偽から出た真   作:白雪桜

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第六十五話 宴の喧騒、その陰

「えーではでは、朔良の副隊長昇進を祝って……」

 

 主の友人、松本乱菊が、大皿のように巨大な盃を高く掲げた。

 

「かんぱーいっ!」

「「「「かんぱーい!!」」」」

 

 広い部屋のあちらこちらで、同じように銚子や盃が掲げられ声が揃った。

 部屋中が騒がしくなり、主――朔良の周りにはあっという間に人だかりができあがる。

 

「おめでとうございます朔良さん」

「雲居さん、いや、これからは雲居副隊長ですね! 一緒に浮竹隊長のお役に立ちましょう!」

 

 その中心は上位の女性死神達だ。近くに居た伊勢七緒と虎徹清音が真っ先に祝いの言葉を述べてくる。

 

「ホラホラ! 今日は無礼講よう~」

「うん、ありがとう、うん。……ねえ乱菊」

「何?」

「ありがたいんだけどね、ゴメン、いくつかつっこませて?」

 

 ふう、と一息。

 

「――何で宴会の会場が朽木邸なの!?」

 

 朔良にとっては、慣れ親しんだ朽木の家。堂々と来るのは久しぶりだ。

 ではなくて。

 

「あんたの昇進祝いするのに、普通の居酒屋でできるわけないでしょ」

「何で!?」

「ちょっと声掛けただけで何人集まると思ってんのよ。これくらい広くないと収まりきらないわよ」

「って言うかそもそも、宴会開くほどの事じゃないよね!?」

「何を言っているのですか朔良殿! 朔良殿の実力が明るみになり、そしてそれが認められたこの晴れの日に、祝いをしないなど考えられません!」

「いや色々おかしいですからね砕蜂先輩!? 祝いはともかくとしてこんな大人数揃えてやることですか!?」

「朔良先輩は人望も厚いし、人気者ですから。たくさんの人と仲良くしてますもんね」

「勇音きみまで……。ってか白哉! 白哉の許可は!?」

「貴女の昇進のお祝いをしたいので邸の部屋をお貸しして頂けないかとお願いしたら、快く引き受けてくださいましたよ。お酒や料理の手配も含めて」

 

 卯ノ花の言葉にがっくりと肩を落とす主。それもそうだ。仕事に関してはきっちり線引きしているというのに、何故こういう時に限って彼女達、女性死神協会は呆れるほど図々しくなるのだろうか。

 この祝宴の企画者も、乱菊を始めとした女性死神協会の面々だ。祝う気持ちが本物なのは伝わってくるのだが、そこにかこつけて堂々と宴会がしたかったのも本当だと主は確信している。乱菊が中心だっただけに。

 

「貴女のお祝いなんです。せっかくなので楽しんでください」

「七緒の言う通りよ。さ、飲んで飲んで!」

「飲む(イコール)楽しむは、私には適用されないけど……そうだね。ここは開き直って楽しむとするよ」

「何よう、やっとあんたの酔っぱらったところ見られると思ったのにい~」

「狙いはそこ!?」

 

「それはいただけないな」

「朔良ちゃんの分はボクが飲むよ~」

 

 乱菊に強引に渡された盃が、後ろからひょいと取り上げられる。見上げると、朔良の兄弟子二人が困ったように笑いながら立っていた。

 

「春水兄様、十四郎兄様。お二人もいらしてたんですね、ありがとうございます」

「俺の副隊長の、しかもお前の就任祝いだぞ? 来ない訳がないだろう」

「だよねえ。でも朔良ちゃんは飲んじゃダメだよ。どうしてもって言うなら、弱いお酒をちょっとだけにしときなさい」

「そうだな、ほら」

 

 朔良の手の中に落ちてきたのは小さなお猪口。申し訳程度に酒が注がれる。

 

「浮竹隊長も京楽隊長も、お酒に関してだけは砕蜂隊長より過保護ですよねえ~」

「何の話だ?」

「……え?」

 

 砕蜂の問いに、集っていた面々が揃ってぽかんとなった。まさかというように、七緒が訊ねる。

 

「もしかして……自覚無かったんですか?」

「だから、何の話だと言っている」

 

 ……どうやら朔良に対して過保護だという自覚は、本当に皆無だったらしい。

 

