偽から出た真   作:白雪桜

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第六話 『さくら』の出逢い

 「まったく……父上といい爺様といい……」

 

 朽木白哉は、ぶつぶつと呟きながら歩いていた。

 向こう側の塀が見えないほど広い庭。池と小さな川があり、橋まで掛かっている。この庭は白哉のお気に入りであり、憩いの場所でもある。

 しかし今ばかりは、その庭を歩いていても機嫌が悪かった。

 

 「なぜ私が、四楓院夜一の遊びにいちいち付き合わねばならぬのだ……!」

 

 そう、原因は毎回毎回頼みもしないのに、頻繁に訪ねてくる化け猫。あれで二番隊隊長で隠密機動総司令官で刑軍軍団長で、更には四楓院家二十二代目当主だとはとても思えない。それも初めての女当主だ。確かに実力はあるのだろう。しかし、その奔放が過ぎる性格は上に立つ者には相応しくないと思う。

 いつも何の脈絡もなく来る夜一が、前もって父と祖父の許可を得て訪問の予定を立てたと聞いた時、嫌な予感しかしなかった。わざわざそんなことをするくらいだ、何かとんでもない企みごとをしているに違いない。

 それに乗っかる父も父で、祖父も祖父だ。無論二人のことは心から尊敬しているのだが、そういう所は全く理解できない。皆して自分をからかって、一体何がしたいのか。

 彼女のくだらない遊びに付き合うつもりもなく、どうにか父と祖父の目を盗んで出奔に成功した今、こうして庭を歩いているのだ。

 

 (……どうしたものか)

 

 本当なら鍛錬がしたい。だが、それでは流石に居場所がばれる。いや隊長格相手にばれるも何もないのだが、自分から居場所を教えるような真似は釈然としない。

 考えていると、ひらりと桜の花びらが飛んできた。

 

 (もうしばらく経てば、桜も終わりか)

 

 ひらりひらりと動く花弁に誘われて、まだ咲き誇っている桜の木が植わる場所へと向かう。屋敷本体の角を曲がり、木のある向こう側へ視線を向けて――瞠目した。

 

 見事な桜を見たからではない。

 その、桜の木の前で。

 

 僅かに舞う桜の花びらの中に立つ少女に、目を奪われたのだ。

 

 (……誰、だ……?)

 

 両の掌を上に向けて桜の木を見上げている姿は、心から花を愛でているのだと一目で分かる。何よりも楽しそうに、愛おしそうに微笑むその横顔が物語っていた。

 しばらく少女の姿に見惚れていると、気配に気づいたのかこちらに顔を向けた。

 

 ――澄んだ藍色の瞳に吸い込まれそうで。

 自然と、白哉は身を固くした。

 

 しかし少女はきょとりと目を瞬かせるばかりで、動く気配はない。そのことで幾分か冷静になれた白哉は、ゆっくりと歩を進めた。

 

 改めて見れば、少女は自分よりも少し年下のようだった。丸い瞳と同じ藍色の髪。身に付けた淡い桃色の小振袖に、白に近い灰色の袴はどちらも質がよさそうだ。しかしそんなものがなくとも、少女の姿は桜の舞う中では何とも幻想的で気品があった。

 

 あと数歩で手が届く、という所で足を止め、ほんの少し下にある藍の瞳を見つめる。綺麗な綺麗な無垢な瞳を。

 

 

 「……そなたは、誰だ?」

 

 

 半ば呆然として問うた途端。

 

 ぴしりと、眼前に小さな指先が付きつけられ

 

 

 「人に名前を聞く時は、まず自分からが礼儀でしょっ」

 

 

 予想もしていなかった元気な声に切り返された。

 今の今まで幻想的な雰囲気を醸し出していた筈の少女は、ほんの少し唇を尖らせている。打って変わった様子に先程とは違う意味で瞠目し、言われたことを理解してようやく口を開いた。

 

 「あ……わ、私は、朽木白哉だ」

 「ありがとっ。私は雲居朔良!」

 

 よろしくねーと笑う少女はしかし、何かに気付いたように「あ!」と声を上げた。

 

 「ど、どうした?」

 「朽木って……もしかしなくても五大貴族の朽木?」

 「そうだが……」

 「……ひょっとしてここ、朽木家のお屋敷?」

 「……知らなかったのか?」

 

 暗に肯定してやれば、雲居朔良と名乗った彼女は慌てたように頭を抱えた。

 

 「わああんどうしようっ! とんでもないトコで迷子になっちゃったよ私っ」

 「迷子なのか? 何処から入った?」

 「ううん、ふつうに門から。入った時はひとりじゃなかったしっ」

 

 まさか不法侵入できたのかと、半ば疑惑を込めた問いは否定と共にさらりと返された。要するに誰かと共に来たが、この屋敷の敷地内に入った後であまりの広さにはぐれてしまったという所だろう。

 

 「あぅーー……。桜の花びら追っかけてきたのがいけなかったかー……」

 

 前言撤回。この少女が抜けていたのが原因らしい。

 

