- 第1話 関係の始まり -
担任の先生から面倒事を任された。
俺は職員室から出て静かにため息をこぼす。
窓ガラスから見える空には雲がまばらに浮かび、ほんのり赤く彩られていた。
校内は驚くほど静まっている。数時間前までは、グラウンドに響くホイッスルの音や生徒達の喋り声が聞こえたものだ。
もうすぐスポーツの夏がやって来るということもあり、どこの部活も気合いの入り方が違った。
「うげぇ……こんなに紙貼ってあんのかよ」
職員室前の掲示板に貼られたポスターや、プリントの数々。
そう、俺は今からこれを全て剥がさなければいけないのだ。
二十回。
これは俺が授業中に居眠りをした回数だ。居眠り常習犯の俺にはペナルティが課されるようになり、十回事にその罰が与えられる。
今回は、六時間目の数学で見事に二十回目の居眠りを達成。これは最後の時間に数学なんて配置した先生方が悪い。それに俺以外にも寝てるやつなんて山ほどいたのに、盛大に叱られるのは俺だけ。
「くそっ、やってられるかよ」
苛立ちは最高潮。その怒りの矛先は、今現在剥がされている紙達に向けられている。
普通なら四つ角に刺された画鋲を丁寧に取ってその後に紙を取るが、画鋲は取らずそのまま横から紙を破る。
どうせ捨てる紙だ。後でシュレッダーか何かでビリビリに破かれるなら、ここで俺が破こうが問題はないだろ。
物に当たるな。とはよく言うが、今くらいは目をつぶってほしいものだ。
しかし、あまりにも音を立てすぎたせいか先生が職員室から顔を出した。
「おい、
「さーせんっした〜」
ストレス解消の邪魔をされたのが気に食わず、たっぷり皮肉を込めた謝罪をする。
そんな俺の態度に意を唱えたそうにしているが、俺なんかに構ってる暇はないのだろう。渋々と言った様子で職員室の中に戻って行った。
「バックれないだけまだマシだと思ってほしいもんだよ」
居眠りチェックは、決して俺だけが受けてるわけじゃない。他にも同じように授業中に居眠りを繰り返す輩もいるし、視野を広げれば先輩にもいたりする。
その中には、少なからず罰を受けない者。サボる者が存在する。そいつらには後でもっとキツい罰を与えるそうだが、俺はそうなりたくないので黙って罰を受けているのだ。
だったらまず居眠りを辞めろとつっこまれること間違いなしだな。
「これで……最後」
残り一枚を乱暴に剥がし、掲示板はすっかりその元の緑色をさらけ出していた。
先生には、終わったら戻ってよしと言われてる為、手に握られた紙たちを潰して丸める。
教室のゴミ箱にでも捨てていこう。そう思い、俺は足を運んだ。
そこで不思議なものを見た。
横に連なる教室。他は教室の扉が全開に開いているのに、一クラスだけ締め切られている教室があった。
「? 誰か残ってんのかな」
日が暮れるにつれて、蒸し暑さも和らぎはするが風通しを良くした方がいいはず。なのに全部締め切ってるということは、外からは見られたくないのだろうか。
なんにせよ、教室には俺のカバンが置いたままだ。それを取らなければ帰ることが出来ないので、中にいる人には悪いけど入らせてもらおう。
ほんの少しだけ隙間が開いていたが、気にせず手を伸ばし
────扉に手をかけた瞬間、体が動かなくなった。
必死に押し殺す声。上気した頬。ガタッと音を立てる机。布が擦れる摩擦音。
────俺は見てしまった。
締め切った教室には一陣の風すらも入る余地がない。だが、光は差し込む。夕陽の眩しさはカーテンで遮られているが、それでも全てを防げるわけもない。
だからこそ、扉の隙間から見える光景に俺の目は釘付けだった。
覗くのをやめろと自分に問いかけるが、言うことを聞かない。それはまるで、おもちゃを買ってもらえずその場で駄々をこねる子供の様。
隙間から見える行為については、それなりに知っていた。中学生のくせにと思われるだろうが、友人の兄が持っていたいかがわしい本に載っていてそれで知っているだけだ。
それにしても……空想の中だけだと思っていた事が、いざこうやって目の前で起きてると思うと、ここが現実か夢か分からなくなってしまう。
それでも今の俺にとってはどうでもいい事だ。思春期真っ只中の俺にとってこれは貴重な体験に変わりない。
もしここで見るのやめたら、次……いや、この先見ることが出来るだろうか?
