「大変不本意ではありますが、別件でベトナムに行かなくてはいけません。僕が居ない数日間、博士に手は出さないで下さいね?」
我が家に新しく迎えた少女(名前は葵ちゃんというらしい)が来てから一週間ほど経った夜。
助手は唐突にそう言い出した。
手には大きなキャリーバッグを持ち、さっさと出発してしまった。
俺の部屋に来る前に博士の部屋にも行っていたようだったので、そちらなら何か知っているかもしれない。
蝶番の軋む音と共に、扉を開く。
この屋敷もそこそこ歴史が長いらしく、ここら辺の細かい修繕は行なっていないらしい。
少し重厚さを感じる木の扉は、中から感じるどんよりとした空気でより重く感じた。
部屋に入ると、コンピュータ類の多さに一度目を奪われる。
何度か訪れてはいるのだが、機械類を避けるように部屋の端にちょこんと鎮座しているベッドには毎回違和感を感じてしまう。
窓から射し込む月光とモニタの光で、白衣の女性を視界に収める。
博士だ。
様子がおかしいと思いよく見ると、飼い猫につけるような首輪を付けられている。
扉を開けた音で気づいていたのか、博士はこちらを向いている。
涙目で。
うん、多分これは助手案件だ。
関わりたくないなぁ、と、思わず口に出してしまうほど厄介ごとの臭いがしている。
「……君か。……ねえ、私、さ。…助手にする人間を間違えたと思う。」
悲哀に満ちた口調で、首輪に触れながらそう呟く博士。
古宮博士の身長は高いとは言えないが、その長い黒髪と落ち着いた雰囲気で相当な艶っぽさが出ている。
「端的に言うとスッゴイエロいってわけですよー。…ねえ、古宮博士?いやー、助手さんのガードが固かったから今の今まで手を出せませんでしたけど、ようやく独りになれましたねー!いや、助手さんが離れるのはとっっっても寂しいですけどね、やっぱり寂しさを紛らわすにはえっちしましょうよえっち、うんうん、人肌も恋しいですし。え?夏だからそんなことないって?あはは、私に季節とか関係あると思いますー?いやいや、そんな訳ないですってー!ほら、新しくきたあの娘は博士に懐いてるみたいですし、博士を丸め込んだらあの娘混ぜて3pとかどうですかー?あはは!」
唐突に思考に割り込んできて、ペラペラ喋り出したのは変態メイドだ。
いつの間に入り込んでんだこいつ。
あと、娘たちは寝てるから大声で喚くな。
大声で下の方の話題を大声で喚いた罰として、取り敢えず脛を蹴る。
何故か痛みに喜んでいるが、一旦黙ったので結果オーライ。
話を戻して、博士に事情を聞いてみることにしよう。
「えー、博士、その首輪?は一体…?」
「…私が、私が知るか……私だって、なんか機械的な重さを感じるし、なんか妙な快感に目覚めそうで怖いしで今すぐ外したいんだよ…」
これ、不味いな。
何処かで見たことあると思ったら、漫画とかでよく奴隷に付けてるような、無理矢理外そうとしたら爆発するタイプの首輪だこれ。
以前潜入した企業にこれの開発計画が立てられていたが、あれは冗談では無かったというわけか。
「…なあ、これ、外せるよな?…頼むから外してくれよ、首輪ってだけで不安しかないんだ。」
「博士、残念ながらそれ、外したら爆発するタイプの奴っぽい。」
博士の目に涙が溜まり始める。
どんだけ嫌なんだ、その首輪。
今まで助手の無茶振りとか、セクハラとかはなんとか受け流せていたように見えたが今回は流石にキツそうだ。
まあ、確かにいつ爆発するか分からんし、とってもストレスだとは思う。
「あー、今日はもう遅いので、一旦明日に持ち越しても良いか?」
少女こと葵ちゃんは、夜中と寝起きに鬱っぽくなることが多いため、何をしでかすか分からない。
少し前には、キッチリ遺書まで書いて首吊り自殺を図っていた。
縄やらを準備している音をうちの娘がキャッチして、直ぐさま止めることが出来たが。
こういう事もあって、うちの娘と葵ちゃんは一緒の部屋で寝てもらっている。
うちの娘は出自上、人の死というものに敏感だ。
負担を掛けるようでとっても申し訳ないのだが、葵ちゃんが自殺してもらっちゃ後味が悪い。
遺書に書かれていた内容から、読み取るに、自殺の主な理由はどうもこの屋敷に居るのが申し訳なくなってきたという事らしい。
事故で失くしたらしい片目片腕、それから残った腕と足の指も数本。
もう少女とも言えないくらいのお年頃になっている葵ちゃんからしたら、他人の助けを多少は借りないと生活できないという事や、長身が故に目立つその容姿に相当コンプレックスを抱いていおり、一緒に生活していてストレスになっていたようだ。
