異世界で 上前はねて 生きていく (詠み人知らず)   作:岸若まみず

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三分割したのにめちゃくちゃ長くなってしまいました。

次からはもっとコンパクトに纏めます。

『異世界で 上前はねて 行きていく』 第2巻、5月30日ごろ発売です。


第84話 人と人 繋ぐ祭りと 馬鹿兄貴 後編

朝っぱらから俺たちが酒盛りしている間に、いつの間にやらシェンカー通りには祭り見物の人達が押し寄せてきていたようだ。

 

まだ音楽も鳴り始めていないのに、もう酒を飲み始めているおじさん達もいる。

 

トルキイバの人達がよっぽど娯楽に飢えていたのか、兄貴達の宣伝が上手く行き過ぎたのか、微妙なところだ。

 

イスカが下の兄貴を挨拶をさせるために連れに来て、ついでとばかりに俺と上の兄貴まで連れ出されて本部前のお立ち台の上に兄弟三人で並ばされてしまった。

 

いらないだろ、上の兄貴と俺はさぁ。

 

 

「いよっ! 三兄弟!」

 

「もうサワディちゃんは学校出たのかねぇ?」

 

「婆ちゃん、サワディは貴族の学者様になったんだよ」

 

「こないだまでこんなに小さかったろ、番頭の兄ちゃんに尻叩かれて泣いてたじゃないか」

 

「そりゃもう十年も前だよ」

 

 

兄貴が呼んできたのか、目の前に実家のご近所の人や身内が沢山いてやりづらいな……

 

だが下の兄貴はそんなことは何も気にならないようで、いつもの笑顔で放送用造魔のマイク部分を握って元気に挨拶をし始めた。

 

 

『皆さん! おはようございま~す! 本日は晴天に恵まれまして、大変なお祭り日和となりました! 歴史の浅い祭りですが、ぜひぜひ楽しんでお帰りください! それでは……乾杯ーっ!』

 

 

おおーっ! と朝から集まっていた飲んだくれボーイズから返事が返る。

 

いやまだ朝だぞ、乾杯はだめだろ。

 

内容はともかく、兄貴の挨拶終わりに合わせて楽隊の音楽が始まり、露天の店員たちの呼び込みの声が通り中に響き始めた。

 

二棟だけ完成している五階建てのマンションの上のほうからも客引きの声が聞こえてくる。

 

魔導学園の本棟よりも少しだけ低いこの建物は、トルキイバのどこにいても見える新たなランドマークとして親しまれている……そうだ。

 

こんな四角くて灰色なだけの建物がランドマークになるのかは疑問だが、まあこの世界では背が高いってだけで珍しく見えるんだろう。

 

そしてそんなマンションの中で、なにやら部屋を開放して店にしている奴がいるらしい。

 

外側に垂れ幕が出され、マンションの前にも客引きが出てきた。

 

なになに? 『北方絶品家庭料理』だと? 想像もつかんぞ、なんだそりゃ。

 

芋でもふかして出すのか?

 

まあ、商魂たくましいのはいいことなんだけどね……

 

そんなことを考えていたら、お立ち台の前の人達をかきわけるようにして、見知った顔の女性が近づいてきた。

 

眉間の皺、どことなく番頭に似た顔立ち。

 

店の奥から表へでもスッと通る、めちゃくちゃにでかい声。

 

上の兄貴の嫁さん、番頭の娘のライザ義姉さんだった。

 

 

「あんたっ! いつまでこっちにいるつもりだい? 祭りの間も店は開いてんだよ!」

 

 

うちの兄貴を知らない人がこれを聞いたら鬼嫁だと思うかもな。

 

ただ、本当にうちの兄貴がどうしようもないだけで、義姉さんはいい人なんだよ。

 

 

「あっ、嫁さんだ……」

 

「ライザ義姉さんおひさしぶり」

 

「サワディくん、この人余計なことしなかった?」

 

「はは、なんにも」

 

「帰るよ!」

 

 

お祭りは始まったばかりだというのに、上の兄貴は早々に義姉さんに連れて帰られてしまい、シェンカー三兄弟はあっという間に解散となってしまった。

 

まぁ三人揃っても何か特殊効果があるってわけでもないんだけどさ。

 

歳食って別々に住むようになると、兄弟が集まるのにもなかなか苦労するようになるから……ちょっとだけ寂しい気持ちになったかな。

 

 

「あ、じゃあ俺本部にいるから。今日は楽しんでな!」

 

