異世界で 上前はねて 生きていく (詠み人知らず)   作:岸若まみず

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大変お待たせいたしました。

転職してから忙しくてどうにもなりませんでした。


第100話 風の中 双子が街を 見下ろして

なんだか顔がぱりぱりとするぐらいに寒い寒い冬の朝。

 

澄んだ空気の中に差し込む弱々しい陽光が、真っ白に塗られた巨大な建物を照らす。

 

流麗な筋のつけられた長大な柱に支えられた屋根の上からは、背中に双子の赤ちゃんを乗せた八本足のバイコーンの彫刻が道路を見下ろしている。

 

俺は手の中に持っていたコーヒーをゆっくりと啜りながら、万感の思いを胸にそれを見上げていた。

 

美しい。

 

美しい建物だ。

 

寒い中を突っ立ってずうっと見ていても飽きないぐらい、俺にとってその建物は特別な物なのだった。

 

この冬は、これまで俺やその部下達のやってきたことが色々と形になった冬だ。

 

時計塔級造魔も完成し、シェンカー通りの新本部ビルも完成し、収穫したのは秋だがトルキイバ産の米だって完成した。

 

ありがたいことだ、完成ラッシュだ。

 

そしてその中でも一番嬉しかったのが、年が明けてしばらくしてから完成したこの白亜の建物なのだ。

 

全体を見れば真四角のその建物は、真っ白に塗られた壁や柱で日差しを跳ね返し……なんとなくどこもかしこもくすんで見える冬の街の中でひときわ光り輝いていた。

 

地上五階建てのそれは、大人が十人も並んで通れるような優雅なアーチを描く大きな入口を持ち、その上には建物をぐるっと取り囲むように窓が設置されている。

 

屋根の上だけではなく至るところに施された彫刻は今にも動き出しそうなほど精巧なもので、見るものの目を飽きさせない工夫を施された建築物となっていた。

 

そう、これがそう(・・)なのだ。

 

俺の悲願、俺の夢、俺の集大成。

 

俺が求めてやまなかった、俺のための劇場だ。

 

劇場を作る予定で取得した敷地に野球場なんてものを作ってしまったから、一番最初の予定より小ぢんまりしたものになってしまったが、その分上に伸ばしたから収容人数はバッチリ。

 

闇の椎茸畑を地下へと移して作った駐車場が狭いのもネックだが、まぁ平民上がりの作った劇場だし、そんなに馬車移動のお貴族様達が沢山やって来るようなこともないだろう。

 

理想を言えばキリはない。

 

しかしとにかく今はその完成を喜びたい。

 

そんな俺の夢の城の中では、ついに三日後に迫った営業開始を前にして、スタッフたちによる最終調整が行われていた。

 

 

「照明の固定もう一回確認! 落ちたらただの事故では済まないぞ! 清掃班は明々後日(しあさって)の朝には絨毯にチリ一つ残すなよ! 初日が一番大事なんだ! 奥方様もいらっしゃるんだぞ!」

 

 

劇場の支配人である兎人族のモイモの声が飛ぶと、指示を受けたスタッフたちは放たれた矢のように駆けていく。

 

昔から要領が良くて気骨のある奴だったから心配はしていなかったが、彼女は立派に支配人としての仕事をやっているようだ。

 

 

「申し訳ありませんご主人様、どうにもバタバタしていまして……」

 

「いや、いいんだよ。俺は造魔の調子を見に来ただけだから、気にせずしっかりやってくれ」

 

「ありがとうございます。あ、それとこれ、頼まれていたチケットです。すいません遅くなりまして」

 

「いや、忙しい所で無理を言ったのは俺だから」

 

 

俺にチケットの入った封筒を渡したモイモは深々と頭を下げ、走り去ったスタッフたちの後を追って消えていった。

 

 

「なんか忙しそうですね」

 

「そりゃあ忙しいだろ、明々後日には開業なんだぞ」

 

 

俺の今日の護衛兼お付きである小型の犬人族のラフィが、何やらズレた事を言いながら後ろをついてくる。

 

劇場内はさながら文化祭前夜といった感じで、どこかからカンカンと金槌で何かを叩く音が聞こえてくるし、塗料で顔を汚した女達がお互いの顔を笑顔で指で差し合いながら駆けていく。

 

つい先週マジカル・シェンカー・グループの面々を招いてプレオープン公演をやったはずなんだが……予行演習をして色々手直しする場所が見えたってことなのかな。

 

