偽から出た真   作:白雪桜

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第 四 十 話 託されること

「あれ? 緋真?」

 

 非番の日。朽木家に見舞いに来た矢先、寝ている筈の友人が縁側に座っているのを見つけた。こちらに気付いた彼女は青白い顔でにこりと笑う。

 

「いらっしゃいませ朔良さん……」

「いいのかい、寝てなくて。声に元気がないし、体調も良くないって聞いたよ」

「ええ……庭を見たくて……」

「庭?」

「……梅が、咲いていないかと思いまして……」

「梅が? でもまだやっと蕾が……ああいや、そうだね」

 

 言外に含まれた意味を察した。――“そのこと”に気付いている素振りは、見せないけれど。

 

「緋真は梅の花が好きだからなー」

「朔良さんは桜の花ですよね……お名前の通り……」

 

 彼女の左隣に腰を下ろし、花の話に文字通り“花”を咲かせる。

 

「そういえばきみの好きな梅には“気品”とか“澄んだ心”とかいう花言葉があるよ。きみにぴったりだ」

「まあ……ありがとうございます…。桜も色々ありますが……朔良さんに合うのは“純潔”、“心の美しさ”でしょうね……」

「うーん口が上手いな。あ、梅が咲いたら次は桃だよな。そして桜!」

「その次は……椿、でしょうか……」

「椿と言えば六番隊の隊花だ。意味は“高潔な理性”。なんか白哉っぽいよな」

「ふふ……そうですね……」

 

 双方の口から漏れるくすくす笑い。けれどこん、こん、と聞こえた咳に慌てて背中を擦った。

 

「大丈夫か? 中に入る?」

「いえ……もう少し……」

「そうか? ……無理はするなよ?」

 

 鬼道を使うほどのものではなかったらしい。落ち着き、頷いたのを確認してから、「ところで」と、先程から何気に気になっていたモノを指差した。

 

「その花、どうしたんだ?」

 

 緋真の右隣にあるそれ。線のように細い茎のてっぺんに、とても小さな白い花が集まって咲いた可憐な一輪。確か名前は。

 

(ナズナ)、だよな? 珍しい花じゃないけど……」

「はい……その……家の方に摘んで来ていただいたのです……」

「わざわざ? まあ可愛い花ではあるね。でもそれくらいなら私が……って、私が来たのはついさっきか」

 

 遅かった、と言えば何故か彼女は緩やかに首を横に振った。

 

「いいえ……そうではありません……」

「えっ?」

「この花は……貴女に摘んで来ていただく訳にはいかなかったものなのです……」

 

 目を瞬いた。意味を測りかねていると、彼女はそれを手に取りこちらへ差し出してくる。

 

「あ……わ、私にくれるのか?」

「はい……」

「な、なんだよ改まって。いきなりで驚いたじゃないか」

「すみません……」

「でも嬉しいよ、ありがとう。えーっと薺の花こと、ば……は……と……」

 

 ――受け取ったままの状態で、動きを止めた。

 薺の花の花言葉。記憶違い、或いは勘違いでなければ、確か。

 

 

「“あなたに全てをお任せします”」

 

「っ!?」

 

 

 彼女の口から紡がれたその一言に、びくりと肩を震わせる。咄嗟に顔を向ければ真摯な瞳とかち合った。

 

「……緋真……?」

「察しの良い貴女のことです……もう、気付いてらっしゃるのでしょう……?」

「……何に」

「私の命が、長くないことに……です」

「っ!」

 

 瞠目した。確かに気付いていなかったと言えば嘘になる。けれどその事実をこんなにもはっきりと、事もあろうに本人から聞くことになるとは思いもしなかった。

 

「な、何を言って……」

「貴女は医療の心得があり、観察力にも長けた方……。お気付きにならない筈がない……そうでしょう?」

 

