「ティナさんは一体何をしているのかしら……」
今エリンの目の前では、ティナが独り言を言っているようにしか見えない光景が広がっていた。客観的に見れば、ジンオウガと話しているように見えなくもないが、竜と会話ができる訳ないと思っている彼女からしたら、それは独り言以外の何者でもなかった。
「う、うぅ……」
「あ、カナト! 大丈夫?」
先程吹き飛ばされたカナトに意識が戻ったようだ。目をうっすらと開け、頭をぶんぶんと振っている。
「お二人とも、引き返しますよ」
そんなティナの言葉が聞こえて来たのは、カナトの意識がはっきりしたのと同時だった。
「ティナさん? 引き返すってのはどういう?」
「そのままの意味です。このジンオウガのことを、いち早くギルドに報告しなければなりません」
エリンがちらとジンオウガの方を見ると、微塵の敵意や害意も感じられなかった。先ほどまで感じていた、肌を刺すような緊迫感も今や既にない。
理由はわからないが、あのジンオウガと戦う必要はない。そう感じたエリンは思わず安堵していた。先ほどの超帯電状態を見て、万に一つも自分とカナトに勝ち目はないと思っていたからだ。
しかしあのジンオウガに一矢報いると決めていたはずなのに、なんて体たらくなんだ。とエリンは先ほどの思いを恥じて拳を強く握った。
「まだだ……まだ僕はあのジンオウガを倒してない!」
エリンが目を離した一瞬の隙に、再びカナトが飛び出そうとスラアクを構えたのだ。咄嗟のことに反応できないエリン。しかし、それを止めたのはティナだった。カナトのスラアクを片手で握り、抜刀出来ないように押さえ込んでいる。カナトが両手で無理やり引き抜こうとするが、スラアクはピクリとも動かなかった。
「ティナさん! 邪魔をしないで!!」
「邪魔をしているのはどちらですか? 今はギルドに報告するのが先決です」
激昂するカナトに対して、ティナはそう冷たく返した。
「なんだと……?」
「私たちの任務はなんですか? 特異なジンオウガの調査です。討伐ではありません。任務の内容を履き違えているのはカナトさんですよ」
「くっ! それがどうし……」
カナトがその先の言葉を発することはなかった。ティナの鋭い手刀の一撃が、カナトの意識を刈り取ったからだ。
「すいませんカナトさん、エリンさん。今はあのジンオウガの気の変わらないうちに撤退すべきなのです」
勿論急ぐ必要がないことはティナには分かっている。ジンオウガが自ら手を出さないと言っていたからだ。しかし、カナトとエリンにはそれが理解できていない。残されたエリンを納得させるには、そう言うのが一番効率的だったのだ。
「行きましょう、エリンさん」
「えぇ。カナト……」
気絶したカナトを担いで、ティナは竜車を止めてある方向に歩き始めた。カナトを心配そうに見つめるエリンが後に続く。
残されたジンオウガは、そんな2人の姿が見えなくなるまでその場に佇んでいた。
……Now loading……
「竜の言葉が……分かる!?」
「ええそうです。一応このことは秘密と言われてるので、あまり公言しないでほしいのです」
竜車の中でカナトとエリンは、ティナが竜の言葉が分かるという事実に驚いていた。そんなことは不可能なはずなので、当然のことだろう。
「古龍というのはとても知能の高い生物なのです。その中の極一部の古龍は、会話可能なレベルの知性を持ち合わせています。私はそんな龍達の声を聞き、こちらの声を届けることができるのです」
あまりのスケールの大きさに、2人は声を失う。古龍が高い知能を持っているということは、研究者達の研究の末ようやく解き明かされて来た事実として知ってはいた。しかし、会話が出来るなどという話は、噂程度ですら聞いたことがなかったのだ。
「ティナさんが竜の言葉が分かるっているのは、なんとか理解したわ……でもそれって古龍に限っての話なのでしょう? あのジンオウガは古龍だというの?」
エリンの疑問はもっともだ。古龍は他のモンスターとは違う。竜よりいわば格上の存在だ。なのに何故ジンオウガであるはずの彼は高度な知能を持っていたのか? これにはティナも分からないと答える他なかった。
「もしかしたら、あのジンオウガはジンオウガと似て非なる存在なのかも知れません。本人はジンオウガだと言っていましたが……新種の線も考えた方が良さそうですね」
あの時口にはしなかったが、ティナから見てもあのジンオウガの力は異常だった。ジンオウガにしてはあまりにも強大な力を感じたのだ。それはまるで、古龍のような……
(まさか、あり得ません。通常のモンスターが古龍になるなど、前例がないのですから)
そう自分に言い聞かせるティナだったが、心のどこかにしこりを残すのだった。
「何故、やらせてくれなかったんだ……」
不意に今まで黙っていたカナトが声を上げる。その顔は悔しさに満ち溢れていた。
「カナト! 貴方まだそんなこと言って……!」
「エリンは悔しくないのか!? あいつがバスクをやったジンオウガに違いないんだ! ようやく見つけたのに、目の前にいたのに……何もせずに引き返すなんて!! 僕1人でも残ってあいつと……」
パァン!!
