偽から出た真   作:白雪桜

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第三十六話 誘引

 瞬歩を連用しながら、朔良は思考を巡らす。

 確か今日、白哉は非番を取っていた筈だ。朔良が先日訊ねた、ちゃんと緋真と会っているのかという質問に対してそう答えていたから間違いない。

 

 想い人が他の女性と逢瀬をしている――

 

 ぶんぶんと頭を振って考えを追い出した。

 あくまで自分の気持ちは片想い。彼に押し付けるものではない。大体背中を押したのは自分だ。

 

 門を潜り、現地へ向かう。移動距離はいまいちだが連用すれば速度には自信があった。霊圧を探るまでもなく、ギリアンは巨大だから目に留まりやすい。

 

 ――その足元。対峙する姿を見つけた。まだ距離は遠く、数体のギリアンらの口から今まさに虚閃が放たんとされ――ほぼ反射的に刀を抜いた。

 

「応じろ、『珠水』」

 

 水晶の刀身へと変じ、選ぶ“力”を刹那の間に考える。

 

 

 『千本桜』?

 『捩花』?

 

 いや、ここは――

 

 

「――射殺せ、『神鎗』」

 

 瞬時に伸びた刃は、ギリアンの頭を正確に貫いた。中断された虚閃はギリアンの口に留まったまま爆発する。

 もう一度の瞬歩で、彼の隣に立った。

 

「白哉! 無事か!」

「やはり朔良か。速いな」

「大丈夫みたいだね。避難は?」

「付近の住人は大方逃れているであろう。が、逃げ遅れた者もいるやもしれぬ。避難誘導はできていなかったのでな」

「この状況じゃそれも仕方ないか……」

 

 目の前にはギリアンが六体。八体という連絡だったが今しがた朔良が一体、一体は白哉が鬼道で倒したのだろう。しかしその後ろにはギリアンより少々小柄な、アジューカスの姿が二つ見える。

 ちらり、と白哉に目をやる。私服の彼は斬魄刀など挿してはいない。実力はほぼ隊長クラスとはいえ、素手で戦うには場所が悪い。何せ町中、それも治安のいい所だ。負けはないと思うが周囲を巻き込み過ぎることになりそうだ。

 

「白哉、この場は私が引き受ける。すぐにでも援軍が来るし、お前は逃げ遅れた人がいないか探してくれ」

「何を言っている、それは四番隊たるお前の役目だろう。そもそも気配を探ることに関してはお前の方が上だ」

「千本桜を持ってないお前が奴らの攻撃をかわしながら戦ったら周囲一帯が平地になるって言ってるんだ」

「……判った」

 

 実際、既に結構な数の建物が壊れている。あまり被害が大きくなっては護廷隊の意味がない。

 白哉が瞬歩で消え動き出したのを確認し、刀を握り直す。

 

「まったく……人の気遣いは素直に受け取ってほしいな」

 

 色んな意味で、今の彼では足手まといになりかねない。朔良がこの場に到着するまでの間にたった一体しか倒せていないとは、いくら斬魄刀を持っていないにしても実力的に考えにくい。とすれば、他の何かに気を取られていたからに違いない。

 

(心配なら心配って言えばいいのに……)

 

 ただでさえ傷心中だというのに気を回すこっちの身にもなってもらいたい。とはいえ、鈍感な彼に押し付けるわけにもいかないのだけれど。

 

「さてと。……水天逆巻け、『捩花』」

 

 身体の正面に持ってきた刀が、手首の回転と共に三叉槍へと変化する。

 

「最近実戦を離れてるんだ。鍛錬は欠かしてないけど、勘が鈍っても悪い。相手してもらうよ」

 

 その言葉を合図にしたかのように、一体の大虚の口に霊力が集中した。

 地を蹴って飛び上がり、虚閃が形を成す前に巻き上げた波濤で頭を砕く。そのまま振り返り様にもう一体。

 着地すると、笑い声が聞こえた。

 

「やるじゃねえか死神。女のくせによぉ……全く気に喰わねえぜ」

 

 喋っているのはアジューカスのうちの一体。それほど大きな体躯ではなく、虫のような鋭く細い六本の、しかし人の手に似た腕と牛のような二本の角が特徴的だ。

 

中級大虚(アジューカス)か……。知能が高いって聞くけど、わざわざ尸魂界に来るなんてね。目的は何だ?」

「はっ、クズども喰う以外に目的なんざねえよ!」

 

 藍染絡みの可能性を思っての問いかけだったが、やはり情報は得られそうにない。ならばさっさと片付けるべきだ。

 

