偽から出た真   作:白雪桜

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第 三 十 話 亡くし、失くすもの

 ――耳を疑うとはこういうことだと、頭の隅にある妙に冷静な部分が解釈していた。

 

「……れ、つ……さん……。いま……なん、て……?」

 

 声が震える。それだけでなく、全身が震えている。

 

「……朔良さん」

 

 我が隊の隊長は深刻な表情を浮かべ、こちらの両肩にそっと手を置く。

 

 そして、再び告げるのだ。

 

 

「……六番隊、朽木蒼純副隊長が、殉職されました――」

 

 

 ――認めたくない事実を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朽木の、家。朔良は慣れない(慣れてたまるか)喪服姿で、この屋敷を訪れていた。

 

「……ひっく……ひっく……」

「…………」

 

 小さくしゃくりあげる朔良の隣には無表情の白哉。その更に隣には厳しい顔つきをした銀嶺。朔良を含めた三人の前には、大きな棺が置かれていた。部屋は広く、他にも隊長格や他家の貴族が何人もいる。

 そしてその棺に納められているのは。

 

「……ふぇ、っく……蒼純、さまあ……」

 

 ――朽木蒼純。

 銀嶺の息子で、白哉の父親。

 

 夜、虚の討伐に数名の班で出向いていたらしい。それが運悪く巨大虚の群れに遭遇。部下をかばって負傷。更には病の発作が出て、巨大虚を倒すことはできたものの救援と治療が間に合わず。結果、手遅れになってしまった。何とか亡骸だけは戻ってきたという。

 

 ――朔良がその報せを卯ノ花から聞いたのは明け方。朝早くに地獄蝶で起こされたため。

 緊急の、報せだと。

 

 

「……この度は、真にご愁傷様で……」

「お悔やみ申し上げます……」

 

 亡くなったのは五大貴族の一つである朽木家の、現当主の息子。となれば葬儀には貴族達が集まってくる。彼らに応対しているのは朽木家お抱えの老臣清家と、喪主である銀嶺だ。……似たようなお悔やみの言葉を次々浴びせかけられれば、いくら銀嶺でも辟易するのではないだろうか。ましてや実の息子を失ったばかり。これだから貴族は面倒で性質が悪い。

 しかもそんな貴族達の中には、流魂街出身で尚且つ何処の家に入っているわけでもない朔良を良く思わない者も多い。隊長格であればまた話は別なのだろうが、生憎と無席。五大貴族と特別親しい朔良は、貴族間では妬みの対象になりやすい。

 

「「朔良ちゃん」」

 

 少し離れた場所から銀嶺をじっと見つめていた朔良に重ねて声がかかった。振り返ると、他の貴族たちと同じように喪服に身を包んだ兄弟子ら二人が居た。

 

「十兄様……春兄様……」

「君は大丈夫……には見えないな」

「疲れた顔してるね。……無理もないか」

 

 二人とも、いつもの朗らかさや飄々とした雰囲気を潜めている。慰めるように頭を撫で、肩をぽんぽんと叩いてくれる浮竹と京楽の手の大きさと温かさが心に染みて、くしゃ、と顔を歪めた。一度は収まった涙がまた出てきそうになる。

 

 京楽の「無理もない」という言葉の意味を、朔良は正確に理解していた。父母のように兄姉のように慕っていた者達を、裏切られる形で失くしてまだ一月ほど。そんな折に小さな頃から面倒を見てもらっていた親しき人物、それも幼馴染みであり想い人でもある少年の父親が亡くなってしまったのだ。きっと辛くて仕方がないだろう、と。

 しかし“真実”は異なっている。

 蒼純が亡くなったことはもちろん悲しい。辛くて辛くて、仕方がない。だが“二人”――正しくは“三人”だが――を失ったのは、“裏切り”ではない。彼等は朔良を巻き込んでしまうことを危惧して、敢えてそのような形を取っただけだ。

 

 ――本当の“真実”は、もっと残酷なのだから。

 

「……私は、大丈夫です」

「無理をしちゃいけないぞ」

「そうだよ? こういう時は強がらなくていいんだから」

「本当に大丈夫です。私のことより、白哉を見ていませんか?」

 

 朔良にとって、今一番気掛かりなのは幼馴染みの彼だった。白哉にとっては、実の父親を亡くしたことになるのだ。寧ろ彼の方が心配だった。

 

「白哉くんか……そう言えばさっきから居ないな……」

「生憎ボクらも見てなくてね……ちょっと心配かな」

 

 姿を見ていないという二人の言葉に、表情を曇らせる。ますます気掛かりだ。

 

「白哉の奴ならさっき庭の方に行ってたぜ」

「! 海燕さん」

 

 同じく葬儀に出席していた彼が歩いてきた。今日は流石にからかう気にはなれない。それはさておき庭に行ったとはどういうことだろう。……まさか、とは思うが。

 

「朔良」

「……銀嶺爺様」

 

 応対に一段落がついたのか、銀嶺がこちらに歩いてくる。流石に少しばかり疲れた様子が窺えた。

 

「白哉が居らぬのか?」

「……はい」

「そうか……。お主は大丈夫か」

 

 何を、と思う。辛いと、悲しいという気持ちは、自分よりも。

 

「……私なんかより、銀嶺爺様や白哉の方が――」

「自分なんか、などと言うものではないぞ」

「…………」

 

 いつもの饒舌も、今この時ばかりはうまくいかない。

 

「……朔良」

「…………」

「……白哉のことを、任せても良いか」

 

 伏せ気味だった顔を、はっ、と上げ見つめる。いいのか――「私でいいのか」という意味を込めて。

 

「お主が、適任じゃ」

 

 告げられた言葉に目を見開き――すぐさま、身を翻した。

 

