- 第5話 早起き -
憂鬱な朝はいつだってやってくる。
それはいついかなる時だってそうだ。世界のどこにいても朝が来て、昼が過ぎ夜が来る。
その流れを覆すことなどありえない。人一人の気持ちだけでそれができるなんてなおさら無理だ。
だからこうして俺は布団から顔を出し、ボヤける天井を見つめていた。
口の中が乾燥する。何か飲みに行こうと体に乗っかっている布団をどけて、ベッドから足を出す。寝起きの体にはキツかったのか、軸がしっかりとしない。頭から倒れそうになるもしっかりと踏ん張り、まっすぐと立つ。
不安げな足取りで一階のリビングに向かった俺は、キッチンに置かれた冷蔵庫から水を取り出しコップに注ぐ。
ふと壁に掛けられた時計が見えた。今の時刻は午前五時。そして今日は土曜日、世の学生ほとんどが休日となる。今だから当たり前のようになっている土曜の休みだが、昔は無かった辺り幸せな時代に生まれたとそう思うべきだろう。
「そっか、今日土曜か」
頭の隅っこで夏海が起こしに来なかった理由を考えていたのだが、今その理由が分かった。
基本、夏海は休日には起こしに来ない。休日の朝はのんびりとしたいという兄である俺の思考と同じなのだろう。そこはさすが兄妹と言うべきか。
コップに注いだ水を一通り飲み干し、台所にコップを置いておく。
もう一度寝ようか。このまま起きていようか。五時という微妙な時間に起きてしまった者の悩ましい選択肢と言えよう。
「……散歩でもするか」
悩んだ末に出た案だった。
そうと決まると行動は早く、リビングから自室へと足を動かしていた。
日課というわけでもなければ、何か理由があるわけでもない外出だ。こんな事、小学生の頃はあまりなかった。唯一、朝早く起きて外に出たことがあるとすれば、夏休み中の朝のラジオ体操くらいかもしれない。
あの当時、俺は毎日通っていた。コツコツと溜まっていくスタンプを眺めているだけでも楽しかったあの頃がすごく懐かしい。
────今年の夏休み、通ってみようかな。
中学生に上がってしまった俺には、あのスタンプは貰うことができないが、あの頃の気分を味わうだけなら体操だけでいいだろう。
ちびっこ達に紛れてというのも少し恥ずかしい気もするが、よく大人達や近所のおじちゃんおばちゃんが来ていたのを覚えている。そこに中学生の坊主が入るだけで、どこも不思議ではない。
部屋に戻ってくると、すぐさま部屋着を脱ぎ捨てTシャツにパーカー、下は半ズボンというラフな格好に着替えた。
────あの頃もこんな感じに着替えたっけ。
外の気温も暖かくなってきた今日この頃。こんな寒さ対策ゼロの格好でも大丈夫になってきた。
もうすぐ夏がやってくる……そんな知らせにも思える気温に合わせてのコーディネートだが、ファッションにうるさい夏海に見つかったらなんて文句を言われるか分かったもんじゃない。
────見つかる前に行くか。
と、財布をポケットに入れたところで、携帯を持つことを忘れていることに気づいた。
あるだけで何かと便利な必需品と言っても過言ではない。今のご時世とは切っても切れない仲であるスマートフォン。中学生には早いのではないかと叔父に言われたりもしたが、両親はなんとしても持たせたかったらしい。
テーブルに置いてある携帯を手に取り、電源を入れる。すると、一件のメールが来ていた。
「……そうだったぁ」
思わず声が出てしまった。原因、それは送ってきた相手────氷川紗夜にあった。
*
それは、昨日の帰り道のことだった。
「ったく、どーしたもんかな」
「……すいません」
帰路につく俺たち。
その足取りは重く、一歩進む事に気持ちは下へ下へと沈んでいった。おそらく委員長と俺の噂は急激に現実味を帯びさせているだろう。
今日が平日終わりの金曜で本当に良かった。
「私が軽率でした……」
「過ぎたことはもうどうしようもないさ。それより問題は……」
「来週からどうするか、ですね」
「いまさら違うなんて言い訳は通じないしな。ここはやはり委員長が告白を……」
「できません!!」
「……委員長、意外とチキンなのね」
「ち……?」
「いや、こっちの話」
委員長はイメージ通りこういった言葉には弱いのか。
しかし、ここまで頑なに無理宣言されるとな……二人がくっついてくれるのが一番この噂を静められる方法なんだけども、この調子じゃ無理か。
でも時間が経つにつれて友輝に告白しづらくなるのは委員長だってわかってるはずだ。
うーん。俺が噂立てられてもいいってところがどうにも邪魔になる。このままでもいいやなんて口が裂けても言えないけどな。
「じゃあ、どうすんの? このまま付き合ってることにするか?」
「そ、それは……」
「……そこまで拒絶しなくても」
「いえっ! そういうわけでは……」
「いや、ごめん。今のは意地悪が過ぎたわ」
少しチクリとはしたが、元はと言えば自分が言ったことだ。自業自得というものだろう。
「……もうっ、本当に心配したんですから」
真剣な顔つきから、一転して拗ねてそっぽを向く委員長はとても可愛らしかった。
突如吹く風に委員長の髪がなびいて、くすぐったそうにするその横顔がとても綺麗で俺の心がグッと掴まれたようだった。
「なんですか……?」
「えっ、あーいや……ちょっとボーッとしてた」
「しっかりしてください。……と言いたいところですが、私も少し疲れが溜まっていて……」
「色々あったからな」
委員長が一人放課後の教室で……や保健室で二人っきりになったり……
「……変なこと思い出してませんか?」
「ソ、ソンナコトナイヨー?」
「あなたの嘘をつく時の癖が少しずつわかってきた気がします……」
「え……俺ってそんなのあったの!?」
「あの片言……素でやってたんですか!?」
なぜ驚かれた?