「うん、兄貴も頑張って」

 

 

上の兄貴に続いて下の兄貴も行ってしまい、なんとなく手持ち無沙汰になってしまった。

 

とりあえずなんか食うか、探してる間に誰か知り合いにも出会うだろ。

 

バンジョーっぽい楽器とギターと、色んな金物を貼り付けた鉄製の洗濯板をポコポコ叩くパーカッションのバンドが、楽隊に負けじと明るい曲を演奏するのを聴きながら、早くも大混雑となった祭りの中を歩いていく。

 

大道芸人がナイフでジャグリングをするのに小銭を投げ、地べたに敷いた布の上でアクセサリーを売る無認可商店を冷やかした。

 

屋台と屋台の間で吟遊詩人がギターを弾きながら西方戦線のジリつきを伝えるのを聞いていると、見物人が何やらうまそうなものにかぶりついていることに気づいた、あれはなんだろうか。

 

どうも、すぐ側にある屋台で売っているクレープのようだ。

 

こぼれそうなぐらい具沢山で、黄色い卵と茶色い具のコントラストも美しく、どうにも美味しそうに見える。

 

よし、俺もあれにしよう。

 

そうして意気揚々と小銭を用意しながらクレープの屋台に近づいたところで、ようやく顔見知りに出会うことができた。

 

 

「あ、ジレン」

 

「あ、ご主人さま、おはようございます」

 

 

咥え煙草で歩いてきたのは、シェンカー一家の管理職で黒髪の苦労人、ジレンだった。

 

慌てて煙草を消そうとする彼女に、別にいいよと手を振る。

 

せっかくの祭りなんだ、仕事中でもなきゃ酒と煙草ぐらい存分に楽しんでくれよ。

 

 

「今からクレープ食べるんだけど、ジレンもどう?」

 

「あ、すいません……」

 

 

クレープ屋の親父に二人分金を払い、待ちながらあれやこれやと世間話をする。

 

彼女が売られてきてからこれまで、暇そうにしているところは見たことがないが……最近は特に多忙なようで、こうして顔を合わせたのも久しぶりのことだった。

 

 

「へぇ、今食肉の品質管理やってんだ」

 

「ええ、今月一杯なんですけど、チキンさんがお前は今の所シェンカーの二番手なんだから何でもできるようになって損はないって言って……」

 

「そりゃあチキンの言い分ではそうだろうけどさ、しんどいなら俺から言ってあげようか?」

 

「いえ……それは大丈夫です。今、稼ぎ時だと思ってますんで」

 

「あ……そ」

 

 

やる気満々でそう言う彼女の目は、かつてのチキンと同じようにメラメラと野望に燃えていた。

 

チキンは着道楽だったが、ジレンは稼いだ金を一体何に使うんだろうか。

 

男かな?

 

まあ、何に使ったって自分で稼いで自分で使ってる分にゃ健全か。

 

 

「はいお待ち、熱いから気をつけてね」

 

「あ、ども」

 

「いただきます」

 

 

店の親父から受け取った甘辛タレの肉を巻いたクレープは、なんだか焼きすぎのような気がしたが……まあ祭りの屋台だしな、こんなもんだろ。

 

さっさと片付けて、本部に行くというジレンと別れてまた歩きだす。

 

菓子の屋台の前に列を作る晴れ着の女の子たちが騒いでいるのを横目に通り過ぎ、陽が当たらなくてちょっと寒いマンションの影の部分を足早に抜ける。

 

身を寄せ合うように沢山の屋台が立っている場所で、なんだか不景気そうな顔の鳥人族が店番をやっているうちのタコ焼きの屋台に寄ってタコ焼きを貰った。

 

これは俺が食べるためじゃなくて、ボクシング大会の受付をやっている診療所の面子への差し入れだ。

 

ボクシングだからな、一応ドクターは必要だろ。

 

他にも子供が転んで擦りむいたりするかもしれんしな、ボクシングの受付あたりが休憩所兼治療所ということになっているのだった。

 

 

「おつかれー、これ差し入れ」

 

「あ、ご主人さま、お疲れさまです」

 

「お疲れさまです」

 

「たこやき」

 

 

元闇医者のオッサンは何やらどこかへ行っているらしい。

 

ここにいるのは見習いの女の子達だけだった。

 

 

「参加者どう?」

 

「結構来てますよ~、やっぱり賞品がいいからですかね」

 

「さっきから女の子が彼氏連れてきたり、娘さんがお父さんを連れてきたりしてますよ」

 