外から入ってすぐの場所にある吹き抜けの大ホールを奥へと進み、チケットもぎりが立つ予定のゲートを抜けた先にある造魔動力の自動階段(エスカレーター)に乗ってゆっくりと二階へと登っていく。

 

 

「これ凄いですよねぇ、歩かなくても上に運んでくれるんですもんね」

 

「そうだろうそうだろう」

 

「逆に降りたらどうなるんですか?」

 

「倍疲れるだけだよ」

 

 

小さなラフィが興奮で目をキラキラと輝かせているこのエスカレーターは、五階建ての劇場を行き来する上での重要施設だ。

 

魔結晶の消耗が大きいから設置できたのは登り側だけだが、これはまさに画期的な代物と言ってもいいだろう。

 

前世の日本に比べると圧倒的に足腰の強い人が多いこの世界だが、逆に背の高い建物というのがあまり多くない。

 

それにこのあたりはだだっ広い平野で、坂道という坂道もないからみんな登る事には強くないはず。

 

そこに来てこのエスカレーターがあれば、そりゃあみんな嬉しいに違いない。

 

これがホスピタリティですよ。

 

こういう単純な構造の機械は造魔で再現するのが比較的簡単な部類だから、開発も楽だったしな。

 

まあ、王都の大劇場なんかではエレベーターがすでに設置されているそうだが、エスカレーターは我が劇場がこの世界初。

 

どこの世界でも、最初の物は何でも偉いのだ!

 

 

「あっ、ご主人様! お疲れさまです!」

 

「あ、ご苦労様」

 

 

二階に上がると、一階ホールを見下ろせるカフェの椅子を移動していた奴隷達に頭を下げられた。

 

カフェっていっても要するにうちが街でやっているアレ、アストロバックスだ。

 

制服は劇場の雰囲気に合わせて他の店舗よりもずっとシックなものになっているが、サービスは一緒。

 

貴族が観劇するVIP席への飲食物のサーブもこのカフェから行われる予定だ。

 

 

「明々後日には営業開始だけど問題はなさそう?」

 

「こっちは大丈夫です!」

 

 

よしよし、ならいいんだ。

 

二階の通路に設置されたカフェスペースには、窓からの光も十分に入ってきていて明るく、雰囲気もいい。

 

きっとオープン後からは、観劇に来た客がこの客席を賑やかに埋めてくれることだろう。

 

もし流行らなかったらチケットをもぎる場所を変えて一般客を入れてしまえばいい、二階だからそこまで見晴らしはよくないけど、アストロバックス自体の需要もあることだしな。

 

二階を一周ぐるっと周った後、客席内への出入り口から中を確認する。

 

中では奥側から舞台側へと緩やかに傾斜した客席が、薄暗い照明に照らされていた。

 

舞台では役者たちがリハーサルの最中のようで、楽団の音楽と共に朗々と響く役者のセリフが聞こえてくる。

 

いい感じだ、開業日が楽しみだな。

 

俺は客用通路の足元照明の点灯や空調の効きを確認してから分厚い扉を閉め、エスカレーターに乗って三階へと向かった。

 

 

「手すりも一緒に動くのが面白いっすね~」

 

 

小さな尻尾を楽しげにピコピコ動かしながら手すりに乗っかるように身を乗り出したラフィは、その体型も相まってまるで小さな子供のようだ。

 

そんな彼女の頭は「身を乗り出さないでください」と注意の書かれた垂直な壁に思いっきりぶつかり、ゴツンと鈍い音を立てた。

 

 

「あいった~っ!」

 

「危ないところだったな、挟まったら頭がなくなってたぞ」

 

「ひえっ!」

 

 

まぁ、そうならないように作った壁なんだが……安全に関しては注意してしすぎるということはない。

 

後でモイモに連絡して、壁にはクッションを貼らせることにしよう。

 

これでも安全性に関してはきっちり考えて設計したのだ。

 

例えば入り口と出口には手が入る程度の開口部があって、そこに異物が入ると接触を感知した造魔が伸縮して動力部のギアを外し、緊急停止をするようになっている。

 

地面を擦るような服は裾を持ち上げるように注意書きも書いたが、そもそもトルキイバじゃそういう服を着ている人はあまり見たことがないから、そこまで心配はしていない。

 

