「おい知ってるかよ、雲居七席の話」
「四番隊の? 聞いたぜ、副官昇進のことだろ」
「ああ。三つの隊の隊長達から直々に誘われたっつーのに、全部断ったってヤツ!」
「何考えてんだろーなその人」
「自信がなくて辞退したって話らしいぞ」
「俺は遠慮したって聞いたぜ」
「他の隊士に譲ったっていう話もあったわ」
「何でも副官補佐以上の力はあるんだってさ」
「そう言えば十一番隊の隊士を白打でのせるって話、聞いたことあるよ」
「四番隊でか!?」
「あら、あの六番隊朽木副隊長と同期って話もあるわよ!」
「朽木家のお坊ちゃまとかよ?」
「何人かの隊長方とも親しいって噂は結構有名だよな」
「何でやらねえんだ?」
「何にしても嫌味じゃね?」
「ああ、俺らがどんなに頑張っても副隊長になれねーってのに、全部蹴るなんてよ」
「七席で満足してるなんて、向上心ないのな」
――人の口に戸は立てられないとはよく言ったもので。
一体何処から漏れたのか、朔良が副隊長昇進を断った話は瞬く間に護廷隊中に噂として広まった。「暴言を吐いた」とか「やる気がないと言った」とか「六番隊の副隊長の座を狙っている」などなど、大なり小なり尾ひれがついた噂も多々ある。四番隊三席昇進の話を辞退した時はこうはならなかった。やはり隊長格となると違うらしい。謙虚だとかいう話もあるが隊長直々の勧誘を、三隊全てを断ったということも相まって良くない噂の方が多い。もう数十年在籍している四番隊では、朔良の人となりを知っている者が多い為か悪い話は少ないのが救いだろう。
とはいえ、朔良自身が少々名の知れた人物だ。主に数名の隊長らと懇意という点において。実力については白打と瞬歩、治癒鬼道が目立ち、斬魄刀の能力自体はあまり知られていない。霊圧知覚の高さは、護廷隊のごく一部で噂が流れている程度だ。
しかし当の本人はと言うと――
「たぁーーっ!」
――思いっきり鍛錬に明け暮れている。
場所は十一番隊の室内修練場。がん、がん、と派手な音を出しながら朔良と木刀を交えているのは。
「てめえの力はそんなもんか朔良ァ!」
「まだまだ! 負けないよ一角!」
十一番隊第三席、斑目一角。稽古を始めてだいぶ経つが、勢いは止まらない。ちなみに修練場に居るのは朔良と一角、そして十一番隊第五席綾瀬川弓親だけだ。
「っう!」
「オラどうした! 足元弱くなってんぞオイ!」
重なり合った木刀がぐっと押し込まれ、二、三歩後ずさる。力勝負に持ち込まれては敵わない。
ので。
「!? ぐおっ……!?」
組み合った状態のまま膝で木刀を握る腕を蹴り上げた。怯んだ隙に長い髪を、布を振り切るかの如く身体ごと回転させて視界を奪う。片手で握り直した木刀の端を空いた掌で押し上げるようにして、回転の勢いのまま上へ向け一直線に突き上げた。
ピタリと止めたその切っ先は、喉元。
「はい、そこまで! 勝負あり!」
パンパンと手を叩きながら歩み寄ってくる弓親に、ふぅと息を吐き出して木刀を下ろす。
納得しないのは一角だ。
「おいちょっと待て弓親ぁ! まだ勝負はついてねェぞ!」
「彼女の勝ちだよ、一角。急所の喉元に剣の先突きつけられたんだ。稽古なんだし」
「馬鹿言えこれからだ!」
「だから私の勝ちだってば」
「んだとてめえ!?」
「じゃあ訊くけど、あの後どうやって反撃してたんだ? ほとんど反応できてなかったのに」
「そりゃてめえ……その、気合だ」
「はいやっぱり私の勝ち。やれやれ、おまけに往生際まで悪いんじゃ打つ手なしだね」
「……テメエ何のおまけだ?」
「え? ……えー……」
顔と頭。とは流石に言えないのでニコニコと笑ってみる。顔と頭を何気に指差してみる。
「……こんのアマ……」
「ホラ抑えて抑えて。鍛錬以外でこの
洒落になっていないと思う。
「それにしても、やっぱり君強いよね。戦い方も変わってて面白いし」
「チッ……まァ確かになー……。強いってことだけは認めてやるよ……」
「え、そう? 十一番隊屈指の実力を誇る二人に言われるとなんか実感湧くなー。一角は逞しいし、弓親は綺麗だし」
「お、おう、判ってりゃいいんだ」
「君は本当に美しさというものを理解しているね」
(割と単純だよなあ、この二人)
