- 第4話 噂の二人 -
「よし、これでいいぞ」
保健室に着いたはいいが、保健室の先生が不在だったため勝手に物色させてもらった。
「意外と器用なのね」
「これでも色々と親に教えこまれてるからな。どうする? 体育館戻るか?」
「……あんなのを見られて戻れるわけないじゃない」
ああ、と頷く俺。
お姫様抱っこはまずかったかな。しかし、おんぶするのも結局同じ反応だったのではないかと思ってしまう。
足を捻って立てなかったから仕方なくやった。という理由で、収まるほど女子の興奮というのは甘くない。
それに、椅子に深々と座る委員長を見るに戻る気は全くないようだ。
「あなたこそ、戻らなくていいの?」
「俺はいいんだよ。戻ったところで見てるだけだし」
「そういえばジャージ忘れたのね」
「……ああ」
あんたのせいだよ。なんて言えるわけもない。間接的に関わってると言えば関わっているが、それに気を取られて忘れたのは俺自身だ。
声にできない考えが頭をよぎり過ぎた事で、思わず素っ気ない返しをしてしまった。
……ここは本当に何も無い。
たくさんの道具が置いてあるのにそんな感想が出てきた。ここまでじっくりと保健室の中を見たのは、小学校低学年以来だろうか。外で遊んでいた時に、転んで膝を擦りむいたことがある。あの時は初めての保健室で、ワクワクや痛みでわけがわからなくなっていた気がする。
それから何度もお世話になることがあって、中学に入ってからは今回が初めてだった。
もちろん、どこに何があるかなんて分からなかった俺は、委員長から場所を教えてもらった。なぜ知っていたのかと問うと「こういう時に便利だから」らしい。それが果たして委員長だから覚えたのか、氷川紗夜という人の性格が覚えさせたのか……どちらにしても俺には、ただ助かった。という感想しか生まれないのだ。
沈黙が続く中、先に口を開いたのは委員長だった。
「……さっきはありがとう」
ボソッと呟いた。
「どうってことないよ」
「それでもありがとう」
「やけに感謝を押し付けるよな……俺が運んだのなんて偶然だよ」
あの場には委員長を保健室まで連れていける人がたくさんいた。先生が俺を指名するまでに、自分が連れていこうと決めていた女子が少なからずいた。
つまり俺が連れてきたのは偶然、たまたまなのだ。
「立てない私を連れてこれたのは、あの場ではあなただけだった。それでも偶然だって言える?」
「俺がジャージを忘れたからだろ」
「もう……素直に受け取りなさい」
「はいはい、じゃあこの話は終わりだな」
「あ、逃げたわね……」
こういう時は男が先に折れておくのが一番だと親父が言っていた。我が家のしょうもない夫婦げんかがすぐ終わるのは、これがあるからなのだろうな。
しかし、男には折れてはいけない時があるとも聞いた。使いどころがあるなんて、つくづく男という生き物は生きるのも難しいらしい。
「なぁ、委員長。今日の朝の事だけど、なんで挨拶なんてしたんだよ」
「なんでって……挨拶して何か悪いの?」
「……周りが不思議に思わないわけが無い」
「ただクラスメイトに挨拶をしただけじゃない」
「それじゃ、委員長が今までで一度でも俺と挨拶を交わしたか?」
「……ないわね」
ハッとした顔の委員長。
やっと気づいてくれたらしいが、まだその危険性に気づいてない様子。
「それに、今クラスで俺と委員長が付き合ってるとか噂できてるぞ」
「は、はぁ……!? ど、どうして」
これも集団教育の醍醐味で、クラスに一人は必ず存在する噂好きの奴。そいつがうちのクラスにもいたらしく、噂を流したんだろう。
最初は、不思議に思うだけだったのが、そいつが「二人は付き合ってるんじゃない?」などと付け加えたことにより、今の噂が完成したのだと予想する。
「噂の一人歩きほど怖いものはないからな」
「だからってそんなことになるなんて……」
「おそらく女子だろう。女子はこういうことになると発想がとんでもないからな」
「ごめんなさい……」
「なんで委員長が謝るんだよ」
同じ女子としてなんだろうか、それともフった意味でのごめんなさいなのか。
俯く委員長の表情は、未だ見えない。
「俺は噂は気にしないよ。人の噂も七十五日って言うだろ?」
「しかし……」
「それに俺は嬉しいよ。委員長綺麗で可愛いし、そんな子と噂になれるなんて一生に一度……だったりして」
「……どうしてあなたはそんなことを平然と言えるのよ……」
額を抑え、中身は聞こえなかったがポツリと呟く委員長。果たして呆れられてしまったのだろうか。
ほんのりと赤い頬がチラつくが、答えてはくれない。
「なんか言ったか?」
「いいえ、なんでもないわ」
「そっか」
「とにかく、噂に関しては無視の姿勢でいいのね」
「それがいいと思う。変に誤解を解こうと動けば、それが返って怪しまれる原因となるからな」
俺たちが何も動かず、それらしい会話も見受けられないとなれば、あの噂は事実ではなかった。となるはずだ。
しかし、それでも解決しない時もある。どこまでも発想豊かな女子が稀に潜んでいた時だ。
あいつらは、どんなことでも脳をフル回転させて、とんでも発想を浮かばせることができる。そいつらがいたとするなら、この“無視を徹底する”も逆効果になりうるのだ。
「でも、もしこれが無理なら……」
「む、無理なら……?」
「委員長が友輝に告白する」
「なるほど…………は、はぁっ!? ど、どうしてわ、私が!!」
突然ワタワタとし始めた。ここまで取り乱す委員長を見るのは二度目……かもしれない。
「だって委員長が好きな奴がはっきりすれば噂だって信用を無くすだろ?」