まぁとりあえずはエレベーターガールならぬエスカレーターガールというポストを用意したから、何か問題が起こればその都度対応させればいいだろう。

 

 

「この動く地面やっぱりいいですねぇ、寮にも欲しいです」

 

「これは結構魔結晶食うんだよ」

 

 

うちももう魔結晶使い放題ってわけじゃないからな。

 

低い駆動音を立てながら動くエスカレーターを降りると、三階の壁にはうちの画家軍団が用意した入魂の油絵がたくさん飾られていた。

 

 

「なんでこの階は絵が一杯あるんですか」

 

「三階と四階は催し物に使う予定なんだけど、とりあえず今は殺風景だからって色々飾ってるんだよ」

 

「へぇ~。あっ、ロースさんの絵だ」

 

 

そう言ってラフィが指差した先には、なぜか一番目立つ場所にうちの冒険者組の魚人族、赤いトサカのロースが真っ白で神々しい衣装を着た絵画が飾られていた。

 

なんでこんな身内ネタの絵が一番いい場所に飾ってるんだろうか……?

 

いい絵だとは思うけどさ。

 

俺とラフィは飾られた絵を見ながらぐるっとフロアを回り、二階と同じように劇場内を確認した後、エスカレーターで四階へと向かった。

 

しかし、なぜか絵の題材がうちの冒険者組の女達に偏っていたんだが……絵かきの中に熱心なファンでもいたんだろうか?

 

まぁ、とりあえず飾ってあるだけの絵だから、別に何でもいいんだけどね。

 

 

「わぁ、ここは野球のものが飾ってある階なんですね」

 

「野球場も近いしな」

 

 

四階には俺の持っている野球チーム、シェンカー大蠍団(スコーピオンズ)のユニフォームやブルゾンなんかが展示され、一部は売りに出されたりしている。

 

壁にはむやみに長大な掲示物もあり、そちらでは野球というスポーツの成り立ちやルールなどが四階の壁のほとんど全てを使って説明されているようだ。

 

しかしこんなもの、よく作ったなぁ。

 

俺やローラさんを始め、貴族リーグ設立に関わる重要人物が写実的な絵入りで記されていて、展示物としてはもちろん読み物としてもなかなか面白い内容だった。

 

芝居を見に来る層はこういう展示には興味ないかもしれないが、ファンが見れば楽しめる事間違いなしだな。

 

俺は四階の客席を下の階と同じように確認し、壁の目立たない所に隠すように作られた関係者用の入り口から秘密の階段へと入った。

 

 

「ここは普通の階段なんですね」

 

「ここから先はお客さんは来ないから」

 

 

そう、この先は最重要の秘密の場所、俺の夢の結晶、一階丸ごとのプライベートエリアだ。

 

普通の劇場ならば五階か六階まではしっかり客を入れるところなのだが、この劇場はそこらの劇場とは設計思想が違う。

 

ここは一から……四ぐらいまでは俺のために作った、俺だけの……ではなく俺優先の劇場なのだ。

 

だから見晴らしのいい五階部分は、丸々俺と家族、そしてシェンカーの人間達専用のエリアとなっているのだ。

 

へっへっへ……

 

これが貴族の贅沢だよ。

 

なんなら一階部分を丸々プライベートエリアにしても良かったぐらいなのだが、さすがにそこまですると劇場の維持費すら怪しくなってくるからな。

 

残念なことだが、何事にも妥協は必要だ。

 

 

「わっ、ここの椅子、ソファーですよ!」

 

「そこは俺の席だ。ここでこうやって寝そべりながら劇を見るのさ」

 

 

そう言いながら俺が革張りのソファーに寝転がると、ラフィは不思議そうな顔で首を傾げた。

 

 

「ちゃんと座ったほうが見やすいと思うんスけど」

 

「俺はね、こうして見るのが夢だったの」

 

「夢じゃあしょうがないっスね」

 

 

ソファは高台に置かれていて、前に他の席がないから寝そべってもきちんと舞台が見えるようになっている。

 

ちなみに五階にある他の席は他の階と同じ普通の席。

 

これらの席はシェンカーの人間への福利厚生の一部として開放される予定だ。

 

公開初日のチケットだけは、俺が決めた相手に渡すつもりなんだけどな。

 

 

 

ということで翌日の昼、俺は妻のローラさんと一緒にマジカル・シェンカー・グループの本部ビルの前に立っていた。

 