「衝撃の事実ってやつね……!」

「知らぬは当人ばかりですか……」

「だから一体何なんだ!?」

 

 混乱する砕蜂を始め、まだ騒ぐ一同からそっと離れ。一息ついた主の傍に別の集団が寄ってきた。

 

「朔良さん、副隊長就任、おめでとうございます」

「おめでとうございます雲居さん」

「やっとっスね!」

「これで再び私の上司! よろしくお願いいたします!」

「修平、イズル、恋次! ルキアも! 参加してくれてたんだね。ありがとう」

「よぉ朔良。祝いついでにタダ酒飲みに来たぜ」

「おめでとう、朔良ちゃん」

「ありがとう弓親。一角はもう帰っていいよ」

「っておい! 他の連中と対応が違い過ぎるのはどういう訳だコラァ!」

「一応ここは私の祝いの席。なのにおめでとうの一言もない礼儀知らずに飲ませるお酒は無いよ」

「……お、おめでとうございます……」

「ん、ありがとう」

 

 正論の刃は、ぶれることを知らない。

 とそこへ、意外な人物――大きな体躯に誰より特徴的な容姿の男が現れた。

 

「雲居副隊長、此度の昇進、おめでとう」

「狛村隊長……! ありがとうございます」

「ですが、正直驚きました。まさか狛村隊長まで来られるとは」

「俺も檜佐木に同感っス。朔良とは大した接点なかったっスよね」

「そうだな……祝いは勿論なのだが、少し貴公に訊きたいことがあってな」

「訊きたいことですか? 私に? 何でしょう?」

「……いや、今ここで言うことでもあるまい。後ほど改めて訊ねる。今はゆっくり宴を楽しむ方がよかろう」

 

 「ではな」と告げ、あっさり立ち去っていく大きな背中を見送りつつ、主に呼び掛けてみる。

 

『我が主』

『何? 珠水』

『狛村左陣の訊きたいこととは、やはり……』

『まあ、十中八九そうだろうね』

 

 思った通り、自分と朔良の考えは同じらしい。しかし、そうなると。

 

『……どうするのですか』

『うーん……ひとまず、話しても問題ない箇所だけ話すしかないよ。答えたところで、“私達”以外がそう簡単にできるものじゃないし』

『……それもそうですね』

 

 “隠す”のは、我が主の得意分野。何とかなるだろう。

 そうこうしている内に、彼より大物がやってきた。

 

「おめでとう朔良。ようやくじゃな」

「元柳斎先生! ありがとうございます!」

 

 総隊長の登場に、周囲の死神達の背筋がしゅっと伸びる――が。

 

「……いつものように“重爺様”とは呼んでくれんかの?」

 

 若干の寂しさを含んだ総隊長の言葉に、固まる一同。

 一方で問いかけられた本人はと言えば。

 

「私ももう大人ですから。先輩達はともかく、後輩や部下の前で呼ぶのは勘弁してください。兄様達のことだって、身内以外の前では略した愛称は避けてるんです」

 

 困ったように、そう答える。

 先程も昔からの愛称である“春兄様”“十兄様”とは呼ばず、“春水兄様”“十四郎兄様”と呼んでいた。そして仕事中は苗字に隊長付け。これは朔良なりの、公私の切り替えなのである。

 朔良にしては控えめな正論に、総隊長は「ふむ」と頷き、

 

「では、身内のみの時ならば呼んでくれるな?」

 

 ……珠水でさえ呆れる一言を放ってくれた。

 

「……ええモチロン」

「であれば良い。また後でのう」

 

 最後に軽く朔良の頭を撫で、去っていった。……何というか。

 

「……今の、本当に総隊長っスか?」

「ちょっと……いやかなり……信じられないんですが……」

「朔良さんと師弟関係にあるとは……一角さんから聞いてましたけど……」

 

 後輩男性死神三人の呆然とした声も、仕方ないと思う。彼らは師弟関係ということを聞いていただけで、他はほとんど知らないのだ。

 総隊長が朔良に対し、弟子として厳しく接する一方で、本当の孫娘の如く目に入れても痛くないほど可愛がっていたなどとは露ほども。

 

「朔良さん、こちらへいらっしゃいな」

「あ……烈さん」

 

 手招きする卯ノ花の元へ、少々肩を落とした様子で寄っていく。

 