俺って嘘つく時に片言になってたのか……。俺の周りなんて誰も教えてくれなかったから今本当に知った。
てか嘘ついたってバレたじゃん。
「あの時の放課後ことは忘れてくださいと何度も……」
「いや、つい」
「やっぱり見張っていないと危険です」
「……その見張りとやらで窮地に立っていることを再確認していただきたい」
「はい……」
そこは委員長もわかってるらしい。ほんとになんで「一緒に帰ろう」なんて言っちゃうかな……この人は。
そういう抜けてるところがまたギャップ萌だったりを生むのだろうな。現に俺がそのギャップに魅せられそうになってるとこだ。
結局、俺は委員長との噂をどうしたいのか。
委員長への恋心とかは……多分ないと思う。確かに可愛いのも認める。付き合いたいと思えるのも頷ける。でも恋心があるかと言われると……
言われると……どうなんだ?
生まれてこのかた、人に恋したことなんてない未経験の俺では、あるかないかだけの簡単にように見えるこの難題は解けないらしい。
────きっと時間が解いてくれる。
そんな呑気で計画性が微塵もない俺にピッタリの考え方だと思う。
「では、監視の仕方を改めます」
「……と、言いますと?」
「携帯は持ってますか?」
「ああ、あるよ」
「それでは……」
*
……ということがあり、俺は委員長にメアドと番号を聞き出され電話帳に委員長の文字が増えたのだった。
委員長が携帯を持っていたのにも驚いたが、まさかあそこで交換されるとは……。
なんでもメールや電話があれば直接合って話さなくても話ができるから、だそうだ。もう少し早くこれを実行するべきだったとあの時は、かなり後悔した。
『初めてメールを送ります。よろしくお願い致します』
俺の人生初めての女子からのメールはこれとなった。非常に堅苦しい文章で、委員長って感じのするメールだった。
それにしても“初めてメールを送る”というのは、俺に初めてメールを送るという意味なのか? それとも人に初めてメール送るという意味で書いたのだろうか?
こういったところで、文章の欠点がよく出る。
数分ほど考え返信に困ったが、
『こちらこそ。メールを使うのは初めてだから慣れないと思うが、よろしく頼む』
無難な返しをしたと思う。……だが、送ったあとに気がついた。
俺も堅苦しい文章だったことに……。
「あぁ……やっちまったな」
いや、くよくよしててもしょうがない。過ぎたことを悔やんでても時間の無駄、もっと有効に使おう。
無造作にポケットへ携帯を突っ込み、次こそ部屋を出た。時刻は五時半、まだまだ一日は始まったばかりだった。
────────────────
家を出てから数分した頃だろうか、近所の公園内を通って商店街のある方へと足を運んでいた。
早朝から店を開けてるところなどあるわけもなく、案の定シャッターが閉まっている。
こういった景色もあまり見ることもないだろう。そこそこ貴重だからと、足取りをゆっくりにし眺めて歩いていた。
────こんなに静かな商店街があるのか。
中学に上がって、歳を重ねたことで感性が変わったのだろう。今の静寂がとても心地よく思える。
ませている、と言われれば反論もできないけど、子供だって時には大人ぶりたくもなるんだ。俺一人しかいない今くらい許してくれるだろう。
「……ん? あれって……」
ふと足を止める。
銀のシャッターしか見えなかった景色に、落ち着く雰囲気を醸し出すカフェが見えた。近づき、看板を見ると『羽沢珈琲店』と書かれている。おそらくここの店名だろうか?
とても目を引かれる何かがここにはあった。それも足を止めるほどの……。
看板に意識が集中していると、店の扉が内側から開けられた。
「「あっ」」
店の人だろうか、同い年にも見える少女が出てきて見事に鉢合わせてしまった。
声が重なると、すぐに少女は困惑の表情を浮かべていた。
「あ、あの……」
「あぁ、えっと……その」
「何かご用ですか?」
「いや、ただ少し気になって……ここって、カフェ……ですよね?」
たどたどしくそう聞く俺だが、女性慣れしてないのが丸分かりすぎる。
「はいっ、そうですよ。私の家です!」
とても明るい笑顔でそう言う彼女。茶髪のショートヘアで、身長は俺よりも少し小さいくらい。
そして、こう言ってはなんだが普通だ。いや、多分俺の基準がおかしいのだろう。なんせ周りは個性的なので溢れているから……。
そんな普通な彼女だが、どこか一緒にいると前向きな姿勢になれるというか、元気が出ると言うべきか。
普通だが不思議な人だ。
「家ってことは、家業ってこと?」
「はい、両親が経営しててその手伝いを私がしてます」
「へぇ……しかし、こんな所があったんだ……」
「初めてですか?」
「そうだね。こっちに来るのもほとんど無いから」
「あっ、そうだ! 良かったら入っていきませんか? これも何かの縁ですから!」
「え、えっ……!?」
すると俺の有無関係なく、店の中へと引き入れられた。入った瞬間、珈琲の香りが嗅覚を刺激し、穏やかな空気が頬を撫でた。
「うん……いい所だな」
入ってすぐ、直感的にそう思った。
「そうだ。え、えと……ではあらためて。羽沢珈琲店へようこそ! そして私は、お手伝いをしています
羽沢つぐみ。
彼女との出会いは、早起きから始まった。