“読心術使えるの?”
昔から、偶に聞かれる質問だった。
使える筈も無いのにと、拗ねていた。
「た~い~ちょ~う~。く~す~り~、飲~み~ま~す~よ~ね~?」
「いや、その……うん……」
朝の雨乾堂にて。
腰に片手を当て薬袋を顔の隣まで持ち上げた朔良は、渋々と頷く浮竹の前で溜め息をついた。
「まったく子どもじゃないんですから。ちゃんと飲みなさい」
「しかしだな……これは非常に苦いというか……」
「文句言っちゃダメです。大体今日は学院の視察の予定でしょう? 途中で倒れでもしたらどうするんですか」
そう、真央霊術院には定期的に護廷の隊長の視察が入ることになっている。今学院は卒業試験の真っ最中、現状でどのくらいの実力の院生が居るのかを調べる目的もある。今回は十三番隊にその役目が回ってきた……のだが。
「隊長の調子が悪くて、もう二回も延期させてもらってるんですから。大概の仕事は副隊長が隊長代理でやってますけど、これはそうはいきませんし。今度はしっかりして下さいよ?」
「ああ、判っている」
「ホントに判ってるんですか……」
ついさっきまで薬を飲むことを渋っていた男の言だ。普段は絶対の信頼を置いているけれども、今ばかりはどうにも欠けると思う自分は悪くない、筈。
「だったら、オメーも一緒に来ればいいじゃねえか」
そう言って雨乾堂の簾の向こうから現れたのはその副官。
「お、海燕。もう来ていたのか」
「おはようございます、隊長」
「ちょっと海燕副隊長。一緒に来ればってどういうことですか?」
「挨拶もねーのかオメーは……まあいいけどよ、そのままだ。オメーが来りゃ隊長も身体のこと心配する必要はねえだろ。副隊長が同行するのが通例だが、もう一人席官がついちゃいけねえって決まりはないしな」
「ヤです」
「即答か!?」
迷いなく一刀両断すれば「何でだよ!」と返ってくる。……口で朔良に挑むとは。
「隊長と副隊長両名が不在になるんですよ? 緊急時が無いとも限らないんです、上位席官がそう何人も隊を離れる訳にはいかないでしょう。留守をお預かりする三席に全部押し付けるつもりですか?」
「う……そ、それはそうかもしれねえが……」
「あら、私なら大丈夫ですよ」
“正論の刃”で
「三席! おはようございます!」
「おはようございます隊長、朔良さん」
「おはよう都」
纏う雰囲気も霊圧も、大和撫子という単語がぴったりな女性、志波都。
十一番隊の更木のように感知能力の乏しい者は例外として、大抵の死神は常に周囲の霊圧を多少は感じている。集中することで精度を上げられはするが、“感じない”という状態になることは不可能だ。そんなことができれば高い霊圧に当てられたりしない。
無論、朔良も常時周りの霊圧を感じている。しかしその範囲と精度は他の死神とは比較にならない。例えるなら平均的な平隊士が集中して霊圧を探った時が朔良にとっての“日常”に近く、つまりは常に剥き出しの状態ということだ。それだけ当てられやすくもあるけれど、通常は利益の方が大きい。
そんな飛び抜けて優れた感知能力を持つ朔良は、海燕と都が近付いてくるのに勿論気付いていなかった訳ではない。自らの感知範囲に入った時点で対象を認識し、警戒しなくて大丈夫だとほとんど反射的に判断したのだ。それほどまでに信頼している人物が相手だからこその、無意識の対応である。
「おい朔良テメエ……俺には挨拶しねえで都にはするなんざどういう……」
「では都三席、続きをどうぞ」
「無視すんじゃねえぞ!?」
知ったことではな……もとい、予定が迫っているのだから急がねば。
「大抵のことなら私達だけでも何とかなります。本当に危険な場合は地獄蝶を使って隊長達の指示を仰ぎますから、朔良さんも学院の方に向かって構いませんよ」