「久しぶりに総隊長に構われて、お疲れですか?」

「あはは……少し」

「ふふ、正直ですね」

 

 彼女から差し出された湯呑みを受け取り、口に含む――

 

「っんぐ!?」

『我が主!?』

 

 突然むせて咳き込んだ主に、思わず具象化しそうになるのを堪えつつ声を掛ける。

 

「げほっ……げほげほっ……ちょっ……烈さんっ……!」

 

 朔良は喉を押さえ、恨みがましく湯呑みを握り締めた。

 

「これっ……お酒……!」

 

 ……どうやら、結構強い酒だったらしい。

 水だと思って一気に飲んだのだろう、湯呑みの中はほぼ空だ。

 周囲の酒の香りと、まさか卯ノ花がという油断から、疑いもせず飲み干してしまったようだ。乱菊が相手だったならこうはいかなかっただろう。

 

「すみません、朔良さん」

「よりにもよって烈さんに謀られるとは……!」

「私も医療の責任者として、親しい貴女が酔ったらどのようになるのか、知っておくべきかと思いまして」

「それは屁理屈ってものでしょう……!」

 

 珍しく、卯ノ花相手でも遠慮なく朔良は噛み付く。一方で卯ノ花の方も、多少の後ろめたさがあるのかいつもの黒い笑顔は鳴りを潜めている。

 

「うぅー……」

「ありがとうございました卯ノ花隊長! これでやーっとあんたの酔ったトコ見られるわね朔良!」

「松本! お前の企みか!」

「いやですねえ隊長。私はちょーっと提案しただけですよお」

「てめえな……おい、大丈夫か雲居?」

 

 いつの間にか近くにいた乱菊や、宴に参加していたらしい冬獅郎が声を掛けてきた。

 

「おい朔良!?」

「朔良ちゃん、まさか強いの飲んだの!?」

 

 異変に気付いた兄弟子たちも駆け寄ってくる。

 しかし――

 

「…………ヒック」

 

 ――我が主の耳に届いてはいても、正気の意識には最早届いていなかった。

 

「十にいさまあっ!」

「がふぁっ!?」

「浮竹ぇ!?」

 

 あと約二メートル、という所まで来ていた浮竹めがけ、文字通り目にもとまらぬ速さで朔良が突進……もとい、飛びついた。その勢いのまま彼のみぞおちを朔良の頭が強打し、結果。

 

「「隊長――っ!?」」

 

 仙太郎と清音、二人の絶叫の中浮竹は後ろへ倒れた。後頭部を更に強打する直前、二人の両掌が床との間に滑り込んできたため二次災害は免れたが、被害は甚大だ。

 

「「隊長! しっかりしてください! 隊長!」」

「ちょっ……朔良ちゃん! 取り敢えずどいて!」

 

 目を回す浮竹から、京楽が慌てて朔良を引っぺがす。のもつかの間。

 

「うぅー……乱菊ぅっ!」

「おわっ!」

「きゃあ!?」

 

 京楽の手をあっさり振りほどき、瞬歩で乱菊の眼前に迫った。

 

「わたし酔ったらー……まずいってー……なんども言ったよねえー?」

「え、ええと……」

「もうっ! 昔っからそうだよねー。ひとの忠告ぜんぜん聞かないしー」

「朔良……?」

「執務室に酒瓶かくしちゃだめなのに、まーだやってるでしょー?」

「げっ! 何であんたが知って……」

「……おい、その話……」

 

 彼女の背後から、冷気の混ざった怒気の炎が立ち昇る。発生源は、もちろん彼。

 

「た、隊長……」

「詳しく聞かせてもらおうか……松本ォっ!」

「わああぁー!」

 

 酔いもすっかり冷めたようで、怒り心頭の冬獅郎から逃げる乱菊。それをよそに。

 

「どうです? 卯ノ花隊長。浮竹の状態は」

「気絶していますが、命に別状はありません。ひとまず治癒しておきましょう」

「よろしくお願いしますよ」

「……前にも、このようなことが?」

「いや、あの時は隣で座って飲んでたから、こんなに大きなダメージは無くて……」

「……成程、危険ですね」

 

 取り敢えず、浮竹は卯ノ花と京楽に任せておけば大丈夫そうだ。……問題は。

 