まるっきりの嘘は苦手な為、口からでまかせを言っているわけでもないが。
――と、鍛錬場の傍に見知った霊圧。
「さくらーん! やっぱりいたー!」
「やあ、やちる」
「ゲッ……副隊長……」
「やっぱりって、どうしてこちらに彼女が居ると判ったんですか?」
「あまーいにおいがしたから、きっとさくらんだと思ったんだ!」
「甘い匂いって……」
「君、また何か持ってるのかい?」
「ああうん、やちるにあげようと思ってね。はいコレ、甘味屋
「わーい! ありがとさくらん!」
「いつもお菓子持ち歩いているよね、君は」
「っつーか、稽古中も懐に入れてたのかよ……。どーりでその辺かばってるわけだぜ……」
「ひがんでも分けてあげないよつるりん!」
「ひがんでねえよ! あとつるりんってのやめろ!」
早速饅頭を頬張るやちるに怒鳴る一角、それを宥める弓親。こういう光景も最早見慣れたものだ。
“十一番隊の天敵”としてちょっと有名な朔良。四番隊と十一番隊間のいざこざは大抵朔良が片付けている為、接触する機会も多い。そんな中で親しくなったのが彼等十一番隊のトップたちだった。
“名前なんていうの?”
“雲居朔良です、草鹿副隊長”
“やちるでいいよさくらん! あとふつうにしゃべって!”
“さくらん……?”
“テメエ強いんだってな? どんなもんか俺が確かめてやるぜ”
“いえ、更木隊長と戦り合ったらこの身がもちませんので”
“あぁ? つまんねえこと言ってんじゃねえよ。行くぜ!”
“おわっ!? 木刀じゃなくて真剣!?”
“ようテメー、ウチの隊長と一戦交えたらしいな”
“斑目三席……。おかげであの後自分の部下にお世話になりましたよ……”
“んなこたどーでもいい。俺とも戦いやがれ! お前とだったら楽しく戦れそうだぜ!”
“血の気が多いことで……”
“こんにちは、何度か会ったよね? こうして挨拶するのは初めてだけど”
“綾瀬川五席。十一番隊って血の気が多いですけど、貴方みたいに綺麗な方も居るんですね”
“いい目をしているね、君。呼び捨てにしていいよ”
“は?”
……そんなこんなで仲良くなったのだ。やちるとは甘味繋がりでよく遊んでいるし、一角は手合わせして下の名で呼び合うようになった。弓親には何だか気に入られている。更木隊長とはなるべく会わないようにしているのだが、どうしてもという時はお互い木刀で相手をする。……最初、真剣で斬りかかられた時は流石に怖かった。
……彼等と仲良し、ということで他の十一番隊士達がますます朔良に逆らえなくなったのは副次効果だ。
「そう言えば朔良ちゃん、時間いいの? 約束があるって言ってなかったかい?」
「あ、いっけない! 急がないと遅れちゃう」
「遅れろテメーは。で、俺ともうひと勝負……」
「ねえ弓親、友人との約束を破るっていうのは美しくないよね」
「その通りだね。早く行くと良い」
「なっ!? 弓親テメエ!」
「やちる、悪いんだけど今日は一角
「うん、わかった!」
「わかったじゃねえよ! ……ってギャー!」
瞬歩で鍛錬場を後にする。「ちくしょう覚えてやがれ朔良ー!」とかいう決まり切った台詞が背中にかかった気がしたが、気にしない。
隊舎に戻って湯で汗を流し、別の死覇装に着替える。先に約束している以上、流石に汗だくでは“彼”に会えない。髪を乾かしいつもの“散らない桜”で結う。
瞬歩で向かった先は慣れ親しんだ屋敷。
「白哉、お待たせ」
「朔良」
通された一室で、膳を前に座っていたのは幼馴染み。久しぶりに一緒に夕食でもどうかと言われたのは昼間のこと。内心、かなり嬉しかったのは秘密だ。
「いやあ懐かしいね。お前と夕ご飯なんてさ」
「そうだな。幼き頃はよく共にとっていたものだが」
「銀嶺爺様は? 今日はご一緒じゃないのか?」
「爺様は既に召し上がった。……時に、朔良」
朽木家の美味しい料理に箸をつけながら、朔良は白哉の言葉を予想していた。
「副隊長昇進の話を断ったというのは、真か」
「やっぱり白哉も知ってるんだ? どんな噂を聞いたのかは知らないけど、断ったって言うのは本当だよ」
あまり他人と深く関わらない彼にまで届いているのだ、随分知れ渡っていると考えていい。
