- 第12話 変化の兆し -
「なぁ、委員長」
「気にしないでください」
登校してきた途端、俺が見たのはびしょ濡れになった委員長だった。経由が何も分からない俺は、その場で棒立ちになり経由を知ってるであろう他の奴らまでも固まっていた。
しかしこんなことを黙っている奴がいないことは承知のはず……と、思っていたのだが
なら俺はどうなのかと聞かれると、普通に来れる。メンタルがここ最近で鍛えられたかもしれない。
結局、あの後やってきた担任によって紗夜は保健室に連れていくことになり、今日一日はジャージということになった。
そして黒板のこと、机のことには一切触れないでくれた。俺自身それを嫌ったからであって、決して見ないふりをしたわけじゃない。
普段は人使い荒いが、こういう時は人一倍頼りになる先生だ。
そして今、俺は椅子に座り目の前のカーテンを見つめていた。その先には着替え中の紗夜がいる。やましい気持ちは微塵もない。ほんとやましい気持ちは微塵もない。
「……」
「……」
俺たちの間に会話ない。さらには互いの顔が見えないというのも関係しているが、それも仕方がないことだとは重々承知だ。
相手がアレであれ俺は紗夜が好意を持つ奴を殴った。しかも
そんな暴力野郎と好き好んで話をしようなどと考えるやつは、相当の馬鹿か、ずば抜けたお人好しくらいだろ。
きっと──委員長はお人好しなんだ。
「……あなたが暴力を働いたことはもう知れ渡っています」
「あのやられようを見たらそうだろうと思ったよ。殴ったのが原因だろ」
「はい……。あのことはあの場にいた私たちと先生しか知らないはずです。かといって、その中で広めようとする人がいるはずもない」
委員長には到底解けるはずもない謎だ。
おそらく、広めたのは被害者である友輝自身だと俺は考えてる。俺の机の落書きは今朝作られたもので間違いないし、その前に書くとなると放課後わざわざ学校に来て書いたことになるので、それは間違いなく無い。
何らかの方法で広めた……もしくは。
「委員長が来た時にはもうボロボロだったか?」
「……ええ。書き終わるところだったわ……ごめんなさい止められなくて」
俺が来た時、ドアの近くに委員長の鞄が置いていた。それもただ置いたんじゃない────投げ捨ててあった。
「落書きなんてどうってことないさ。それよりも……水止めてくれてありがとう」
「……彼を殴ったことは許せなかったわ。でも、それであんなことをするのは間違ってる。き……気がついたら体が動いてたのよ」
「そっか」
どこまでも優しく、お人好しで自分に厳しく生きている。誰しもが当たり前だと思い込んでる中で、“違う”と言えるその強さはみんなが持ってるわけじゃない。自身の心に正直に生きてるのが彼女なのだ、正直者が馬鹿を見る世界なんて間違ってる。
この人は幸せになるべきだ。
だからこそ、俺はあいつを許さない。
「委員長」
「なに」
「今日は早退するわ」
「えっ……」
「悪いけど先生に伝えといてくれ。熱と吐き気と頭痛がするとか言ってなんかいい理由付けといてくれ!」
「ちょ、ちょっと!!」
俺が保健室を出ていくと、後を追うようにカーテンが開かれる音が聞こえてきた。
「あんまり暗い話は好きじゃないんだ」
カーテンの向こう側にいた彼女はきっと暗い顔をしていた。そんな顔はもう見たくない。次に見る時には……
「笑顔、だな」
「────行くのか?」
玄関で鉢合わせたのはアキだった。
「アキ……お前今日休んだんじゃ」
「やっぱ来ようと思ってさ。友希は何? これからサボりか」
「ちょっくら遊びにね」
「ほどほどにしとけよ? 俺が言えたもんじゃないけど」
苦笑を向けるアキだが、本当は俺が何をしに行くのか知っている。だが、今くらいは普通の悪ガキの会話をしていたいんだ。
「なぁ、アキ」
「んあ?」
「お前は馬鹿だけど良い奴だ」
「今頃気づいたのか? 親友」
「俺は鈍感なんだよ。そんじゃ、時間も惜しいんで行くわ。じゃな、親友」
あまり長居すると委員長に捕まる可能性もあった。もしアキが鉢合わせたらご愁傷様としか言えないが、時間稼ぎと囮にはなったから感謝しよう。
「……ったく、鈍感なやつが恋心に気づいてその子のために体張るなんて所まで行くわけないだろ……馬鹿野郎」
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昨日の放課後の出来事が頭を離れず、憂鬱な朝だった。それでもクラスの委員長として休むわけには行かないと自分に言い聞かせ、学校の門をくぐる。
靴箱から上靴を取り出し、外靴と履き替える。その間にも何人かに挨拶された。あまり話したことのない人もいたけれどきちんと返す。ほとんどが私と同じ女子で、少しでも男子が入ってこようものなら突き飛ばす勢いだったのは驚いた。
ここ最近はいつもこうだ。
掲示板に貼られた一件からか、よく同情されるようになった。決して居心地の悪いものではなく裏表のない単純なそれで、心配以外の感情がないものだった。
それが邪魔だと言うつもりは無く、気持ちはとても嬉しい。でも、そこから見えてくることもある。
私は弱い。
そう周りに思われてしまっている。ここでの弱いとは、力を指すわけではなくて、心の問題。
誰かが支えてあげないと脆く崩れてしまう。そんな心の弱さを氷川紗夜という人間は持っている。だから、同じ女である自分たちが支えてあげよう。
だけどそうなるのは、そもそも私があの時塞ぎ込んだのが原因。その結果……あの人も大変な目に合わせてしまった。
────遠藤君。
