどまあ……」

 

 そこで初めて、ギンは少々上がった霊圧もそのままに、肩越しにこちらへ目を向けてきた。目と言っても細められ、瞳の色は窺えないのだけれど。

 

「……どーもこの子は、大ごとにはしたくあらへんみたいや。せやから今回だけは見逃したる。早よう行き」

 

 霊圧がほんの少し軽くなった間に、六人が六人大慌てで逃げ出す。気配が完全に消えた頃、ようやくギンは振り返った。

 

「災難やったね朔良ちゃん」

 

 相変わらず細められた目。……“あの夜”以来、まともに対面したのはこれが初めて。

 

 

「怪我してへん?」

 

 

“射殺せ、『神鎗』”

 

 

「立てる?」

 

 

“あかんやん。見つかってもた”

 

 

 “あの夜”の彼の姿が重なり――差し出された手に、びくりと身体を震わせた。

 

「…………」

「……あ……」

 

(し、しまった!)

 

 ピク、とギンの指先が動いたことに気付き、内心酷く慌てる。朔良が“あの夜”現場に居た事実を、彼らが知っているかは半信半疑だ。あの時は恐怖だの混乱だの疲労だので深く考えられなかったが後になってみると、あれほどの実力を持った藍染が朔良の存在に気がつかなかったとは思い難い。ギンが感じた気配を“些細なこと”と言っていたのも気掛かりだ。その気配は紛れもなく朔良のものであった筈なのだから。

 つまり“朔良が真実を知っていること”を“藍染達が知っている”かどうかは、まだ判断できていないのだ。

 故に反射の拒絶はかなりまずい。“あの夜”さえなければ、ギンとは親しい友人同士であり続けただろうから。

 

「あ、あの……」

 

(やばいやばいやばい!)

 

 取り繕おうと思考をフル稼働させるが、混乱と仕事漬けで疲労を極めた頭では妙案は浮かばない。

 

 ――ほんの数秒のことであった筈なのだ。差し出された手に拒絶を示して、その手が引っ込められるまで。

 

「……ま、大丈夫ならええよ」

 

 にこりとした顔はいつもの笑み。しかしその裏はまるで読めない。

 ひとまず立ち上がり、真正面から向き合った。

 

「えと……あの……な、何でここに……?」

「散歩や散歩。気分転換に外出てん。そしたら君が連れてかれてんの見えてなあ、こっそり後追ったんよ」

「そ、そっか……」

 

 何を言えばいいのだろう。流れを考えれば取り敢えず礼を言っておくべきなのだろうけれど、“あの夜”を思うととてもではないが“ありがとう”などとは言えない。しかしここで疑いを大きくさせてしまうのも――

 

「辛いやろ」

 

 ――告げられた言葉に、即座に反応できなかった。

 

「……え……?」

「今、辛いやろ。そらそうやろうな。目の前で大事な人()が消えてしもたんやから」

 

 ――夜一に襲われたことは周囲に知られている。だがその場に他の者――喜助も居たことは誰にも伝わっていない。現場に残っていた霊圧で夜一と断定されたのだから。

 

 ならばギンの言葉の意味は。

 

「まあ、関係者のボクが(・・・・・・・)言うのもなんなんやけどな」

 

 ――確定だ。“知られている”。でなければこんなピンポイントなことを言う筈がない。となると疑問点がいくつか出てくる。

 

 何故朔良を放置しているのか。

 何故今ここで助けに入ったのか。

 何故こんな思わせぶりなことを告げるのか。

 

「……朔良ちゃん」

 

 沈黙をどう取ったのかは知らないが、静かに名を呼ばれた。

 

「悔しいんやろ」

 

 その声からは何の感情も窺えない。

 

「悔しかったら、強うなり」

 

 けれど、でも。

 

「強うなって、全部まとめて片付ければええ」

 

 “違和感”は、感じない。

 

「朔良ちゃん、ボクは――」

 

 

「朔良っ!」

 

 