「そーえいば修兵ー。ぼろぼろのギターの腕ちょっとはじょうたつしたのー?」

「ぼろぼっ……何でギターやってるって知ってんスか!?」

「え……檜佐木さん……ぼろぼろなんですか……?」

「いやっ、そのっ」

「恋次―、ルキアへの復帰プレゼントー、えらべたぁー?」

「んなっ!? どこで聞いて……!?」

「恋次……?」

「いやいやいや、ルキア、聞かなかったことに!」

「やちるのこんぺいとーの瓶、一角このまえうっかりひっくりかえしてたねー」

「いっ!? それは誰も知らねえ筈……!」

「一角……流石にそれは謝って弁償しないと美しくないよ」

 

 ……主がちょくちょく仕入れた情報が、次々と暴露されている。

 見かねた総隊長が再びやってきた。

 

「落ち着かんか朔良。目が据わっておるぞ」

「えー? 重じいさまだってー、みんなとかわんないですよねー」

「何?」

「藍染のこと―、処刑まえにちゃんとおはなししたのにー! にいさまたちのおしおき優先してぇー、けっきょく後手にまわっちゃったじゃないですかぁー」

 

 ズバァッ!

 

 と。実際に音はしなかったが。

 総隊長の心境を察するなら、こんな擬音が的確ではないだろうか。現に、あの山本元柳斎重國が無表情のまま固まり、微動だにしていない。

 ……どんどん犠牲者が増えている。主に精神面での。

 

「さ、朔良殿……もうその辺りで……」

「んー? 砕蜂せんぱいー? せんぱいー……」

「……?」

「よーし! しょーぶですっ!」

「は? っ!」

 

 問答無用とはこのことか。

 真正面から飛び込んだ朔良の蹴りを、砕蜂は咄嗟に両腕を交差させて防いだ。間髪入れず繰り出される回し蹴り。砕蜂の左側頭部を狙ったそれも、左腕で防御する。が、堪えきれず開け放たれていた障子を越え庭へと吹っ飛んだ。

 

「くっ!」

「さっすがせんぱーい! ふいうちでもぜんぜん通じないですねー」

「……酒乱にも程があるでしょう……」

「しゅー……らんっ!?」

 

 ……主の語尾が乱れた説明をしよう。

 「しゅー」の時点で再び砕蜂へ躍りかかった我が主だったが。並走するように飛び出してきた人影がその右腕を掴み、走る勢いを殺さぬまま朔良の身体を投げ飛ばしたからである。

 

「ふぇ?」

 

 結果。

 

「きゃぶぅっ!?」

 

 朽木の家の、大きな池に頭から落っこちた。

 周囲が唖然とする中、乱入してきた“彼”だけが動き池の傍に寄って行く。

 

「ぷはぁっ! けほっ……あれ?」

「少しは酔いが冷めたか、朔良」

「びゃくや?」

 

 躊躇なく池に朔良を放り込んだこの家の当主は、自ら手を差し伸べ彼女を引っ張り上げた。

 

「酒癖が悪いと聞いていたが、ここまでとは」

「えーと……わたしなんかした?」

「やはり水を被って、正気に戻ってきたようだな」

 

 言いながら白哉は隊長羽織を脱ぎ、全身ずぶ濡れの彼女の頭からすっぽり被せる。

 

「夏とはいえ夜は冷える。軽く湯を浴びて来い。着替えは貸す」

「そうだねー……なんか空気も微妙だし、なにがあったかもよくわかんないし、取り敢えず頭冷やしてくるよ。にしてもこの羽織、いいの?」

「問題ない。気を付けて行け」

「うん、ありがとー」

 

 にっこり笑って掛けられた羽織を両手で抑え、駆け足で去っていく朔良。呆然と見送る一同。

 少し前に意識の戻った浮竹が、京楽に支えられつつ縁側に出てきた。

 

「すまない白哉、おかげで助かった」

「……兄等の言っていた通り、酒の入った朔良は危険だな」

「でしょ?」

「以前もあのようであったのか?」

「成長した分、昔より手が付けられなくなってたね」

 

 それは、同意見だ。

 

「それにしても……絡み酒、というのでしょうか」

「卯ノ花隊長。……そうですね、どちらかというと自制が利かなくなると言った方が近いかと」

「ボクも浮竹に同感ですねえ」

 