 

「芝居のチケットぐらい、わざわざ雇い主が出向かなくても取りに来させるか郵送するかすればいいと思うんだがね……」

 

 

シェンカー大蠍団(スコーピオンズ)の真っ赤なブルゾンの背中に長い金髪を流したローラさんは、そう言って呆れたようにタバコの煙を吐き出した。

 

俺はそれに「わかってないね」と指を振るようにチケットの束を揺らして反論する。

 

 

劇場(これ)は僕の夢なわけですから。僕はどうか一緒に同じ夢を見届けてくれませんか? とお願いをしに行く立場なんですよ。ここは僕が直接行かなきゃあ」

 

「よくわからないが、そういうものなのかい?」

 

「そういうものですよ」

 

「いささか他人行儀な気もするが……」

 

 

俺達はそんな話をしながら開けっ放しの本部入り口を抜け、カウンター裏の従業員入り口へと向かう。

 

 

「あ、ご主人様、奥方様! おはようございます! チキンさんなら奥に!」

 

「おはようございます!」

 

「おはざます!」

 

 

もう何度も会っているからか、カウンターの面々もローラさんが来たぐらいでは取り乱したりはしない。

 

昔は貴族のお姫様ってことで皆本気で怖がっちゃって大変だったな。

 

若干気軽すぎるような奴もいた気がするが、まぁいいだろう。

 

スイングドアのようになっている入り口を抜けて、人が二人すれ違えるような広さの廊下を進んでいく。

 

 

「しかし、こんな前々日に急に誘っても迷惑になるんじゃないかい?」

 

「あ、いや日程は前々から言っておいて開けてもらってあるんですよ」

 

「ならその時にチケットを渡しておけばよかったんじゃあ……」

 

「元々五階の特別席は身内だけなんでチケットはなしの予定だったんですよ、でもそれじゃあ味気ないかなと思って作ってもらった物なんです」

 

「君は本当に凝り性だよな」

 

 

ローラさんは苦笑しながら左手で魔法陣を描き、灰皿代わりにしている小物入れの魔法の中へと煙草の吸殻を放り込んだ。

 

 

「やあ、着いたな。外から見れば大きい建物だが、中は狭いものだ」

 

「敷地面積だけならうちの家の方が大きいかもしれませんね」

 

 

言いながら扉をノックすると、中から「どうぞ」と声がかかる。

 

扉を開けて中に入ると、目の下にでっかいクマのできたチキンと、モコモコの髪の毛が机の形にべっこり凹んだ羊人族のトロリスが出迎えてくれた。

 

 

「いらっしゃいませ、ご主人様、奥方様」

 

「お疲れ様」

 

「お邪魔するよ」

 

 

机の上には色とりどりの布や糸が散乱している、どうもチキンが経営する服屋関係の打ち合わせをやっていたらしいな。

 

 

「服屋さん、うまくいってないの?」

 

「いえ、客入りはぼちぼちなんですが、どうにもコートの売れ行きが悪くて……」

 

「真冬にコート買い足す人はそういないんじゃない?」

 

「まぁ~その、来年に向けての準備と言いますか」

 

「徹夜もほどほどにね」

 

 

一応二人には再生魔法をかけてやる。

 

 

「あ、こりゃどうも、ありがとうございます」

 

「助かります」

 

「そんでさ、今日はこれを渡しにきたんだよ」

 

 

俺がそう言ってチケットを渡すと、チキンはまじまじとそれを見てからニコリと笑った。

 

 

「手ずから届けて下さったんですか?」

 

「まぁね。チキンにも随分骨を折ってもらった事だし」

 

「そんなもの、なんでもありませんよ。でも、ありがとうございます」

 

 

彼女はそう言って、小さく礼をした。

 

 

「それで他の奴らにも渡したいんだけど、居場所わかる?」

 

「シーリィとハントは食堂に、冒険者組はメンチさんが迷宮に行っているはずですけど、他の人はちょっと……」

 

「そうか、ありがとう。メンチの分だけ、帰ってきたらチキンから渡しておいてくれる?」

 

「かしこまりました」

 

 

彼女にもう一枚チケットを渡した俺達は部屋を後にし、すぐ近くの食堂へと向かった。

 

昼過ぎという時間もあってか食堂は人も少なくマッタリとした空気で、料理人のシーリィとハントもお喋りをしているようだった。

 