 我ながら、珍しくも言葉に詰まる。聡明な女性だと思ってはいたが、隠すのが得意な自分の気持ちをここまで見抜く程だったことに驚いた。何しろ、白哉を始め長い付き合いである砕蜂や兄弟子らにも、そうそう見抜かれることなどないのだから。

 

「判っています……自分の身体ですから……」

「緋真……」

「心残りは妹のこと……。甘えだと判ってはいるのですが……白哉様にお願いするつもりでいます……」

「緋真」

「ですから……朔良さんには白哉様のことを……お願いしたいのです……」

「緋真!」

 

 がしっと両肩を掴んだ。彼女は驚いた顔をしたが、構わない。黙って聞いているなんてできなかった。

 

「滅多なことを言うものじゃない! いくら私でも怒るよ!」

「さ、朔良さん……」

「確かにきみの霊圧や魄動は、日に日に弱くなっていってる……。きみの言う通り、そう長くはないのかもしれない……。でも」

 

 目を逸らさずに。本心が伝わるように。

 

「そんな風に、簡単に諦めるようなことを言わないでくれ。病は気からって言うけど、本当なんだよ? 肝心のきみが弱気になってしまったら、一緒に過ごせる時間も過ごせなくなってしまう。白哉の奴を悲しませないでやってくれ」

「……朔良さん……」

「それに」

「?」

「悲しいのは私も同じだ。きみが居なくなってしまったら私だって悲しい」

 

 紫紺の瞳が丸くなったのを見て、思わずジト目になってしまった。

 

「……何だよ」

「……いえ……その……」

「親友が居なくなったら悲しいのは当たり前だろ!? 私はそこまで冷酷で薄情な女じゃないよ!?」

 

 ついつい叫べば一拍の後、緋真がくすくすと笑い声を零した。

 

「ちょっ、何だよ」

「いえ……私はまだ貴女のことを信じていなかったようです……」

「……何気に傷つくんだけどな……」

「ええ……ですから謝ります……ごめんなさい」

 

 真正面から頭を下げられては怒る気も失せるというもの。肩から手を離して小さく溜息をつけば「ですが……」という声が聞こえ、改めてそちらへ向き直った。

 

「先程の言葉は……訂正しません……」

「おい」

「弱気になっている訳ではないのです……。心配事を減らしておきたい……。そう思うのは不自然でしょうか……?」

「それは……」

「朔良さん……」

 

 今度はこちらが彼女に両手を取られた。真摯な双眸が向けられる。

 

「……白哉様は四大貴族のご当主様……。後継ぎは……必要不可欠です……。あの方がお選びになる女性なら誰であれ……私は祝福します……。ですからどうか……私が……」

 

 ――霊圧が上がったのは反射。だから彼女を一瞬でも怯えさせてしまったのは不可抗力だ。

 

「怒る、って言ったよな」

「……さ、朔良、さん……」

「きみの不安は判らなくない。その考えを馬鹿なことと言うつもりもない。でも、もう少し言い方ってものがあるだろう。……死んだら、なんて言うな」

 

 確かに跡継ぎもないまま正妻が亡くなれば、再婚は必要不可欠になる。当分は無理かもしれない、けれど彼がまた心に決めた女性を見つけたなら。その時は彼を応援してほしい、緋真はそう言っているのだ。

 意識して霊圧を下げれば、強張ったからだからも力が抜けたようだった。何事か考えるように沈黙した彼女は、ややあって顔を上げると。

 

「では……私にもしものことがあったなら……その時は……白哉様の背中を押してあげてください……。そしてあの方を……護ってください」

「……及第点だな。判った、約束しよう」

「それから……もうひとつだけ……。絶対に……貴女にしかお願いできないことがあります……。……妹のことで」

 

 五年探して、見つからなかった彼女の妹。勿論捜索を諦めるつもりはないが、何があるというのだろうか。

 

「白哉様には……私が姉だとは明かさないようにと……お願いします……。朔良さんもそのようにしてください……」

「……うん、いいよ」

「けれど……けれどもし……もし……あの子に知られたなら……その時は……――」

 