まだ見たことのないものに惹かれる。それはまさしく人間の性だ。抗う事なんてできない永遠の拘束。
「…………んっ」
「────っ!?」
あ、危ない危ない。もう少しで音を出してしまうところだった。熱の篭った吐息に釣られるように、俺の肩がピクリと上下する。
隙間から見える少女は、“見覚えがあった”。それもそのはず、彼女は同じクラスに属する女子であり、また学級委員長でもあるのだ。
そうと分かると尚更、今目にしてる状況がさらに理解不能になってくる。
委員長という名に恥じない頭の良さで、いつもテストでは上位。クラス内だけでなく、他クラスの生徒からも支持されてる言わば理想の優等生。
そんな優等生である彼女が、それらしかぬ行為を行っている。
考えれば考えるほど、真相は奥深くまで沈んでいき、その間にも教室内の彼女は快感を得るため夢中で一つの動作を繰り返す。
「…………はぁ、はぁ……」
運動をして疲れた時に吐く息とは違い、聴いた男達を魅了する不思議なオーラを纏った吐息。
やっと終わってくれたか……と安堵したのもつかの間、彼女は再び事を始めてしまった。
誰かが来る可能性を一%でも考えていないのだろうか。いくら放課後でほとんどの生徒が帰ったからといって、誰もいないなんて保証はない。生徒じゃなくても、誰か残っていないか見回りをしに来る先生だっているのだ。
もしこれを見たのが俺以外の男だったらと思うと、本人でないにしてもゾッとする。
よくあるだろ、バラされたくなかったら〜とか言ってヤられるやつ。まぁ、この知識も友人の兄経由なんだけど。
「…………とも、き……はぁ……んっ、さ……ん」
ともき……確か同じクラスにそんな名前のやつがいたような…………あぁ、俺の前の席だ。
スポーツ万能、成績優秀、頼れる存在、そしてイケメン。非の打ち所のない男だ。同じ中学生なのにどうして差ができたというほど信じられないくらい完璧な奴で、同級生の女子がほとんどかっさらわれた。
そんな男の名前を出しながら行為に耽ってる委員長。そこから導き出される答えなど、サルでも容易に出る。
委員長は現在進行形で、恋をしてるわけだ。それもかなりの重度のな。
まぁ、委員長は普通に美人寄りの可愛さだし、スタイルもいいし、これまた非の打ち所のない女性だ。
……案外お似合いかもな。
────そう思った瞬間にチクリとどこか痛くなった気がした。
むしゃくしゃする。心の奥底が真っ黒く染まっていき、フツフツと何かが湧き上がってくる。
なんで俺、イラついてんだろ。
当たり前のことを思っただけなのになんでこんなに嫌になってんだよ。
……わけがわかんねぇ。
あんなの見るんじゃなかった。聞くんじゃなかった。知らなければよかった。
ガタッ
「────っ!? だ、だれ!」
考えに集中しすぎて思わず扉にもたれかかってしまったようだ。
その影響で音が教室内にも届き、驚いた彼女はすぐに行為をやめてくれた。
もはややり過ごすなんて状況じゃなくなった……ということだけは分かる。
俺は意を決して隙間をこじ開け、その姿を表した。
「遠藤……さん?」
「……」
こういった時、一体どういう顔をしたらいいのか。これじゃまるで、息子が一人で自家発電をしてるのを目撃してしまった母親だ。
世の母達はどう乗り越えたのだろう。検討もつかない俺はただ、苦笑を浮かべるだけだった。
「ど、どうし……て」
「その……委員長も知ってるだろうけどさっきまで先生に仕事頼まれてたんだよ」
「あ、あぁ……居眠りで」
「そうそう、それ」
正直、かなり辛い。
これが勉強してる所に鉢合わせた。という場面ならばもう少し楽なんだが、圧倒的に場数を踏んでないレベル1の勇者には、この城はデカすぎる。
