「……妙じゃのう」
音を立てることなく屋根を飛び移りながら、夜一は一人ごちた。
もう瀞霊廷に入ってから半日近くは経過している。にも拘わらず、朔良がこちらを探しに来る気配が全くない。
幾ら夜一が霊圧を限界まで抑えているとはいえ、集中すれば見つけるのはそう難しいことではないだろう。知っている霊圧なのだから尚更に。旅禍が侵入したという報せを聞いたなら、探索に加わってもおかしくない筈だ。
だと言うのにこの現状。そして彼女が姿を見せない理由を上げるとするれば二つ。
(とっくに気が付いておって見逃してくれておるのか……それとも最初から瀞霊廷には居らんのか……)
前者は低いように思う。朔良がまだ夜一を慕ってくれているとしても、聞きたいことがあるに違いない。
となると居ないと考える方が妥当だが、このタイミングは少々気に掛かる。
(少し情報を集めてみるか)
猫の姿で聞き込みはNGだ、大いに目立つ。少々時間が掛かっても噂話を聞くのが一番だろう。下っ端の隊士達というのは、案外色々な話を零すものだ。
……そうして集めた情報の元、思考を整理する。
(朔良は流魂街へ任務中、か)
戻ってくるまでにはまだ日数があるらしい。このままでは会えるかどうかも怪しいところである。
夜一達の目的はルキアを救出すること。朔良にとっては初恋の相手であり幼馴染みでもある白哉の、妹をだ。
説得のしようによっては協力してくれる可能性もあるかと思ったが、居ないのでは何も始まらない。
しかも。
(ルキアの処刑は双殛を使って行われるじゃと……?)
刑執行の猶予期間も十日縮められているという。夜一も嘗ては護廷隊に在籍していた身、これらのことが異例であるなどすぐに判る。
(……藍染か)
思いつくのはそこだ。
喜助は言っていた、藍染は死神の虚化の実験をしていたと。
死神が虚の力を手に入れる、すなわち虚化。それを人為的に行うため、奴は元技術開発局局長である喜助の作り出した崩玉を狙っている。
崩玉は死神と虚の境界を取り払う力を持つ。藍染は言うまでもなく、誰にも渡してはならない危険な代物だ。結局崩玉を破壊することはできずルキアの身体に隠したが、藍染に気付かれた可能性を喜助は示唆していた。
……正直朔良には聞かせたくない話だが、いずれは明かさなくてはならないだろう。共に尸魂界に乗り込んで来た人間達にも。
問題はこの異例の措置が、藍染の意思で行われている可能性があるということだろう。
つまりそれは、尸魂界の法を司る四十六室が乗っ取られていることを意味するのだ。即ち、処刑の撤回は有り得ない。
(どうにか間に合わせなくては……)
こちらの現戦力ではどうあっても隊長格には勝てないし、時間が掛かり過ぎてはルキアを助け出すこともできなくなる。鍛えるにせよこれまた時間が足りない。
けれど一護だけは。死神の力を持つ一護だけは、その強さを短期間で隊長クラスまで跳ね上げさせることは不可能ではない。
卍解さえ習得できれば。
(お主の言葉を信じるぞ喜助……)
黒崎一護の才能を。
* * * * *
岩の上に片膝を立てて座っていた朔良は、近付いてくる霊圧に閉じていた瞼を開けた。
速度から考えるとただの隊士ではないけれど、霊圧は高くない。恐らく隠密機動といったところだろう。
「雲居四席! たった今、裏挺隊が……」
「やっぱりか」
知らせに来た部下の言葉を皆まで聞くことなく、岩からひょいと飛び降りそちらへ足を向ける。
一般隊士ではなくわざわざ裏挺隊が来たということは、余程緊急の知らせなのだろう。
「すまないがきみ達は席を外してくれ」
「「「「はい!」」」」
近くに居た部下達を下がらせ、片膝と片手を地面について報告の姿勢を取る裏挺隊隊士に向き直った。
「それで、何があった」
「は。まず一番隊山本総隊長、並びに十番隊日番谷隊長の連名の伝令になります」
「! ……まさか一級厳令か?」
隊長二名となれば相当だ。一体――
「本日未明、五番隊藍染隊長が何者かに暗殺されました」
「………………は…………!?」
――今、何と言った?