 浮竹に飛びついたのは純粋に兄弟子への好意。

 修平、恋次、一角の秘密の暴露は、単に顔を見て思い出したことを口にしただけ。

 総隊長へはちょっとした不満。

 砕蜂へ勝負を吹っ掛けたのは酔って気が高ぶり、身体を動かしたくなったから。

 

「……まるで子供のようでしたね」

 

 卯ノ花の零した一言は、実は的を射ている。

 そう、我が主は普段取り繕ってはいるが、本質はかなり子供っぽいのだ。

 無邪気で無慈悲。

 無垢で残酷。

 加減を知らず、思いついたことは即実行。

 短気で喧嘩っ早く、一直線に突き進む。

 故に、恐い。何をしでかすか判らない。

 

 お得意“正論の刃”を躊躇いなく繰り出せるのも、この本質から来ているものだったりする。

 知識が増えたので時と場合を選んだり、大人らしく振舞えるようにはなったが、酒が入ると箍が外れてしまう。密かに珠水の悩みだ。

 それでも本当に言ってはならないことは口にしない辺り、芯はしっかりしていて安心なのだけれど。

 

「何と言うか……昔の朔良殿を見ているようだった……」

「え……朔良殿は、あんな感じだったのですか……?」

「そうだな。子供の頃の朔良は無茶ばかりして、周りの都合や心配なんてお構いなしで。その割にきっちり礼儀は弁えていて、かつ周囲を巻き込む酷く危なっかしいお転婆娘だった」

「ちょっと生意気なところも可愛かったけどねえ」

「お前は何でも可愛いんだろ」

「まあそうとも言う」

「確かに、小さな頃の朔良殿は天真爛漫で愛らしかったな」

 

 酒乱騒ぎもなんのその。

 嵐の過ぎ去った宴会場では、新たな話題に火が付いたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『随分な騒ぎだったみたいだね』

『全くです』

 

 その後。

 騒動の収まった場を見届けてから主の元へ意識を戻した珠水。水を被って湯を浴びて水を飲んで、すっかり酔いの冷めた朔良に安堵する。

 朽木家の女中に用意してもらった藍色の着物に着替え会場へ戻る道、縁側を歩いていく。

 ――かと思えば。

 

「……私にお話があるんでしたよね」

 

 前触れなく足を止め、視線は前に向けたまま呟く我が主。一瞬遅れ、珠水もその気配に気づく。

 ゆっくりと朔良が目を向けた先。庭の木々の暗がりに隠れるが如く、大きな影が居た。

 

「――狛村隊長」

「気付いていたか。流石は雲居だな」

 

 のっそりと、月明かりの下に現れた狼顔。けれど湯上りの朔良を気遣ってか、それ以上近寄っては来ない。

 狛村と正面から向き合うように縁側へ腰を下ろした主は、いきなり核心を突いた。

 

「藍染との戦闘について、でしょう?」

「……それも、察していたのか」

「貴方が私にお話なんて、他に考えつきませんので」

「前置きは要らぬようだな」

 

 ふっ、と一呼吸の後、狼の眼光がより一層の鋭さを帯びた。

 

「貴公は、奴の鏡花水月を無効化できるのか?」

 

 想定通り。

 双殛の丘で我々と藍染の戦いを目撃した隊長格は狛村ただ一人。加えて彼自身の攻撃はまるで通らなかったのだから、鏡花水月がいかに脅威か身をもって知った筈だ。

 にも拘らず“戦闘らしい戦闘”が行えた朔良に、疑問を抱くのは当然と言える。

 予測できていたことなので、主も慌てない。答えは既に準備済みだ。

 

「結論から言えば、可能です」

 

 ここで嘘を吐くのは得策ではない。

 

「……何故、隊首会の席でそれを報告しなかった?」

 

 思い至っても尚、その考えをあの場で微塵も表に出さなかった狛村には感嘆の念を覚える。事が事なだけに事情があると察してくれたのだろうが、我々としてはありがたい。

 

「奴の鏡花水月を、防ぐ手立てがあるのだろう? ならば――」

「そう仰ると思ったから、問われるまで伏せておいたのです」

 

 この方法を思いついたのは我が主。

 

「鏡花水月の発動条件は、その始解の瞬間を目にすること。逆に始解を目にしていない者には、五感を支配する完全催眠がどんなに強力だろうと絶対に効きはしない」

 