「委員長は、まだ帰ってなかったんだ」
「え、えぇ。少し用事があったので……」
「そっか」
「……」
「…………」
会話が終わった……。補足しておくと、俺と委員長はこれまで大した接点は全くない。それ故に話題なんて何一つないのだ。
「そこ、座っていいか……?」
「ど、どうぞ」
極力委員長が使っていた机から二つ三つ離れた所に座る。委員長も火照った顔の赤らみが引いてきたのか、すました顔で椅子に腰を下ろす。
思えばなぜ、このままカバンを取って帰ろうとしなかったのだろう。
その考えが浮かぶにはほんの少し遅かったため、今、俺は完全にタイミングを逃したようだ。
「いやー、今日も暑いな!」
「……」
「もうすぐ夏だもんな。今年は猛暑が続きそうだ」
「……」
「こんな暑い日に先生の奴、掲示板のいらないプリント剥がしなんかさせやがってさー」
「……」
「う……」
助けてください。
この教室内にはいない第三者に希望の無い助けを求める。が、帰ってくるのはカーテンが揺れる音と空を飛び回るカラスの鳴き声だけ。
いくら話しかけようとも委員長は、下を俯くばかり。今すぐにでもここから逃げ出したい思いでいっぱいだった。
「あ、あと「……あの」は、はい」
委員長に話を遮られた。それは、“もう無理して話を続けなくてもいい”と言われているようだった。
「……どこから見ていましたか」
「ど、どこからとおっしゃいますと……?」
「見ていたんですよね。違ったらごめんなさい」
「え、えと……」
これはどうするべきだろう。
本当の事を言うべきなのか、はたまたさっき来たばかりだと嘘をつくべきか。
おそらく、委員長のためを思うなら嘘をつくべきなのだろう。見られたと知ったら、きっとショックを受けるはず。
「さっき来たばかり……です」
「嘘ですね」
もうバレた!!!
しかも迷いも何も無く、堂々と私は間違っていないとでも言いたげに発言したぞ。
これで嘘じゃない、なんて言い返せるほどの度胸は俺にはなかったし、どこか元から隠し通せないだろうと思ってた節もあった。
「ハイ、ミテマシタ」
「急に大人しくなりましたね」
俺の変わりようがおかしいのか委員長はクスッと微笑み、さらに表情が柔らかくなっていた。
「それでなんですが、どこから見てましたか? 正直に答えてください」
「はい、はい。……えと、一回目の途中……くらいからです」
「そ、そんなに前から……」
「申し訳ない」
ただ謝ることしかできなかった。事故とはいえ、プライバシーに関わるものを見てしまったのだから。
「いえ、私が迂闊でした。ですからあなたが謝ることはありません」
「でもその……見ちゃったし」
「い、言わないでください。恥ずかしいので……」
「悪い」
話が進むたびにどんどんと罪悪感が募ってくる。というか進んでると言うより、永遠と続く一本道をただ進んでるようにしか思えないが。
俺はこのまま、話が終わる。そう思っていたのだが、神様はどうやら終わらせてくれないようだ。
「もしかして、最初から見てたということは……あ、あああれも聞いたんですか!?」
あれ。と聞かれてすぐに分かった。
「隠してもしょうがない……よな。うん、聞いた」
「!! あれはその……」
「好きなんだろ?」
食い気味にそう答える。その時、不思議と俺の声は強ばっていた。
「え、えと…………はい」
「……そっか。いつから?」
「入学して一年の時です。偶然同じクラスになってその時も委員長を任されたのですが、初めてで仕事もままならない頃よく手助けをしてくれて……」
「ふーん」
要するに委員長はあいつの優しさに惚れた……と。男が聞いてると実に面白くない話だった。