 

 

 

 

 ――その日が緋真(親友)との最後の対話になった。

 

 

 

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 

 

 

「……白哉様。よもや朽木家の墓碑に緋真様の名を刻まれるおつもりではありませぬよな?」

 

 朽木家の一室。白哉は目を閉じ、数名の親族や家臣らによる非難と反対の声を聞いていた。

 

「いくらご当主の正妻であられた方とはいえ……」

「流魂街のご出身ですぞ」

「由緒正しい大貴族の墓碑に名を入れるなど……」

 

 ……聞いているだけで胸が痛くなってくる言葉ばかりが流れていく。

 

 ――緋真が、死んだ。

 

 その受け入れ難い現実が肩に、身体に、心に。重くのしかかる。

 悲しみに暮れる間もなく訃報を知った親族達から飛んでくるのは、代々続く朽木家の墓碑に緋真の名を入れるのかという話。恐らく知らせたのは家臣らだろう、主に緋真を受け入れることを強く反対していた方の。

 彼等の言うことは、貴族として考えれば一理なくもない。しかし彼女は自らが愛した妻。無理を推して朽木家に入れたからには、朽木家の墓碑に名を刻んでやりたいと思うのは自然な感情ではないのだろうか。

 

 それに。

 それに、今は。

 

 

「――失礼致します」

 

 

 すぱん、と。

 突然勢い良く、と言うか寧ろ故意に勢いをつけたのではないかという強さで襖が開かれた。

 届いた声に目を開き、そこに堂々と立つ人物を見て更に瞠目する。

 

「な、何奴!?」

「ご容赦を。早い方が良いと思いまして」

 

 一斉にその身へと向いた視線と非難を受け流し、飄々と答えるのはとてもよく知っている人物。

 

(朔良……!? 何故今此処に……)

 

 白哉は悩み苦しんでいたことも忘れ、何の前触れもなく現れた幼馴染みを(表情には出さずに)呆然と見やる。

 前回会ったのは十日前。朔良が今の所最後(・・)に朽木家を訪れた日であり、そして正真正銘最期(・・)に緋真と会って話した日でもある。少しの間家の事情で(・・・・・)来られなかったのことだが、どうやら無事片付いたらしい。

 

 予期せぬ彼女の登場に幾人かがあからさまに顔を顰めた。死神としての実力があるが故に人望の厚い朔良ではあるものの、やはり流魂街出身者という名は外れない。

 しかし――

 

「急な入室、申し訳ありません」

 

 ――後ろから進み出た人物を見るなり、皆一様に先程以上の驚きの表情を浮かべた。

 

「ゆ……夕四郎殿!?」

「め、滅相もございません!」

 

 慌てて頭を下げる親族と臣下達。

 それもその筈。朽木家と並ぶ四大貴族、四楓院家二十三代目現当主、四楓院夕四郎その人が謝罪しながら入ってきたのだから。

 面喰らう(表情には出さずに)白哉に、二人はその場に正座し深々と頭を下げた。

 

「白哉殿、この度は心よりお悔やみ申し上げます。内々の葬儀とは聞き及んでいたのですが、やはり緋真殿は朽木家ご当主の奥方であられた方です。私も僅かながら面識がありましたし、何より補佐の友人です。せめてお別れのご挨拶だけでもと参りました」

 

 そう言う夕四郎は正式な喪服に身を包んでいる。斜め後ろに控える朔良もまた同じ。つまりこれは個人的な立場ではなく、四楓院家当主として来たということ。

 当主にしてはまだ少々幼さが残っているけれど、四大貴族の一角を担う人物であることには変わりない。その彼がはっきりと“朽木家当主の奥方”と言ったのだ。これ以上緋真を爪弾きにするようなら、白哉だけでなく夕四郎の言葉にも異を唱えることになる。