 

「シーリィ、ハント、今いいか?」

 

「あっ、ご主人様……奥方様、お疲れさまです!」

 

「お疲れさまです!」

 

 

今やシェンカーの料理番の名をほしいままにするこの二人、ピンク髪のシーリィは未だに独身のままだが、緑髪のハントの方はこの間懐妊してもう少しお腹が大きくなってきている。

 

 

「お疲れ様、今日はこれを渡しに来たんだ」

 

 

そう言ってチケットを手渡すと、二人はちょっとホッとしたような顔をした。

 

まぁ雇い主がアポ無しでいきなり来たら「何しに来たんだ?」って思うわな。

 

 

「あ、チケットですか。ありがとうございます!」

 

「明後日、楽しみにしてます」

 

「うん、よろしくね」

 

 

そのまま立ち去ろうとした俺の背中を、ローラさんの指がちょいとつついた。

 

あ、そうか。

 

冒険者組のいそうな場所について聞かないと。

 

俺はシーリィとハントに向き直り「チキン以外の幹部達のいそうな場所ってわかる?」と尋ねた。

 

 

「え? えっと~……」

 

「誰かー! 幹部さん達のいそうな場所知ってる人いないかしら!?」

 

 

ハントのその問いかけにしばらくシンと静まり返っていた食堂から、痩せぎすの山羊人族がこちらへやって来た。

 

 

「ヤシモか、久しぶり」

 

「どうもどうもご主人様、奥方様。ロースさんですけど、同室の子が今日飲みに連れてって貰うって言っていたので今ならシェンカー通りの中の店で飲んでると思いますよ」

 

「この通りの中にいるってこと?」

 

「ロースさん休みは昼から飲みますし、最近は人連れて飲む時はツケが効くシェンカー通りで飲んでるらしいんですよ」

 

「あいつツケで飲んでんのか」

 

 

そこそこ給料は払ってるはずなんだがな……

 

まあいいか、とりあえず探すとしよう。

 

ヤシモに礼を言って、俺とローラさんはMSG(マジカル・シェンカー・グループ)本部を後にしたのだった。

 

 

 

赤毛の酔っぱらいロースは、探し始めてから四軒目の飲み屋で瓶を抱くようにして酒を飲んでいた。

 

そこはマンションの一室を使った店で、ちょっと薄暗いが店内には煮物のいい匂いが充満していた。

 

 

「あれぇ? 坊っちゃんと奥方様じゃないですか。珍しい、お二人で飲みに来たんですか?」

 

「そんなわけないだろ」

 

「あんた達、ちゃんと出てきて挨拶しな」

 

 

カウンターに座っているロースが店の奥側に向かってそう言うと、薄暗い場所から酔っぱらい女が二人顔を出した。

 

 

「ロースの姐さん、ご主人様が来られたんですか……? お疲れさ……え? 奥方様っ!?」

 

「えっ! なぜこのようなむさ苦しい店に! どうぞこちらへお座りになってください!」

 

「あたしの店のどこがむさ苦しいって!?」

 

 

俺の後ろに立つローラさんの姿を見てテンパった酔っぱらいの顔に、店主の手から飛んだふきんがボスンと当たった。

 

豪快な店だな。

 

 

「それより、お前ツケで飲んでるんだって?」

 

「へっへっへ、シェンカーの店なら代金全部チキンのとこに持っていって勝手に給料から引いてくれるんで、ツケの方が楽なんですよ」

 

「なんと横着なことを……」

 

「それで、何か食べますか? ここの酒は水で薄めたようなものばっかりですけど、煮物は美味いですよ」

 

「薄めてねぇわ! バカタレが!」

 

 

カウンターの向こうからそんな言葉と共に木のコップが飛んできて、ロースの頭にスコンと当たった。

 

訂正、荒っぽい店だ。

 

 

「酒はいいよ、これ渡しに来ただけだから」

 

「えぇ? なんですかこれ?」

 

「明後日の劇場のチケットだよ」

 

「こりゃあまた、わざわざ持ってきて頂いてすみません」

 

 

ロースはふにゃふにゃとそんなことを言いながら、チケットをコートの内ポケットの中にしっかりと仕舞い込んだ。

 

 

「お前、当日酒は禁止だからな」

 

「わかってますよ」

 

 

話は終わったし、踵を返して店を出ようとした所でローラさんに上着の裾を摘まれた。

 