「だ、だからって……」
「ん? もしかしてフラれるかも……なんて思ってる?」
「と、当然じゃない」
「ありえないありえない。委員長に告られて断るやつなんてよほどの馬鹿だぞ?」
男が好き〜とか、普通の人間に興味が無い〜とかじゃない限りは、委員長に告られて断る男はいないと思うんだよな。
────友輝はどうなんだろう。
あいつは果たして受け取るのだろうか。それとも、またいいように操って関係を維持するのか。
もし、委員長に対しても同じようなことをするのであるなら、俺はきっと平然を装うことなどできないかもしれない。
その場を考えただけでもフツフツと何かが湧き上がる。
それが怒りなのか、あるいは……
「もっと自分に自信もった方がいいんじゃない?」
「……そんなに簡単にいかないのよ」
とても、とても重い言葉だった。同い年とは思えないような、深みのある言葉。
女子というのは、男よりも大人になるのが早い。考え方も物への関心も何もかも女子の方が上だ。もちろん例外はあるが。
「わ、悪い。ノリ軽すぎたわ。恋って一番大事な気持ちなのに他の奴がとやかく言える資格ないもんな」
「あ……いや、私の方こそごめんなさい。勇気づけてくれたのよね」
照れくさくなって、俺は頭の後ろを右手で撫でる。
しかし……調子が出ない。普段ならもうちょっと俺がリードして話せるんだが、委員長相手だと上手くいかなくなっちまう。
「この話はもうやめだやめ。こういう話はあんまり慣れてないんだ」
「……ふふっ」
「? なんかおかしかったか?」
「いえ、ずっと頑張って話を繋げていたのだと思うとつい」
「あんまり笑うなよ……」
この人には一生勝てそうで勝てないんだろうな。どんなにリードしたって最後にはひっくり返される、
……ふっ、まるでオセロだな。
幼い頃に妹とやったオセロで、終盤でほぼ全部ひっくり返された時を思い出してしまった。
あれは悪夢だったな。
それ以来、オセロは全くやってもいないし触ってもいないが、久しぶりに触ってみようかな。
「それにしても委員長ってバレー上手いんだな」
「運動系はそれなりに基本は身についてますから。覚えたてでも少し練習すればできるようになります」
「委員長はあれだな。“天才”ってやつなのかもな」
「…………そうでしょうか」
なんでも出来て、それでいて綺麗で、人なんか恨んだことないような委員長は、白黒で例えるなら“白”なんだろう。
「さて、もうすぐ授業が終わる頃でしょうから更衣室に戻りましょう」
「あ、あぁ。そうだな」
────白を黒く塗りつぶしたい。
そう思ってしまった俺は、きっと悪だ。委員長は何色にも染まらない白でなければならない。
でももし、他の誰かの色に染まるのなら……
「行かないの?」
「……ごめん」
いろいろな感情が混ざったごめんは、響くこと無く空気に混ざり消えていった。
馬鹿な考えはよそう。頭を振り気持ちを改め、俺は保健室を出た。
*
「友希〜帰ろうぜ!」
「……あれ、もうそんな時間?」
なんと俺の記憶は、六時間目に備えて授業の用意をしたところで切れていた。これが示すのはズバリ、また眠ってしまったということだ。
「いつもより長いお休みのようだったな〜?」
「授業丸々は初めてだな」
「昨日何時に寝たんだ?」
「夜の十時には寝てた」
「それで学校でも寝れるって……ある意味すごいな」
自分でも不思議に思うことはある。夜中遅くまで起きているのでは? と先生に疑われることは多々あった。そうかもしれないといつも十時就寝だったのを九時……八時と早めていったが、それでも変わることは無かった。
「なんかの呪いだったりしてな!」
「やめろって、ほんとにそうだったらどうすんだよ……」
「教会に行って呪いを解いてもらう」
「近くに教会ないのにどうしろと……「ねぇ」……ん、なんだ」
悩んでいたところに後ろから声をかけられ、声の主の方を向く。するとやはりと言ってはなんだが、俺に声をかけてくる女子なんて一人しかいないわけで、案の定委員長だった。
「一緒に帰りましょ」
「…………ふぁ?」
「聞こえなかったの? 一緒に帰りましょうと言ったのよ」
「こ、これは……修羅場なのか! 友希もついに……」
アキがなんか言ってるが無視だ。
しかしこれは非常にまずい。ただでさえ体育の時のことがあるというのに、一緒に帰るなんてしたらますます噂の流れるスピードが加速するばかりだぞ。
俺は委員長以外の周りに聞こえない程度の音量で問いかける。
「……なんでこのタイミングなんだよ」
「……あ、あなたがいつ私の秘密を口にしてしまうか分かったものじゃないから帰りも一緒にと……」
「……それがダメなんだよ! これじゃ、噂は真実ですよって言ってるようなものだろが」
「あ……」
委員長って意外とポンコツだったりするのだろうか。
天然……というわけではないのだが、いざとなると急にポンコツになるところとか、多分あの時のことをすっかり忘れてたんだろう。
その証拠に委員長は、照れ始めたのだから。
「それじゃ、蚊帳の外の俺は気にせず後はお二人で……」
「逃がすか!!」
「な、なんだよ! てか服つかむな伸びちゃうだろ!」
「……(助けてください)」
目で訴えかけたのだが、意図は全く分かってないようだ。
「……ほ、ほら行きますよ!」
「い、いゃ……」
小さな悲鳴をあげ、アキにしがみつく俺だったが、二人から引き剥がしをされ、教室から引きずり出された。
「あの二人って……どんな関係なんだ……?」
残されたアキの困惑した顔をうっすらと眺めながら、俺は望まぬ帰宅をするのだった。