「死因は斬魄刀による鎖結及び魄睡の摘出と心部破壊――」
「ま、待って……くれ」
うっかり素の口調に戻ってしまいそうになったのを慌てて繕い、我に返った朔良。とにかく冷静に努めなければと、今伝えられた情報を必死に整理した。
「……藍染殿が……死んだ?」
「はい。犯人及び動機は不明です」
――そんな筈は無い。
あの男が、そんな簡単に死ぬ訳が無い。
ほぼ全ての死神を、長年の間欺き続けているあの男が。
百年前大鬼道長であった鉄裁の破道を、容易く止めるだけの実力を備えたあの男が。
(……そんな馬鹿なことがあるもんか)
何かのトリックに決まっている。恐らくは奴自身の能力が関係しているのだろうが。
「ここまでは全隊長・副隊長にお伝えする内容と同様ですが、雲居四席には総隊長より個別の伝令がございます」
「聞こう」
既に頭は冷えた。経験がモノを言うとはよく言ったものだ。
もう以前の――子どもの頃のように、信じられない出来事を聞いたからといって取り乱したりはしない。
「一昨日、尸魂界に旅禍が侵入。数は五」
「!」
旅禍。死神の導きなく尸魂界にやってきた、あらゆる災厄の元凶と呼ばれる者。
丁度その一昨日より瀞霊廷の方から霊圧が感じ取れなくなったので、瀞霊壁が下りたのだろうとは思っていたが。まさか旅禍とは。
「更に昨日、遮魂膜を突破し瀞霊廷内に侵入。現在廷内にて捜索が続いておりますが、未だ捕らえられてはいません」
「遮魂膜を突破って……そんな無茶苦茶な……」
「被害状況は昨日の時点で十一番隊がほぼ壊滅状態。同隊の斑目三席、綾瀬川五席、並びに六番隊阿散井副隊長が重傷を負った為、戦線を離脱されました」
「はあっ!?」
三人とも良く知った仲だ。一角と弓親は朔良が入隊した時からの付き合いだし、非公式だが恋次を副隊長に推したのは自分である。その実力も十分承知している。
その彼らが倒されたという。
(って言うか昨日の時点でって……)
本当に旅禍が侵入してきたのなら人数も五人の筈。それなのに捕まえられないどころかそこまで被害が広がっているとは。
「どんな連中だよ……他には?」
「戦時特令が発令され、廷内での斬魄刀解放が許可されています。人手不足の為野営演習を中止し、直ちに帰還せよとのご命令です」
「判った、すぐ戻る」
「もうひとつございます。流魂街にて演習中であった為ご存じないであろうと、こちらもお伝えせよとのことです」
「まだなにかあるのか?」
随分と多いことだ。藍染の話だけでも驚きであるのに、旅禍の侵入。これ以上に何が――
「十三番隊朽木ルキア女史が第一級重禍罪により極囚となり、昨日懺罪宮四深牢へと移送されました」
――反応が遅れたのは、仕方ないことだと思う。
「――………………な、に…………?」
正直藍染のことよりも、衝撃だった。
「詳細は瀞霊廷に戻り次第、総隊長より伝えるとのことです」
「……!!」
驚き過ぎて言葉が出ないとはこういうことを言うのだろう――そんな見当違いの思考が掠めるくらい動揺しているらしい。
「伝令は以上となります」
「……そうか……」
感情が追いついてこない。
「……報告ご苦労。行っていいよ」
「はっ、失礼致します」
追いついてこないが――やるべき事の為頭と身体は動く。
自分は現場責任者。指揮を、取らなければ。
「雲居四席? 一体何が……」
「野営演習は中止だ! 今直ぐテントを片付けろ!」
皆の所へ戻り、近付いてきた部下の声を遮って指示を飛ばす。
「瀞霊廷に旅禍が侵入し、現在人手が不足している! よって演習を中止し廷内の警護に戻る! 総隊長からの指令だ、急げ!」
「「「「は……はいっ!」」」」
総隊長からというのが一番効いたのだろう。慣れない筈なのに案外手際よく撤収作業に入っている。
……感心している場合ではない、自分も手伝わねば。
(今悩んでも意味は無い)
心配しているし動揺もしている。しかしほとんど情報のない現状では想像以上のことはできない。
ならば早く瀞霊廷へ戻るのが一番いい解決手段だ。
“ちょ、ちょっと待って下さい!”