 我々――“雲居朔良”と“珠水”でなければ、非常に難しく、時間の掛かる――

 

「であれば、答えは簡単です。“始解を目にしていない自分自身”に代わって貰えばいい」

 

 ――極めて、危険な。

 

「どういう意味だ……?」

「死神なら誰でも、大なり小なり可能性を秘めていますよ」 

「死神なら? ……!」

 

 はっとした様子で自らの胸に手を当てる狛村へ、朔良は微笑みかける。

 

「そう、斬魄刀です」

 

 この考えに至ってからが、長かったのだ。

 

「斬魄刀の本体は普段、死神の内なる世界に居ます。始解や卍解、あるいは具象化することでようやく表面に出てきます。裏を返せば普段の……今のような状況を“目にすること”は無いのです」

「つまり……何らかの方法で、鏡花水月の始解を見ていない自らの斬魄刀に、五感を肩代わりして貰うということか?」

「簡単に言えばそうですね」

 

 狛村の声音は信じられないと言いたげだ。喜助やマユリ辺りが居たらもっと喰いついてきそうだけれど。

 

「だがそれは……聞いたこともない手法だ」

「まあ幻覚系の斬魄刀に対抗する手段として一般的なのは、“心を閉じ”幻覚を防ぐことですからね。しかしこうなると斬魄刀と心を通わせられなくなるので、始解もできません。何より藍染の鏡花水月は幻覚系と言えど五感を支配するものなので、閉ざしても意味がない。こっちが不利になるだけです」

「どのようにするのだ? 貴公が容易に話さなかったところを見ると、決して安全でも安易な手法でもないようだが」

「お察しの通りです」

 

 朔良もまた、自分の胸に手を当てた。

 

「五感の一部、例えば視覚のみを斬魄刀が引き受けるなら、卍解を習得した者であればそこまで難しくはないでしょう。斬魄刀と真に通じ合えれば可能です。……涅隊長辺りは不可能でしょうけど」

「……かもしれぬな」

「しかし、五感全てとなると話が違います。始解や卍解をしつつ五感を借りるなど、実質的に不可能です。だって、斬魄刀の本体は表面に出てきているのですから」

 

 刀として表に出ている本体。死神から抜け出ている訳ではないとはいえ、力を発揮することに集中している。この上五感の全てを主に貸すなど無理な芸当だ。しかも相手はあの藍染。全力であっても危険な相手だ。

 では。

 

「斬魄刀の能力全てを解放しながら、その五感を借り受ける方法は一つ。斬魄刀だけに寄り添ってもらうのではなく、死神も近付くのです」

「何……?」

「具体的に言えば、一時的に斬魄刀の精神と半一体化するのですよ」

 

 狛村の双眸が見開かれた。当然だろう。

 

「……雲居、それは」

 

 危険が過ぎる行為なのだから。

 

「半一体化に成功すれば、魂の結びつきはより一層強いものになります。五感を肩代わりして貰いつつ全ての力を解放できる」

「そういうことではない……!」

「存じています。失敗し、下手をすれば斬魄刀と肉体までもが融合してしまう。最悪の場合、斬魄刀に精神をも乗っ取られかねません」

 

 そうなれば、二度と元には戻れない。

 故に、危険。

 

「即ち、完全に斬魄刀を“屈服”できる死神、卍解を習得した者にしかこの手法は使えません。ですがたとえ“屈服”できていたとしても、半一体化する過程で反抗してくる場合も考えられます。生半可に身につけては却って危険です。戦闘中に使用するなら尚のこと。無論個人差……死神と斬魄刀自身の相性にもよるでしょう。何分、私達以外に試したことのある人物が居ないので、判らないことも多いのです」

 

 不安要素はまだある。

 

「時間も掛かるかと。私の斬魄刀は物分かりのいい子ですし、この百年を藍染相手の鍛錬と対策に当ててきました。他の人がこの手法を試すなら、数年では済まないでしょう。もしかすると十年……数十年単位になるやもしれません」

 

 そして極めつけは。

 

「加えて、本当にその人の斬魄刀が完全催眠に掛からないかは、掛かってみないと判りません。今となっては、ぶっつけ本番で試すことになる。それはあまりにリスクが大きい」

 