 草履を履く暇ももどかしい。適当に軽く結んで庭に飛び出す。

 彼の気配を、霊圧を探れば簡単に居場所が判った。少し離れた庭の隅の方で木がいくつも植わっている所。わざわざ庭に出て近付かなくては間違っても視界に入らない場所だ。

 

 何となく気配と霊圧を消し、足音も立てずにそちらへ歩み寄る。木と草の陰に隠れた黒い着物がちらりと見え――小さな嗚咽を聞いた。

 

「……白哉?」

「――っ!?」

 

 自分よりも少し高い背に微かな声でそっと声をかければ、案の定驚いたような気配が伝わってくる。

 咄嗟に振り返った顔――漆黒の瞳は、涙に濡れていた。

 

「っ……朔、良……!」

 

 即座に顔を背ける白哉。長い付き合いだけれど、彼の涙を目にしたのは初めてだ。驚きはなく、寧ろやはりという思いがよぎった。

 

「……っな、何の、用だ……」

 

 声が微かに震えている。泣いている所を見られて決まりが悪いのだろう。もしくは恥だとでも思っているのか。

 

(……その両方、かな……)

 

 こんな人目を避けた場所で声を押し殺して泣いていたのだ。察しはつく。きっと朽木家次期当主たる自分が他者に涙を見せるなど、と。あるいは泣くべきではないとすら思っているのかもしれない。

 

(……気持ちは判らなくないけどな……)

 

 だが、それとこれとは話が別なのだ。

 

「白哉」

 

 再び名を呼べば、びくりと跳ねる肩。らしくない反応――それもいいと、その肩にそっと片手を乗せた。

 

「堪えないで」

 

 息を呑むのが判った。

 

「泣いていい。苦しいの、吐き出していいから」

 

 触れた箇所から、震えが伝わってくる。

 

 

「私の前でまで、強がらないで」

 

「――っ!!」

 

 

 弾かれたように白哉の身体が動き――気が付けば、真正面から抱き締められていた。

 そのことに僅かに目を見開くが、肩に顔を埋める彼に何も言えなくなった。

 

 伝わる震え。耳元で聞こえる微かな嗚咽。

 

 幼子をあやすように、安心させるように、そっと頭を撫でてぽんぽんと背中を叩く。

 

 大丈夫だ、と。苦しいのは、当然なのだからと。

 たとえ他者の前でそれを表に出せなくても――

 

 ――この朔良には、吐き出していいからと。

 

 

 少しの間、想い人の小さな悲しみの叫びを聞いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っ、すまぬ……みっともないところを見せた……」

「まだそんなこと言ってるの? 怒るぞ」

 

 落ち着いた白哉に離してもらい、少々高い位置にある額にこつんと拳を当てる。

 

「こんなことくらいでお前を見限ったり、失望したりするほど私の器は小さくないよ」

 

 意識的に浮かべた微笑みがぎこちないものになってしまった自覚はあった。朔良もまた、悲しみの最中に居るのだから。

 

「……朔良、お前は……」

「うん?」

「……いいのか?」

「……ああ、私は大丈夫」

 

 涙を堪えてはいないか――そういう意味なのだろう。だが。

 

「さっき、ちゃんと泣かせてもらったから」

 

 だから、大丈夫だと。

 

「……しかし……」

「大丈夫だって。……ああそれと、もう一つ言い忘れたことがあった」

「……?」

 

 この際だから言っておこうと思う。今回のように彼が弱みを見せられない状況は、いつかきっとまた来る。

 

「何があっても、私は白哉の味方だよ」

 

 そんな時、自分に頼っていいのだということを知っておいてほしい。

 

「私はお前を否定しない」

 

 胸を張って断言する。そうだ、これは絶対に変わらない。助言はしても否定はしない。

 

 告げた言葉に目を丸くする白哉が、なんだか可愛らしい。自分の方が年下だというのに。

 

「取り敢えず顔洗いに行こう? そのままだとほっぺたと瞼腫れちゃうよ」

「あ、ああ」

 

 泣いていたことが周りにばれると暗に言えば、彼は慌てて頷いた。朔良は隠すことはないと思うのだが、白哉自身が知られたくないというのなら協力するまで。

 そういった考えの下、歩き出した時だった。

 

「わっ?」

「! 危ないっ」

 

 適当に結んだ草履の紐が解けてしまっていたことに気付かなかった。その一部が草の茂みに引っ掛かり、前のめりに倒れる。――いや、倒れかけた。

 

「……大丈夫か?」

 

 肩と腰に手を回され抱え込まれるようにして支えられた身体。助けてくれたのは言うまでもなく。

 

「……ありがと、白哉」

 

 

 ――この時、少しでも動揺を見せていたら、また何かが変わっていたのかもしれない。

 “照れ”でもいい。彼に対して特別な感情を持っているということを、ほんの少しでも伝わるような反応を見せていれば。

 

 

「じゃあ、行こう」

 

 

 だが、それは結局叶わなかったのだ。朔良は既に感情を表に出さない術――本心をうまく隠す術を身につけてしまっていた。理由は当然、あの日の“真実”を周囲に悟られない為、そして心配をかけないようにする為である。

 そうでなくても彼に想いを伝える気は元よりなかったのだ。だからこそ、急な触れ合いで起こった内心の動揺と胸の高鳴りを押し隠し平静を装った。

 

 自分の反応に一瞬固まった彼を見て、心の何処かでは間違えたような気もしていた。

 けれどそれも気のせいと考えを塗り潰し、結局本心は欠片も表に出ることはなかったのだ。

 

 ほんの微かに揺らぎ、そうして再び消えた彼の気持ちに気付くこともなく。

 

 

 

 

 ――傷付く未来(とき)は、もうしばらく先。

 

 

 

 


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