未だにこの問題を根本的には解決できてはいないが、時間を掛けてゆっくり解決すべきだと思っているのでとりあえず娘と同じ時間に寝ることにして貰っている。
うちの娘、とてもゆったりとしているので一緒に寝ると充分な睡眠時間が取れるはずだ。
という事情もあって、自分が早く起きないと、娘たちの朝食を作るのが間に合わないのだ。
別に決めた時間に起きることなんて簡単だが、それで体調を崩してしまったらいけない。
自分の歳くらいは考えて生活しないとな。
博士には悪いが、寝かせていただきたい。
「やだ、不安。1人じゃ寝れない。」
おっと、博士が幼児退行してる。
困ったな、変態が減ったというのに、同時に常識人枠が1人減ってしまうぞ。
「おや、おやおや、ということはやはり私と一緒に寝ましょう。大丈夫です、手荒な真似はしません。優しくしますから、」
変態メイド、まだ居たのか。
うーん、助手から呪いを受けそうだが、ここは自分が受け持つしかなさそうだ。
これから数日間、不安でしかない。
助手が帰ってくるまで外せるとは思えないが、試行錯誤するしかないか。
娘の為に買っていたデカめのクマのぬいぐるみを持ってきて、博士に渡す。
一応博士と同じ部屋に居るが、同じベッドに入るわけにはいけない。
ぬいぐるみを抱きしめてもらって、少しでも不安を紛らわして貰おうという、そういう魂胆だ。
結果としては上手くいったようで、朝起きると少女みたいな表情で博士はぐっすり寝ていた。
とりあえずは寝かしておいて、9時くらいになって起きてこなかったら起こしに行こう。
現在朝6時30分。
15分後位には娘たちは起きてくるので、それまでに朝食の準備をしておこう。
今朝のメニューはバタートーストと野菜のスープ。
物凄く簡単な料理なので、さっと作ってしまおう。
うむ、完成。
調理しているところは見せなくてもいいだろう。
どこに40代のおっさんが一人で料理してるシーンに需要があるのか。
「おはよー、お父さーん。」
「……お、おはようございます…」
丁度準備が終わったところで、葵ちゃんがうちの娘に引き摺られて起きてくる。
こういう時は大抵、葵ちゃんが昨晩自殺を試みて気不味くなっている時だろう。
下手にそれに関して怒ったりすると、とっても可哀想な感じに落ち込んで、死なない程度に自傷をしてしまうので触れないでおく。
「ほれ、とりあえず顔洗ったりしてきなさい。この美味しそうな朝ご飯を食べるのはその後だ。」
外出することはほとんどないのだが、こういうのは癖付けておかないと社会に出てから大変だと思う。
諜報員も一応会社員だから、平常時は普通に出社する。
身だしなみを整えておく癖を付けるのは大切だと、その時学んだ。
女性社員の目がとても痛かった。
と、いつもはここで博士が起きてきて葵ちゃんの髪をすいてたり、自分の身だしなみは整えないくせしてお節介を焼いてたりするのだが、今朝は起きてこないようだ。
よっぽど遅かったら呼びに行くとしよう。
さて、うちの娘には牛乳(多分背を伸ばしたいのだと思う)、葵ちゃんにはコーヒー(本人が呟いていたが、カフェインで成長を止めようとしているようだ)を用意。
実はコーヒーを淹れる腕前には自信がある。
この芳醇な香りを出すのにどれだけ研究を重ねたか。
ブラックのままでは苦いと言われたので、砂糖をそこそこ入れてしまいのだが。
これにて配膳完了。
掃除をしている変態メイドにもコーヒーを差し入れよう。
2人が朝食を摂り終わった後も、博士は降りてこなかった。
うちの娘はその特殊性から、葵ちゃんは学校にトラウマがあるということで、学校には行っていない。
その代わり、博士と自分で授業をしている。
今日は博士の番なので、起きて来て欲しいのだが。
博士の部屋に呼びに行くと、昨晩よりも重苦しい空気が。
開けたくないが、うちの娘たちの教育のためだ。
重い扉を開けて、中を覗き見る。
おっと、怖い。
ベッドの上に半裸で座り込み、ある一点を見つめ続けている博士。
こちらには気がついてくれていないので声を掛けてみる。
「あの、古宮博士?」
声を掛けると、怯えた様子でそっぽを向いてくる。
博士の過去を知らないのでよく分からないが、どうもトラウマスイッチ的な地雷を踏み抜いていたようだ。
あの助手、こうなる事を知っていてやったとしたら相当ヤバイぞ。
いや、ヤバイことは知ってるけど。
取り敢えず授業を始める時間なので退散するが、メイドに落ち着かせれるか頼んでみよう。
あいつ、なんでか知らないけど精神科医の資格を持っているからこういうのは任されてしまうのが少しムカつく。
昼食の時間になるまで授業だ。
諜報員をやっていただけあって、社会と国語は得意だ。
600UA。
感謝します。