“きーにっ……浦原隊長が仲間にそんなことする筈ありません!”
“……こんなっ……!”
――随分と冷静に事態を受け止められるようになったものだと、百年前の自分と比べながら思った。
「お疲れ様です四席! お待ちしておりました!」
「五席? どうした?」
「総隊長より、雲居四席は至急一番隊舎へ戻るようにとのお達しです! 隊士達の先導は私が引き継ぎます!」
「よっぽど早く帰って来て欲しいみたいだな……」
演習に出ていたのは東流魂街だった為、当然東の青流門が一番近い。門を通り瀞霊廷に入ったところで同隊の五席に会い、事情を聞いてその場を任せることにした。まだ習得していない新米隊士達を置いて行く訳にはいかなかったので、ここまでの道中は使用を控えていたが――
「判った、後は頼む」
シュン、と。
得意の瞬歩で即座に一番隊舎へ向かう。
殺されたのが隊長ともなれば、検死は卯ノ花が行う筈。あの女傑を騙せる精巧な死体を造れるとは思えない。とすると、五感全てを支配するという鏡花水月の能力を使った方が確実だろう。
そして死を装うなどと大層なことを仕掛けてきたということは、彼等も本格的に動き始めようとしている可能性が高い。
しかし、まさか自分が流魂街に出ていた時に動き出すなど。このタイミングは何なのか。
……いや偶然ではあるまい。
そもそも演習を提案したのが藍染だった。朔良はそこに“何かがある“と踏んで引率に挙手したのだ。
そこをまんまと逆手に取られた、と言うより先を読まれたという訳なのだろう。
(あんの眼鏡ダヌキ……!)
あの男の化けの皮を剥がしてやりたい。
こちらの行動も見通している辺りが尚更腹立たしい。
(でも、動き出したなら
総隊長からの指示にもよるだろうが、どうにかして藍染達の“真実”を暴かねば。
「……って、何なんださっきからこの霊圧」
思わず一人ごちる。思考を一旦中断し、駆ける足は止めずにそちらの方角を見やった。
馬鹿でかい霊圧がふたつ、正面衝突している感覚。一方は覚えがある、剣八だ。だがもう一方の霊圧は知らない。知らないが、大きさは明らかに隊長クラスである。
だからなのか、剣八の霊圧がいつもより大きくなった。この急激な上昇は、もしや眼帯を外したのではないだろうか。
それに知らない方の、初めて感じる霊圧。爆発的に上がり過ぎていて、精密には感じ取りにくいのだけれど。
どことなく既視感があるのは、何故なのか。
(……戦っている……んだよね)
場所は懺罪宮の近く。ここからはだいぶ距離があるものの、朔良は僅かに顔をしかめて、意識的に知覚範囲を狭めた。それでも痛いほどの霊圧が感じ取れる。誰よりも高い霊圧知覚を持っているための弊害だ。
あの十一番隊隊長更木剣八が霊圧を全開にして戦う相手とは、一体何者なのか。知らない霊圧というところからすると例の旅禍と考えるのが妥当ではあるが、まさか隊長格と互角に渡り合えるほどの強者だったのか。
(……情報が少な過ぎる)
今は一番隊舎へ行くのが先決だ。何も知らないまま迂闊なことをして、藍染等に足元を掬われてはならない。
「急ぐか」
瞬歩の速度を更に上げる。
――胸にひとつの覚悟を秘めて。
到着した一番隊の隊舎内は、やはり平時と違ってどうにも慌ただしい。
擦れ違う度挨拶してくる隊士達に返事をしつつ、真っ直ぐ執務室へ向かった。
「失礼致します。第四席雲居朔良、帰還しました」
「入れ」
扉越しに声を掛け、許可を得てから入室する。椅子に腰掛けた総隊長の正面に、少し距離を置き片膝を付いて礼の姿勢を取った。ちなみに副隊長の雀部は部下に指示を出しているそうでここには居ない。
「お呼びとのことで、参りました」
「うむ。報告は聞いておるな」
「概ねのことは」
「ならばよい。仔細は後ほど雀部より聞け。早速じゃが、お主には旅禍の捜索を頼みたい。知らぬ霊圧といえど向こうが戦っておれば……」
「お待ち下さいませ」