 最早“墓碑に名を刻むな”などとは進言できなくなっている皆であったが、親族の一人がふと疑問を口にした。

 

「ゆ、夕四郎殿……。無礼を承知でお訊ね致しますが……補佐、とは一体……?」

「ああ、そうでした。本来ならこのような場で申し上げることではないのですが……」

 

 ちらり、とこちらを窺うような視線に頷いて見せる。既に済んだことであるし、そのくらいならば問題ないと。

 

「ここに居る雲居朔良が、私の補佐に就いたのです。正式な四楓院家当主補佐に」

 

 きちんと着任したのは昨日ですが――と続いた言葉が全員に届いたかどうか、定かではない。何しろ彼らが散々“流魂街出身者”と見下してきた少女が、“天賜兵装番”の役目を背負う責任者の補佐になったのだ。

 絶句する、という表現がここまで相応しい顔も珍しいと、固まった面々を眺めつつ思う白哉だった。

 

 

 

 

 その後。

 慎ましく執り行われた葬儀も終わり、辺りも暗くなった頃。

 自室の文机の前に座っていた白哉の元へ、ふらりと彼女が訪れた。

 

「……夕四郎はどうした」

「夕様には先に帰ってもらったよ。ここからは個人的なことだからな」

 

 朔良にしては珍しい、淡々とした声音。背中で聞きながら軽く息を吐く。

 

「……今日は助かった」

「お礼なら夕様に。私を正式に補佐にしたいって言い出したのは彼だし、突然の暴露で話を完全に逸らせたし。あの場で夕様が言ってたことは全部本当だぞ?」

「判っている」

 

 彼はとても素直な男だ。朔良以上に嘘がつけない性質である。だからこそ救われたのだが、このままでは話が進まない。

 

「……それで、何用だ」

「ああ、うん……」

 

 淡々としているのは変わらない。けれど――

 

 

「……ちゃんと泣いてないんだろうな、って思って」

 

 

 ――聞こえた言葉と背中に感じた温もりに。

 

 息が、詰まった。

 

 

「結界、張ったから。判るだろう? 今この部屋からはどんな音も漏れない」

 

 幼きあの日のように抱き締められている訳ではない。この感じは恐らく、背中合わせに触れているだけ。

 

「堪えなければいけない、弱みを見せられない立場なのは理解してる。今日だって無表情だったしな。けど、前にも言った筈だ」

 

 その僅かな温かさと、優しくなった声に――

 

 

「私の前でまで、強がらないで」

 

 

 ――白哉は妻を失って初めて。何の遠慮もなく。悲嘆を外へ吐き出した。

 

 

 

 

 ――朔良が言うにはほんの僅かな時間だったらしいが。

 それでも、白哉にとっては充分過ぎる時間(とき)だった。

 

「……済まぬ」

「今更だろ」

 

 様々な意味が込められた“今更”。背中越しに聞こえる声にはやはり温かみがあった。

 

「……お前は、いいのか」

「私? 私はもうめいっぱい泣いたから。十兄様には面倒かけちゃったね」

 

 自分とって緋真は最愛の妻。そして朔良にとっては自他共に認める親友同士だった筈。悲しみをあまり表に出さない様子に問いかければ、そんな答えが返ってくる。暗に心配するなと言っているそれもまた、彼女の気遣いなのだと知れた。

 

 

「……探そう」

 

 ぽつりと呟かれた唐突な一言。けれどそれが何を指しているのか、言わなくとも判る。

 

「……手を貸してくれるか、朔良」

「当たり前のことを訊くなよ、白哉」

 

 緋真の形見。彼女が命を削ってまでも探し出そうとした、たった一人の肉親。

 

「必ず見つけ出すんだ」

 

 絶対の信頼を置く幼馴染みの口から、その名が零れる。

 

 

「“ルキア”を」

 

 

 

 

 

 




お待たせ致しました、白雪桜です。
遅くなりました……。


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