 前触れなく、倉庫に飛び込んで来た人影。それはよく知った人物で。

 

「……か、海燕、さん?」

「あれ、十三番隊副隊長さんやないですか」

「……市丸? 何でお前がここに居るんだ?」

 

 怪訝そうな海燕。と言うか、

 

「十三番隊副隊長さんこそ何でここに?」

「……お前には関係ねえよ」

 

 ……先に言われた。

 そしてそこは理由を話すところだと思う。

 

「まあええです。十三番隊副隊長さんが来たんなら、ボクはお役御免ですし」

「え、ちょ、ギン!?」

 

 さっさと出て行こうとした彼を、慌てて引き留める。

 

「待ってよ! 話途中……」

「ボクは、君には嘘はつかへん」

 

 告げられたその一言は、きっと彼が先ほど言おうとしていた続き。何処か有無を言わさぬ口調に口を噤む。

 

「そのことだけは、よう覚えとき」

 

 それを最後に、彼は瞬歩で立ち去った。

 

「…………」

 

 結局、彼がどういう意図でこんな風に動いたのかは判らずじまいだ。だがしかし――

 

「……朔良」

 

 はたと気づく。そうだ、海燕が居た。

 

「あ……海え」

「腕見せろ」

「……はい?」

 

 今何と?

 

「いいから、腕見せろ!」

「ちょ、ちょっと海……った!」

 

 昼間にも掴まれた腕を取られ、袖を肘まで捲られる。

 痣のできた上腕が露わになった。

 

「……この怪我は何だ?」

「あ、あの、海え」

「何だって聞いてんだ!」

 

 怒鳴り声に、思わず身体を竦ませる。しかしその声には真剣な響きがあった。

 

「……お前、絡まれるの昼間のが初めてじゃねえだろ」

「……あ、の……」

「それだけならまだいい。だが、暴力沙汰になってんならちゃんと言え!」

 

 腕を離され、頭に手が乗る。乗るというよりは掴むと言った方が正しいような力加減だったが、その手はどこか温かい。

 

「誰でもいいんだ。俺でも、白哉でも、隊長達でも、砕蜂でもいい。全部一人で抱え込むな」

「海燕、さん……」

「お前の気持ちが判るなんて、無責任なことは言わねえよ。けど、支えるくらいはできるんだ。その為に俺達が、仲間が居るんだろうが」

 

 手の力が緩み、くしゃ、と頭を撫でられる。

 

「頼れ。辛い時誰かに甘えるのは、恥ずかしいことでも弱いことでもねえんだから」

 

 ――悩み事は話すだけでも楽になる、とはよく聞く話だ。しかし状況を考えると朔良は誰にも話すことなどできなかった。だから全て抱え込み、気を紛らわせるために無茶をした。罪悪感がら逃れる為に自暴自棄になっていた。

 けれど。

 

(何も話さなくても……良かったんだ……)

 

 僅かでも頼って甘えて、それだけでいいのだと。無理に抑え込む必要はないのだと。

 

 真っ直ぐな言葉はすとんと落ちて、鉄のように重かった心がほんの少しだけ軽くなった。

 

「……ありがとうございます」

 

 自然に笑えた、と思うのは実に十二日ぶり。微笑ではあっただろうけれど、それでも普通に零れた笑みだ。朔良にとって、この一歩は大きい。

 

 笑顔を見て何を思ったのか、海燕は思案するような表情をした後で頭から手を離した。

 そして口を開き、

 

「なあ。お前十三番隊(ウチ)に来ねえ?」

「……は?」

 

 いきなりの勧誘。後付けのように彼は言葉を繋げる。

 

「いや環境が変わればお前も何か変われるかもしれねえだろ? ウチも今七席が空いてるしな。お前の実力考えると何で九席なのかって思うし、七席でも足りねえくらいとは思うが……」

 

 どうだ? と訊かれて、考える。悪い話ではない、と思ったところで、

 

「ちょっと待て志波海燕!」

「おわっ!? 白哉!?」

 