「そうか。判った」

 

 残りはギリアン四体とアジューカス二体だ。自らの実力を考えれば大した問題ではない。

 まずは弱いものから。三叉槍を握り直し、瞬歩で飛び込んでもう一体のギリアンの胴を薙ぐ。直後背後に感じた霊力の集束に振り向き――弾こうと思ったアジューカスの虚閃は別の者に阻まれた。

 

「怪我はないかい、お姫様?」

「しゅ……京楽隊長!」

 

 現れた援軍は、つい先ほどまで悠長に会話していた兄弟子。一緒に警鐘を聞いた筈だが、到着に時間差が出たのは何故だろう。

 

「隊長のくせに来るのが遅いんですね。私もう三体やりましたよ」

「言うねえ~。君の瞬歩、距離はともかく速さは一級品なのに」

 

 にこにこ笑う京楽にあからさまに溜め息をつく。まあ考えてみれば、すぐさま卯ノ花から出撃命令を貰った朔良とは違って、彼は自分の部下に指示を出さなくてはならない。多少遅れるのも道理だ。

 

「隊長だと……!? ちっ、面倒だな……!」

 

 先ほどのアジューカスの焦ったような声が聞こえたかと思うと、その背後の空間に黒い亀裂が出現した。確か、黒腔(ガルガンタ)と呼ばれるもの。

 

「な……逃げる気か!」

「ちょ、朔良ちゃん!」

 

 追撃しようと飛び出すが、ギリアンが行く手を塞ぐように動いてくる。

 

「邪魔だ!」

 

 振るった三叉槍の波濤で身体を砕き、目をやった先では既に黒腔は閉じかかっていた。アジューカスが二体とも奥に見え、舌打ちする。

 

「破道の四、『白雷』!」

 

 咄嗟に放った鬼道が僅かに残っていた亀裂に吸い込まれたものの、効果は望めない。ただの虚ならばまだしも大虚だ。手傷は負わせたかもしれないが仕留められたとは思えない。

 

「あ~逃げられちゃったねえ」

「すみません京楽隊長……」

「いいよいいよ気にしなくて。元々それは君の仕事じゃなかった訳だし、あとはボクがやっとくから」

 

 そう、二体のアジューカスは逃げたがギリアン達は残っている。

 

「君は君の役目を果たしなさい」

 

 朔良は、四番隊だ。

 

「はい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――五班は東側に回れ! 六班は隣の地区へ! 負傷者の捜索を続行しろ!」

 

 大虚討伐から数十分後。荒れた地区にて指示を飛ばす勇音の声を、朔良は怪我人に治癒鬼道を施しながら聞いていた。

 あれから幾ばくかも経たない内に、三席の勇音率いる四番隊の援軍が到着し、すぐに被害状況の確認が行われた。

 京楽のおかげで残った大虚は瞬く間に片付いたし、白哉も戻って来て合流できた。後は流魂街の住人達の治療と捜索、そして報告である。

 

「よし、もういいだろう。ここから先は任せる」

「はい!」

 

 重症だった傷を治し終えて続きは部下に頼み、額の汗を拭いつつ立ち上がる。急を要する患者があまり居なかったのが幸いだったが、だとしても治癒鬼道というのは随分と力を使うものだ。体力と霊力は勿論、精神力も。

 

「えーっと……」

 

 朔良がすべきは重症者の治療だ。他に鬼道を施してやらなけらばならない患者はいないだろうかと歩き回っていると、声を掛けられた。

 

「朔良ちゃん」

「京楽隊長」

「ひとまずここは落ち着いたみたいだし、ボクは一度山じいに報告に行ってくるよ。逃げたアジューカスのことも話さなきゃだしねえ」

「でしたら私が参りましょうか?」

「いや、それはいくらなんでもね。今回のこと預かってるの一応ボクだし、現場に居る中で二番目に治療の腕が立つコを動かせないでしょ」

 

 この場で一番治療の腕が立つのは勇音だが、生憎指揮を執っている。そして今回、朔良と勇音以上の四番隊上位席官は来ていない。つまり現状で最も“戦力”になるのは朔良だと京楽は言っているのだ。

 

「ではお気をつけて」

「うん、なるべく早く戻ってくるよ」

 

 早く、と言っただけに瞬歩で去った兄弟子を見送り、仕事に戻る。いや戻ろうとした。

 

「朔良」

 

 ――名を呼ばれたから、振り返った。

 

「あ、白哉くん(・・)

 

 霊圧ですぐ傍に居ることには気付いていた。敢えてこちらから近付かなかったのには理由がある。

 