「きた」

 

「どうしても店に置きたいっていうお店屋さんのおじさんも参加してて、商品としての販売はないのかって問い合わせも多いですね」

 

「へぇ~」

 

 

ちらりと受付の方を見ると、俺が用意した商品の前には結構な人だかりができていた。

 

人々の目線の先には、人の頭ほどもある大きな卵型の物体があり、それからは明るく楽しげな音楽が流れていた。

 

あれは、いわゆる造魔製のオルゴールみたいなものだ。

 

録音された曲をずっと再生し続けるという無限造魔で、実験で作ってずっと家にほったらかしにしていたものを掘り出してもってきたものだ。

 

元々造魔の大きな役割の一つとして、鳥型造魔にメッセージを吹き込んで伝令に使うというものがあったが、あれはその機能をちょこっと強力にして半永久的に動くようにしただけのもの。

 

王都でも商取引や諜報などに使えないかと一瞬だけ話題になったらしいが、コスト面でも使い勝手でも既存の方法に勝てず、多分今頃は忘れられているだろう。

 

せめて録音の書き換えができればな。

 

だが、そんなものでも町の人達にとってはよっぽどの貴重品に見えたらしい。

 

賞品の前では様々な人間ドラマが繰り広げられていた。

 

 

「素敵ねぇ、こんなのが家にあれば……ねぇ?」

 

「はは、こんど僕がもっと素敵な歌を歌ってあげるよ」

 

「これがいいなぁ……」

 

「わかった、誕生日には歌劇に連れて行くからさ、ね?」

 

「出てよ」

 

「見て、あの高い建物、灰色だね。君の瞳の色のよう」

 

「出ろよ」

 

「空が綺麗だ、青色だね。君の下着の色のよう」

 

 

と若い女の子に賞品を強請られているヒョロガリ青年が、必死に目を逸らしながらそんなことを言って平手打ちを食らっていたり……

 

 

「この曲、母ちゃんが好きだったなぁ、酒場で流しが演るといつも元気に踊りだしてさぁ……墓参りで聞かせてやりてぇよ」

 

「父ちゃん」

 

「ねぇ~とうちゃ~」

 

「父ちゃん持病でな、激しい運動はするなって……お医者さんから……」

 

「父ちゃんの病気って水虫だろ!」

 

「とうちゃ~」

 

「いてぇいてぇいてぇ! 父ちゃん水虫が痛くて一歩も歩けねぇ! いてててて!」

 

 

と連れてきた兄弟に強請られた父親が一芝居打って転げ回り、そのまま息子たちに足蹴にされていたり……

 

 

「ねぇあんた、ちょいと優勝してさぁ、これあたしにおくれよ。もう結婚して何年だい?」

 

「えぇ……殴り合いなんてできねぇよ、母ちゃんにだって勝てないのに」

 

「人聞きの悪いこと言ってんじゃないよ! あんたが特別意気地なしなんだろ!」

 

「いっ! そのパンチで母ちゃんが出りゃいいだろ!」

 

 

と、夫婦喧嘩が勃発していたり、色々大変なようだ。

 

とはいえ参加を渋っている男ばかりではないようで、やる気満々の顔で腕まくりをしている者もいる。

 

冒険者ばかりかと思っていたけど、意外と普通の町の人の参加も多くなりそうだな。

 

そんなボクシング大会受付所に、人々の群れを割るようにして一人の女が現れた。

 

腰にサーベル、両手に食い物、鋭い眼光全てを睨めつけ、咥えポテトの鱗付き。

 

冒険者クラン『マジカル・シェンカー・グループ』の頭目、メンチだった。

 

 

「私も出るぞ。オピカ、申請しておけ」

 

 

両手が食べ物で塞がったメンチは、ペンを取ろうともせず受付の山羊人族のオピカに申込みを任せて不敵に笑った。

 

横着すんなよ……

 

 

「やべぇ、メンチさんが出るなら勝ち目ねぇぞ……」

 

「なんかお腹痛い気がする、たぶんお腹痛い、お腹痛い」

 

 

どうやらメンチの登場によって出場を取りやめそうな人間も何人かいたようだ。

 

まぁ勝ち目がないってのはわかっちゃうよな。

 

俺だってメンチと殴り合いなんて勝てる気がしないもの。

 

こういうのって前世じゃどうしてたんだか……

 

あ、そっか、階級制か……すっかり失念していた、次があれば導入することにしよう。

 