彼と初めて話した時は、恥ずかしさで頭がいっぱいだった。私の不注意……というより全部私が悪いのだけど、それで彼に見られたくない姿を見られてしまい、挙句の果てには監視するなんてわけのわからないことを言って困惑させてしまった。
でもそれがきっかけで私は彼に興味が湧いた。
一年の時から友輝君に好意を持っていたけど、遠藤君へはそれとはまた違う感情。
だからだろうか、次の日の朝に私は遠藤君に挨拶をした。彼はとても驚いていたけどちゃんと挨拶を返してくれて、もし無視されでもしたらどうしようかと悩んでいたのがおかしくなった。
でもその後に遠藤君から指摘されて、私の行動が迂闊すぎたことを改めて気づく。彼が驚いていた意味がやっとわかった。
彼はとても優しい。
普段は人に無関心な顔をしてるけど、誰よりも周りを見てる。委員長の私なんか比べ物にならないほど周りのことを知っていて、例えそれが偏見からのものであってもすごいことだと思う。
普通なら興味のない者なんて見向きもしないし、気にしようなんて思わないのがそうだ。
私も彼と秘密を共有なんてする事にならなければ彼なんて見向きもしなかった。挨拶なんてしなかった。
結局、委員長なんて肩書きがあっても一人ひとりをまとめる事なんてできてない。だって知ろうとしてないから。
私が持っていないものを彼は持っていた。
だから惹かれた。
いつしか遠藤君との時間が心地よいと感じていくようになった。
体育でケガをして保健室で話した時も、屋上で倒れたと先輩に聞き保健室で看病した時も、ずぶ濡れになって保健室で着替えた時もそうよ……。
……って、彼との接点ってほとんど保健室じゃない。
でも、いつだって二人きりの空間だった。誰の横槍も入らない穏やかな空気、遠藤君とだから作れる時間。
友輝君が好き、でも遠藤君も────この状況を『罪な女』なんてメルヘンチックに語る方もいるのだろう。
でもきっと、私は『クズ』と呼ばれて当然だ。どちらかを選ばなきゃいけない、もしくはどちらも諦める。
そんな葛藤をしている時にあんなことが起こってしまった。
遠藤君が友輝君に暴力を振るった。何が起こったのか全く理解できなかった。
本能的に動いた体が向かったのは……友輝君のもと。
傍から見れば普通のこと。怪我を負った人を心配するのは普通。だけどそれだけじゃない……
────私は怖くなった。遠藤君が、彼の気持ちが。
きっとあの時、遠藤君にやる気なんて……危害を加えるつもりなんて無かった。それは遠藤君の目から伝わったけど、だからこそ考えが読めなかった。
いつもみんなから何を言われようと怒ることもせず、ただ流していた遠藤君。そんな彼の芯の強さにも惹かれていたのに、なぜあの時だけその芯が砕けたのか。
だから、もしかしたら知らぬ間に拒絶の目を彼に向けていたのかもしれない。彼の真意を問うこともせず、ただその場の感情に身を任せて拒絶した。
そして後から気づく。
遠藤君は感情に身を任せたんじゃないかと。一時の怒り、自分じゃない誰かのために……。
『あいつ、友輝君に手出したってマジ?』
『マジマジ。友輝君を殴るとかあんまりだよね』
『それほんとなの?』
『昨日の夜に友輝君からメッセ来てさ、今日休むことと一緒に理由聞いたら教えてくれたのよ』
『こいつすぐそれ拡散してたんだけど見なかったの?』
ああ、朝からもう話題になってる。
私も質問攻めされるのかしらね。でも私の口から話すこともないし、どちらが悪いなんてことも言えない。
そう、いつもの私でいればいい。
いつもように何食わぬ顔で教室に入って席に座る。そして授業の準備、予習をしていればいい。
『てかさ、これいくらなんでもやりすぎじゃね?』
扉を開ける手が止まる。
『あんな隅っこのゴミみたいなやつに手加減なんてする必要ないっての』
『それ言えてる〜。友輝君殴るとかマジ猿以下でしょ。人間様ナメるなって感じー?』
『きっと友輝君は優しいから許しちゃうかもしれないし、私たちがしっかりボコらないと。お、こいつの教科書入ってんじゃん! ねぇ、誰かのり持ってね?』
あの人たちは何を言ってるの……?
足が動かない。あの中に、教室の中に入るのがたまらなく怖い。
友輝君のため? 違う……。そんなの敵討ちでも人のためでもない。ただの遠藤君への八つ当たり。いじめだ。
『……おは、よう』
『お、紗夜じゃん。はよー』
『紗夜もどう? あいつに恨みあるでしょ? あのーなんだっけ、まぁいいや』
『テキトーすぎじゃん。はい、バケツに水汲んできたよ』
『……な、何するの』
『なにって、あいつの席にぶっかけるに決まってんじゃん。しゃぁ、いっきまーす!!』
こんなの絶対おかしい。おかしいおかしいおかしいおかしいおかしい。
なんで私は止まってみてるの。動いてよ、動いて!!!
委員長だからとか、知り合いだとかどうでもいい。今止めなきゃ私は人ですらいられない、いちゃいけないの。
────だから……!!!
『さ、さよ……あんた。な、なに……してんのよ』
…………。
私は人でいられる? あなたを好きでいていい?
一年の時から持っていた気持ち────
*
「遠藤君……」
まるで最初から誰もいなかったかのような保健室に、私は取り残されていた。
彼の言葉が耳に残る。
覚悟を決めたかのような彼の決意が伝わった気がした。きっと今から何かとの因縁を切ろうとしてる。……なぜか、その結果が私に影響するそんな気がしてならない。
彼の温もりが残る椅子に座り窓越しの外を眺めると、まばらに浮かぶ雲、その隙間から覗く青空。
最後に残るのはどっちか……。