「……もしかしてそっちの人が、緋真さん?」

 

 頷いた白哉の後ろ隣に立っていたのは、小柄な女性だった。肩口まで伸ばされた艶やかな黒髪。大きな目は何処となく猫を思わせ、その瞳は綺麗は紫紺色。優しげだが儚げな印象で、真っ先に抱いた感想はこれ。

 

(うわあ美人)

 

 嫉妬でも厭味でもなんでもなく、純粋な感嘆だった。何と言うかこう、負の感情が湧いてこない。本人を目の当たりにしたら、いくら何でも嫌な気分になると思っていたのに。

 

「これが緋真だ。緋真、此奴が朔良だ」

「ちょっと待ちなよ白哉くん。紹介するのは構わないけど、時と場合を選びなよ」

「申し訳ありません、私がお願いしたのです」

 

 彼に言ったのだけれど、緋真が一歩進み出てきた。

 

「この場にいらっしゃると、お聞きして……どうしても一言ご挨拶がしたくて。手が空いている所を白哉様に見計らっていただいたのですが……」

 

 声は小さいながらもしっかりしていて、か弱く見えても芯の強さが窺える。

 何か引っかかる気もしたが、自然と笑みが零れて片手を差し出した。

 

「え? あの……」

「初めまして、雲居朔良です」

 

 こういう人物は、嫌いではない。

 

「あ、初めまして……緋真と申します」

 

 おずおずと窺うように手を握られ、軽く握り返す。

 

 ――恋敵相手に何やってんのよと乱菊が居たら言われそうだ。がしかし、朔良は緋真に対して怒りやら憎しみやらを抱けなかった。そうさせる何かが彼女には在ったのか、或いは自分がお人好し過ぎるだけなのか。正確なところは判らないのだが。

 まあとにかく、相手を知りもしないで嫌うことなどできない。たとえ恋敵であっても、だ。そもそも応援したのはこちらなのだから腹を立てるのは筋違いだ。苛立ちの欠片すら湧いてこないのだけれども。

 

「すみません、ご無理を申し上げて……」

「いや、少しくらい構わないよ」

「前々からお会いしたいと思っていたのです。朔良様のことは、白哉様からよく伺っておりましたので……」

 

 また感じた引っ掛かり。今度はその理由に気付き、訊ねる。

 

「ねえ、よく聞いてたって……白哉くんは私の話をするのかい?」

「はい、たくさん聞かせていただいております。同期で幼馴染みで、互いを認め合える好敵手。とても大切な友人だと」

 

 そこまで知っているのか。これは“白哉くん”呼びで取り繕う必要もなさそうだ。

 と言うか。

 

「白哉」

「何だ」

「後でちょっと顔貸せ」

 

 緋真は心底嬉しそうに言っているので別に良いのだけれど、やはりここは女心というものを判らせてやるべきだろう。

 そう、思った時だった。

 

 

 虚の霊圧を近くに感じ取ったのは。

 

 

「っ!」

 

 ばっと振り返った直後、甲高い子供の悲鳴が聞こえた。

 

「白哉! この場を頼む!」

「朔良!」

 

 白哉に一言言い置いて、声と霊圧の方へ駆ける。建物を飛び越え“現場”に辿り着くと、その場にへたり込んでいた部下を捕まえた。

 

「おい! 何があった!」

「あ、く、雲居七席……! す、すみません! でかい虚が、突然現れて……!」

 

 被害者の捜索中の班だったのだろう、周囲から数人の死神が集まってくる。

 しかし、先ほどの悲鳴の持ち主らしき姿はない。

 

「あ、の……攫われました……」

 

 力ないその一言で、充分だった。

 勇音に報告するよう指示を出してから、瞬歩を使った。

 

 襲われたのは子供――ぎり、と歯噛みする。

 

 朔良は子供が事件に関わると、自分が冷静さを欠くことを理解していた。

 

 理由は単純、幼い頃虚に襲われたことがあるから。

 

 “まねっこ”になるより、海燕に出会うより前の出来事。朧げでほとんど記憶に残ってはいないものの、当時の恐怖と、助けてくれた“死神さん”が居たこと、そして助かった時の安堵は覚えている。その“死神さん”も“居た”というだけで容姿も声も、男か女かだったさえも判らないけれど。……記憶力には絶対の自信がある自分にしては、覚えていないのも有り得ないと思うのだが。

 

 さておき、恐怖は頭と心に刻まれているのだ。子供の気持ちはよく判る。そして助けられた時の安心感も――

 