そんなことをぼーっと考えていたら、俺に気づいたメンチが近くに寄ってきた。

 

 

「ご主人様、おはようございます」

 

「ああ、おはよう」

 

 

魔法でも使ったんだろうか、彼女の両腕一杯にあったはずの屋台の食べ物は、すでに片手で抱えられるほどに減っていた。

 

 

「ボクシング出てくれるんだって? ありがたいよ」

 

「とんでもございません、シェンカー家の催事でシェンカーの者が威を示すのは当然のこと。あの魔法楽隊は必ず手に入れてシェンカー本部の食堂に設置してみせます」

 

「魔法楽隊? 別にあんなもん欲しけりゃ作ってやるけど……」

 

「いえ、勝って手に入れることに意味があるのです。どうぞ本番は安心してご家族とご覧ください、必ずや勝利を飾ってみせます」

 

 

左手でグッと力こぶを作り、右手でドンと胸を叩くメンチ。

 

こいつ、今の会話の隙間で一瞬で抱えていた食べ物を食い尽くしやがった……

 

人と喋ってる間に飯食うのもアレだけど、その早食いもどうかと思うよ。

 

 

「じゃあまあ、気楽にね、別に負けてもいいから」

 

「はっ!」

 

 

真剣な顔で踵を返し、そのまま近くのチーズ焼きそばの屋台に向かう彼女を見送り、俺は一応祭事を見ておこうかとモグラ神殿の方へと向かったのだった。

 

一応これはモグラの神様を祀るお祭りだしな、本来はこうしてバカ騒ぎするのが目的じゃあないのだ。

 

 

 

神殿とは名ばかりの小さなお社に近いそこでは、綺麗に着飾らされたモグラの神の加護を持つケンタウロス、ピクルスがムニャムニャと祝詞を唱えていた。

 

傍らにはこちらも着飾り神妙な顔をした鳥人族のボンゴが侍り、祝詞に合わせて小さな鐘をチンチンと叩いている。

 

いつの間にか冒険者御用達の神殿になっていたからだろうか、由縁なきむさくるしい冒険者らしき集団もピクルスの後ろで手を合わせていた。

 

 

「ダンジョンで死にませんように……」

 

「嫁嫁嫁嫁……」

 

「エラフさんとうまくいきますように……」

 

 

煩悩ダダ漏れの願いもあるが、叶うといいな。

 

神の実在するこっちの世界でも、神様が人間のお願いを叶えてくれるなんてことは実際一切ないらしいが……

 

それでも、人は神に祈ることをやめない。

 

良くも悪くも世の中は理不尽だらけ、何でもかんでも自分の責任だと思うとやりきれないのだ。

 

たとえ何もしてくれないとしても、物事を神様のせい(・・)にできるというだけで役には立っているのだろう。

 

一応……俺も祈っておこう、家族の健康をな。

 

手を合わせた俺に気づいたのか、ボンゴがパタパタと羽を振ってきた。

 

それでも鐘の音は一定のリズムを保ったままだ。

 

俺はボンゴにゆっくりと頷きを返し、神殿の前の賽銭箱に小銭を投じてその場を離れる。

 

ピクルスは割とあがり症だから、俺が見てるのを知ったら祝詞を忘れてしまうかもしれないしな。

 

 

 

その後はリナリナ義姉さん監修の、ほんのり醤油味がするふるまいのポトフを食べ。

 

下の兄貴や遊びに来た親父と一緒に、通りの真ん中に組まれたステージの前で様々な催し物を楽しんだ。

 

兄貴の友人団体による歌や踊り、町の有志による楽団の演奏や演劇、変わったところではものまね士による町の有名人の物真似なんてのもあった。

 

だが、そういう楽しい時間というものはあっという間で、気づけばもう時は夕方。

 

うちの嫁さんと双子の赤ちゃんもやってきて、俺達はVIP席とは名ばかりのシェンカー本部の二階へと移動していた。

 

さすがにお祭りの人混みの中にいたんじゃあ双子の世話にも困るしね。

 

一応ステージもよく見える場所だから、人の殴り合いが見たいローラさんも大満足だろう。

 

双子をあやしながら上から見ていると、イスカの指示であっという間にリングが作られ、ライトが焚かれ……

 

本日のメインイベントであるボクシングの準備が整った。

 

 

『お集まりの紳士淑女の諸君! おとっつぁんにおっかさん! 心臓の弱い方は見ないでちょうだい! ここからは……野蛮人の時間だぁーっ!!』

 

 

