雨が止むまで 作:雨止
──全く。今日はツイていない。
朝は快晴、そして昼も。けれども帰りのHRに突然天気は崩れを見せた。所謂学校の下校時刻である時間帯に、私は土砂降りの中を、学生用鞄を傘にして駆けて行く。
天気予報など元来信用していない私であったが軽く後悔だ。たかが5分の1、と甘く見ていた代償はとてもではないが大きかった。徐々に、なんて言葉は生温いほどにずぶ濡れとなった鞄。制服。頭。身体。肌が冷え、背筋に寒気。切れそうな息。重い体。
仮に運動系の部活動に入っていたのならば、この寒さや息苦しさも多少はマシなのだろうか。……いや、そもそも下校時間がより早まり、もしくは遅れてこの雨自体を回避できたかもしれないが。
落ち着ける場所が今すぐにでも欲しい。店の雰囲気が私好みな喫茶店が恋しくなるが、残念。そこの商店街は帰宅路に無い。せめてコンビニがあればビニール傘を購入できるのだが……と抑えの効かない無いものねだりが現実に流されていく。
苦難の末に小さな八百屋を見つけた。店じまいの時間なのかシャッターが降ろされてはいたが、逆に好都合ではないか。カラフルなオーニングは勝手ながら雨宿りに利用させて貰おう。現状、陽は除け者にされているわけだ。人が見てるわけでもないし。
ふう、と一息ついた声。
……を零したのは、どうやら私では無いようだ。
当然か。先程まで全力で走っていたのだから、私は傍から見れば両手を膝についてゼイゼイと肩で息をしている筈。足音すら掻き消される篠突く雨の中、私と同じく雨宿りをしに誰かが来たと考える。
どうせなら挨拶でもしようか、と考える。一期一会と言われるように、こんな日の出逢いはきっと貴重な体験なのだろう。私は、声の方向へと振り向いた。
なんと。
美しいのだろう。
出たのは挨拶の言葉ではなく、感嘆の溜め息。
私の心を木が代弁してくれたのか、荒ぶっていた筈の枝葉が優しい音を鳴らしたような。
そこに佇む、物憂げな表情をした少女──歳は私と同じ高校生くらいだろうか──に、我が両目は奪われ。声は失われた。それは永久か、はたまた一瞬か。私はその芸術に釘付けになってしまったのだろう。
その事に気付かされたのは、「おや?」と此方に気づいた彼女の声。遅れて処理を開始した脳が、遠くへと置き去りになっていた意識と硬直していた身体を再起動させる。
「少しお待ち下さいね……」と彼女は手に持っている眼鏡を、鞄から取り出したタオルで丁寧に拭き取り始めた。眼鏡、ということは恐らく私の姿はハッキリとは見えていないのだろうか……なんて考えている内に、彼女は手入れを終わらせたようだ。素早いながら雨水の一滴も残しが無い。小物を扱う何かをやっているのだろうか、経験者のような手つきであった。
「……はい、どうかされました?ジブンに何か?」
「こんばんは。此処で会ったのも何かの縁かと思いましてね……挨拶くらいは、と」
結果的には先越されてしまったわけだが。
「こんばんは」と、姿勢を正しながら挨拶を返してくれるあたり真面目な性格と推察できる。
「雨、止みませんね」
それはそうだ。と友人は私の格好つけた発言を軽口で揶揄しただろう。しかし彼女のどこか儚さを含んだ表情が、私にお高く止まった言葉を引き出させたのだろう。
「お暇ですか?」
なんて、質問された。
「私が?」
「ここで知り合ったのも何かの縁ですし、憂鬱な気分のまま過ごすのも……と。って、迷惑でしたかね?ジブンなんかが……」
ジブンなんかが……?いやいや、拒否なんて以ての外。私自身、今日のこれからの予定なんて精々ソーシャルゲームを起動し、ログインボーナスを受け取ることくらいだ。確かに驚きはしたが内心、彼女をもっと知りたいという下心があったのも理由の1つ。少しくらいは欲張っても怒られはしないだろう。
「ええ、私で良ければ」
……怒られませんよね?
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────と、いうわけなんですよ!いや〜いつ見ても惚れ惚れする質感、とても良いですよね!!あ、他にもですね……」
「ほ、ほう……」
体温を奪い続ける寒さの中、彼女とその周りだけは異常な熱を発していた。
好奇心は猫をも殺す。今の状況を理解する為にはこの言葉が最適か。
初めは何気ない会話だった。当たり障りのない世間話のチョイスは、見事成功、とは届かないまでも、それは楽しい時間を過ごせたと自負している。コミュ障、というやつだろうか?