 

「あ」

 

「君も大概忘れっぽいな」

 

 

そうかそうか。

 

ピクルスかボンゴの居場所を聞かないとな。

 

 

「ロース、ピクルスかボンゴの居場所知らないか?」

 

「今日は二人とも休みなんで、どっかそこらへんにいると思いますよ。ボンゴは休みの日は自炊してるらしいんで、もしかしたら家にいるんじゃないですかね」

 

「ボンゴってどこの尞だっけ?」

 

「北に三本向こうの青槍尞ですよ」

 

「青槍ね……ありがとう、行ってみる」

 

「邪魔したね」

 

「お気をつけて~」

 

「お気をつけて!」

 

「お気をつけて~!」

 

「またいらしてください!」

 

 

酒瓶と共に手を振るロースとその仲間たちに見送られ、俺達は酒場を後にしたのだった。

 

 

 

ボンゴの住む尞の入り口は、入り組んだ小路の中にあった。

 

古く小さな建物が密集するように建っている通りのど真ん中に、二階建てで築浅の尞があるのはなんだか不思議な感じだ。

 

 

「なんでわざわざこんな狭いところに尞を立てたんだい?」

 

「こんな場所でも、本部に近くて好立地なんですよ」

 

 

なんて話をしながら寮を見上げていると、ちょうど中から人が出てきた。

 

買い物にでも行くのだろうか、手提げ袋を持った猫人族の女の子は俺とローラさんの姿を見て数秒間停止し、ガバっと頭を下げた。

 

 

「…………あ、ご主人様、奥方様、こんにちは!」

 

「はいこんにちは」

 

「うん」

 

「ボンゴいる?」

 

「いますよっ! ボンゴ〜! ご主人様と奥方様が〜!!」

 

 

女の子はでっかい声でそう叫びながら寮へと戻って行った。

 

こけるなよ〜。

 

 

「…………こ……ちゃ」

 

「はいこんにちは」

 

「よく言っている事がわかるな」

 

「なんとなくですけどね」

 

 

尞から出てきたエプロン姿のボンゴは、俺達のそんなやりとりに小さく首を傾げている。

 

昔はもう少しわかりにくかった気がするんだが、出会ってからの七年でボンゴも随分表情が豊かになったからな。

 

 

「今日は何してたんだ?」

 

「…………り……よ」

 

「ああ、料理か」

 

「…………ね……ず」

 

「ねず? なんだろ?」

 

 

まあ、わからない時はわからないものだ。

 

俺は懐からチケットを一枚取り出して、ボンゴに差し出した。

 

 

「これ、明後日のチケット」

 

「…………あ……り」

 

 

ボンゴはチケットの裏表をじっと見て、そのままエプロンの大きなポケットに仕舞い込んだ。

 

 

「ピクルスはどこにいるかわかる?」

 

「…………」

 

 

ボンゴは無言のまま、両手で弓矢を引く仕草をした。

 

 

「弓の練習?」

 

「…………」

 

 

俺がそう聞くと、ボンゴはコクリと頷いた。

 

ボンゴって、喋るのが苦手とか以前に、多分そもそも無口なんだよな。

 

俺は彼女に礼を言い、頭を撫でてから尞を後にした。

 

 

 

練兵場と言えば、以前は劇場建設予定地で訓練をしていたのだが、今現在は劇場が建っているため場所を移動している。

 

劇場建設予定地は街の中央部である中町にあり超好立地だったのだが、移動した先は都市のはずれの壁際だ。

 

別に現場から文句が出たとも聞いていないが、たま~に見に行く俺からすれば地味に辛い。

 

さすがに街の端ともなると、何かのついでにぶらっと視察というわけにはいかないからな。

 

そんなちょびっとアクセス難になった()練兵場では、槍と掛け声ではなく、白い野球ボールが飛び交っていた。

 

 

「なんで練兵場で野球をやってるんだろうか?」

 

 

白い煙を吐きながら、ローラさんは不思議そうにそう呟いた。

 

 

「実はここ、移動した時に練兵場から運動場(・・・)に名前が変わったんですよ」

 

「運動場?」

 

「MSGも、もう冒険者だらけってわけじゃないですから。もちろん冒険者優先ですけど、使ってない時はここで自由に運動していいって事になったんですよ」

 