 「っていうか、朽木のお屋敷に来るなら夜姉様も言ってくれればいいのに……」

 

 夜姉様、という単語にぴくりと反応する。まさか、いやしかし、思い当たる節はある、だが彼女に妹はいなかった、と自問自答を繰り返し、嫌な予感を頭から追い出す。

 取り敢えず、目の前でうんうん唸っている迷子の少女を放っておくわけにもいかない。いずれその『夜姉様』とやらが迎えに来るだろう。そう判断し白哉は再び口を開いた。

 

 「桜が好きなのか?」

 「え? うん、好きだよ」

 

 声をかければ唸っていたのが嘘のように、目を丸くしてあっさり答える。

 しかし、続いた言葉に驚いた。

 

 「見るの初めてなんだけどね。なんか聞いたことある気がして、すごく好きなの」

 

 白哉は生まれた時からこの屋敷で育った。故に、桜は毎年春に見てきた。

 しかしこの少女は桜を、初めて見たと言う。一体どんな環境にいたのか。

 無邪気な顔が切なげなものに変わり、何となく不満を覚える。そんな表情は似合わない、笑顔が見たい、他にもいろんなものを見せてやれば笑うだろうか。そんな思いが芽生えた。

 

 「この屋敷には鯉もいるぞ」

 「えっ、鯉!?」

 「ああ、錦鯉だ。見るか?」

 「見る見るっ! どこっ?」

 

 ぱっと明るくなった表情に満足する。やはり、笑顔の方が良い。こっちだと言って歩き出すと小さな足音が後からついてくる。

 川と繋がる池の縁へ案内し、水の中を示せばきらきらと目を輝かせた。

 

 「わぁお……おっきい……」

 

 いかにも子供らしい呟きに笑みを零し、袂を探って鯉の餌を取り出した。ひとつまみ投げ入れてやれば泳いできた鯉がぱくりと呑み込む。その様を見た少女はますます瞳を輝かせる。

 

 「そなたもやってみるか?」

 「え! いいのっ?」

 「もちろんだ」

 

 餌の袋からひと掴み、少女の手に乗せてやる。彼女は若干の戸惑いを見せたものの、白哉と同じようにそっと池に投げ入れた。すーっと泳いできて餌を食べた鯉に上機嫌になったらしい彼女は、手にしていたそれを一気に放り込んだ。

 

 「あ、おい、そんなにやったら……」

 「きゃっ!」

 

 制止は間に合わず、案の定鯉達は我先にと餌を取り合い始めた。驚いたのか、軽く飛び退いて尻餅を付いた少女に手を差し伸べる。

 

 「大丈夫か」

 「あ……うん。ごめん、びっくりしちゃって」

 

 やはり、水面で口を大きく開閉しながらひしめき合う鯉に驚いたらしい。差し出した手を素直に掴んで立ち上がった少女は、にこりと笑った。

 

 「ありがとう朽木様っ」

 

 (……朽木様……)

 

 父や祖父はともかく、まだ幼い自分はそんな風に呼ばれたことなどない。故にそれがむず痒く、更にこの少女にそう呼ばれるのはどうにも不満でならず。

 

 「……白哉だ」

 

 気が付けば、そう口にしていた。

 

 「白哉。そう呼べばよい」

 「え、でもっ」

 「構わぬ。私もそなたを朔良と呼ぶ。それでよいだろう」

 「んー……あなたがいいならそれでいいけど」

 

 意味が判らない、といった顔をしている彼女に、理由を聞かれる前に再び歩き出す。もちろん彼女の手は握ったままだ。

 

 「え、あの……」

 「どうした?」

 「手……」

 「ああ、はぐれると困るだろう?」

 

 そう言って笑いかければ、一瞬きょとんとなったもののすぐに唇を尖らせる少女。むすっとした表情に更に笑うとますます膨れ面になった。

 

 「すまぬ、冗談だ」

 「……意地悪いの」

 「許せ。詫びにもっと庭を案内しよう。いろいろな花があるぞ」

 「えっ、ほんとっ? 見たい見たいっ」

 

 ぱっと機嫌が直る。ころころと変化する表情は見ていて飽きない。微笑みながら手を引いた。

 

 「ありがとね、白哉っ」

 

 ――どきり、と。

 胸が高鳴る。

 

 まるで太陽の如く輝く笑顔を向けられて、思わず手を握る指に力が籠もり――

 

 

 「おおっ? 仲良く手を繋いでおるのか? これは驚いたのう!」

 

 

 ――今最も聞きたくない声が、割って入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「はじめまして、雲居朔良です」

 「朽木銀嶺じゃ」

 「同じく朽木蒼純」

 

 といった平凡な挨拶を終え、今。

 

 

 「それで結局の、早く会わせたくて朔良を探しに行ったらのう、白哉坊が朔良の手を引いとったのじゃ!」

 

 

 ――白哉は、今すぐこの場から立ち去りたい衝動に駆られていた。

 

 

 「いや~まさかの、本当に白哉坊と会っとるとは思わなかったぞ」

 「まったくですな。判らないものです」

 「それにしても白哉がおなごの手を取るとは。珍しいこともあるものじゃ」

 