うちのお祭り好き筆頭、魚人族のロースのアナウンスがシェンカー通りに張り巡らされた放送用造魔から響き……

 

魔法の力で増幅されたその声に負けない音量で、リング周りに陣取った観客たちの歓声が返される。

 

まだ選手も登場していないのに、場の盛り上がりは十分以上だ。

 

 

「うおーっ!」

 

「待ってたぞー!」

 

「やれーっ! ぶちのめせーっ!」

 

「メンチさーん! 今月の家賃賭けましたからーっ!」

 

「お父ちゃーん! 頑張ってー!」

 

 

真っ白いドレスシャツに絹の黒ベストをかっこよく着こなしたロースは耳の後ろに手を当て、ニヤニヤ頷きながら観客席をぐるっと見回した。

 

 

『それじゃあ、さっそく選手の顔見せをしましょうか!』

 

「おーっ!」

 

「プテンー! 気持ちだけ賭けたからー!」

 

『詳しい説明はそいつが一回勝ってから! まずは全員出てこーい!』

 

「おおーっ!」

 

「道開けろーっ!」

 

『全選手! 入場ッッッ!!』

 

 

うおーっ!という雄叫びとともに四方八方から集まってきた力自慢たちがリングの上にどんどん登り、あっという間にロープの内側は屈強な男女のパラダイスになってしまった。

 

 

『本日奉納試合を行う勇者達に! 盛大な拍手を!!』

 

 

声援と口笛と拍手が渾然とした騒音となって通りを満たし、うちの息子のノアがぴぃぴぃと泣き始めた。

 

反対にノアの妹のラクスはまるで動じず、平気な顔でおしゃぶりを握りしめている。

 

ま、まぁ、女は強いって言うしね……

 

 

「おおよしよし、ノアはラクスよりも耳がいいのかもしれないね」

 

 

ローラさんはなんでもいいように言うなぁ、見習おう。

 

 

『よーし! やるぞー! 第一戦の選手以外は舞台から降りてくれ!』

 

 

実況の言葉に、波が引くように選手たちがリングから降りていく。

 

冒険者が多いからだろうか、なんか統率が取れてるなぁ。

 

 

『第一試合! 東町のポール対中町のクリスゥー!』

 

 

人数が多いから巻き進行なんだろう、選手同士の握手もなしにカーンとゴングが鳴らされ、いきなり殴り合いが始まった。

 

 

「おっ、始まったぞ」

 

 

ローラさんが楽しそうにそう言うのに、双子が「あぶ」とか「たぁ」とか相槌を打つ。

 

ご飯の後なのでいつおねむになってしまってもおかしくないが、今のところは楽しそうにもぞもぞ体を動かしているようだ。

 

 

「町民同士ですから、泥仕合になって長引くかもしれませんね」

 

「そうだなぁ……」

 

 

なんて話をしながら見ていた試合は、あっという間に決着がついた。

 

ガードをミスって髭のおっさんにボディを食らわされた髭のおっさんが、のたうち回っている間にスリーカウントが過ぎたのだ。

 

あれ、これカウント短いな。

 

もしかしてボクシングってテンカウントだったのかな?

 

まあ、もしそうだったとしても後の祭りだ……来年来年。

 

試合はほとんど当てたもの勝ちの様相を呈し、割とサクサク進んでいった。

 

 

『冒険者プテン対西町のヨハンー!』

 

 

うちの猪人族プテンのストレートを顔面に食らった兄ちゃんがぶっ倒れて負け。

 

 

『冒険者アグニ対冒険者リシウー!』

 

 

おっさんとおっさんがほぼクロスカウンター状態で同時に沈み、おっさんが立った。

 

正直どっちがどっちだかわかんないよ。

 

そんな三試合目が終わったあたりで元々あんまり殴り合いに興味がない俺は早々に飽きてしまい、双子をあやしていたのだが……

 

ローラさんだけは、いつまでも興味深そうにボクシングを鑑賞していたのだった。

 

頼むから来年は自分が出るとか言わないでくれよ。

 

 

 

『さあ全員の一試合目が終わり、これから勝負の二試合目、ここからは各選手の紹介も入ります!』

 

 

パッとリングの近くの机に照明が焚かれ、そこに座っているうちの兄貴と本部の近所に住むおばちゃんの姿が照らし出された。

 

 

『紹介、解説はシェンカー商会手代のシシリキ氏と、中町のご意見番であるシェリーさんにしていただきます!』

 

「シシっちー!」

 

