最近朔良は忙しい。仕事が山のようにある。と言っても、夜一達が居なくなった直後の何日かのように自暴自棄になっている訳ではない。
「雲居、この書類持って行ってくれ」
「はい」
「雲居さーん、ちょっとこっち来てくれるー?」
「はーい」
「雲居さん、これを届けてほしいんだけど」
「わかりました」
……とまあこんな具合に。
次から次へと仕事を押し付けられてしまう事態になっているのである。
暗殺部隊から医療部隊へと転属になった朔良。元が元なだけに四番隊の隊士達からは冷遇とまではいかなくとも歓迎はされないだろうと思っていた。しかし予想はハズレ。下っ端ということで色々とこき使われているような感じはあるものの、そこに冷たい空気はない。隊風だろうか、むしろ温かい。ひょっとすると卯ノ花隊長直々の引き抜きというのも関係しているかもしれない。
ともあれ、朔良の存在は歓迎傾向ではあるのだ。
「えーと……お茶っ葉買って……」
今日も今日とて雑用を引き受けている。朔良が瞬歩を得意にしていることは既に周りによく知られている。個人差もあるだろうが今の四番隊で朔良より速く動ける者はほとんどいないだろう。いや、もしかすると一番速いかも知れない。そのため頻繁に買い出しや書類運びに駆り出されるのだ。何しろ速いのだから。
「お茶菓子何にしようかな……」
「あら、朔良じゃない」
「あ、乱菊」
店先で会ったのは半年くらい前に入隊した少女、松本乱菊だった。ギンの紹介で知り合った彼女は歳が近い上に性格も明るく、朔良にとって良き友人だ。……スタイルの良さ、という点ではいささか嫉妬……もとい、憧れを感じるが。
「何やってんの? また雑用?」
「うん、ちょっと買い出し」
「あんたねえ、席官くらいの力あるくせに何でいつもそんなことしてんのよ」
「え? だって私無席だから」
「そういう意味で言ってるんじゃないわ。何で席官だったのに無席に降格されるような選択をしたのかって訊いてるのよ」
「……なんで今更訊くの?」
朔良が四番隊に移動して早二ヶ月。これまでも訊ねる機会はあったはずだ。
「そんなの、いろいろごたごたしてたからに決まってるじゃない」
夜一と喜助を含む半数以上の隊長らの出奔と、蒼純の死。朔良が精神的に追い込まれていたことを、乱菊も感じ取っていたらしい。“いろいろごたごたしてた”の一言で締めた彼女には思わず笑いが零れる。敢えて接触してこなかったのは彼女なりの気遣いだったのだろう。
「何よ?」
「いや、何でもない。別に私は自分の実力を埋もれさせるつもりはないよ? 今だって時間が空けば白哉や砕蜂さんと鍛錬してるし、重爺様にだって稽古付けてもらってる。ただ、四番隊で人を助ける術を学びたいんだ」
「でもあんた元々鬼道得意じゃない。充分だったんじゃないの?」
「本格的に学びたくなったんだ。烈さんからお誘い受けた時にね。上達してるし、そのうち席が空いたら昇格もあるだろうって十兄様からも言われたし。それに、何も戦うことだけが“力を使う”ってことじゃないよね?」
始解――珠水を手に入れた時、銀嶺に言われた言葉を思い出す。
“大いなる力を持つ者が、それを使いこなす為何を最も必要とするか”
あの時自分は、大きくて強い心と答えた。強い心がなければ、強い力を使うに足り得ないと。
だが今の自分にはまだ、己の“力”に足る“心”は備わってはいない。
「本当の意味で、私はもっと強くなりたいんだ。“力”や“強さ”は一つじゃない。人を救うのもその内だ」
「…………」
「いろんな“力”や“強さ”を知りたい。下っ端からなら心おきなくそれを学べる。だから私は今の位置に居るんだ」
「……あーもう判ったわよ。あんたがそう言うならそれでいいんじゃない? ほんと、朔良って真面目よね」
「ありがと乱菊。心配してくれてたんだよね」
「……別に、そんなんじゃないわよ」
朔良がまた自棄になっているのではないかと危惧したのだろう。なんだかんだで優しい友人なのだ、彼女は。
「そういえば、乱菊は何でこんな所に?」
「あんたと同じ、買い出しよ。面倒でならないわ」
「そんなこと言っちゃって……あ、じゃあせっかくだし同じお茶菓子にする?」
「あら、いいわねそれ」
買い物を済ませ帰路につくと、途中まで一緒にと乱菊も付いてくる。
商店街を出て少し歩いた頃、よく知った霊圧が近くにあることを感じた。
「……乱菊、ちょっとだけ離れててくれる?」
「え? 何よどうしたの」
「いいから」
すぐ隣を歩いていた彼女から数歩離れて歩く。と、十数秒も経たない内に角向こうからその人物は現れた。
桃色の着物を羽織って。
「さーくーらーちゅわーん!」
ひょいっ
さっ
ガッ
びたん!