「ふぅん、それで野球をやっているわけか。しかし、訓練場を遊びに使うなんてのは軍では絶対に出てこない発想だね」

 

「平民は気軽に街の外に出るってわけにはいかないですから、こういう場所があると意外と重宝するんですよ。さて、ピクルスはどこかな……?」

 

 

グラウンド付きの小学校ぐらいの敷地がある運動場を見回すと、のびのびとキャッチボールをしている連中の奥の方で的に向けて弓を引いているケンタウロスのピクルスの姿が見えた。

 

あいつ、飛び抜けて背が高いからどこにいてもすぐにわかるからいいよな。

 

枯れ草の積んである運動場の端っこを歩いて、馬体から白い湯気を上げるほど頑張っているピクルスの元へと近づいて行く。

 

 

「おーい! ピクルスー!」

 

「あっ! ご主人様! 奥方様! お疲れさまです!」

 

「お疲れ様」

 

「うん」

 

 

練習用に引いていたんだろうか、普通サイズの木の弓を降ろした彼女はパカパカと音を立てながらこちらへ向き直った。

 

 

「これ、明後日のチケットできたから」

 

「えっ! 持ってきて頂いたんですか!? すみません!」

 

 

彼女は手の汗を拭ってから、チケットを恭しく受け取った。

 

 

「前にも話したけど、悪いけど当日は開場前に入って閉場後に出てもらうことになるから」

 

「わかってますよぅ」

 

 

ケンタウロスは巨体だ、普通のお客さんと一緒に出入りするとトラブルになるかもしれないからな。

 

背もめちゃくちゃ高いから一番後ろの席の更に後ろしか無理だし、そもそも席に座れない。

 

ピクルスもこれまで劇場のような建物には入ったことがなかったそうで、プレオープン公演の時はかなり感激していたようだ。

 

 

「いよいよ明後日ですねぇ、楽しみです」

 

「ああ、楽しみにしててくれよ……」

 

「楽しみで……あれ? どうかしました?」

 

「…………」

 

 

ふと、吹き付ける風に吹かれる彼女の尻尾が、ずいぶんと長く艷やかな事に気づいた。

 

昔はもっともっと、細くボサボサで、小さかった。

 

見上げるような体躯は同じままだが、今の彼女は十歳の頃とは違い、街のどんな人からも見上げられているだろう。

 

思えば、このケンタウロスのピクルスは、正真正銘俺の夢の第一歩だった。

 

今俺の下で働いてくれている人間達も、シェンカー通りのビル群も、あの劇場も、この運動場も、俺と彼女の二人で始めた事業で手に入れたものだ。

 

俺は彼女の馬体を手でポンと叩き、顔を見上げながら語りかけた。

 

 

「なあピクルス……あの劇場見ただろ。俺達、やったよな」

 

「俺達じゃあありませんよぅ、サワディ様のお力ですよ」

 

「いいや、俺達(・・)だよ。俺とお前で始めたんだよ」

 

 

擦り減って、傷がついて、ちょっと歪んだようにも見える、あの日の眼鏡の奥から……あの日とは全く違う、強さを秘めた瞳がじっとこちらを見つめていた。

 

 

「私は……サワディ様の剣ですから」

 

「そうか」

 

 

だから全ては、剣を使う俺の功績だと言いたいのだろう。

 

そうだよな。

 

俺が始めた事なのだから。

 

天に昇っても、ドブに落ちても、全てを背負うのは俺なのだ。

 

でも、だからこそ。

 

あの十歳の俺の最初の剣として働いてくれた彼女に、どうしても感謝せずにはいられないのだった。

 

 

「剣ね、だとすれば天下の名剣だな。君、大事にしたまえよ」

 

「もちろんですよ」

 

 

なんだか嬉しそうにそう言ったローラさんは、ちびた煙草を根本まで吸い込んだ。

 

乾いた風が砂埃を巻き上げ、白い煙と混ざって消えていく。

 

 

「ところで……あの劇場の『ジェミニ』って名前には、何か由来でもあるんですか?」

 

 

渡したチケットをまじまじと見ていたピクルスが、風の音の中でそう聞いた。

 

 

双子座(ふたござ)さ」

 

 

そんな俺の答えを聞いて、彼女は生まれて初めて麦粥を腹一杯食べた時のような、いい笑顔で笑ったのだった。




めちゃくちゃ勉強したのに資格試験落ちてマジで寝込みました

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