「シェリーッ! 決まってるよー!」

 

 

二人は通り中から降り注ぐ歓声に手を振って応えた。

 

なんだかイマイチ乗り切れてない自分が悔しいぐらい、会場は凄い盛り上がりを見せている。

 

みんな多かれ少なかれ金も賭けてるし、見知った人達だろうしな、そりゃ盛り上がるか。

 

 

『それでは選手の入場です! 冒険者! アテザノーッ!』

 

 

猫人族の俊敏な冒険者が、リングのロープを飛び越えるような高いジャンプで入場した。

 

四方八方に投げキッスを送り、ファンサービスもバッチリだ。

 

そんなアテザノに、うちの兄貴とシェリーさんが紹介を加える。

 

 

『えー、アテザノ氏はよく西町で飲んでますね、意外と酒には弱いです』

 

『アテザノちゃんは子供の頃は魔法使いになりたかったみたいでねぇ、棒切れの杖を振り回して自分で考えた呪文を叫んでたって話よ』

 

「あーっ!」

 

 

かわいそうに、子供の頃の恥ずかしい思い出を暴露されたアテザノは悲鳴のような叫びを発し真っ赤な顔をして蹲ってしまった。

 

ああいう暴露を平気でするおばさんを連れてくるなよ、なんてむごい人選なんだ……

 

 

『もう一人の選手が入場だーっ! 中町のウィンザムーッ!』

 

 

こちらは一般人のようだ、中年のウィンザムはゆっくりとリングに上がると、鍛え上げられて陰影がバキっと出た筋肉に力を入れ、周りのお客さんたちに見せびらかした。

 

一部の女子と一部の男子からは嬌声が上がっているようだが、なんともむさ苦しい光景だ。

 

 

『チーズ蒸しパンがおいしいパン屋の旦那さんですね、酒場にはあんまり来ません』

 

『動物と話すときだけ赤ちゃん言葉になるのよあの子、かわいいわよ』

 

 

ウィンザムさんは声を上げることもなく蹲ってしまった。

 

シェリーさんの言葉はダメージが高すぎる上に、井戸端会議の名主みたいな人だから弾数も凄い。

 

もう手に負えないぞ。

 

選手がどんな傷を心に負ったとしても、連れてきたやつのせいだからな。

 

 

『両者立って……はいっ! 立って立って! 試合開始!』

 

 

カーンとゴングが鳴り、アテザノがヤケクソ気味に飛び出した。

 

足で掻き回すように、前に後ろにヒットアンドアウェイをかます。

 

だがウィンザムさんも余裕でさばき、全てをガードしながらじわじわと相手をロープ際に追い詰めていく……

 

そして行き場を失ったアテザノに、重たいボディーブローを何発か叩き込んで勝利をもぎ取った。

 

暴力のプロである冒険者に普通に勝ってしまった町人の姿に、観客たちもわっと沸き上がる。

 

 

「あれはよく鍛えているね」

 

「おじさんの方ですか?」

 

「うん。仕事だけではああはならんだろう、意図的に鍛錬を積んでいる体だよ」

 

 

筋トレマニアってとこなのかな、ガードは上手かったけど、別にパンチが特別鋭いってわけじゃなかったし。

 

しかし、やっぱり……

 

 

「今日、ローラさんに解説頼めばよかったですね」

 

「まあ、あの解説もいいんじゃないかな」

 

 

そう言って、ローラさんはラクスの背中を撫でながらなんとも楽しそうに笑うのだった。

 

 

 

その後も試合はどんどん進み、始まった時は夕焼けで真っ赤だった空も今やすっかり真っ暗。

 

気がつけばもう次が決勝戦だ。

 

スリーカウント制が良かったのかどうかは知らないが、今の所歩けなくなるような怪我人も出ていない。

 

とりあえずは問題がなさそうで安心したよ。

 

心を抉られてしばらく表を歩けなくなった奴は何人かいそうだけどな。

 

 

『決勝ー! 西町のマリオン対冒険者メンチーッ!!』

 

 

観客席は沸きに沸いていたが、同時に困惑に包まれてもいた。

 

メンチの相手のマリオンが、完全にダークホースだったためだ。

 

 

『選手入場! 西町! マリオン選手!』

 

 

ロースの声と共にゆっくりとリングに上ってきた男に、いつでも笑顔がモットーのうちの兄貴が、珍しく困ったような顔で解説を加え始めた。

 

 