「へぶうっ!」
「……いい加減、偶然会ったら抱きついてくる癖やめませんか? 私ももうすぐ子供卒業ですよ春兄様」
顔面を思い切り地面に叩きつけた兄弟子を見下ろす。
ちなみに何があったのかは以下の通り。
ひょいっ → 朔良が抱きついてきた京楽をかわした
さっ ―→ 朔良が片足を出した
ガッ ―→ 京楽が朔良の出した足に引っ掛かった
びたん! → 京楽が地面に顔面をぶつけた
――以上である。
「つれないなあ朔良ちゃん……小さい頃はボクの肩に乗って、わあ高ーい! って楽しそうにしてたのに……」
「昔の話でしょう。って言うか、何で春兄様もこんな所に居るんですか」
「息抜き息抜き。仕事ばっかじゃ気が滅入っちゃうでしょ?」
「……はあ」
彼のサボり癖も相変わらずらしい。部下が可哀想だ。
「お疲れ様です、京楽隊長」
「うん? 君はえっと……松本乱菊ちゃんだったかな」
「覚えててくれたんですか! ありがとうございます!」
「君若い子だからねえ。何よりボクの可愛い可愛い妹の朔良ちゃんの友達だしねえ~」
「“妹”ではなくて“妹弟子”なのですが」
彼にとっては些細な問題なのだろうが一応訂正しておく。しかしこの兄弟子がそれで懲りる筈もない。
「まあまあいいじゃないのさ。ところで二人とも、これからボクとお茶でもどう?」
「えっ」
「生憎ですが、頼まれた買い出しの途中ですので」
「ちょっとくらい遅くなっても大丈夫でしょ? ほら~」
「……『何をやっとるか春水!』」
「っ! や、山じい?」
聞こえた叱責の声に慌てて振り返る京楽だが、そこには誰が居る訳もなく。彼がほんの一瞬固まった隙に乱菊の腕を掴んで瞬歩を使った。
「ふう、どうにか成功した」
「ちょっと、何でお誘い断ったりしたのよー。せっかくの機会だったのにー」
「乱菊には悪いけど、今勤務中だからね。下っ端はサボったりしちゃ後が怖いよ」
「それはそうだけど……」
「ぐちぐち言わない。ホラ、十番隊舎だよ」
腕を離して指し示す。四番隊から十番隊まで歩かせるのは流石に勝手なので、先に彼女を送ることにしたのである。
「あんたってほんと、瞬歩と物真似が得意よね」
「流魂街に居た頃はそれで生きてきたからね。じゃ、また今度遊ぼう乱菊」
「判ったわ。またね朔良。送ってくれてありがと」
手をふりふり再び瞬歩。十番隊から四番隊は遠い。
ややあってようやく帰りついた。
……ふと、感知に引っ掛かった霊圧に顔を曇らせるがそれも一瞬のこと。仕事を疎かにするわけにはいかない。
「雲居です。ただ今戻りました」
「おーお疲れ。じゃあ給湯室に持って行ってくれ」
「判りました」
勝手知ったる隊舎内。自分の隊以外だとか配属されたばかりだとかでは迷う者も多いらしいが、朔良の場合は幼い頃からいろいろな隊に出入りしている。改築などもあったけれど、割と頻繁に訪れていたので大体は覚えていた。
さておき整理、まずは茶菓子を出して棚に仕舞う。ごちゃごちゃに入れると後が大変だ。次に茶筒を袋から取り出して――
――すぐ近くで感じた霊圧に、手を止めた。
今四番隊舎内に在るのには気付いていた。けれど“それ”との接触はこれまでずっと避けてきたのだ。だからこそ、真っ直ぐこちらへ近付いて来る気配に全身の動作が凍りつく。
さほど経たない内に扉が開き――件の人物の姿が現れた。
「おや……どうやら部屋を間違えたようだね」
茶筒が手から滑り落ちる。カツン、という音がやけに大きく響いた気がした。
「……藍染……副隊長……!」
「うん? 誰かと思えば、朔良ちゃんじゃないか」
“あの夜”以来まともに対峙したのは初めて。“あの夜”を朔良が目撃したことは知られている筈だ。なのに以前と何ら変わらない彼の口調と態度。それが酷く不可解だ。
「ああ、すまない。いきなり入ってきて驚かせてしまったかな」
朔良が落としてコロコロと転がった茶筒を拾い上げ、歩み寄ってくる。
“真実”を認める本能は逃げろと言う。
“現実”を認める理性は留まれと言う。
それはきっと、どちらも正しい。
――故に。
「……ご用件は何でしょうか」
「いや、うちの隊から回す分の書類があってね。卯ノ花隊長に渡そうと思って来たんだけど」
「……隊長なら多分執務室かと」
「そうか、ありがとう。そういえば君に会うのは何だか久しぶりだね」
当然だ、避け続けてきたのだから。それくらいこの男も判っているだろう。意図は判らないが猿芝居をするというのならば乗ってやる。迂闊につつくよりその方が安全だ。
「……そうですね。私も席官でなくなりましたので、お会いする機会は減ったかと」
「色々と、大変だったみたいだしね」
――それは、何のことを指して?