 駆け込んできたのは幼馴染み兼想い人。何やら酷く不機嫌そうだ。

 

「黙って聞いていれば……抜け駆けは許さぬぞ!」

「おま……三席で後輩のくせにその言葉遣い……」

「今は勤務時間外だ」

「いやそうだけどな……っつーか抜け駆けって……」

「朔良! 六番隊に来い! 四席が空いている! 爺様と父上には私から話す!」

「オメー無視してんじゃねえ!」

「あ、あの白哉……」

 

「いやいやいや、それならうちにおいでよ」

 

 三人目。……いやもう一人後ろに居る。驚愕と共に一斉に名を呼ぶ。

 

「「京楽隊長!? 卯ノ花隊長!?」」

「しゅ、春兄様に烈さん!」

「嬉しいねえ朔良ちゃん、その名前で呼ばれるの久しぶりだよ~」

「同感です。やはり名前で呼ばれるのは親近感がありますね」

「は、はあ……」

 

 そう言えば、ずっと仕事漬けだったので“隊長”としか呼んでいなかった気がする。

 

「副隊長、はまだちょっと早いかなあ。ボクのところも五席が空いてるよ」

「いや、今回被害に遭った八番隊に配属されんのは色々キツイでしょう」

「そこは同意見だ。六番隊ならば……」

「何言ってんだ。規律が厳しくてお堅い六番隊より、みんな仲良し十三番隊がいいに決まってるだろうが」

「隊長の爺様、副隊長の父上、三席の私。その次の席次の四席だ。親しい者がこれだけ近くに居る方が良い」

「それを言うならなー! 俺と隊長だって……」

「あのー、ボクも……」

 

「朔良さん」

「あ、はい」

 

 あーだこーだ言い合う三人の横を素通りし、卯ノ花が近付いてきた。

 

「ひとまずその腕を見せてください。治療します」

「う、はい……」

 

 ここで逆らうと怖い目にしか遭わないことをよく知っているので、大人しく怪我をした腕を出す。柔らかな光にじんわりとほぐされ、痛みが引いていくのを実感する。

 

「……はー。やっぱり凄いですよね、烈さんの治癒鬼道って。私ちょっとした傷しか治せませんし」

「あら、貴女ほどの鬼道の使い手でしたら、きっとすぐにでも上達しますよ」

「そうでしょうか……」

「ええ。もしよろしければ、四番隊に転属なさっては?」

「え?」

 

 向こうの三人は気付いていない。

 

「いいんですか?」

「勿論です。ただ今の貴女が二番隊ですからね。真逆と言っていい部隊同士、転属していきなり席官は難しいでしょう」

 

 つまり無席からということになる。だが学べることは今より遥かに多い筈。それでもいいか、と。

 

「それに人を癒すことで、貴女自身が癒されることもあるでしょう」

「!」

 

 彼女も向こうの三人と同じ考えだったのだ。環境が変われば、と。心配してくれていた事実に申し訳なくなると同時に、胸が温かくなる。

 

 

 ――ギンがわざわざ気付かせるような言動で接触してきた理由は判らない。けれど、焚きつけられた。強くなろう、と。

 

 ――海燕は何も知らない。でもその真っ直ぐな言葉で、気を少しでも軽くしてもらえた。

 

 

 ――踏み出さなければ。前に進まなければ何もできない。これはそのきっかけ。

 

 

 十三番隊七席。

 八番隊五席。

 六番隊四席。

 四番隊無席。

 

 四つの選択肢の内朔良が選んだのは――

 

 

「よろしくお願いします、烈さん」

「こちらこそ、朔良さん」

 

「「「……は!?」」」

 

 

 成長すること。それが今の自分にできること。

 そしていつか、真実が明るみに出るまで耐え忍ぶ。

 

 覚悟を、決めた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……『これぞまさしく漁夫の利の構図じゃな』」

「総隊長の声で言ってんじゃねえっ!」

 

 

 “まねっこ”こと雲居朔良、復活。

 

 

 

 


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