「よろしいのですか?」
「ええ。海燕さんの言うことももっともです。隊長をお願いします」
「……判りました。三席がそこまでおっしゃるのなら」
「さっきの俺に対する言動よりえらく素直だな……」
「それはそうですよ。だって都三席ですから」
「どういう意味だ。つーか前々から思ってたんだが、オメーは俺に対して生意気過ぎじゃねえか?」
「いや海燕、それを訊くのは今更過ぎる気がするぞ……」
小さな子どもの頃からそうだったのだ、隊長の言う通り今更である。……生意気だと自覚があったのかなどというつっこみは聞こえない。断じて聞こえない。
しかし訳を言えというのであれば、とにっこり笑って答える。
「そんな、理由なんてあるワケないじゃないですか。なんとなくです」
「いや薄々判っちゃいたがはっきり言う分えげつねえし天然だし!」
「いやあ、朔良は変わらないなあ」
「ソレ良い意味でなんすかね!?」
その後、学院にて。
「……やっぱり大した霊圧はありませんか……」
「無茶を言うなよ。まだ彼等は『死神見習い』だ」
「そうだぜ。院生の頃から現役に目を掛けられるようなヤツ、そうはいねえよ」
「副隊長みたいな人のことですね」
「お? 何だ、珍しいな。お前が俺をそんな風に褒めるのは……」
「あーでも、私や白哉
「六年ある所の俺は二年! 一年で卒業したオメーらが異常で早過ぎるんだっつーの!」
「まあまあ……しかし、今年の六回生には将来有望そうな子が居るらしいぞ?」
視察しながら廊下で騒ぎ出す朔良と海燕を、諌める意味もあるのだろう、話の方向を変えた浮竹に訊ねる。
「有望そうな子、ですか?」
「ああ。ほら五年程前、現世で実習中の院生達が妙な虚に襲われる事件があったろう?」
「あー『霊圧を消せる虚』でしたっけ。しかも巨大虚」
「引率してた当時の六回生の判断が早くて一回生に被害者は出なかったけど、何名かの六回生が犠牲になった事件ですね」
「その当時の引率者の六回生って確か……」
「九番隊の檜佐木修平くん。今も席官で頑張ってますよ」
「情報通だなオメー……」
「いろんな隊に仲良しが居ますので」
話が逸れた。
「その時巨大虚と僅かながらも時間稼ぎの為戦った、勇敢な一回生が居たって話は知ってるか?」
「聞いた覚えが……ああ、そういうことっすか」
「成る程。当時一回生ってことは今六回生ですね」
浮竹に“有望そうな子が居る”という情報まで回っているのなら、その院生達は今試験を受けている所なのだろう。確かに興味の湧く話ではある。
(……五年か)
――緋真が朽木家に嫁いだのは、それより一年近く前のことだった筈。以来彼女は、毎日のように流魂街へ出向いて妹を捜していた。今は朔良と白哉の二人が、それぞれ時間を見つけ動いている。流魂街はとてつもなく広いが――
(……ひょっとすると、霊術院に居るって可能性もあるね)
緋真は弱いながらもしっかりと霊圧があった。とすれば妹にもあるだろう。死神になろうと考えているかもしれない。自他共に認める優秀な霊圧感知のセンサーの感度を、なんとはなしに少し上げてみる。
(とはいえ居ない確率も高いし、院生だってものすごい人数だし、名簿見せてもらったとしても名前探すだけで一苦労――)
ぴたり、と。
思考が止まった。
自らの、恐ろしく高い霊圧感知に触れた
忘れる訳もない
名前を呼ばれた気がしたが、耳には音として入っても脳まで信号として届かない。
今居る此処は三階。窓から身を乗り出し感じる方向――前方斜め下辺りへ目を向ける。視力は、かなり良い。
――釘付けになった。
真っ赤な髪を持った長身の青年と話す、小柄な黒髪の少女に。
(……まさか)
その髪。
その瞳。
その面差し。
思わず目を瞠るほど瓜二つな、その容姿。