 霊圧を追って森の中を駆け抜ける。距離が近くなるのが判る――と同時に、別の虚の霊圧に気付いて眉をひそめる。

 何故、というのが正直な感想だった。

 

 やがて開けた場所に出た。

 

「よお。待ってたぜ」

 

 予想通り、居たのは先程のアジューカス。その後ろには小さな童女を捕えた人型に近い巨大虚(ヒュージホロウ)が居る。

 

「待ってた、っていうのはどういう意味だ?」

「クズ一匹攫えば死神が助けに来んだろ。まさか本当にてめえが来るとは思わなかったが」

 

 『本当に』ということは、一応朔良を狙ってはいたのだ。

 

「私に何の用だ?」

「女が戦場ででかい顔してるのが気に喰わねえんだよ」

「……それが理由か? 実にくだらないな」

「はっ、言ってろ。てめえが動けばこっちのガキは――」

 

 全て聞くつもりはなかった。全力の瞬歩でアジューカスの上を飛び越え巨大虚に迫る。刹那の早業で懐から暗剣を取り出し、童女を掴む腕を斬り裂いた。痛みに呻いて放した隙に空いた左腕で童女の身体を受け止め、暗剣を巨大虚に突き刺し斬魄刀を抜いた。

 

「応じろ『珠水』! 射殺せ『神鎗』!」

 

 至近距離で伸びた刃は一瞬で巨大虚を貫き、真っ二つにする。昇華していくのを確認し、再び瞬歩で距離を取った。

 

「怪我はないみたいだね」

「え……あ……」

「怖かったろう? もう大丈夫だよ」

 

 抱えたまま優しく微笑んでみせれば、両の目にみるみるうちに涙が溜まる。手が塞がっていて頭を撫でられないので、代わりに抱える腕に力を込めた。

 

「さて、これで人質は居ないな」

「な……! テメエ……!」

 

 激昂する相手を前に構え直す。全くの無力な子供を抱えた状態で戦うというのは少々大変だが、見た目五、六歳の少女を一人で帰らせるわけにもいかない。ましてや襲われた直後で恐怖にまだ怯えているのだ。

 

(とはいえ、あまり跳び回るわけにもいかないな)

 

 接近戦は避けるべき、そして治療で霊力を消耗している。となると、やはりこれだ。

 

「散れ、『千本ざく――』」

 

 

 ――左手の方の茂みから光が飛来する――逸早く霊圧を察し、後方へ飛び退いた。

 

(な、白雷――!?)

 

 戦慄したのも束の間、その茂みから一つの影が飛び出してくる。白刃が煌めき、即座にこちらも刀を振るって応戦した。

 真っ黒な外套に身を包みフードを被った長身の人物。顔も見えず、手にしている刀は浅打ちだ。

 

「っ! 死神だな!? 誰だ!?」

 

 打ち合いながら問いかける。鬼道を使用したことから死神であることは間違いないが、どういう訳か霊圧を全く感じない。剣の腕も相当なもの、いや朔良より上だ。

 故に、押された。元々朔良は純粋な腕力という点において周囲より劣っている。自分より体格のいい相手には速さと技で対抗するのが常套手段だ。

 だが、あまりにも不意をつかれ過ぎたこの状況でペースを握るのは難しい。しかも剣術は相手の方ができる上、こちらは幼子を抱えている。

 打開策を練っていれば、不意に相手の剣先が童女の方へ向いた。咄嗟に身を捻じって刃から遠ざけ――と、その刃が動きを変え朔良の右腕へ迫った。

 

「っ――!」

 

 血飛沫が上がる。童女を庇い体勢が不安定だったせいで、まともに避けることもできなかった。深く斬られたのが判り、追撃を避けるべく後ろへ大きく跳び下がる。

 だが、相手は追って来ない。

 それどころか刀を振るって軽く血を払うと、森の中へ消えてしまった。

 

「…………」

 

 一体何だったのか。何故襲われたのか全く理解できない。死神が相手となると藍染達以外に思いつかないが、理由が判らない。

 

(……何故……)

 

「仲間割れとは好都合だな!」

 

 聞こえた声に、はっとする。見ればアジューカスの腕が目の前に迫っていた。跳び上がることでかわし上から勢いをつけて斬りつける、が。

 

「っ……堅っ!」

 

 表皮の固さに跳ね返された。六本の腕に捕まっては堪らないとすぐさま飛び退いて距離を取り、自らの右腕に目をやる。

 ただでさえ斬られ傷付いていた二の腕の腱と筋肉は、今の自分の攻撃で悪化したらしい。動かせなくはないが刀を振るうには無理がある。これでは千本桜を使ったところで柄を振るえない。他の斬魄刀にしても同様だ。左腕は無傷だが少女を離さなくてはならない。