でも、話してる時の委員長はとても可愛く、恋する乙女は無敵というのはこういうことなのかと納得してしまった。
「委員長のイメージがかなり変わったな」
「そ、そうですか……?」
「もうちょっと頑固で、恋とかそういうのにうつつを抜かさない人かと」
「それじゃまるで、私が機械みたいじゃないですか」
サイボーグ委員長なんて名前が一瞬浮かんだが、口にするのはやめておこう。
「俺が見てる委員長は、いつもそんな感じだ」
「そんなふうに見えてたんですか……いつも寝てるようで、実はちゃんと人を見てるんですね」
「た、たまたまだ」
「今、私もあなたへのイメージが変わりました」
「えっ」
「いつもつまらなさそうに皆から一歩引いた場所に立ち傍観者となり、周りとの間に壁を作り孤立している寂しそうな人だった」
何一つ間違ってない。当たりだ。
「でも、今日こうやって話してわかりました。あなたは傍観者なんかじゃなく、周りに気を配りよく人を見ている。優しい人なんですね」
「委員長。それは過大評価しすぎですよ」
「間違っていません。それがあなたです」
「断言されちゃったな……」
「自分で言うのもあれですが、人を見る目はそれなりにあると思いますよ。私」
合ってるかはともかくとして、委員長は本当に凄い人だと思う。
普段、クラスの中でも一際存在感を薄めていて、同じクラスの奴と話すのだって今委員長と話したのが初めてなんじゃないかってほど話さない俺。
そんな俺とたった数十分話しただけで、ここまで言えるのだ。人を見る目はあるというのはあながち嘘じゃない。
「まぁ、
「なっ!? か、彼の話はしないでください! それと、今日ここであった事は絶対に言いふらさないでください!!」
「そ、そんなに圧をかけなくても言わないし。それに、俺が言いふらしたところで受け流されるのが普通だろ」
「そうでしょうか……」
委員長も知ってると思うが、同じ二年で俺の地位なんて圏外レベルだ。貼り紙とか使って誰が貼ったか分からないとかなら信じたり、噂になったりはするだろう。
が、まず写真を撮っていないし証言で何かができるわけもない。
それに、
────この人には悲しい表情はさせたくない。
「まぁ、今日の事を使って委員長を脅す……なんてこともできるわけだが」
「…………」
「冗談、冗談だって。そんな怖い顔するなよ」
「あなたの冗談は冗談に聞こえません」
「そりゃあ付き合いも短いしな」
「普段もそんな感じでいればいいんじゃないですか? そうすればクラスにだって……」
「溶け込める。そう言いたいのか?」
それくらい俺だって分かっている。しかしもう遅い。クラスはすでにいくつかのグループに分かれ、そのどこかに一人入るだけで崩れる。
グループというのはそういうものだ。一見、強固に見えてもどこかに必ずヒビが入ってる。
「俺はこのままでいいんだよ」
「寂しくないんですか?」
「中学の時の友人なんてそんなに長い付き合いにならないさ。高校からが本番だろ」
「そういう考え方もあるんですね」
「ああ。参考にするか?」
「しません。ただ、そんな考え方があるんだということくらいは覚えておきます。そして今決めました」
すると委員長は立ち上がり、二つ挟まれた机を通り過ぎ、俺が座る椅子の前までやってきた。
「これからあなたを監視します」
仁王立ちでそう宣言する委員長。突然の事でまるで意味が分からなかった。
「ど、どういう意味……でしょうか」
「そのままの意味です。あなたが私の秘密をバラさない保証がない以上、私自身が見張るしかないでしょう」
「は、はぁ!?」
「ということで、明日からよろしくお願い致します。遠藤友希さん」
こうして……
俺、遠藤友希と委員長、