最悪の展開を語ろうとしたカナトの頬を、エリンがビンタしていた。
「貴方1人残って何が出来るというの!? あのジンオウガは異常よ。1人じゃ到底太刀打ちできない!! それを見越して、ティナさんが逃してくれたんじゃない。分からないの!? それに今回はあくまで調査よ。勝手な狩猟は規約違反。貴方だって知ってるでしょう……」
エリンは、最初は頭に血が上ったのか激しくまくしたて上げ、最後の方はまるで自分に言い聞かせるかのように静かな声でそう言った。エリンにも思うところが無いわけがない。ただ、激情を理性が押さえ込むことに成功しただけだったのだ。
「そうですね。たしかにあのジンオウガはとんでも無く強い。言いたくはないですが、カナトさんお1人ではとても……」
「くっ……うぅ……クソ!」
ティナの冷静な判断を聞いて、カナトは拳を膝に叩きつけた。本当は自分1人じゃ叶わないとカナトだって分かっている。だが、バスクを再起不能にされた怒りで、半分我を忘れているのだ。普段ならしないような荒々しい発言が出てくるのも、それが原因だった。
気まずい空気が流れたまま、3人を乗せた竜車はユクモ村に向かって走ってゆく。
……Now loading……
「報告は以上です」
ユクモ村に帰還したティナ達は、真っ先にキールに詳細を説明しに向かった。ただし、この場にいるのはティナ1人だけだが。先ほど暴走したカナトの頭を冷やさせるのと、それに付き添ったエリンがいないからだ。
「ふむ……白いジンオウガ。しかもとても高い知性か」
キールは目を瞑って腕を組みながらティナの方向を聞いていた。そして報告が終わった後、彼の口から出たのは溜息だった。
「キールさん。私は問題ないと思いますよ」
あのジンオウガは放っておいても問題ない。ティナはそうキールに提案した。キールは全てのギルドを束ねる本部のギルドマスターであり、自身もかつて名を馳せたハンターだ。知能があるモンスターのことは知っているし、ティナが彼らの言葉を理解することが出来るということも知っている。それゆえの溜息だったのだ。
個人としてはティナのことを信用しているし、下手な刺激を与えて被害が広がるよりは放置するのもありだと考えている。だがギルドマスターとしては、強大なモンスターを対策もせず見て見ぬ振りをするというのは問題なのだ。
「ティナくんから見て、そのジンオウガはどう写った?」
「それがですね、随分人間臭い竜でした。本来知性が高い古龍達は自分を上位者と捉えてる節が強く、常に高慢な態度を崩しません。しかしあの竜は対等な立場で、それこそ人と話してるような錯覚に陥るほど、気さくな方でした」
実際ティナも驚いていた。以前出会った鋼龍などは「人間風情が真龍たる自分と話すことすらおこがましい!」というような発言をしており、龍は人間を見下す傾向があるのだと思っていたからだ。
しかしあのジンオウガは違った。自分と同じように感情豊かで、まるで友人と話しているようだったからだ。
「成る程な……よし分かった。あのジンオウガについては調査中により討伐禁止ということにしておこう」
キールが出した妥協案は、調査を名目に討伐を禁止するというものだ。個人的には討伐の必要性は限りなく無いと思っているが、それでは世間が納得しないだろう。そこで調査が済んでないので討伐出来ないことにしてしまおう、というものだった。希少なモンスターに時たま使われるものだ。
一見その場しのぎに見えるかも知れないが、新種のモンスターの調査には数年、希少性によっては十数年かかることもある。この場合は妥当な策だと言えた。勿論被害が拡大すれば話は別だが。
「ありがとうございます。すみません、無理を言ってしまって……」
「いやいや構わないとも。君の目はとても優秀だ。人を、そして竜を見る目がある。そんな君が問題ないと言っているんだ。私はそれを信じるよ」
しかしキールは「ただ……」と続けた。
「流石に世間に公表する際、特徴を記載する必要がある。話を聞いた限り、そのジンオウガは随分と特異なようだ。新種として扱うにしても、区別する必要があるだろう」
「そうですね……キールさんは新しい彼の名前、考えてあるのですか?」
「一応な」
キールは机の引き出しから一枚の紙を取り出し、スラスラと文字を書いてからティナに見せる。そこにはこう書かれていた。
【調査中】天狼竜ジンオウガ特種──と。
天狼竜の名前は、ジンオウガの亜種である獄狼竜から考えました。黒いジンオウガが『獄』なら、白いジンオウガは『天』というわけです。
ハンターサイドの話、続きます。