 実際問題、その通りだ。死神全員が、これまで鏡花水月の始解を見た時を覚えている訳もない。そして、自らの斬魄刀が一度もその瞬間を見ていないかなど、対話したところで判らないだろう。

 我が主は類稀な観察力で、掛けられている対象を違和感として見抜いてきた。だからこそ、この珠水には完全催眠が通じないということが確認できたのだ。

 

「ご理解頂けましたか? ここまで限られた者にしか使えず、長い年月と多大な労力が掛かり、斬魄刀に支配されかねない危険を伴う。完璧に制御できるようになるまで、実戦では全く使えない。仮に習得できたとしても、自分の斬魄刀が本当に鏡花水月の始解の瞬間を“目にしていない”かは掛けられてみるまで判らない。……あまりにも割に合いません」

 

 メリットに比べ、デメリットが大き過ぎる。――()()()()()()()

 

 公に出来ないが、我が主と“自分”は元々一つの存在であった。それこそ心も身体も魂も。故に精神の半一体化は元に、“一つに戻る”に近い行為なのだ。だからこそ五感を肩代わりするのも容易であるし、全力も問題なく引き出せる。

 欠点は、長時間持たないということ。長く半一体化しているとその状態に慣れてしまい、完全に一体化してしまう可能性がある。

 藍染との戦闘でそんな事態になっては本末転倒。

 死神と斬魄刀として生きると決め、その為に奴と戦うのだから。

 

「……何故」

「?」

「時間が掛かる手法だと……判っていたのであろう? ならば何故、今まで……」

「それを、仰るのですか?」

 

 刹那、頭が一気に沸騰した――怒りに。

 それを少し冷まさせたのは、感情を全て削ぎ落としたかの如き淡々とした主の声だ。

 先日、冬獅郎が我が主を責めた時応えた声音と酷似した――

 

「……っ済まぬ。愚問であった」

「何よりです」

 

 長い間策略を察することもできなかったのは自分たちの責であるのに、朔良を責めるような口調になりかけたことに気付いたようだ。すぐに謝ってくれたので、怒りもあっという間に霧散する。

 少しの間何か考えていた様子の狛村だったが。

 やがて踵を返し朔良に背を向けると、去り際に。

 

「……これまではあまり意識してこなかったが……成程、貴公は元柳斎殿が重用するに値する者のようだ」

「は? 急に何を?」

「冷静に物事を見極めるということは、頭で判っていても実行するのは感情に邪魔され難しい場合も多々ある」

「…………」

「しかし貴公は、この百年で見事にそれを実行してみせた。加えて人格も確か、文武にも秀でている。他の隊長格があそこまで貴公を取り合う理由がよく判った」

 

 そう、言い置いて。

 邸の陰にその巨体を消した。

 呆然としていた我が主。やがて我に返ると。

 

「私はただ……取捨選択ができるってだけですよ。……良くも悪くも」

 

 その一言は、完全に自嘲で。

 “自分”は何の声を掛けることもできず。

 しばしの間、夜の闇の中寄り添っていた――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ? そういえば朽木隊長と朔良さんって、随分仲良いんスね」

「同期だとは聞いてますけど……」

「檜佐木さんと吉良も知らなかったのか」

「まあ、兄様の妹で、以前も朔良殿の部下であった私が知らなかったのだからな……」

「どういうことだ朽木?」

「何か知っているのかい、阿散井君」

「そこ俺も知りてえな。気になってたんだ」

「あら、隊長も知らなかったんですかあ~」

「うるせえぞ松本。てめえさっきのこと忘れんじゃねえぞ」

「あっ、え~と~……」

「乱菊さん、真面目に仕事した方がいいと私があれほど……」

「あのお二人は幼馴染みですよ、幼少の頃からの」

 

 

 ………………………………。

 

 

「「「「「えええええぇぇっ!!?」」」」」

 

 

 卯ノ花の一言によって響いた、宴の最中の絶叫。

 その叫びを聞きつけて戻ったことにより、事実を知らなかった者達から四方八方の質問攻めに合うことになろうとは。

 朔良も珠水も予測できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




お久しぶりです、白雪桜です。
暑中お見舞い……いえ、もう残暑お見舞いですね、申し上げます。
今回も難航しました……。が、やっと次から副隊長朔良を堂々と描けますので、張り切っていこうと思います。……実生活と並行しつつですが。
頑張ります!

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