少し気になったことと言えば、彼女の敬語口調。それは私達がただ初対面だから……とは思えなかった。日常的にずっとだろう、と確信する。眼鏡姿も相まってか、真面目な性格を際立たせられる。
次は趣味について。彼女はどうやら機材を弄ること、そして5年前から続けているドラムが大好きなようで。聞く所によれば、最近スタジオミュージシャンとして、某事務所に採用されたらしいではないか!つまりはプロフェッショナルの一員である!「素晴らしい」拍手と共に私が賞賛の言葉を投げ放題にする度に、そんな事ないですよ、と彼女は謙遜する。少し過度すぎたのか、「フヘヘ」と独特な笑い声を上げたその頬は照れを、もしくは恥ずかしさを意味するように赤く染まっていた。
……正直、とても可愛らしい。
先程の美とはまた、違った魅力に惹き付けられる。これが友人の語っていた嗜虐心か。……私は変態なのだろうか?いや、変態か。物好きだという自覚はあるが。
順調に話が進む中、遂に事件は起こった。
「貴方のドラム、見せてもらっても?」
「ええ、勿論です!良いですよ!」
彼女はスマホを起動する。その際に、本人確認のためのパスワードを見てしまったのは言わない方が良いだろうか……多少は親しくなれたといえば聞こえは良いが、初めて会った筈の人間に対して警戒心が薄いのではないかと少し心配になる。
「えっと、はい!コレですね!」
情報に溢れるこのご時世、雑誌や動画から興味の向くまま素人程度に齧った私は、好奇心で一歩を踏み込んだ。踏み込んでしまった。
「これは……確かLudwig ──」
名前を言いかけた時、彼女の目付きが変わった。人ひとりは有った筈の私達の距離が即座に埋められる。心臓が跳ね上がり、身体の血が急速に回っていくのを感じる。ぱっちりと開いた双眸が星のように輝き、私の両の手のひらよりも熱い皮膚が触れ、雨にも奪いきれない程の熱に包まれていく。
「ご存知なんですか!?」
「……ええ、一応は」
──マズい。
私の中に眠る、センサーのような何かが警鐘を鳴らしている。高まった心臓の鼓動とは違ったリズムで。
そして、現在に至る。
最初こそ付け焼き刃の知識、湧いた興味が乗って追いつけてはいたが、どうやら私が踏み込んだのは底なしの沼のようだ。溢れる知識の中へ落ちたら最後、終始彼女のペースに呑み込まれてしまう。後半は何を言っていたかすらさっぱりで。興奮した様子の、実に嬉しそうな表情だけが脳裏に焼き付いた。
…………それでですね!こう、スネアとスティックが……はっ!」
私が思考を放棄して数分、体感としては数時間経った頃に、彼女は突然我に返ったようで。少女漫画のように暴発した真っ赤な顔には、「やってしまった」と大きく書かれている。
「すすすスミマセン!ジブン、好きな物を語る時は熱くなっちゃって……理解者もいたので、つい」
目はぐるぐる。手はわたわた。如何にも「パニック」を体現したかのような彼女を見ていたら、思わずフフ、と吹き出してしまう。「おっと、失礼」と1つ咳払い。呆気に取られた表情をする彼女もまた、魅力的に感じてしまうのは何故だろうか。
「わ、笑わないで下さいっす……おや?」
突然言葉を止め、横を向いた彼女。それに釣られる私。
ああ、そうか。彼女が何を言いたいか、私も理解した。
──気がつけば、あの鬱陶しかった雨は止んでいた。焼けかけの太陽が、眩しく、しかし優しい光で私達を照らす。美しい虹はまだ架かりそうにないけれど、それはそれで良い。
別れの時は唐突に。なんて知っていたけれども。私達はそうするべき時が来たわけだ。諸行無常、どんな事にも終わりはあって当然。
ふむ。どう声をかけたものか……ただ「さようなら」は味気無い。「また今度」?馴れ馴れしいだろうか。却下。悩んでいる私に、「あの!」とかかる声。
「また今度、機会があったら是非、お話しましょうね!」
どうやら、彼女の方が上手だったようで。彼女自身がどう思っているかは知らないが、私の言わんとしていた事を先に取られてしまった。なんだ、悩んでいた私が馬鹿みたいじゃないかと笑ってしまうな。
「あっ!なんでまた笑ったんですか!?」
「ふふ……おっと、失礼しました。私こそ、また会える日を楽しみにしてますよ?」
「どこか腑に落ちないですが……約束ですからね!」
お互いに手を振り、各々の帰るべき方向へと帰っていく私達。
今度。また今度。そう、今度か……ふふ。一度きり、雨の中のセッション。だが私は、そう遠くない未来にまた彼女に会えるだろうと、期待を混ぜつつも確信した。
────ちょっとは、ツイてた日ですかね?
沈んでいく太陽に反して、私の心は随分と浮かれていた。
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「ただいま」
誰も居ない玄関に弱った声が響く。あの軽かった足取りは何処へやら。我が身に溜まりきった疲れに支配され、すっかり水の塊になってしまった鞄と共に己の身体を投げ出した。床と私に挟まれた圧力で、服から水が染み出していくのを肌で感じながら、「ああ、後で拭かなければ」と他人事のように呟いた。
「──はっくしゅ!」
ぶるり、と震える。思えば寒空の下延々と話し続けていたんだ、無理もない。
……彼女は大丈夫だろうか。置かれた条件は私と同じなだけあって、風邪でも引いてないといいのだが。
私は鼻をすすりながら身体を起き上がらせて、さっさと風呂場へと向かう。
……あ。
「あの人の名前、聞き忘れた?」
────やっぱり、今日はツイてない。