 保護者同士の会話。正直、聞いていて耳が痛い。

 と言うか、『まさか本当に』はこちらの台詞だ。先ほど予感していた『まさか』が、まさか本当に当たっていたとは。

 少女――雲居朔良は、四楓院夜一の連れだった。まだ日は浅いそうだが師弟関係だという。今日は白哉に引き合わせる為にわざわざ連れて来たらしい。時間的に仕事が終わったばかりの筈。何とも熱心なことである。

 

 (暇な奴め……)

 

 父と祖父に両脇に挟まれながら、正面に座っている少女をちらりと見る。きちんと正座し幼いながらも上品に茶を啜っている彼女は、最近まで流魂街に住んでいたとは思えない。まるで貴族の子のようだ。

 

 「でも夜姉様ひどいです。朽木家のお屋敷に来るなら先に言ってくださいよう」

 「わっはっはっ。すまんすまん。驚いたかのう?」

 「びっくりしました……。でも私と歳近くて、こんなにきれいな女の子がいたのにもびっくりですっ」

 

 ……反応が遅れた。今、この少女は何を言った?

 

 「白哉なんて名前、男の子みたいでかっこいいですねっ。漢字を見てもきれいだしっ」

 

 ――瞬間。

 

 四楓院夜一の、大爆笑が響き渡った。

 

 「ぶわーーはっはっはっはっ!! おっ、男の、子みたっ、くくく……!!」

 「よ、夜一殿、そんなに笑っては……くっ」

 「……っ……」

 

 夜一のみならず父と祖父までもが必死に笑いを堪えているのがありありと判る。爆弾発言をした当の本人はその意味が理解できないようで、きょとんと目を丸くし「私変なこと言いました?」などと零してはまた三人を笑わせている。

 堪え切れなくなった白哉はばんっと掌で畳を叩き、ほとんど叫ぶようにして言った。

 

 「私はっ、れっきとした男だ!」

 

 朔良は更に目を丸め、一拍後「えーーっ!」と叫んだ。

 

 「男の子だったのっ!?」

 「貴様……! 私を馬鹿に……!」

 「ごめんっ! だって髪長いし、あんまりきれいな顔してたからっ!」

 

 ぴた。

 馬鹿にしているのか、と続けようとした白哉は動きを止め、同時に保護者三人の笑いも止まった。

 

 「……何?」

 「黒髪つやつやしてるでしょ、顔とっても美人でしょ。間違えちゃって……ごめんなさいっ」

 「……いや……その……」

 

 頭を下げる少女を前に言葉を濁す。ここまで純粋に褒められ真っ直ぐに謝られると、怒る気になどなれない。と言うか、今の今まで感じていた怒りが何処かへ行ってしまった。

 

 「……もう……いい」

 「でもっ」

 「許すと言っている」

 「……それじゃあさっ、髪触ってもいい?」

 「……何故そうなる」

 「だってきれいなんだもの」

 

 お世辞も何もない、純粋な言葉。顔を上げた彼女と視線を合わせられず、そっぽを向く。

 この少女に会ってから自分がよく判らない。ずっと胸の高鳴りが収まらない。

 そんな中、夜一が何やら思いついた顔をした。

 

 「そうじゃ朔良、お主鬼事が好きじゃろ。白哉坊に相手してもらえ」

 「!」

 「えっ? 夜姉様、おにごとって……白哉も瞬歩ができるのですか?」

 「あ、当たり前だ! 四楓院夜一など、いずれ抜き去ってみせる!」

 

 思わず立ち上がって言った途端。

 朔良もまた席を立ち、きらきらした目を向けてきた。

 

 「ほんと!? すごいね、やる気だねっ! じゃあさ、髪の代わりに私とおにごとしようよ!」

 「え? あ、いや、それとこれとは」

 「白哉が鬼ねっ! いくよぉっ!」

 「ちょっ……待て、朔良!」

 

 ほぼ条件反射であったと思う。しゅんっ、と軽快に消えた彼女を追いかけたのは。男として、年上として、負けるわけにはいかないという意地もあったのかもしれない。

 瞬歩を使う寸前見えたのはにやにやとした夜一と、何故かとても楽しそうな父と祖父。夜一はさておき、父と祖父がそんな顔をしているのは珍しい。理由は全く判らないが。

 ともあれ今は、朔良を捕まえなくては。乗せられているような気がしなくもないが、嫌な気分にはならない。同じ鬼事でも、夜一にからかわれて乗せられてやるそれとは全く違う感覚だ。

 

 (不思議なものだ)

 

 純粋で素直。抜けているところがあり、時には強引。彼女の印象はそんな所だ。

 

 (……手加減、するか)

 

 

 

 

 ――数分後、『手加減』などと甘いことを考える余裕はないと早々に悟った白哉は本気を出したものの。

 結果、縁側に上半身を預け、肩を上下させ、朔良に直ぐ側で心配される羽目になった。

 

 

 彼女の印象に追加。

 

 手加減知らず。

 

 




白夜との出会い編でした^^

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