「僕も次期隊長にと言われて修練してるけど、やっぱり卍解は難しいね」
白々しいことを言う。あれだけの実力を備えていて卍解が難しいなどと。ひょっとすると既に習得してすらいるのではないだろうか。
内心では睨みつける気持ちで正面に立つ男を見上げ――
「まあ、隊長達の一件について君が気にすることはないよ。
――耳を疑った。
「
傍から見れば案じているかのような、けれど“真実”を知るならそうではないと判る言葉。
「
隠された意味を瞬時に理解し――頭の奥が、真っ赤に染まった。
「――何をなさっているのですか?」
聞き慣れた穏やかな声に、はっと我に帰る。扉の方を見やると自隊の隊長がいつもの笑顔を浮かべて立っていた。
「あ……烈、さん」
「これは失礼しました、卯ノ花隊長。卯ノ花隊長にお渡しする書類があったのですが、部屋を間違えてしまいまして。そうしたら彼女に偶然会ったので久しぶりに話をしていたんです」
「まあそうでしたか。ご苦労様です。それで書類と言うのは?」
「こちらになります」
朔良から離れ、卯ノ花に手渡す彼。その隙に密かに息をつく。
危なかった。もう少しで怒りに任せて掴みかかるところだった。彼女が来てくれなかったらと思うと冷や汗が出る。
こちらが内心で安堵している内に用件は済んだらしい。藍染が肩越しに振り返る。
「じゃあ朔良ちゃん、また」
「……ええ、お疲れ様です」
「それ、もう落とさないようにね」
指差されてはたと気づく。朔良の手の中に在るそれは、先ほど落としてしまい藍染が拾った茶筒。
「……え……」
――何時渡された?
――何時手に取った?
――全く判らなかった。
「では卯ノ花隊長、失礼します」
「はい。お気をつけて」
茫然とする朔良をよそに、その場を去る藍染。またもや我に返らせてくれたのは、卯ノ花の声だった。
「朔良さん」
「っ! は、はいっ」
「昔から思っていたのですが……」
「な、何でしょうか?」
「貴女、藍染副隊長のこと苦手でしょう?」
……思考が凍るとは、珍しいこともあるものだ。
「……え……?」
「いえ、大抵の相手には砕けて接することのできる貴女が、藍染副隊長にだけは一線を引いているように見えるのです。顔見知りの隊長格に限って言えばの話ですが」
「あ……あーはは……そうです、ね……。苦手、だと思います……。なんとなくなんですが……」
この際取り繕うのは良くないだろう。この女傑が相手なら、特に。
「まあ人にはそれぞれ相性がありますから無理に克服しなさいとは言いませんが、仕事に支障をきたしてはいけませんよ? と、貴女には無用の言葉でしたね」
にこやかに言う卯ノ花だが、朔良は心中穏やかでなかった。
(仕事……か)
――鍛錬を増やして、仕事に支障が出ないだろうか? いや、出るようでは困る。
「……あの、烈さん」
「はい?」
そういえば勤務時間内であるのに、先程からずっと“烈さん”呼びだ。自分に余裕がないのが判る。
「治癒鬼道、本格的に教えてくださいませんか」
そう、余裕がない。
藍染の言葉を――その意味を思い返す。
“君が関わっていないってことは僕達が知っているから”
――僕達がやったことだから。
“大丈夫。君は何もしていない”
――君が何もせず、何もできなかったことも知っている。
“だから安心すると良い”
――無力だから手は出さない。安心しなさい。
完璧ではないかもしれないが――大方こんなところだろう。そして、知らぬうちに物を手渡されていた事実。気配も感触も悟らせなかったということは、それだけ大きな力の差があるということになる。藍染にとって、朔良は真実無力なのだ。
「判りました。しっかり指導しますね」
放っておいたところで何の障害にもならない――藍染の言葉に含まれた意味に、酷くむかついた自分が居た。子供っぽい言い方とは思うけれどこの表現が一番正しい。ならばどうするのか。
答えは簡単、強くなればいい。
“強さ”にも種類がある。“まねっこ”である自分は、他人より多種多様な“力”を身につけることが可能な筈。ならばそれを十二分に発揮するまで。
「よろしくお願いします」
これはその一つ。人を救う“力”も“強さ”のうちだ。
――幼き頃、白哉と目標ややりたいことについて話した時、自分はこう答えた。“強くなること”と。当時は元よりこれまでも、それ以上の答えを見出したことはなかった。
けれど“あの夜”以来藍染と初めて会話して、自分自身が求める“強さ”というものをはっきりと理解した。いや見つけた、と言うべきか。
破壊ではない。奪うのではない。世界や他人を護る為とか、聞こえの良い大義でもない。
望むのは、大切なものを失わない為の“強さ”。
大切なものを護り、支え、癒す。その為の“力”。
ただ、それだけ。
(……藍染の存在は危険だ)
仲間を見殺しにしたと言う罪も償わなくてはならない。今の自分では到底不可能だ。
(強く、なりたい)
心も体も、本当の意味で。
――“真実”が白日の下に晒される、その日までに。
遅くなりましたー。
あああ仕事が……言い訳ですね、はい(笑)