加えて感じる霊圧の感覚は――改めて探ってみれば違うものであるけれど――それでも
この自分が、親友である『彼女』に関して間違う訳もない。
やがて二人が歩き出す。向きが変わり『少女』の顔はよく見えなくなったけれど、赤髪の青年の方が見えた。
何事かを話すその青年の口の動きも――
「――っ!!」
息を呑む、という表現が相応しいのだろう。知らず入っていた力が抜けて、ふらりと窓のサッシに寄り掛かった。
「…………見、つけ、た…………」
どうにかそれだけを呟いて片手を額にやり、詰めていた呼気を吐き出し深く呼吸する。
「…………ら…………」
(やっと……見つけたよ……)
「……さ……良……!」
(緋真――)
「朔良!!」
「はっ、はいっ!?」
傍で聞こえた大声に、らしくもなく跳びあがってしまった。慌てて振り向けば呆れ顔の海燕がすぐ隣に、数歩離れた場所には心配そうな表情の浮竹が居る。
「さっきから呼んでんだよ! 返事しろっての! ったく、いきなりふらっと離れやがって」
「す、すみません……!」
「……その様子だと、ワザと無視してた訳じゃねえみたいだな。どうした?」
素直に謝れば、身体を屈めて顔を覗き込まれた。既に呆れ顔から浮竹と同じ心配顔になっている。
「隊長じゃなくて、オメーの方が調子崩したか?」
「え? そうなのか朔良? だったら早く……」
「あ、え、いや、その、んと」
どう言うべきか迷い、しどろもどろに意味のない言葉を羅列する。
「えと……そーじゃなくて……」
「具合が悪いとかじゃねえんだな?」
「あ、は、はい」
「だったらゆっくりでいい。話せる所だけでもいい。言ってみろ」
思わずきょとんとなる。
――これだから彼は頼れる人なのだ。
「……そう……ですね……」
幾分か落ち着いた頭で考える。
今、自分がすべきことを。
「……十兄様、海燕さん」
慣れ親しんだその呼び名を敢えて使った。
そちらがきっと『正解』だから。
「すみません。早退してもいいですか」
一瞬面喰らう兄弟子と恩人だった、けれど。
「……ただ事じゃなさそうだなオメー」
「……そうだな。判った、早退しなさい」
「その代わり、後日しっかり働けよ?」
事情も理由も全く判らないだろうに。仕事中は使わない呼び名を仕事中に口にしたことで、私事だと気付いたろうに。
何も訊かずに頼みを聞いてくれる。見えない気持ちを汲んでくれる。
だから彼等は信頼できるのだ。
心を、護ろうとしてくれるから。
「――ありがとう、ございます」
よく似た容姿。
よく似た霊圧。
聞こえはしなかったけれど届いた『名前』。
――それで充分。
「――白哉ぁっ!!」
叩き割らんばかりの勢いで開けた六番隊隊長執務室の扉。……副隊長がまだ決まっていなくて良かったと思う。タイミングよく他の部下も居ない。
部屋の主である幼馴染みは、最近では見ることの少なくなった驚いた表情をしていた。
「……朔良? 一体何事――」
「み……見つ……け、た……!」
本気を出した全速力の瞬歩などいつ以来か。焦りもあって息が上がってしまい、上手く口が回らない。壁にもたれつつ、必死で言葉を紡ぐ。
「……何?」
「……見つけたんだ……緋真の……形見……!」
漆黒の双眸が見開かれ、弾かれたように立ち上がる。数秒の間の後、瞬歩で移動してきた彼に両肩を掴まれた。
「……本当、なのか」
その声が、微かに震えているように聞こえるのは。
「……間違いないよ」
きっと気のせいではない。
耳ではなく、目で確かめた『少女』の『名前』。
赤髪の青年の唇は、はっきりと動いていた。
「なあ、ルキア」と。
“読心術使えるの?”
昔から、偶に聞かれる質問だった。
今なら“こう”、答えよう。
――読
お久しぶりです、白雪桜です。
お待たせいたしました!