 

 そこで思いつく。もし先程の死神が藍染等の誰かであったなら、これが目的なのではないか、と。

 手傷を負わせて虚に殺させる。そして朔良を追い込み“力”を測るという可能性。彼らが朔良を問題視するようになっていたと仮定するならば、どちらも有り得なくはない。

 

(どっちにしても腹立たしいことには違いないけど……)

 

 ともあれ、どうにかしなくてはならない。ついでに逃げるという選択肢は朔良には無い。

 

 

 “誰かを護るなら死なせない”

 

 

 少女を抱く腕に、ぎゅっと力を込めた。

 

「……まったく、こんな所でお披露目する羽目になるとは」

「あ? 何言ってんだてめえ」

 

 右腕を前に持ち上げる。痛みが走るがゆっくりなら多少は動かせる。刀の切っ先を下に向け――手を、放した。

 

「散れ――」

 

 斬魄刀が、地面に吸い込まれるようにして消えていく。

 

 

「――『千本桜景厳』」

 

 

 ――地面から突き出してきた巨大な刃が、無数の桜の花弁へと姿を変えた。

 

「な――」

 

 手が使えないので意思のみで操り、一箇所に固めて突撃させる。が、刃の動きが鈍くかわされた。

 『千本桜景厳』は覚え始めたばかりで使い慣れておらず、意思だけで操るというのは困難だ。そもそも卍解の力は始解時の五倍から十倍と言われている。それを真似るとなると、同様に始解の五倍から十倍は疲労が激しい。威力を抑えるのも一苦労、まだ扱いきれない。

 

「今度こそ……!」

 

 表皮の堅さを考えるなら一点狙いだ。逃げるアジューカスを桜の渦が追いかける。

 

「くそっ……調子に乗ってんじゃねえ!」

 

 方向を変えこちらへ向かってくる――好都合だ。自分から近い方がまだ正確に操れる。アジューカスの頭を貫くというイメージで、力を振るった。

 一塊りになった桜の花弁が狙い通り頭部に当たり、咆哮が上がる。と同時に、霊圧が集束し虚閃が放たれた。かわしたものの操作から気が逸れ、纏まっていた花弁が離散する。

 

「! 待てっ……!」

 

 隙ができたとばかりに逃げ出したアジューカスを追おうと朔良を操ろうとしたが、突如襲ってきた眩暈に膝をつく。息が上がる。

 

「お、お姉ちゃん!?」

 

 不安げに顔を覗き込んでくる少女の身体から手を離して立たせ、ぽんぽんと頭を撫でてやる。昔から兄達にしばしばされた行為だ。

 

「……大丈夫……少し疲れただけだよ」

 

 アジューカスに止めは刺せなかったが頭部に穴を空けた。そうほいほい戻っては来ないだろう。二度も逃すとは情けなくて言葉も出ないが。

 とにかく限界だ。少女を連れて戻る力もない。救援を呼ぶ必要がある。

 

「えーと……伝令神機……」

 

「必要ないよぉ」

 

「!?」

 

 背後からの声にびくりと肩を跳ねさせ、振り返れば派手な柄の着物。

 

「……京楽隊長……! 脅かさないでください……!」

「いやあゴメンゴメン。まさか気付いてないとは思わなくてさ」

「今は……余裕……ないんですよ……!」

 

 見知った人物の姿にどっと疲れが押し寄せる。ついでに無視していた腕の痛みも戻ってきて、眩暈もますます酷くなる。

 

「え……ちょ、朔良ちゃん!?」

 

 打って変わって焦る兄弟子の声を最後に、朔良の意識は暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……驚いたな……。まさか始解のままで他人の卍解を模倣できるとは」

「ボクはそれよりも、藍染隊長が直接あの()に斬りかかっていきはったことの方が驚きですわ」

「私もです。何も藍染様自ら赴かずとも、私か市丸に任せていただければ……」

「いや、彼女はあれで油断がならない。君達の腕を信用していない訳ではないが、万が一ということもある。それに直に見てみたかったというのも理由だ」

「でしたらよろしいのですが」

「けど、奥の手は引き出せませんでしたねえ。おもいっきし警戒されとるなあ」

「構わないさ。油断がならず頭も切れるとは言え、彼女にできることなど限られている。恐れることはない。少なくとも――」

 

 眼鏡の奥、優男の瞳に狂気が宿る。

 

「今の彼女なら、ね」

 

 

 

 


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