総隊長の言葉を途中で遮るという、普段の朔良であれば(他の隊士も勿論)決してしないことを躊躇いなくやった。案の定、僅かに驚いたような視線を向けられる。
「どうした?」
上官に対して失礼に当たる行為な筈なのに咎められないのは、朔良に対する信頼の賜物か。いや信頼と言うより寧ろ性格を知っている故かもしれない。例えば、京楽がやったら怒られそうな気がする。
「藍染殿のことで、お話したいことがございます」
「話じゃと? 何じゃ」
「それは……」
呼吸が詰まる。
いつかは明かさなくてはならないことだ。そしてそれは、彼らが動き出した今なのだと思う。
一度目を閉じ、改めて総隊長を真っ直ぐに見上げた。
「――藍染惣右介の“真実”について」
「…………他に、このことを知っておる者は?」
「おりません。お話したのは総隊長が初めてです」
一息ついて、再び目を伏せる。
しばしの間沈黙が続き、やがて総隊長が静かに口を開いた。
「朔良よ、儂はお主を信頼しておる。じゃが今の話を鵜呑みにできんことも判るな」
「……はい」
当然だ。数十年間隊長位に就き、同僚からも部下からも人望の厚い男が実は裏切っているなど。
いくら弟子である朔良の言葉とはいえ、物証もないのに完全に信じきれる訳がない。それは疑っているとかいうことではなく、上に立つ者としての判断だ。“朔良”と敢えて下の名で呼んだことからも、懐疑の念はないという意思が汲み取れる。
「しかし聞き流すにしては大き過ぎる内容じゃ。現状では他に漏らすことはできん。この場だけに留める」
これも当然。下手に広がっては混乱が起こる。今以上の混乱は避けるべきだ。
「故に朔良。お主を藍染惣右介殺害案件の暫定責任者に任ずる」
「……は?」
その命令は、考えもしなかった。思わず目を瞬く。
「お主一人で、可能な限り調査を進めよ」
「ええと……
「人手が足らぬ。情けない話じゃがそう多くの人員は割けぬのじゃ。現場の検証もできておらぬ。旅禍の事態が収束するまでは最少人数で事に当たるのが最良じゃろう。……それに一人で動いた方が、都合が良いのではないか?」
「!」
通常ならば有り得ない。こんな大きな案件の調査要員が一時的にとはいえ一人など。だが。
「……ありがとうございます」
――願ってもないことだ。
* * * * *
小さな背中が扉の向こうに消えたのを確認し、元柳斎は小さいながらも珍しく溜め息をついた。
まさか彼女が、これほどまでに危険な秘密を抱えていたとは知る由もなかった。これが公になれば、護廷隊のみならず瀞霊廷中が大混乱に陥る。
先程の話が本当なら、藍染はいつでも朔良を始末できるだろう。故にこれまで誰にも明かせなかった。今話せたのは奴が大きな動きを見せたからに違いない。
朔良がその実力に見合わぬ席次に固持し始めたのは、もう何十年も前のことだ。
一体
その間ずっと、独りで耐えてきたのか。
重過ぎる真実に。いつ殺されるやもしれぬ不安と恐怖に。
(……不甲斐ない)
最近では部下と上官の関係で接することが多いが、それでも孫娘のように可愛がってきた大切な弟子だ。そんな朔良の苦悩に全く気付きもしなかった自分が腹立たしい。
様子を見る限り、そして話を聞く限りでは、恐らく誰も気付いていないに違いない。長年彼女の上官を務めた卯ノ花や浮竹も、思慮深い京楽も。誰より近くに居た白哉でさえも。
真実を明かした今、朔良はどのような気持ちでいるのだろうか。
部屋から見える目が覚めるほど晴れ渡った青空を眺めながら。元柳斎は少しでもその心が軽くなっていればいいと願った。
「砕蜂先輩ー。私の補佐に……じゃない、雑用に大前田貸してくれませんか?」
「ちょっ、待っ、何で降格してるんすかそこで!?」
「こんなのでよろしければ、雑用でも肉壁でもご存分に」
「ちょぉおおおおい!? 肉壁って俺何されるんすか隊長ぉっ!?」
「「黙れ」」
「…………はい」