『えー、何も情報を提供できなかった前の試合からこれまでの間、情報を集めていましたが、マリオン氏は西町の木工所の一員とのことで~、お酒は飲まないそうです』

 

 

いつもふてぶてしい顔のシェリーさんも、なんともいえない表情をしながら話す。

 

 

『私も一応ご近所の奥さん方に聞いてみたわ、なんでもこの大会に優勝して奥さんに商品をプレゼントしたいんですって。愛妻家なのね』

 

 

ダークホースすぎて下手な情報屋よりも情報通の二人が一切情報を持っていなかったぐらいだからな。

 

立派な髭と輝く笑顔がトレードマークと言えばトレードマークだが、どちらかといえば地味なおじさんだ。

 

前試合であっけなく負けたプテンが「こんな地味な男に!」と悔しそうにしていた。

 

 

『それでは、ご本人に意気込みを聞いてみましょう!』

 

 

ロースがそう言ってマイクを向けると、マリオンはキョドりながら「が、がんばります……」とだけ言った。

 

今日の賞品は、ああいう人でも欲しくなるものだったってことか?

 

商品化したら……いや、うちで俺以外が作れないようなもの売ってもしょうがないか。

 

 

『次ーっ! 冒険者! メンチの入場だーっ!』

 

 

元気いっぱいのロースの呼び声に、鱗を隠すためにタートルネックの長袖を着込んだメンチが、気合入りまくりの怖い顔でリングへと躍り上がった。

 

さっき双子がおねむになったとこでよかったよ、あの顔見たら絶対泣いてたぞ。

 

 

『えー、中町の羊蹄辻の酒場によく出没するそうです。意外と噂話が好きで、壁新聞を見かけたら読まずにはいられないのだとか』

 

『彼女、お見合いのために変装して男ウケがいい一張羅を買いに行ったことがあるそうよ』

 

 

意味があるようで特に意味がない二人の解説も終わり、ロースはメンチにもマイクを向ける。

 

 

『メンチ、意気込みは?』

 

 

メンチはそのマイクをガッと力強く握り、そのまま噛みつかんばかりの勢いで喋り始めた。

 

 

『今日は私の主家であるスレイラ家の方々が観覧に来られている! この一戦、シェンカーの意気地を示すに相応しいものである! 若様、姫様! このメンチの勇姿をとくとご覧あれ!』

 

『長い』

 

 

ごめんメンチ、若様と姫様、今爆睡してるわ。

 

 

『それでは、決勝戦、いくぞ~! 試合……開始!!』

 

 

カーンとゴングが鳴り、メンチとマリオンは鋭い視線で睨み合う。

 

地球じゃあ素人の喧嘩ぐらいでしか見ることができない超原始のボクシングだ、全てが大振り、いつでも全力、蹴りと投げが使えないだけの単なる喧嘩だ。

 

ピュアといえば聞こえはいいが、マッチ一つではとても観客は呼べない、雑味の大きい競技に仕上がったことは間違いないだろう。

 

だが、その中で、たった一人だけ別次元の戦いをしている者がいた。

 

 

『おおっとぉ! マリオン選手! さきほどの試合と同じように、避ける! 避ける! 避ける!』

 

 

風切り音の聞こえてきそうなメンチのパンチを、マリオンはギリギリで避け続ける。

 

ちょっと腹も出かかっているような中年の男が、リングの上を華麗に舞っていた。

 

腹をねじり、顔を傾け、上体を反らし、グローブをつけてなお死の危険をはらむ魔弾をかわしながら、必死に機をうかがっている。

 

もし蹴りが使えれば、棒の一本でもあれば、彼は簡単にやっつけられていただろう。

 

ただ、このゲームの拳二つだけ(・・・・・)という制約が、彼を竜に抗う獣へと変えていた。

 

リズムが読めてきたのか、マリオンの反撃の拳がメンチの腹に突き刺さるように入る。

 

 

「うおおおおおおおっ!」

 

「いけええええっ!」

 

 

歓声に応えるように、マリオンはメンチのパンチをかわしながら的確な反撃を加え続ける。

 

 

「マリオン!」

 

「マーリオン!」

 

「おっさん! 頑張れーっ!」

 

 

明らかな強者であるメンチの苦戦に俄然会場はヒートアップするが、戦況は全く動かない。

 

マリオンのパンチが効いていないのだ。

 

全身に鱗を持つ鱗人族は裸でいたって甲冑を着込んでいるようなもの。

 

たとえ何発腹や顔を殴られようとも、倒れ込むようなダメージを負うことはまずない。

 