「……私が聞いたのは……お前が六番隊の……その……次期副隊長を、というものでな……」
「ああそれ? 根も葉もないデマだから信じないようにね」
一心が挑発するようなことを言うから出てきた噂なのだろう。朔良としてはそんなつもりは毛頭ない。
「……そうなのか?」
「え?」
故に、続いた彼の言葉に耳を疑った。
「私としては、お前が良いと思っているのだが」
―― 一心の時のようにキレなかったのは本人が相手だからか、惚れた弱みか。
恐らくその両方だろう。
「……白哉、いくら隊長就任がほとんど確定的といっても隊首試験前からそういう発言はどうかな」
「! ……済まぬ、軽率だった」
「ま、今は私しか居ないからいいけどね。正直な話、私は副隊長になんてなるつもりはないんだ」
「何故だ?」
「何故でも」
“器じゃない”――散々使った言い訳を、彼に言う気にはなれなかった。自分を好敵手と認めてくれる彼に、悪い気がしたから。たとえ本音でも。
そもそも朔良が隊長格入りを拒む一番の理由は藍染達にある。彼らとの接触を極力避けるには、隊長格でない方がいい。しかし無席ではいざという時何かしら困る可能性もある。その為、ある程度上の席次に就いているのが最適なのだ。
「それより、本題は?」
これ以上この話をしていると墓穴を掘りかねないので先を促す。別の話があるだろう、と。
「……気付いていたか」
「当然。この前の賭け勝負の要望だった相談事、まだ聞いてないし。今日はそれで誘ったんだろ?」
「流石だな。お見通しという訳か」
「何十年お前と付き合ってると思ってるんだ。それくらい判るよ」
「……五十年は過ぎているな」
「天然ボケとかいいから」
最近、ボケとつっこみの配役が入れ替わる時があると思う。
「そうだな……先ほど言った隊長就任なのだが」
「何か悩んでるのか?」
「ああ……実は、隊首試験よりも先に朽木家当主就任の儀を執り行うことになりそうなのだ……」
「……は!? 当主って……銀嶺爺様は?」
「お前も知っての通り、爺様は最近身体の具合が良くない。私が当主の仕事に慣れねばということも踏まえ、少しづつ手伝っているほどだ」
「それは……大変だろお前。当主と隊長なんて、そんないきなり……」
「ああ。だが、いずれはそうなること。早いか遅いかの違い……とは思うのだが……」
「ん? 何?」
「……私の卍解はまだ未熟……。私自身、まだ若い。こうも同時にとなると……」
両立できるか自信がなくなってきた、ということなのだろう。具合の良くない銀嶺に相談する訳にもいかないと思い、朔良に相談してきたというわけだ。
「別に良いだろ」
「何?」
「自信なんてなくても」
判らない、という表情をする白哉に、にこりと笑う。
「最初から何もかも完璧にできる人なんて居やしないよ。当主や隊長に限らず、なってからそれらしく成長していくものなんじゃないか?」
「!」
「お前はお前のやりたいようにやればいいんだよ、きっと」
「…………」
「そう気負うなって。相談くらい、いつでも受けるからさ」
「……礼を言う」
どうやら納得してくれたらしい様子にほっと息をつく。今言ったことは、朔良自身にも当てはまることだからだ。
“隊長格なんて器じゃない”――器は成長していくものと言われれば、返す言葉が無い。何しろそれ以前の問題で、一番の理由である藍染達のことは話せないのだから。卯ノ花や京楽あたりならそう返されたかもしれない。
まあそれはさておき。
「で?」
「?」
「他の用件は?」
人の驚く顔を見るのは好きだ。
「……鋭いな」
「だから、それくらい判るってば」
やはり相談事はまだあるらしい。これが悩み多き年頃というものだろうか。……いや、それは女の場合だったか。
「……その……だな……」
「うん」
「……どう言ったものか……」
「どうしたんだ? お前がそんな回りくどいの珍しいよね。そんなに言いにくいことなのか?」
「……言いにくい、のは確かなのだが……」
「何だよ、もしかして恋愛相談?」
――茶化したつもり、だったのだ。
彼の、先ほどよりずっと驚いた顔を見る一瞬先までは。
「……え……」
「……何故……判った……?」
「……もしかして……本当に……?」