だというのに、その腕力から繰り出されるパンチはまさに一撃必殺。

 

国によっては小竜人とも呼ばれる彼らだ、元より素手の一対一で倒せる相手ではないのだ。

 

どれだけ才能を開花させようと、マリオンの勝利は絶望的であるように思われた。

 

だが、リングの上には可能性があった。

 

魔物一匹殺したことのないような親父でも……見事それを成し遂げてスターになれるという奇跡が、スポーツの舞台には眠っていたのだ。

 

 

「あなたーっ! 頑張ってーっ!」

 

 

どこからか女性の声が飛んだと思った次の瞬間には、メンチの顎に電光石火の右フックが入っていた。

 

動きの起こりが全く見えない、幽霊のようなフックだった。

 

そのまま同じ速さの左ストレートが同じ場所に入り、メンチはマリオンに覆いかぶさるように膝から崩れ落ちて地面に横たわった。

 

 

『さん! に! いち!』

 

 

カウントの間、会場の誰もが声を上げなかった。

 

 

『おいマジか! すげーっ! 鱗人族に! メンチに! 素手で勝っちまった! マリオンの! 西町のマリオンの優勝だーっ!』

 

 

ロースがそうわめいた瞬間、どっ!と圧を伴うぐらいの歓声が通りを駆け抜けた。

 

ロースがマリオンの手を持って何かを言っているようだが、それも聞こえない。

 

爆弾でも爆発したかのような、観客の感情の爆発が建物まで揺らしているようだった。

 

 

「マーリーオン! マーリーオン!」

 

「感動したー!」

 

「メンチの姉御ー! 大丈夫かーっ!」

 

 

まさに劇的な勝利といえるだろう。

 

マリオンは一夜にして、この中町の英雄となったのだ。

 

まさか俺もメンチが負けるとは思っていなかったから本気でびっくりした。

 

ああいう人もいるんだなぁ。

 

 

「君、気づいたか? あの男、メンチが崩れ落ちて倒れるまでに顎に四発入れたぞ」

 

「えっ、全然気づきませんでした」

 

「普通の人間の動きにしては速すぎるよ、多分加護持ちだ」

 

「えー、なんの加護ですかね?」

 

「さぁね」

 

 

カンガルーか何かだろうか?

 

急な大声にびっくりして泣き始めた双子をあやしながら、俺はかつての世界の有袋類の姿をぼんやりと思い出していた。

 

 

 

 

 

兄貴の思いつきから始まった二度目のモグラ祭りだったが、参加したみんなが口を揃えて「やって良かった」と言う、いいお祭りになった。

 

特に喜んでいるのはシェンカー一家の最近買われてきた新入り達で、町の人達からの見る目がちょっと変わったのだそうだ。

 

やはりうちの奴隷たちはどこまで行こうと買われてきたよそ者だからな。

 

常に多少の居心地の悪さは感じていたんだろう。

 

普段から関わりのある人達ならともかく、それ以外の人からすればシェンカー一家自体、貴族に成り上がったボンボンが金にあかせて好き放題やっている黒船みたいなもんだ。

 

そこがやったお祭りに、兄貴のツテで色んな店が出資してくれたことで多少の信用獲得に役立ったんじゃないだろうか。

 

しょうがないよな、トルキイバって豊かだけどド田舎なんだもん。

 

麦の産地っつったって、ここらの麦はだいたい王都行きだから交易の要点ってわけでもない。

 

基本的にあんまりオープンな土地柄じゃないんだよね。

 

今後も従業員のためにも、イベント事があれば積極的に金と人を出すことにしよう。

 

普通の人間は経済で無敵でも、街の人の反感を買えば死に直結しかねないって世界だしな。

 

くわばらくわばら、人付き合いは大変だ。

 

部屋の窓を開けると、家の前の道を子供達が走っていくのが見える。

 

 

「俺マーリオーン!」

 

「パンチパンチ!」

 

「このメンチの勇姿を……」

 

「だからアブタちゃんは鱗は鱗でもお魚でしょ!」

 

「いーじゃん別に!」

 

 

子供は何でもすぐに真似するなぁ。

 

拳を突き出して走り去っていく子どもたちを見送り、だんだん茜色に染まっていく空をゆっくりと眺めていた。

 

風がひゅっと吹き込むが、襟を寄せるほどの寒さじゃない。

 

最近、寒い中にも時々暖かい日が混じるようになった。

 

トルキイバに、春が少しづつ近づいて来ていた。

 


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