「……何……?」
「…………」
「…………」
「……お、驚いたー! そっかそっか、やっとお前にも春が来たのかー!」
お決まりな言葉しか言えない自分が虚しい。否定しない彼を見て、ますます揺れては傷の入る心を押し込める。
――判っていたことだ。彼とて人、恋もする。身分を気にして自分の気持ちを伝えないことを選んだのは、朔良自身。後悔することも、ましてや止める権利もない。
「それで、何悩んでるんだ? 告白?」
「……半年程前から既に交際している……」
「!」
知らなかった。ずきりと痛んだ胸は無視した。
「何だよ、私にまで黙ってるなんて水臭いなー。贈り物とかか?」
「そうでは……いや、一つではあるのだが……それは大した問題ではない……」
「え、そうか? 女の子にしてみれば、好きな人からの贈り物は大した問題だと思うけど」
自分の、“散らない桜”がそうであるように。
「そういう段階の話ではないのだ……」
「じゃあ何?」
「……私は……あれを……妻に迎え入れたい、と……思っている……」
――頭が真っ白になった。恋人と聞いただけでも相当ショックなのに、今度は妻の話。
「……へ、え……。そんなに……好きなんだ」
「…………」
「……どんな人?」
動揺を何とか抑え、無難な質問をする。
「……病弱で、大人しい。穏やかな性格だが、芯はしっかりしている」
「名前は?」
冷静にしておかなければ、自分の気持ちがばれてしまう。
「……緋真、という」
字を聞いて、素直に綺麗な名だと感じた。
「緋に
結婚を考えているからには、当然貴族だろうと思った。それ故の端的な質問――だが、白哉の表情は歪んだ。
何処の貴族かと訊ねられて、何故そんな表情をする? 上級ではないのは確か。中級か、それとも下級か。
「……緋真は……貴族では……無い……」
首筋に嫌な汗が流れた。まさか――
「……流魂街の者だ」
――先は耳を疑った。だが今度は、それ以前に正気を疑いたくなった。
流魂街の者を貴族の家、特に上級の家に入れるのは掟に反する。夜一もそれが判っていたからこそ、朔良を養子ではなく弟子として迎えたのだ。……彼女の場合は家の者の反対に遭うのが面倒だったという理由が一番なのだがそれはさておき。
規律や掟に厳しいこの男が、それを破ってまで迎え入れたい女性だという。
だが、判らない。
「……どうしてそれを……私に相談する……?」
何故。どうして。よりにもよって、彼を慕う自分に。身分を気にして身を引いたというのに、それがまるで意味を成さないような話を。
ぐらつく心を叱責し、何とか声を絞り出す。
「……私は……まだ迷っている……」
ふと、動揺が鎮まった。
「……緋真にとって朽木家は敷居が高い筈……。何より流魂街の者を貴族の家に迎えることは掟に反する……。本当に良いのか……判らぬ……」
「…………」
「お前は流魂街出身だが、幼き頃から四大貴族の家で育ったという特殊な者だ。流魂街の者の気持ちも貴族の機微も、お前ならば判るであろう……」
「……それで私に、か……」
確かに、これはそう易々と相談できることではない。流魂街出身者にも貴族にも、とにかく聞きづらい内容だ。その点朔良は、まさしく適任と言えるだろう。
「…………」
彼の心の内を聞き、冷静さを取り戻した頭で考える。自分の心は、荒れきったままで。
――掟に反する
――好きな人
――批判は免れない
――彼の望み
――茨の道
――彼の幸せ
――幸せ?
「――馬っ鹿じゃないのか」
――やはり嘘は苦手だ。結局、自分は彼が好きなのだ。
「結婚したいって思うくらい好きなら、迷ってんじゃないよ弱虫」
反対する要素は心配ばかり。自分自身の、嫉妬や怒りといった感情はほとんどと言っていいほど出て来ない。
「掟と戦う勇気を出してみせろ」
“彼の幸せ”を考えた時点で、心は決まった。
「それができないなら、お前の想いはその程度だったってことだろ」
頼られて嬉しかった。その気持ちに偽りはない。
「馬鹿白哉。ちゃんと一番大事なものを見なよ」
だからこそ――背中を押そう。これからも、胸を張って彼の友である為に。
「――ありがとう……朔良」
意図せずして抉られた心。
その全てを覆い隠して――